横浜伊勢佐木町周辺(その2)
横浜ニューテアトルに最初に行ったのは、4時。
5時からの切符は完売。7時の最終回の整理券をもらった。
みなとみらいから伊勢佐木町に戻り、まだ開演時間の7時までに時間があったので、
スターバックスに入ってお茶した。
横浜ニューテアトルは大きくない映画館で、一般館が上映しない映画を観せてくれる。
以前にも1度来たことがある。
伊勢佐木町を舞台の中心とした映画を伊勢佐木町で観ることには、何か因縁を感じた。
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『ヨコハマメリー』のあらすじ (パンフレットから引用)
歌舞伎役者のように顔を白く塗り、貴族のようなドレスに身を包んだ老婆が、ひっそりと
横浜の街角に立っていた。本名も年齢すらも明かさず、戦後50年間、娼婦としての
生き方を貫いたひとりの女。
かつて絶世の美人娼婦として名を馳せた、その気品ある立ち振る舞いは、いつしか
横浜の街の風景の一部ともなっていた。
”ハマのメリーさん”、人々は彼女をそう呼んだ。
1995年冬、メリーさんが忽然と姿を消した。
自分からは何も語ろうとしなかった彼女を置き去りにして、膨らんでいく噂話。
いつの間にか、メリーさんは都市伝説のヒロインとなっていった。
そんなメリーさんを温かく見守り続けていた人たちもいた。病に冒され、余命いくばくも
ないシャンソン歌手・永登元次郎さんもその一人だった。消えてしまったメリーさんとの
想い出を語るうちに、元次郎さんはあるひとつの思いを募らせていく。
もう一度、メリーさんに会いたい。そして彼女の前で歌いたい・・・・・
本作に出演するのは、メリーさんと関係のあった人たちや思いいれのある人たち、
そして昔の横浜を知る人たちである。それらの人たちのインタビューや取材により、
『メリーさん』とは何だったのか、彼女が愛し離れなかった『横浜』とは何だったのかを
検証し、浮き彫りにしていったドキュメンタリーである。
監督は本作がデビューとなる、弱冠30歳の中村高寛。
メリーさんが街から消え、彼はその影を追うように、様々な人々へのインタビューを
始めた。そしてメリーさんを通して見えてきたものは、市井の普遍的な人の営み、感情、
人生の機微であった。
撮影開始から5年の歳月をかけ、地元・横浜への親しみがこもった、清々しい感動に
溢れる作品を作り上げた。
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上映が終わったところで、珍しく客席から拍手が起きた。
お客は若い人から年輩まで、当然かもしれないが、女性客の方がずっと多かった。
最後は、メリーさんが入っている老人ホームへ、ガンで余命のない元次郎さんが
訪ねていき、お年寄りが集まって、元次郎さんのシャンソンを聞く。
コンサートが終わったあと、元次郎さんがメリーさんをエスコートしながら、老人ホームの
廊下を歩くところで映画は終わる。
その後、メリーさん、元次郎さんがどうなったのかは、映画ではわからない。
帰り際買ったパンフレットをあとで読んだ。
映画が撮られた翌年2004年、元次郎さんは亡くなり、メリーさんは2005年1月、
84歳で逝去されたそうである。
記憶に残る映画になることだろう。
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