退院報告
入院9日目の今朝、9本目のステロイド剤の点滴が終わり、午後無事退院できた。
まだいくぶん右耳の閉塞感は残っているものの聴力はかなり回復したようである。
ただ、しばらくは薬を続けることになりそう。
入院する前に医者から言われた。
『突発性難聴はアレルギーとか血流不足が原因と言う意見もあるがはっきりした原因は
いぜんとして不明。ただ処置方法は確立している。1クール9回のステロイド剤の点滴を
打つこと。ただ結果は人により、状態により違ってくる。完治に至らないケースもある。
重要なのは一日も早く処置をはじめること』
9日間の入院中いろいろ見聞き、体験した。
4人部屋のふたりはガンの術前、術後の方だった。看護婦さんたちの明るいふるまい、
患者への思いやり、きびきびした動きには癒され、すばらしさを感じた。
以前入院したのはいつだったろうかと考えたら、33年前の1976年だった。
場所はシドニー。駐在中、首にできた腫瘍を切除する手術を受けた。
英語が心もとない上、悪性ではないかと心配したことを久しぶりに思い出した。
今回の入院では朝3時間かけて点滴すれば、あとは3回食事をするだけ。就寝時間の
9時まで他に何もすることはない。
読めてなかった本をいろいろ持ち込み、じっくり読んだ。
中でも第2次大戦末期の昭和20年2~3月、硫黄島戦線総指揮官 栗林忠道中将の
ことを書いた「散るぞ悲しき」(梯久美子著、新潮社)には大変胸を打たれた。
1年半くらい前、クリント・イーストウッド監督の硫黄島を舞台にした映画2部作
「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」を観て、「散るぞ悲しき」を買った。
買いはしたが読んでなかった。栗林中将は「硫黄島からの手紙」のモデルである。
また、時間つぶしによかったのは、数字のパズルの数独。
数独はルールは簡単だが脳トレになり、時間つぶしにはぴったり。
考えても考えてもわからず、しばらくほっておいて、あらためてやったらパッとひらめき
全部が解けたという問題がいくつかあった。ギブアップした問題もふたつあった。
今回の入院は急に決まったため、予定していたことをいくつかキャンセルせざるを
得なかった。最も残念だったのは、ボクが幹事で3ヶ月に1度やっている大学の寮の
飲み会に参加できなかったこと。特に今回シカゴと高松からわざわざ参加してくれた
ふたりの仲間に会えなかったのが極めて残念であった。
土曜日にあった年3回開催の犯罪被害者ネットワークの実行委員会、それに日曜日
開催された年2回のテニスのチーム対抗戦、いずれも参加できなかった。
ただ、9日間の治療でとりあえず治まったことは何ごとにも替えられない。
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