カンボジャの記憶
多くの方は関心がないであろうが、70年代のカンボジャで自国民の虐殺に関与した
ポル・ポト政権の元幹部らを裁く特別法廷の初公判が昨日プノンペンで開かれた。
その模様は今朝の新聞で報じられ、朝日新聞は先週3回の特集記事で大きく紹介して
いた。
カンボジャでは30年前の1975~79年政権を握ったポル・ポト派が極端な共産主義に
走り、自らの革命の敵と考え、知識人の処刑や都市住民の農村への強制移住、
強制労働、拷問、虐殺を繰り返し、犠牲者は国民の5人に1人の170万人にのぼった
と言われている。170万人と言えば、おおよそ鹿児島県の人口に匹敵する大変な数の
人たちである。
3年8ヶ月間続いたポル・ポト時代にカンボジャはめちゃめちゃに破壊されてしまった。
道路や橋の破壊は言うに及ばず、「人材の破壊」、「制度の破壊」が、カンボジャに
壊滅的な打撃を与え、その状態が今なお国全体に残っている。
ボクは定年退職直後に会社から頼まれ、JICAの仕事で2ヶ月間カンボジャに行った。
そのためカンボジャには相当思い入れがある。
行ったきっかけは、06年7月6日のブログ”あれから2年(1)”に書いた。
コンピュータメーカ3社から6名が派遣され、派遣目的は『アジアの中で最貧国である
カンボジャが今後社会インフラを整備・構築してゆく上で、情報通信技術をいかに
活用していけばよいかを調査し提言をまとめること』であった。
ポル・ポトのことは”あれから2年(2)”で書いた。
相当タフな仕事であったが、2か月で何とかみんなで報告書をまとめあげ、最後は
副首相にまで報告した。このことは”あれから2年(3)”に書いた。
特別法廷で裁かれる最初の人間は、プノンペンの町中にあったトゥール・スレーン
収容所の所長である。トゥール・スレーンはポル・ポトの残虐のあとを風化させない
ために今は博物館として一般に公開している。ポル・ポトが占拠する前は高校の
校舎であった。
2か月間カンボジャに滞在し、帰る前にどうしてもトゥール・スレーンを見ておきたいと
思い、帰国直前にトゥール・スレーン博物館を見学した。
ポル・ポトの残虐のかぎりを見せられ何とも言いがたい気持ちになったことを思い出す。
見学したことは、”あれから2年(8)”に書いた。
捜査に手間取り、法廷の運営方法も難航し、ポル・ポト政権の崩壊から30年経った
やっと今、真相の究明を目指し、虐殺の責任が司法の場で問われることになった。
法廷に拘束されたポル・ポトの幹部たちは皆高齢となっている。
特別法廷の公判が今後どのように展開していくかはわからないが、とにかく出来るだけ
速やかに、正義に則った裁きが進んでいくことを切に願う。
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