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2020年11月 3日 (火)

テレビを観て思い出した ②

1ヵ月ちょっと前に書いた①の続きを

話は、18~19歳だから60年近く前、大学の教養課程時代を過ごした寮の思い出。

①でも書いたが、昨夜、何を食べたか思い出せないのに、60年前のことを覚えている

人間の脳は、まか不思議。

姫路の寮にいたのは18歳の4月から1年半、2年生の2学期からは神戸にある本校に移り

下宿した。

この下宿時代にもいろいろ思い出があるが、ここでは寮の思い出について。

神戸大学経済学部に入学して、寮に入ったのは、昭和38年、1963年4月。

半世紀以上前の57年前。

生まれた人が間もなく定年、というとてつもない昔の話。

書きながらあらためて思った。長生きしてるんだなぁと。

さて、隔世の感がある本題の寮の話に戻して。

当時は、総じて皆、貧しかった。我が家もご多分に漏れず。

子どもを国立大学に行かせる家庭は総じてお金がない家庭が多く、その中でも

入学したら寮に入れる家は、大体お金のない家庭だった。

寮費は寝起きし、朝、夜食べて月3千円。1日100円。

お金のなかった我が家では、特に母親が喜んだ。

加えて、ときどき帰省する汽車賃も当然普通で、寮のあった姫路から実家の倉敷までは

たぶん500円くらいだったと思う。









当然、アルバイトをやった。

覚えているのは、大学の掲示板を見て知った、寮から歩いて20分くらいのところにあった

小さな製麺所。

当然、朝が早く、眠い中起きて歩いて製麺所に行き、自転車でうどんの配達。

配達先は、うどん屋はもちろんのこと、八百屋など、たぶん20軒くらいを1時間近くかけて

配達し、給金は300円くらいだったろうか、毎回、終わったら出されたうどんをいただいて

給金をもらって寮に帰っていた。

それ以外やったバイトで思い出すのは交通量調査。

当時、新しい道路があちこちに造られていて、そのための調査だったのだろう。

押せば1つ数の進むカチカチと鳴る計器を持たされ、道に立って、走る車を種別で数えていた。

ウオッチマンと呼ぶバイトもやった。

こちらは専門課程で進級した神戸で。

港に一晩中立って、停泊している船に盗みに入る人間をまさにウオッチするバイトだった。

神戸時代には、六甲山でダイナマイトを爆破させる現場で「発破するぞ!」との大声がしたら

近くの茂みに逃げて隠れるバイトもやったことを覚えている。

どんな作業をやっていたのかは思い出せない。

ただ、あとになって思ったのは、そうか、あれは山陽新幹線を造るための調査だったのだと。

寮費は親がそれなりに送ってきてくれていたので、バイトした金は飲食、遊興費、特にこのころ

覚えたパチンコ代に使っていた。

止めてもう20年経つが、このころ覚えたタバコ代にも消えた。

覚えたころ吸っていたタバコは、もう今はない、シンセイやイコイ、ゴールデンバッドだった。

付き合っていた彼女はいなかったので、その向きの出費はなかった。

こんな生活をしていた大学時代、よく4年で卒業できたと思う。

ただ、4年間で最も大きな収穫は、できた仲間だった。

みんな今では80歳近くなったが、年4回、有楽町駅近くにある凌霜クラブと呼ぶ

大学の施設に集まり、昔の良き青春時代を語り合っている。

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