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2020年11月

2020年11月29日 (日)

一昨日のこと ①

ハガキ「認知機能検査通知書」が神奈川県公安委員会から届き、金曜日午前中

認知機能検査を受けるため、横須賀市内の自動車学校に行った。

40名弱の高齢者が集まり検査を受けた。

検査内容は、以下の3つ。

 -日付・時間を書く検査

 -複数の絵を記憶し、思い出して書く検査

 -指定された時刻の時計を描く検査

おそらく全員、大体問題なくできたのでは。

結果を教えてくれなかったので、最後に聞いた。

「もし合格点に達してなかったら、どうなるんですか。

免許の更新ができないんですか」

それに対して「まったく出来ていない限り、大丈夫です」

会場はスーパーのイオンの上だった。

終わってイオンで買い物をした。

一昨日はブラックフライデー。

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ブラックフライデーは、感謝祭(サンクスギビング)翌日の11月第4金曜日スタート。

最近日本でも小売業者が主導し、世の中にかなり浸透してきた。

元々は感謝祭で売れ残った商品などを大幅値引きしたお店にお客が殺到したことから

始まったとのこと。

小売業者が黒字になることから「ブラックフライデー」と命名された。

イオンでお昼に食べるものを買って帰った。

お昼を食べたあと、久しぶりに熱海へ。

これは次で。

2020年11月23日 (月)

お十夜法要

お十夜法要って聞いたことがある人は少ないことだろう。

秋のこの時期、浄土宗のお寺で執り行われる法要。

午後、我が家の菩提寺である浄林寺で行われた法要に参加した。

浄林寺まで歩いて20分、我が家の墓のあるお寺。

我が家の墓は20年近く前、長男のボク中心に郷里の倉敷に建て、両親はその墓に眠っている。

ボクも亡くなったあと、その墓に入ることはもちろんできるが、50年近く過ごす横須賀の

この地には知己が多く、娘家族も東京に住み、墓はやはりこの地かと思い墓地を求め、

小さな墓を建てたのは10年近く前。

墓を建ててからは、息子にいつでも会いに行けるとの思いから、なくてはならない場所になった。

午後、そのお寺、浄林寺で毎年この時期恒例のお十夜法要が執り行われた。

もちろんマスクはして行ったものの、本堂は閉鎖、法要は行われず、各自卒塔婆を受けとり墓へ。 

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墓の後には法要でいただいた卒塔婆が。

7月23日のものは盂蘭盆でいただいたもの。

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墓に参ったあと、お寺の裏の道へ出て、トンネルを2つ抜けて海岸通りへ。

道の端にある小さなお墓、通るたびに手を合わせる。

道の直前がカーブしていて、車が来るのが見えなくて、この場所で幼い子供さんが

亡くなったのだろうと、通るたびに思う。

ただ、小さな墓が建てられているだけで、一切記載はない。

お墓の前の道を渡れば、海岸沿いの道。

海の向こうに見えるのは横浜。

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帰り、ミスドでひと休み。カミさんにドーナツを土産に。

そのあと、となりの西友でカミさんから頼まれていたものを買い、今日の任務は終わった。

NHK朝の連続テレビ小説

6ヵ月間楽しんだ「エール」が今朝最終回だった。

朝15分のNHK朝の連続TV小説を観はじめたのは定年退職してから。

初めて観た作品は2004年の「わかば」

それ以前は働いていて、もちろん朝のドラマなんて無縁。

2004年6月、61歳、長年の切望だった定年退職、迷うことなく辞め、もうこれ以上

働かないと心に決めた。

しかし、忘れもしない、定年退職直後ハローワークに、たしか失業保険の手続きに

行っていたとき会社の元の仲間からケータイに電話がかかってきた。

「唐突ですが、カンボジャに2ヵ月間行ってもらえませんか」

「イヤだ」と断ったが「行くことが決まっていた者が家庭の事情で行けなくなり

何とかお願いできないでしょうか」と懇願され、仕方なく折れ、やむなく要請を受け

退職3か月後の9月からカンボジャのプノンペンにJICAの要員として派遣された。

結果的にはこの2カ月、すばらしい経験をたくさんした。

最後、派遣された4人でカンボジャの国中を回ったことを中心に、首相に報告する場が

設けられ、各自見聞きしたこと、経験したことを英語で話し、カンボジャの発展を

願うことを首相に伝えたことを思い出す。

最後に一緒に働いたカンボジャ人の仲間たちがお礼の食事会を開いてくれた。

この会食の場面、聴いたこと、話したこと、長い間経った今もはっきり覚えている。

帰国直前、ポルポトの残虐を伝える博物館に行きたく、独りで訪ね、つぶさにポルポトの

やった悪行を知り、訪ねてよかったと思った。

カンボジャに行っている間に娘のところに女の子が産まれ、電話があり、初孫が生まれたことを

知り、周りの日本人、カンボジャ人に喜びを伝え、祝ってもらったこともしっかり覚えている。

時は流れ、その子は今年高校生になった。

連続テレビ小説から脱線してしまった。

2ヵ月滞在したカンボジャではホテル住い。

部屋ではNHKのテレビ番組を観ることができ、朝の連続テレビ小説をずっと観ていた。

以来16年、面白くなく途中で観るのを止めた作品が何作かあったが、32作品の

8割以上は観てきたNHK朝の連続TV小説。

今回102作目の朝ドラ「エール」は来週土曜日に終わる。

エールは、作曲家・古関裕而がモデルのドラマだった。

今回も大いに楽しんだ。

再来週からスタートする103作目、どんなドラマだろう、楽しみ。

2020年11月18日 (水)

映画2本

観たい映画があり、昨日午後、横須賀の映画館に行った。

2本が40分はさんで上映ということで、ちょうどいい、40分の間に行きたいとこが

いろいろあるので迷わず、2本観ることに。

マスクを2枚重ねして出かけたが、コロナのこの時期、観客は少ない。

一度、一日に3本観たことがあったが、このときは話がこんがらがった。

観た映画はどちらも日本映画。

字幕を読む必要がないので楽。

1本目は「パイの妻」(評点3.5)

2本目は「罪の」(評点3.9)

うん、たしかに、ネットで見た評点の差通りだったかと思ったが、2本とも満足。

2本の上映時間の間、40分の空き時間、先ず、ビル内にある本屋へ。

毎日書いている5年日記が今年の暮で終わるため、新しく5年日記を購入。

5年後は82歳。

おいおい、最後まで書けるかなぁと思ったが、迷わず5年に。

それとX'masカード、孫たち用お年玉袋、12月のNHK英語講座テキストも一緒に。

そのあと、カミさんから渡されていたメモに書いてあったものをビルの中のスーパーで買った。

ギョウザだけは買い忘れ、帰って「えー、今夜ギョウザ食べたかったのにー」と何度もブツブツ。

昨日はそんな日だった。

2020年11月14日 (土)

「独り暮らし(Solo Living)」

すみません、NHKラジオ「実践ビジネス英語」講座テーマ続きで。

定年後15年以上、週4回聴いてる英語講座、おかげで、自分で言うのもおかしいが

ヒアリング力、語彙力がかなり上がってきたことを実感する。

先週、今週6回のテーマは「独り暮らし」

初めて知ったが、中国では11月11日は「独身者の日」とのことで、この日は

またの名を「ダブルイレブン」と言い、1は独身で独り暮らしの人を表す。

独身者の市場は世界中で拡大していて、アメリカでは約3,600万人が独り暮らし

日本では1,900万人前後とのこと。

6回の講座では、さまざまな視点から議論が進んだ。

アメリカで増加の一途をたどっている独り暮らしをしている人たちの独り暮らしをしている

理由としては、結婚の先送りや結婚しないことを選ぶ人が増えていることに加え

熟年離婚(gray divorce)や寿命が長くなっている中で、配偶者に死に別れたケースも多い。

デジタル革命も独り暮らしの増加の理由だと。

インターネットによって、より広い世界とつながりが保てるようになり孤独を感じることなく

独りで生きていけるようになったのも、独り暮らしの増えてきた要因だとの発言が出ていた。

一方で家族や友人との楽しげな写真や動画などが多く投稿されるため、それを見た高齢者などが

自らの境遇を考え、孤立感を一層深めるとの指摘もあった。

いろいろ示唆を与えてくれるテーマだった。

2020年11月 8日 (日)

「ながら運転をしないで」

これは、2カ月前のNHKラジオ「実践ビジネス英語」講座のタイトル。

この講座は定年直後から聴いているので、もう16年聴いていることになる。

覚えようと思い引いたアンダーラインいっぱいのテキストが山のようになっていて

一時期ノートに書き移していたが、作業は中断。

カミさんから何度も「処分してよ」と言われているものの、アンダーラインを引いた

テキストは、いぜんうず高く積まれたまま。

水木金、週3回、15分間、再放送が同日の昼と夜、それに土曜日に1週間まとめて

再放送してくれるので、その気になれば、繰り返し聴ける。

月に2つの話題が取り上げられ、2カ月前、9月のテーマのひとつは「ながら運転しないで」

ただ、これだけ長い間聴いているので、ヒアリング力、語彙力は上がっているものと思う。

「ながら運転しないで」に話を戻して。

「ながら運転」は英語でDistracted Drivingと呼ぶことを初めて知った。

アメリカでは、毎年4月は10年前に始めた「全国ながら運転防止キャンペーン月間」

講座では2週間6回「ながら運転(Keep your eyes on the road)」が様々な角度から

論じられた。

全米安全評議会は、ドライバーたちに、ながら運転をしないことを誓うため以下の

宣誓を求めるそうだ。

「私は自分自身の安全のために、そして道路を共有する他の人たちのために

”ジャスト・ドライブ”に専念することを誓います。私はながら運転を決してしないようにします。

具体的には、電話での会話、メールのチェックや送信、自撮りやビデオ撮影」

その誓いと引き換えに、そして、ながら運転しないと誓ったことを忘れないためのものとして

プリントできるすてきな証明書がもらえるそうだ。

これは、とてもいいアイディアだ。

”ながら運転”は、誰もがついついやってしまう。

知り合いの女性が車に乗るとハンドフリーで電話することがしばしばあり、気になって

「止めたら」と言ったことが何度かあった。

「ながら運転しない誓い証明書」の発行、日本でもやったらと思う。

2020年11月 3日 (火)

テレビを観て思い出した ②

1ヵ月ちょっと前に書いた①の続きを

話は、18~19歳だから60年近く前、大学の教養課程時代を過ごした寮の思い出。

①でも書いたが、昨夜、何を食べたか思い出せないのに、60年前のことを覚えている

人間の脳は、まか不思議。

姫路の寮にいたのは18歳の4月から1年半、2年生の2学期からは神戸にある本校に移り

下宿した。

この下宿時代にもいろいろ思い出があるが、ここでは寮の思い出について。

神戸大学経済学部に入学して、寮に入ったのは、昭和38年、1963年4月。

半世紀以上前の57年前。

生まれた人が間もなく定年、というとてつもない昔の話。

書きながらあらためて思った。長生きしてるんだなぁと。

さて、隔世の感がある本題の寮の話に戻して。

当時は、総じて皆、貧しかった。我が家もご多分に漏れず。

子どもを国立大学に行かせる家庭は総じてお金がない家庭が多く、その中でも

入学したら寮に入れる家は、大体お金のない家庭だった。

寮費は寝起きし、朝、夜食べて月3千円。1日100円。

お金のなかった我が家では、特に母親が喜んだ。

加えて、ときどき帰省する汽車賃も当然普通で、寮のあった姫路から実家の倉敷までは

たぶん500円くらいだったと思う。









当然、アルバイトをやった。

覚えているのは、大学の掲示板を見て知った、寮から歩いて20分くらいのところにあった

小さな製麺所。

当然、朝が早く、眠い中起きて歩いて製麺所に行き、自転車でうどんの配達。

配達先は、うどん屋はもちろんのこと、八百屋など、たぶん20軒くらいを1時間近くかけて

配達し、給金は300円くらいだったろうか、毎回、終わったら出されたうどんをいただいて

給金をもらって寮に帰っていた。

それ以外やったバイトで思い出すのは交通量調査。

当時、新しい道路があちこちに造られていて、そのための調査だったのだろう。

押せば1つ数の進むカチカチと鳴る計器を持たされ、道に立って、走る車を種別で数えていた。

ウオッチマンと呼ぶバイトもやった。

こちらは専門課程で進級した神戸で。

港に一晩中立って、停泊している船に盗みに入る人間をまさにウオッチするバイトだった。

神戸時代には、六甲山でダイナマイトを爆破させる現場で「発破するぞ!」との大声がしたら

近くの茂みに逃げて隠れるバイトもやったことを覚えている。

どんな作業をやっていたのかは思い出せない。

ただ、あとになって思ったのは、そうか、あれは山陽新幹線を造るための調査だったのだと。

寮費は親がそれなりに送ってきてくれていたので、バイトした金は飲食、遊興費、特にこのころ

覚えたパチンコ代に使っていた。

止めてもう20年経つが、このころ覚えたタバコ代にも消えた。

覚えたころ吸っていたタバコは、もう今はない、シンセイやイコイ、ゴールデンバッドだった。

付き合っていた彼女はいなかったので、その向きの出費はなかった。

こんな生活をしていた大学時代、よく4年で卒業できたと思う。

ただ、4年間で最も大きな収穫は、できた仲間だった。

みんな今では80歳近くなったが、年4回、有楽町駅近くにある凌霜クラブと呼ぶ

大学の施設に集まり、昔の良き青春時代を語り合っている。

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