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2020年9月

2020年9月27日 (日)

テレビを観て思い出した ①

東大駒場寮にまつわる番組をテレビでやっていて、大学に入学したあと1年半過ごした

寮生活を思い出した。

昨夜何を食べたか思い出せないのに、60年前のことを思い出せる人間の脳は不思議。

18歳、入った大学は神戸大学経済学部。

18歳の4月に入学、教養課程を1年半、姫路の寮で過ごした。

寮は2階建て、6寮まであり、一部屋1階は3人、2階は5~6人部屋だった。

名前のABC順に1階1室から割り振られ、Hのボクは最初は1階3室だった。

どういうわけか、しばらししたら2階の9室に移動させられた。

人が多い分、1階より2階は元気があり、これが寮生活を一層楽しいものにしてくれた。

前置きはこれくらいにして寮生活の話を。

寮は学校の敷地内にあった。

冬は部屋から歩いて数分の教室まで寝巻の上に丹前をはおって、つっかけ履きで行っていた。

良き時代であった。

寮費は寝て、朝、晩食べて月3千円。

貧しかった我が家はおふくろが「幼稚園より安い」と喜んでいたのを思い出す。

今でも当時の仲間たちと年4回、日比谷にある大学のクラブで旧交をあたためている。

当然、毎回当時の話で盛り上がり、80前になった皆、寮時代の話をよく覚えている。

「お前は、ああだった、こうだった」と本人が覚えていない話もしばしば出る。

寮は、旧制高校の寮をそのまま建替えることなく使い、汚かった。

特に風呂は湯を毎日代えないため、汚かったが、こんなものかと思い、毎日入っていた。

メシもまずかった。

覚えているのは、皆でぞうりと呼んでいた魚のフライ。

ぞうりはよく出てた。

まあ、家でもろくなもの食べてなかったので、文句はなかった。

2階の住人はトイレに行くのが面倒で窓からたれションしていて、2階に移ってよかったと思った。

トイレにはこんな話もあった。

トイレで首つり自殺した学生がいて、便意を催しても夜は怖くて行けなく我慢していたことを

思い出す。

長くなりそうなので、①はこのあたりで。

2020年9月25日 (金)

裁判傍聴、そのあと懐かしいところへ

昨日、民事裁判を傍聴するため、立川地裁に行った。

いやー、横須賀から立川遠い。2時間ちょいかかった。

幼い息子さんを交通事故で亡くした女性のSさん。Sさんはフェイスブックの仲間。

Sさんに初めて会ったのは去年秋。

桐生で開催された「生命のメッセージ展」で1泊した朝、ホテルの朝食が同じテーブルだったご縁。

お母さんが7月に急死され、悲しみの癒えないSさん。

昨日の息子さんの裁判は2回目。

裁判そのものは、大した進展はなかった。

前日、加害者側から届いた答弁書に対する言及もなし。

まあ、死亡交通事故の民事裁判の一般的な進行。

この先、被告本人尋問、それを受けて原告本人尋問がある予定。

次回はこのふたつの尋問に合わせ、立川地裁へ行く予定。

終わったあと、集まった人たちでわいわい言いながらファミレスでお昼を食べた。

食事をしたあと、南武線に乗って、帰る途中、寄りたいところがあり、中野島駅で下車。

中野島に住んでいたのは結婚直後。50年前。

当時の田舎の駅はモダンな駅に様変わりしていた。

Img_2528

中野島駅で途中下車したのは、結婚当時住んでいた借り上げ社宅を見に行きたくて。

社宅までは歩いて10分足らず。

周りの風景はあまり変わっていなく、問題なく、かつての借り上げ社宅まで行けた。

建て替えはされたのであろうが、外から見た雰囲気は変わっていない。

写真を撮り忘れたことに電車に乗ってから気づき、残念。

2階建てのどこにでもあるようなアパート風な建屋。

懐かしい近くをブラブラ歩いた。

1DKだったが、新婚夫婦には新築の部屋で、文句はなかった。

キッチンの横にダイニングテーブルを置いて食事して、寝るのは一間の6畳。

風呂もついていたし、ボク、28歳、カミサン、24歳、若いふたりには文句なかった。

50年前、住んでいたところを外から見ることができ、感激。

ここに数年住んで、何度か申し込みして当たった東京板橋区の賃貸公団住宅の2DKに

住めたときには、1部屋増え、その広さに感激した。

この公団住宅に移ったのは72年。

74~77年まで駐在でシドニーに移り住み、その間は会社の仲間が借りてくれていた。

帰国した翌年、子供たちが小学校、幼稚園に入る歳になり、カミさんが新聞広告で見つけた

横須賀のこの家を購入し移り住み、42年が過ぎた。

1DKの借上げ社宅→2DKの賃貸公団住宅→3年間のシドニー駐在→賃貸公団住宅に戻り、

78年、カミさんが新聞で見つけた、横須賀のこの家に移り住んだ。

もう引越しは死ぬまでしない。

ここには墓があるし、たくさんの仲間がいる。

間違いなく、ここが終焉の地になる。

2020年9月21日 (月)

サプライズ

毎日が日曜日の身には今日が休日かどうかは無縁。

「そうか、今日は敬老の日なんだ」と思ったことがふたつあった。

先ず、お昼前、ピンポン、誰だろうと思い出てみると、となりのトラムと子供たち。

「おめでとうございます」と渡されたのが↓

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それとうれしいのは、5歳の息子キーガン筆頭に書いてくれた家族からの敬老の日カード

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訪ねてきてくれたのは、そうだったのかと気づく。

カードの表は横須賀のベースの知り合いの日本人に頼んで書いてもらったのだろう。

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「よし、写真撮ろう!」と言い、撮ったキーガンとオースティン

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玄関で、もう1枚

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先日、箱根に家族旅行で行ったとき「TakとHisakoにお土産買って帰ろう」ということに

なったのだろう、うれしい!!

カミサンに「お返し、どうしよう」と言ったら、すかさず「来月31日、ハロウイーンだから

ちょうどいいんじゃないの」

となり、何代にも渡ってベースに勤めるアメリカ人家族が住み、それぞれの家族と交流してきたが

敬老の日にこんなすばらしい気配りをしてくれた家族は初めて。

午後は蒲田に住む娘と孫娘たちふたりがスマフォの家族メッセンジャーに電話してきてくれ

「敬老の日、おめでとう!」

孫たちからは、学校のこと、好きな男の子のことちょっと、娘からは、お隣に住むNさんのこと。

亡くなられたNさんは、かつての上司で、40数年前、課長試験を受けたときの上司でお世話になった。

いろいろあった一日だった。

2020年9月18日 (金)

今度こそ思いを遂げたい(その2)

先日書いたブログで横須賀市議会の犯罪被害者基本条例検討協議会で意見を述べることを

求められていると書いた。

今日午後、協議会に出席し、意見を述べてきた。

ちょうど今日は午後東京から娘が横須賀に来る予定になっていて、朝カミさんに

「傍聴しない?」と声をかけたが「いいよ」と断られ、ひとりで市役所へ。

協議会は13時15分スタート。

議会事務局に行き、メールのやりとりをしていた職員に声をかけ、会議室に案内してもらった。

定刻開始。

議長は懇意な青木議員。協議会メンバー議員は7人、うち女性2人。4人は知っている議員。

提出し配布済みの1枚の資料は全議員既に読んでいて説明する必要はなく、補足で諸々

話すことからスタート。

95年に加害者の過失により起きた事故のあらましの説明からはじまり、23歳で無念の死を

遂げた息子のこと、結婚するだろうと思われていた女性がいたこと、家族が悲しみのどん底に

突き落とされたこと、

母親であった女房の悲嘆、そんな状況の中でも会社を休むことができなかったこと、

不誠実極まりない加害者、95年当時、交通死亡事故の多くを検察が不起訴処分にしたこと、

検察審査会に異議申し立てしたこと、当時不起訴処分が多発したことを久米宏の

報道ステーションが取り上げ、2度事故現場でやったトラックとバイクを使った事故検証実験を

テレビで放映してくれたこと、

「全国交通事故遺族の会」「犯罪被害者支援団体ハートバンド」に入り様々な活動をしてきた

ことなどを話した。

加えて、横須賀では5年前に市議会生活環境常任委員会で陳述、3年前には市長に面談し、

犯罪被害者支援条例の制定を直訴したことも話した。

そのあと、条例制定にあたり望むこととし、以下4点を挙げた。

 ・漏れ聴いている条例制定目標時期、来年3月は死守して欲しい

 ・神奈川県では茅ヶ崎市、横浜市に次いで条例制定市の3市目になるであろうが、先行2市の

  実情をヒアリング、精査し、学ぶところ、より良いものにするところをしっかり見極めて

  欲しい。

 ・条例がカバーする犯罪被害者の対象は凶悪犯罪、交通事故犯罪に加えて、数が最も多い

  性犯罪を視野に入れること。

 ・条例制定の暁には、以下の運営母体を作り、条例の運営、推進に当たって欲しい。

  【横須賀市犯罪被害者支援協議会(仮称)】

   構成メンバーは、弁護士、警察、検察、市役所、市議、福祉団体、犯罪被害者

  目指すところ:犯罪被害者にやさしい町づくり

話し終わったあと議員からさまざまな質問、問いかけ、提案があった。

1時半から4時近くまで充実した会合となり、条例制定が進むであろう、支援協議会も

作られるであろうと思わせる2時間半であった。

ボクがトップバッターで、市議会事務局から他の被害者の方からも話を聴きたい、紹介して

欲しいと言われていて、これはと思う3人の方々(殺人事件ご遺族と交通事故ご遺族2名)に

ご協力をお願いしている。

お願いした手前、今月、来月予定されている3名の方々のお話は傍聴させていただく

予定にしている。

あとは3月条例制定、そのあと犯罪被害者支援協議会の運営に向けて力を注いでいく。

これが実現すれば、5年超しの積年の思い「犯罪被害者支援条例」およびフォローアップの

仕組みは出来上がる。

2020年9月14日 (月)

今度こそ、思いを遂げたい


今週金曜日、横須賀市議会の犯罪被害者基本条例検討協議会で意見を述べることを求められていて、
やらなければと思いつつも手がつかず、午後やっと資料を作成し、市議会の議会事務局に
メールで送った。

40万人都市の横須賀、ゼッタイ必要との5年越しの思いで追っかけてきた積年のテーマ、
今度こそ結実させたい。

意見の中で、条例制定に終わることなく、フォローアップする仕組みを作ることも求めた。

10数名の議員が集まる18日金曜日午後の犯罪被害者基本条例検討協議会では思いの丈をぶつけ、
全体を思う方向に導いていけたらと思っている。

結果は後日報告します。

2020年9月13日 (日)

近所を散歩

定年退職して16年。

変化やエキサイティングなことは起きない。

まあ、それがハピーなんだろうけど。

連日のように、ラジオを聴きながら、家の近くを歩いている。

毎日歩いても飽きがこなく、いろいろ発見があり楽しい。

昨日も、うちから数分の中央公園からスタート。

40年経ち、木々は大きくなり、ホッとする景色。

いつ行っても、人はほとんどいない。

Img_2502

通称 ”赤い道”

今や赤い道とは言えないくらい色あせた。

夏も終わり、あちこちにさるすべり。

Img_2506

住宅街の中を通り抜けている赤い道は端から端まで500mくらい。

突き当りに公園があり、右に曲がって5分くらいで我が家の墓があるお寺、浄林寺。

海岸を歩こうと思い、左に曲がり、数分で海に。

海は荒れ気味、波が少々高かった。

天気が良ければ、左方向の羽田から飛び立つ飛行機が見える。

昨日は釣り人はいなく、歩いている人もほとんどいなかった。

Img_2497

このまま、まっすぐ海岸遊歩道を進めば10分少々で我が家。

スマフォの歩数、8200歩。

だいたい、こんなもの。

毎日のように同じルートを歩いているが、飽きはこない。

歩きはいいと思い、カミさんを誘っていたこともあったが、乗ってこず、ひとりで気ままに。

2020年9月10日 (木)

娘と夫婦3人で

娘が久しぶりに東京から横須賀に来てくれた。

カミさん、約束の待ち合わせ時間のしばらく前に「先に行くね。遅れないで」と言い

出かけ、ボクはしばらくあと、待ち合わせしたショッピングセンターへ。

駅まで行く途中、ブーゲンビリアが真っ盛り。

Img_2481

駅に着いたら駅前のショッピングセンターの名前が変わっていた。

COASKA Bayside Stories

格好つけすぎじゃないのと思った。

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娘とカミさんとレストラン フロアで会い、すぐフードコートへ。

各自注文。カミさん、各自注文したもの覚えてた。

ハンバーグ、ローストビーフ丼、長崎チャンポン

食べながら、専ら聴く話は孫たちふたりの近況。

高1の姉孫の部活、吹奏楽の話、中1の妹孫の部活、チアダンスの話など。

スマフォに録画していたチアダンスを見せてくれて、夫婦それぞれのスマフォに

送ってくれたので、好きなときに観える。

お土産にと言い、先日ブックオフで買った、さくらももこ著「ひとりずもう」を渡し

「まだ読んでないので、4人で読み終わったら返してね」

2時間近くワイワイおしゃべりしたあと、我が家に寄った。

家では娘が西友のネットショッピングの登録をiPadでやってくれた。

これでボクは週2回の買い物から放免されて大成功。

娘はお茶を飲んだあと「帰らなきゃ」と言い、帰って行った。

毎日変化の乏しい老夫婦宅に久しぶりに笑い声が。

2020年9月 9日 (水)

昨日のこと

午後、カミさんが「今夜は牛丼にしよう。吉野家に行ってきて」

吉野家はうちから歩いて10分。

吉野家に行くのであればついでにと近くを歩いた。

先ず、吉野家で牛丼ふたつ買って、久しぶりに近くのTSUTAYAへ。

特に借りたいと思っていたDVDはなかったが店内をながめ、TSUTAYAの会員証を

持ってもう一度来て借りようと思うDVD何本か目星をつけた。

そのあと、これまた久しぶりに「そうだ、海釣り公園に行って見よう」と思い

海釣り公園の方向へ。

途中、道を渡ったところにあるブックオフ、こちらもしばらく行ってないなぁと思い

ブックオフに寄った。

興味のありそうな本を2冊見つけ、買った。

佐藤愛子著「老残のたしなみ 日々是上機嫌」、さくらももこ著「ひとりずもう」

前は夫婦で読める、後は読んだあと孫たちに渡そう。

どちらもきれいで110円。ありがたい。

ブックオフのあと近くの海釣り公園へ。

公園は、残念ながら閉鎖。

Img_2478

公園のそばの樹の下でやっていた年配ふたりの将棋をしばらく見ていた。

好勝負で面白かった。

この散歩コースはなかなかいい。

コロナで結局孫たちは夏休みに来なかったが、今度来たときはお勧めコース。

帰り道にあるスシローに寄って帰れば夜も大丈夫。

是非いっしょに来よう。

2020年9月 6日 (日)

「ながら運転をしないで」

週3回聴いているNHKラジオ実践ビジネス英語のテーマは2週続けて

「ながら運転をしないで」だった。

興味ある話題がいろいろ出てきた。

日本では「ながら運転」が重大な事故につながるという警告はあまり話題にならない。

免許更新時の講習会でも「ながら運転」に対する警告は聴いた記憶がない。

アメリカでは「ながら運転」は飲酒運転の何倍も重大な事故につながる可能性が

大きいとの観点から、運転中のスマフォ操作などに対しては注意を呼びかける

啓発活動を行っている。

「ながら運転」防止のスローガンもいろいろあるようだ。

例えば、”Texting and Driving:A Grave mistake" 

Textingは多くの事故の原因になっている運転中のメール操作を指す。

形容詞の「重大な」と名詞の「墓場」2つの意味を持つGraveという語を使って

「ながら運転」は死に直結するとの強いメッセージを打ち出している。

このスローガンの背景には、運転中のスマフォ操作が事故に結びついたケースが

後を絶たないためである。

州によってはハンズフリーの機能を使って携帯電話で会話することも禁じている。

国家安全局は"Just Drive"と呼ぶキャンペーンも行っている。

カーナビ機器を使ったり、カーエアコンの温度調整をしたり、地図を見ながらの運転等が

運転者の注意を散漫にさせる原因になると警告している。

アメリカだけじゃない、日本ももっともっと啓発活動をしなければとの思いを強くした。

2020年9月 3日 (木)

あしなが育英会

あしなが育英会のことは何度かブログに書いた。

11年前から、あしなが育英会に毎年年末、郵便局の自動引き落としで、

年金の一部、3万円を寄付させてもらっている。   

あしなが育英会は病気や事故で一家の柱である父親を亡くされたご家族を支援するために

設けられた団体で、そのホームページの冒頭には以下書かれている。

「病気や災害、自死(自殺)などで親を亡くした子どもたちや、親が重度後遺障害で

働けない家庭の子どもたちを物心両面で支える民間非営利団体です」

数年前に長野であった「生命のメッセージ展」で出会った、ご主人を仕事中に不慮の事故で

亡くされた女性とお話した折に「うちは、あしながさんに助けられて、子供たちが高校に

行くことができています」とお聞きした折、とてもうれしかった。

いろいろご縁のある「あしなが育英会」から先日ハガキが届いた。

ハガキは不定期に年に1、2度届く。

ハガキは差出人の実名が書かれたあしながさんへの礼状があしなが育英会から届く。

「残暑お見舞い申し上げます。私は、情報処理専門学校2年生です。

   現在はコロナの影響でオンライン授業でプログラミング言語の勉強をしています。

 学校で勉強できているのは、あしながさんのおかげです。勉強が難しくて何度も

 挫折しそうになる事もありますが、感謝を忘れずに精一杯頑張ります」

名前は書いてあるが住所は書かれていないので、直接返事を出すことはできない。

名前の下に専2と書かれているので、高専の2年生では。

これまで返事を書いたことはないが、今年はあしなが育英会気付で激励のハガキを

送るつもり。

ご興味のある方はあしなが育英会のホームページを。

2020年9月 2日 (水)

高校同窓会会報

はるか昔に卒業した高校から「同窓会だより 協力金納入について」という封書が届いた。

時々送られてくる同窓会だより、懐かしい思いで読んだ。

卒業したのは、県立倉敷青陵高校。

大学を卒業した年から逆算し数えると、高校に入学したのは昭和36年(1961年)59年前。

当時、倉敷には普通科の高校は青陵1校しかなく、大学に進学するならここしかないと

迷うことなく青陵へ。

ただ、倍率は低く、1コンマ1倍くらいだった。

落ちる者はほとんどいなく、受験勉強した記憶は皆無。

高校はうちからは歩いて10分少々。

30分以上かかっていた中学校と比べれば、楽勝という感じだった。

ただ、我が家はお金がなかったため、オフクロにはゼッタイ国立大学に行けと厳しく言われた。

で、合格したのは、神戸大学経済学部。

合格が決まったとき、オヤジが「神戸高商に受かった」とものすごく喜んでくれたのを覚えている。

オヤジが合格発表を見に行こうと言い、普通電車に乗ってふたりで初めて六高台の大学に行った。

合格者の名前が掲示されていた掲示板をふたりで見て喜んだことをよく覚えている。

話が脱線したので、青陵高校の同窓会報に戻して。

年に何回か届く「同窓会だより」の協力金は1口2,000円

毎回「同窓会だより」を読むのは楽しみ。

隔世の感がある倉敷青陵高校、協力金は複数口、郵便局から送ろう。

仲間はみんな77になった。

こちらも仲間も元気なうちに帰省して旧交をあたためようと、あらためて思った。

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