テレビを観て思い出した ①
東大駒場寮にまつわる番組をテレビでやっていて、大学に入学したあと1年半過ごした
寮生活を思い出した。
昨夜何を食べたか思い出せないのに、60年前のことを思い出せる人間の脳は不思議。
18歳、入った大学は神戸大学経済学部。
18歳の4月に入学、教養課程を1年半、姫路の寮で過ごした。
寮は2階建て、6寮まであり、一部屋1階は3人、2階は5~6人部屋だった。
名前のABC順に1階1室から割り振られ、Hのボクは最初は1階3室だった。
どういうわけか、しばらししたら2階の9室に移動させられた。
人が多い分、1階より2階は元気があり、これが寮生活を一層楽しいものにしてくれた。
前置きはこれくらいにして寮生活の話を。
寮は学校の敷地内にあった。
冬は部屋から歩いて数分の教室まで寝巻の上に丹前をはおって、つっかけ履きで行っていた。
良き時代であった。
寮費は寝て、朝、晩食べて月3千円。
貧しかった我が家はおふくろが「幼稚園より安い」と喜んでいたのを思い出す。
今でも当時の仲間たちと年4回、日比谷にある大学のクラブで旧交をあたためている。
当然、毎回当時の話で盛り上がり、80前になった皆、寮時代の話をよく覚えている。
「お前は、ああだった、こうだった」と本人が覚えていない話もしばしば出る。
寮は、旧制高校の寮をそのまま建替えることなく使い、汚かった。
特に風呂は湯を毎日代えないため、汚かったが、こんなものかと思い、毎日入っていた。
メシもまずかった。
覚えているのは、皆でぞうりと呼んでいた魚のフライ。
ぞうりはよく出てた。
まあ、家でもろくなもの食べてなかったので、文句はなかった。
2階の住人はトイレに行くのが面倒で窓からたれションしていて、2階に移ってよかったと思った。
トイレにはこんな話もあった。
トイレで首つり自殺した学生がいて、便意を催しても夜は怖くて行けなく我慢していたことを
思い出す。
長くなりそうなので、①はこのあたりで。
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