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2020年8月

2020年8月31日 (月)

運転免許証の思い出

77歳になった今年、運転免許証は迷うことなくこれで終りと決めた。

免許を取ったのは大学に入学した年の夏休みだから、ほぼ60年前。

大学に入り、先ずやりたかったことは、大人になったことを実感するために

自動車運転免許証を取ることだった。

親父に頼み、お金を出してもらい、1年生の夏休みのほとんど教習所通い。

当時、岡山県には自動車教習所はできたばかりで、1カ所しかなかった。

自宅の倉敷から汽車に乗り、岡山に出て、教習所のバスで1時間以上かかった。

それ以前は運転免許実技試験は、日曜日、通っていた中学校のグランドの地面に

縄のロープを張り、ロープを踏まないで通れば、実技試験はパスした。

学科試験があったのかどうかはわからない。

大学3年生のときだった。夏休み前にオヤジがポンコツ車を買ってくれた。

2~3万円だった。

夏休み、小中学校の仲間のカッチャンとケンさんと3人で神戸の下宿まで行こうということになり

3人で倉敷を出発。

当然のようにボロ車は途中で何度もエンコ。

よく覚えているのは、倉敷を出て国道の最初の坂道、もずがはなの坂でストップ、2人が降りて

後ろから押して、途中も何度も停まり、降りて押しの連続だった。

姫路の町中の道で停まったときが一番きつかった。

何時間かかったか覚えてないが、夕方やっと神戸の下宿に到着。

着いてすぐ行きつけの銭湯に行った。

3人とも真っ赤にやけ、風呂の中で「ボッケイ焼けたのを!でえれー、ハシルー

(ものすごく焼けた。めちゃめちゃヒリヒリする)」と大きな声で話したのを覚えている。

神戸では、六甲台の大学に行った以外、どこに行ったか覚えていない。

60年経った運転免許証は、来年5月で期限切れ。

あと9か月。

これで免許証は返納する。

一番残念なのは、テニスに行けなくなること。

コートは車で20分以上かかる場所にあるので仕方ない。

30歳半ばにはじめたテニス、多くの仲間と別れることになるのが心残り。

あとは、自転車で15分くらいのところにある壁打ちができるところへ自転車で行こう。

買物は近くの西友へ自転車で。

あとは、電車かバスに乗れば、だいたいどこへでも行ける。

終焉までまだまだ大丈夫そうだ。

2020年8月29日 (土)

Active Aging(元気に年を重ねる)

定年直後から15年以上週3回聴いているNHKラジオ「実践ビジネス英語」

しばらく前のテーマはActive Agingだった。

なかなか興味のある話が2週間6回あった。

「高齢者」を何と呼ぶべきかという話が出てきた。

アメリカ社会も急速に高齢化が進んでいて、多くの人が「年寄り」という

レッテルを貼られたくないと思っている。

senior citizenやolder adultという表現については否定的とのこと。

「老後」の意味のgolden yearsやgolden agerという語がよく使われるそうだ。

日本では「シルバー・エイジ」などと言うが、英語では老後の色は「金色」のようだ。

FIREムーブメントという表現もあるそうだ。

Financial Independence Retire Early(財政的に自立して、早期に退職する)が

ブームになっているとのこと。

ボクはまさにFIREを希望した。

58歳になったときカミさんに「辞めたい」と言った。

彼女は「会社って60まで行けるんじゃないの。退職したあとずっと家にいるんだから

早く辞めて欲しくない」と言い、当時会社で自ら手掛けてやっていたこともあり

会社でも58で辞めるとは言いづらく、結局61まで勤めた。

FIREに戻ると、テキストでは、主にハイテク業界で働く若い人たちの間では

FIREが大きなブームになっているそうだ。

その基本にある考えは、たとえば40年間分の複利計算をして、退職後のための

十分な貯蓄をするというもの。

いずこも同じ。人さまざま。

ボクのように1年でも早く退職したい人間もいれば、可能であれば終生現役を

望む人もいるであろう。

構えた言い方をすれば「人生哲学」と言えるだろう。

6回の講座を聴き、改めて久しぶりに考えたテーマだった。

2020年8月25日 (火)

となりのキーガン

今朝、庭に出たら、となりのキーガンが「はーい、タック」と声をかけてきた。

キーガンとの歳の差は70歳以上。

最近は庭に出してもらっているビニールのプールで遊んでいる。

近くの薬局が隣の家のオーナー。

一度も住んだことはなく、20年以上、横須賀の米軍基地に住むアメリカ人家族に貸している。

住人が出ていけばアメリカのベース出入りの不動産屋が次の住人を探し、住む家族が途切れる

ことがないという、オーナーにとってはオイシイ商売。

住人は横須賀に赴任し住みはじめ、2年位でアメリカ、ほとんどがサンディエゴに帰任する。

となりに数年住んで、帰って行った家族はこれまでに6~7家族いる。

それぞれの家族に思い出がある。

中でも記憶に残るのは、名前が思い出せないが30歳代の女性。

5歳くらいの男の子がいるシングルマザーだった。

彼女が一度「ボスの家のパーティに呼ばれていて、子供を連れて行けないので

預かってくれる」と言い、夕方男の子を連れてきた。

食事をさせ、泣くこともなく、我が家で遊び、そのうち寝てしまった。

母親が帰ってきたのは12時近かった。

抱きかかえて「Thank you」と言い、連れて帰った。

こんな単身女性もいた。

夜、ピンポンと鳴らしてきて「来て、来て!」何かと思い飛んで行ったら

玄関の壁に大きなクモが。「紙ちょうだい」と言い、取ったら、落着。

他にも行き来のあった家族がいた。

斜め前の家に住んでいた家のダンナが何度か「食べて」と言い、焼きそばを

持ってきてくれたことがあった。なかなか美味しかった。

我が家がシドニーに住んでいたのは1974年から3年間。

赴任したとき子どもたちは3歳と1歳だった。

慣れない土地で英語で大変だった中、いろいろ助けて下さったのは

上の子が通っていた幼稚園のメイ先生。

幼稚園の送り迎えほか、不自由な生活をしていた我々をしっかり支えてくださった。

我が家の近所に住み横須賀ベースで働く人たちは、45年前シドニーで単身で生活した

我々家族とは雲泥の差があるものの、言葉の通じない慣れない土地での生活には

それなりに苦労があるのではと思い、隣人のよしみで何かと声をかけるようにしている。

2020年8月18日 (火)

「週4日勤務制」

またまた週3回聴いているNHKラジオ「実践ビジネス英語」から。

「週4日勤務制」は2週間前のテーマだった。

ストーリの舞台となっているニューヨークの会社では「サマーフライデー」

制度の下で、これまで7月と8月は金曜日に休みを取ることができたが、

今年からは金曜日でなく、月曜日の午前中と水曜日の午後に休みを取ることが

できるようになったとのこと。

きっと、ストーリだけでなく、酷暑のこの時期、従業員が同じ方式で夏期に休みが

とれる会社は今や珍しくないのであろうと思いながらストーリを聴いた。

会社は仕事と私生活のバランスをとれるようにすることで、生産性や忠誠心

それに従業員の定着率が高まることを期待しての施策。

当該会社では近いうちに、完全週4日勤務制になるかもしれないと書かれてある。

テーマ全体のまとめの解説ではこういう記述があった。

「日本企業の中にも、週4日勤務制を取り入れるところが少しずつ出てきている。

育児と介護による離職の防止や能力開発のため、また、多様な働き方を認めることによる

優秀な人材の離職防止が主なる狙いであるが、基本給は概して6~8割に下がるようである」

明らかに時代の変遷とともに人の考え方、生活様式、社会の仕組みが変わっていくのは自明の理。

ボクが勤めていたころを振り返ってみると、働き初めたころは、休みは日曜日だけ。

それが、土曜日の半ドンがはじまり、そのうち土曜日休日が定着し、その間に国民の休日も徐々に

増えていき、今に至っている。

この先も休むことに対する従業員の考え方は変化していくことであろうが、一方で

働き方とその中身、成果に対する評価が一層厳しく求められることになるのは間違いない。

2020年8月15日 (土)

倉商、快勝

このタイトル、「なに、それ?」と言いそうな人がきっといる。

夏の甲子園で、倉敷商業が強豪仙台育英を6対1で破った。

倉敷生まれのボクは試合開始から最後まで「倉商、ガンバレ!」とテレビの前で声援。

仙台育英相手なので、試合開始前は「大丈夫かな」と思ったものの、胸のすくような

勝ちっぷりだった。

だが、今年はこの先はなく、全校1試合で終わり、それぞれ母校に帰るという寂しい夏。

地元では、みんな、倉商、こちらも甲子園常連の倉敷工業高校は倉工と呼ぶ。

倉商にはいろいろ思い出がある。

倉商は生家からは遠く、自転車で30分以上かかる。

倉商の近くに高校時代の仲間のFの家があり、よく行っていた。

Fの家の家業はブロック製造業でうちと比べればずっと裕福だった。

遠くのFの家に行くのには楽しみがあった。

Fの家には250CCのバイクがあり、それに乗りたかった。

高校生だから、もちろんFもボクも免許証は持っていない。

免許なしで良くないと思っていたと思うが、乗りたい誘惑に負けて遠路を

倉商の近くのFの家までよく行っていた。

もう60年も前の話。

それと、倉商で思い出すのは星野仙一さんのこと。

星野さんは明治大学で活躍したあと、プロ野球は阪神に入団し、中日に移籍した。

倉敷のよしみで、中日に移籍したのを機に中日ファンになったことを覚えている。

選手を辞めた後、中日の監督に就任し、あの熱血漢、アンチ巨人魂で中日を率いた。

若いころからアンチ巨人だったボクには星野さんは憧れだった。

その後、楽天の監督になったが、ボクの中では星野さんは倉敷出身のドラゴンズの

仙さんだった。

星野さんは母ひとりの家庭で育ち、反骨魂、熱血漢はそのあたりからきているのではと

ずっと思っていた。

今日の倉商の快勝から郷土のヒーロー、仙さんに話が飛んでしまった。

2020年8月12日 (水)

この時期、夕方の日課

陽がかげり、涼しくなってきたら、ほぼ毎日近くを散歩している。

昨日も出かけようとしたら、となりのキーガンがこんなものを我が家との境の

縁石に置いていたのが目についた。

Img_2425

家を出て、右に曲がれば、正面に小高い山が見える。

登ろう登ろうと思いながら登っていない。

涼しくなったら登って、周辺を歩いてこよう。

Img_2405

道の先を左に曲がれば、中央公園。

春には桜が楽しめる、ゆったりした広い公園。

Img_2430

中央公園の左の道、通称”赤い道”をそのまま、まっすぐ。

Img_2435

途中、こんな掲示が。

そうだ、参加申し込みをしていなかったことに気づく。

Img_2434

途中、道沿いの家々に咲く夏の花を楽しみながら。

サルスベリもいいが、特にこの時期、大好きなムクゲがいい。

赤と白のムクゲがあちこちの家に咲いていた。

800mくらいあるだろうか「赤い道」はこの先で終わり。

正面には公園、右に曲がれば、我が家の墓のある浄林寺。

Img_2437

突き当りを左に曲がり、海岸遊歩道へ。

海岸から、暮れなずむ富士山が臨めた。

Img_2438

暑いためか、釣り人はまばら。

数日前歩いていたとき、目の前で大きくしなる竿を見た。

釣り上げたのは40cmくらいあるサバ。

他の釣り人以上に長い立派な釣竿を持った人で、投げる距離が遠い。

だから釣れたのだろうと納得。

海岸通りを帰りながら、あらためて思った「カミさんに感謝」と。

この家を買ったのは42年前。

それまで住んでいた東京の北端の板橋の賃貸の公団住宅から

延々と小さな車、三菱ミニカで縁もゆかりもなかったこの地に

初めて来たのは、42年前の1978年の10月だった。

きっかけはカミさんが新聞で見つけた広告記事。

「観に行こう」と言われ、幼稚園に入る前の息子と娘4人で、ほとんど

聞いたことがなかった横須賀の地に来て間もなく半世紀。

見に来たのは秋の夕暮れだった。

「キャンセルが出た家があと1軒残っています」と紹介された物件を見て

カミさんは即「いい、ここに決めよう。予約金1万円置いていきます」

ボクは「通勤が大変」と渋ったが「家族4人、あなたが我慢してくれれば

ここだと3人はハピーに過ごせる」で話は決着。

定年した今となれば、カミさんの即断即決に感謝しても、し切れない。

スマフォの歩数計見たら、6113歩。

今夜は爆睡できそう。

2020年8月 6日 (木)

8月6日

毎年のことだが、今朝8時、広島原爆記念平和式典の放映を観た。

75年前の今日、8時15分、原爆投下時間にあわせ、テレビの前で

無念無残の中、命を奪われた方々へ思いを馳せて、心を込めて黙とうを捧げた。

広島の空で一瞬のうちにさく裂した絶対悪、その下で日々の営みを続けていた

人たちは、そのすべてを一瞬で失った。

今年も原爆記念公園の慰霊碑に刻まれた文字が紹介された。

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」

14万人の方々が、その年に亡くなられたと聴き、あらためて思った。

中核市の人口に匹敵する数の人たちだと。

被曝された方々の平均年齢は85歳を超えたとのこと。

あと5年もすれば、被爆の実相を自らの口で語れる人たちは

ほとんどいなくなるのでは 、と誰もが懸念する。

以下、今朝の朝日新聞の天声人語の一部を引用。

『75年前のきょう、広島第二高等女学校の2年四組の生徒たちは勤労動員に

かり出され、そこで被爆した。一人の生徒の末期の言葉が残っている。

「先生すみません。最後の点呼が、最後の点呼がしっかりとれませんだした」

西組の級長で、責任感の強い生徒だったという。今の中学2年生にあたる

彼女たちは、爆心から1.1キロのところで作業していた。

その場にいた39人の生徒のうち38人が2週間以内に亡くなっている』

孫娘たちと同世代の女の子のことば、、、ずしりと胸に響いた。

広島平和記念資料館には2度行ったことがあり、見学中あちこちで言葉を失った。

広島で14万人、長崎で7万人の無辜の命を奪った核兵器。

3日後の8月9日は長崎に原爆が投下された日。

9日も心から思いを致し、TV放映を観よう。

2020年8月 4日 (火)

犯罪被害者支援条例制定、こんどこそ

わが町横須賀で犯罪被害者支援条例を作りたいとの思いでさまざまな活動をしてきたことは、

これまでブログに何度も書いた。

思いの原点は、25年前無謀運転のトラックにやられ亡くなった23歳の息子の交通死亡事故。

是非とも人口40万人の横須賀市で犯罪被害者支援条例を作りたい、作るべきであるとの思いで、

これまでいろいろ動いてきた。

市議会の生活環境常任委員会で条例制定の必要性を訴えたのは5年前。

反応はイマイチだった。

3年前には市長に面談し、条例制定の必要性を直接訴えた。

昨日市議会の犯罪被害者協議会を傍聴し「もう大丈夫。後戻りすることはない」との

印象を強く持った。

協議会の委員長、10人の議員の発言を聴き、やっとここまできたかと感慨深かった。

昨日は協議会のメンバーがより一層理解を深めるために神奈川被害者支援センターの所長である

長島さんを招き、支援センターの活動を中心に、話を10人のメンバーが聴いた。

議員から、条例制定を目指しての思いからはじまり多くの質問が出て、彼らの条例づくりに大いに

参考になったと思う。

もうあとは、来年3月の条例制定に向けて進むだけ。

積年の思いの条例制定まであと半年。

感無量の思いで協議会を傍聴した。

傍聴者はボクひとりだけだったが、仕方ない。

条例ができ、救われる人がひとりでも多く出てくれば、ここまで遠かった道のりはどってことはない。

終わったあと、講演をしてくださった長島 豪さんのお話がすばらしかったので、お声掛けして

しばらく時間をいただいてお話した。

お会いしたら長島さんは開口一番「花房さんにはお会いしたこがありますよ。横浜市が行った

犯罪被害者支援協議会で」と。

えっ、と答えたがお顔が思い出せなかった。

77歳になり、最近珍しくなくなったこのような出来事に恥ずかしい思いがした。

長島さんの言われた犯罪被害者支援協議会には2度呼ばれ、会合には10数回、委員のひとりとして

参加した。

4年位前だった、たしかブログにも書いたはずだと思い、出てきたブログは

http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2016/11/post-3fec.html

20分くらいだったが長島さんとは大変良いお話ができた。

長島さんが所長として活動されている神奈川被害者支援センターではボランティア不足で困っている

とのお話があった。

時間は十分にある身、お役に立てるものであれば活動に参加させていただきたいと思った。

条例が出来た暁には、もうひとつやりたいことがある。

それは、自分で勝手に名前をつけている「犯罪被害者条例推進協議会」の発足。

市の市民安全部が事務局になり、警察、市議会、弁護士会、検察、神奈川県の支援組織、

市内の福祉団体、犯罪被害者がメンバーが入った協議会つくりを目指したい。

犯罪被害者には、交通事犯だけでなく、凶悪犯罪被害者、数から言えば最も多い性犯罪被害者の

皆さまにも参加していただき、市全体で犯罪被害に向き合っていく活動に結びつけてゆきたい。

横須賀市が、犯罪被害者支援条例制定では先行している神奈川県の他2市、茅ヶ崎、横浜に続き

3番目の市になりそうな予感がし、充実した時間が過ごせた昨日の午後であった。

2020年8月 2日 (日)

「21世紀スキル」

またまた週3回聴いている「実践ビジネス英語」から。

7月は去年6月のテキストをそのまま使った繰り返し講座だった。

テーマのひとつは去年も興味を持ってなるほどと思いながら聴いた「21世紀スキル」

以下、テキストのまとめに日本語で書かれているポイントをそのまま引用。

「ソフトスキル」とは可視化できる「ハードスキル」とは対照的に可視化、数量化することが

難しいスキルのこと。

それは、コミュニケーション力から批判的な思考力、自己管理力、チームワーク、

ユーモアのセンス、時間厳守、失敗や挫折から立ち直る力、問題解決力、説得力、交渉力など

幅広い概念を網羅している。

どんなに頭脳明晰で学校で優秀な成績を収めている人でも、ソフトスキルを持っていなければ

実社会において上司や同僚たちとうまくやっていくことはできないでしょう。

コミュニケーション能力は、21世紀スキルの根幹である。

コミュニケーション能力を向上させるためには毎日何かを書くことが役に立つ。

日記でも手紙でもSNSの投稿でも、自分の考えをまとめてそれをうまく文章にする能力は

一生の財産になる。

第2に心の持ち方ととして、フラストレーションや苦痛に対して高い耐性を養うことも大切。

そして、第3にネットワークを若い時から作っておくことが重要」

講座を聴いている多くの若い世代の人たちを意識したアドバイスだろうと思いながら読んだ。

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