結婚記念日(番外編)
カミさんにしかられそうだが、、
門司のTさんのことを最後に。
長々と書いた金婚式記念日のブログはこれで打ち止め。
富士通に入社したあと寮に入り、まったく違った環境の中、Tさんのことを思いながら
過ごす毎日、とうとう思い余ってTさんに会いたくなって門司に行ったことは、
前回のブログに書いた。
1970年、カミさんと結婚、住んだのは川崎のはずれにあった1DKの借上げ社宅。
この社宅に住んで間もないころ、Tさんにまつわる問題が発覚、夫婦の間で大もめに。
Tさんからもらった手紙をどうしても捨てられなくて、ここだと大丈夫だろうと思い
部屋のある場所に隠しておいた。
新婚早々のカミさんは1DKの小さな家の中ででやることはない。
ここだと大丈夫だろうと思い隠しておいた手紙が見つかった。
手紙を読んだカミさんから厳しく追及された。
平身低頭謝り、たぶんTさんと知り合ったいきさつほか話したと思う。
それとともに、すべて処分すると言い、近くの多摩川の土手に行って焼いた。
土手に行く途中、手紙を読み返し、きっと複雑な思いであったろうがすべて焼いた。
この話とはまったく関係ない話。
結婚する少々前、カミさん宅ではびっくりすることが起きた。
母子で倉敷に出た折に蛇の目ミシンだったと思うが、街頭で宣伝活動をやっていて
親子で説明を聞き商品説明の紙をもらい、ついていた応募用紙を蛇の目ミシンに送った。
その応募用紙が当選、1970年のお金でなんと100万円分の家財道具が当たった。
嫁入り前の娘がいる家に降ってわいた超々ラッキーな出来事。
カミさん宅には娘の嫁入り用の家財道具一式が届いた。
だが、嫁に行く先の家は狭い、小さな風呂しかついていない1DKの借上げ社宅。
100万円の家財道具一式なんて入るはずがない。
結婚前に送ってきたのは、たしかタンス、冷蔵庫と小物の電気製品くらいだった。
あとは田舎の大きな屋敷のカミさんの実家で保管。
家財一式の中にはダブルベッドもあった。
1DKの社宅のあと引越した2DKの公団住宅にも、とても納まらない。
結局、ダブルベッドは今の横須賀のこの家を買った80年までカミさんの実家に
預かってもらっていた。
だらだら書いた50年目の結婚記念日のブログ、長々とお付き合いいただきまして
ありがとうございました。
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