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2020年6月

2020年6月28日 (日)

思い出した、50年前のこと

昨日夕方、近くを散歩していたらカミさんからケータイにメールが入った。

帰りに「吉野家かマックで買ってきて。今夜はそのどちらか」

吉野家に行ったが財布を持ってきてないことに気づき「カードでいいですか?」と聞くが

「ダメ」とのことで、マックが近くのどこにあるか思いつかず、これだと文句を言わない

だろうと思い、近くのケンタッキー フライドチッキンへ。

帰って食べながら、50年前結婚間もないころ初めて行ったKFCの話で盛り上がった。

50年前はKFCが日本に上陸して間もない時期。

初めて行った店は、当時住んでいた借り上げ社宅からそれほど遠くない田園調布のKFC。

しゃれた店で食べたことのない美味しい味のKFCに感激。

当時、27歳、こういう店が出せないものかと思い、思わず聞いた。

「店を出すのにはどれくらいかかるんですか?」

返事はたしか「2000万くらい」だったと記憶する。

途方もないお金。もちろん即あきらめた。

あれから50年。

昨夜はケンタをことさら美味しくいただいた。

2020年6月21日 (日)

楽しい一日だった

3月に沖縄から東京蒲田に転居してきた娘と孫娘2人が、昼前、横須賀に来てくれた。

何にも増して、ウキウキ、楽しいひと時を過ごした。

11時半、娘たちと待ち合わせし、即スシローへ。

5人でワイワイ言いながらいっぱい食べた。

仕切るのは孫たち。

妹孫が自撮りでパチリ。

父親の主義で、4月に高校と中学校に入学した孫たちはケータイを持っていない。

iPadを使いこなしているので、撮った写真に手を加え、あっという間にこんな形に。

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食べたあと、最近大きくリニューアルした上階へ。

映画館フロアーも一新。

これで横浜まで行かなくても横須賀で新作映画がまた観られるようになった。

そのあと本屋でしばらく時間をつぶした。

で、我が家に戻り、ワイワイ。

娘と孫たちが選んで持ってきてくれたシャツのプレゼント。

「いい、似合うじゃん」

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集まるといつもやるトランプのUNO。

顔色を見ながら、惑わせる言葉を発しながら、盛り上がり、結局姉孫が勝った。

そのあと、孫たちが掃除機をかけてくれて、風呂の掃除もしてくれた。

「明日から学校」と話しながら駅まで送り「バイバイ」、楽しい一日は終わった。

毎週金曜日午後の楽しみ

去年11月から、金曜日の1時から近くのリハビリセンターに通っている。

きっかけは我が家に時々来てくれるケアマネージャーのCさんに勧められて。

横須賀市がシニアの希望者向けに行っている運動サービス。

リハビリセンターはうちから歩いて5分くらいのところにあるが、決まりで

送迎に来てくれる車に乗らなければならない。

「歩いてくるから」と何度か言ったけど、ダメだと言われ、毎回近くの何人か一緒に車で。

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一昨日も行った。

座るのはいつもの仲間5人と一緒に同じテーブル。

サービスされるコーヒーを飲みながらおしゃべり。

準備体操のあと既定のメニューに従い、順次運動スタート。

まずはマットの上でストレッチ。

体系だっていて、なかなかいい。

覚えて家で寝る前にやろうと思うが、やっていない。

次にルームランナー、自転車漕ぎ。

いずれも毎回10分づつやる。

壁にはすばらしい、こんな書が掲げられている。

聞いてみると、かつて通所していた方が書いたもので数年前にこの方は

亡くなったとのこと。

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自転車漕ぎのあと、並んだ4台のマシンを使い、トレーナーの女性のガイドに従い

4台順番に。

そのあと、5人づつ正面に相対し、指導者の号令に従い、平行棒。

これもとてもいい運動になる。

終わったところで席に戻り、出されたコーヒーを飲み、4時に終了し車で送ってもらい帰宅。

おかげで夜は爆睡。

1年の予定だったが、もう1年延ばしてもらうことにした。

2020年6月17日 (水)

「増加する定年後も働く人たち ②」

講座を聴いたあと自分のケースをあらためて考えてみた。

退職したのは16年前、61歳のとき。

とにかく一刻も早く定年退職したかった。

最初は58歳になったとき。

カミさんに「辞めたい」と言ったが「会社って60までいけるんじゃないの」で終わり。

次に、60になったとき、もうこれで終わり「辞めます」と会社に言ったら、反対され、

1年前にはじめたシニアITアドバイザ(SITA)試験制度が定着するまであと1年いて

欲しいと言われ、結局辞めたのは61歳になった2004年6月20日だった。

この日の帰りの電車の中で感じた高揚感は一生忘れない。

「もうこの電車に朝晩乗る必要はない。この先好きなことを好きなようにやろう」

と思いながら、最後の通勤帰宅電車で帰った時のことがまざまざと頭に浮かんでくる。

3年前にこんなブログを書いていた。

以来16年、毎日まさに好きなことを好きなようにやってきた。

働かないかと誘われたこともあったが丁重にお断りした。

我が家は1階と2階の住み分けができているので、夫婦の過度な接触はなく、お互いが

自分のペースで好きなように過ごし、文句を言われることは珍しくないが、お互い相手の

行動に干渉することはほとんどない。

77歳と73歳、この先いつまで元気にいられるかわからないが、なるようにしかならないとの

心境で、これからも気ままに日々過ごしていきたい。

2020年6月16日 (火)

「増加する退職後も働く人たち ①」

定年退職直後から聴いているNHKラジオのビジネス英語講座、

2週続けてテーマは「増加する退職後も働く人たち」

無縁ではあるが、興味のあるテーマ。

アメリカでは「定年退職」という制度はないが、平均的退職年齢は

男性65歳、女性63歳とのこと。

いまアメリカでは「退職後も働く人たち」が増加していて、労働人口における

65歳以上の人たちの割合はおよそ20%、この30年間で2倍になったそうだ。

2019年に実施した世論調査では、日本では70歳以上まで働くつもりだという人は

60歳台の54%。

その1年前に実施した調査に比べ9%増加しているとのこと。

2018年の日本人の平均寿命は男性81.25歳、女性87.32歳。

退職後も働く人たちの増加の最大の理由は、アメリカと同様、平均寿命が

延びているから。

次の②では、16年前に定年退職したボクのケースを紹介したい。

2020年6月13日 (土)

結婚記念日(番外編)

カミさんにしかられそうだが、、

門司のTさんのことを最後に。

長々と書いた金婚式記念日のブログはこれで打ち止め。

富士通に入社したあと寮に入り、まったく違った環境の中、Tさんのことを思いながら

過ごす毎日、とうとう思い余ってTさんに会いたくなって門司に行ったことは、

前回のブログに書いた。

1970年、カミさんと結婚、住んだのは川崎のはずれにあった1DKの借上げ社宅。

この社宅に住んで間もないころ、Tさんにまつわる問題が発覚、夫婦の間で大もめに。

Tさんからもらった手紙をどうしても捨てられなくて、ここだと大丈夫だろうと思い

部屋のある場所に隠しておいた。

新婚早々のカミさんは1DKの小さな家の中ででやることはない。

ここだと大丈夫だろうと思い隠しておいた手紙が見つかった。

手紙を読んだカミさんから厳しく追及された。

平身低頭謝り、たぶんTさんと知り合ったいきさつほか話したと思う。

それとともに、すべて処分すると言い、近くの多摩川の土手に行って焼いた。

土手に行く途中、手紙を読み返し、きっと複雑な思いであったろうがすべて焼いた。

この話とはまったく関係ない話。

結婚する少々前、カミさん宅ではびっくりすることが起きた。

母子で倉敷に出た折に蛇の目ミシンだったと思うが、街頭で宣伝活動をやっていて

親子で説明を聞き商品説明の紙をもらい、ついていた応募用紙を蛇の目ミシンに送った。

その応募用紙が当選、1970年のお金でなんと100万円分の家財道具が当たった。

嫁入り前の娘がいる家に降ってわいた超々ラッキーな出来事。

カミさん宅には娘の嫁入り用の家財道具一式が届いた。

だが、嫁に行く先の家は狭い、小さな風呂しかついていない1DKの借上げ社宅。

100万円の家財道具一式なんて入るはずがない。

結婚前に送ってきたのは、たしかタンス、冷蔵庫と小物の電気製品くらいだった。

あとは田舎の大きな屋敷のカミさんの実家で保管。

家財一式の中にはダブルベッドもあった。

1DKの社宅のあと引越した2DKの公団住宅にも、とても納まらない。

結局、ダブルベッドは今の横須賀のこの家を買った80年までカミさんの実家に

預かってもらっていた。

だらだら書いた50年目の結婚記念日のブログ、長々とお付き合いいただきまして

ありがとうございました。

2020年6月12日 (金)

結婚記念日 ⑤

富士通への転職が決まり、途中入社したのは1969年1月、26歳の時だった。

初めての東京、会社の寮に入った。

東京には知った人は誰もいない。

わびしい、6畳の1間の寮、仲間とふたりで寝起き。

会社では連日、1カ月以上SE向けの教育を受けた。

受講者の大半は社内で計算機業務に携わったいた人たち。

未経験者は途中入社のSくんとボクだけ。

日々思うのは、週に何回も会っていて、別れた門司のTさんのこと。

寮にあった公衆電話からTさんに電話し、様子を知らせたく、手紙もたくさん書いた。

彼女からもほぼその都度返事があった。

どうして興和を辞めたんだろう、どうして九州を離れたんだろうと後悔した。

とうとう思い余って、週末Tさんに会いに行った。

会ったあと、日帰りで寮に戻った。

短い時間会って、別れて、離れてしまい、思いはつのるばかり。

そのころオフクロに電話し、このような人がいる、結婚したいと話した。

昔人間のオフクロはびっくり「どこのどんな家のどんな人かもわからない人との

結婚は許さない」とピシッと言われた。

それから慌てて、オフクロは倉敷で仲人を生業とする人を見つけて、相手を探しはじめた。

しばらくして、良い人が見つかったので、帰ってきて見合いするようにとの連絡があった。

それがカミさんだった。

岡山で見合いし、お互い悪くないとの印象を持った。

1970年、大阪万博の年だった。

最初のデイトらしきものは万博会場。

次に会ったのは、彼女が東京に出てきて、今でも覚えている、銀座の不二家。

このときはボクの気持ちもほぼ決まっていて、今でも覚えている

「じゃあ、核心の話を」と切り出し、結婚を前提に考えたいと話したことを。

転職して半年たってないボクをカミさんはよく決めたと思う。

それから間もなく、両家の話はまとまり、昭和45年(1970年)6月7日(4567)

岡山で式を挙げた。

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半世紀、50年が経ち、今週、金婚式を迎えた。

いまや、77歳と73歳の老夫婦。

ふたりとも、最終ゴールまではもう遠くない。

2020年6月10日 (水)

結婚記念日 ④

結婚記念日の話の蛇行が続き、いつの間にか結婚前の青春時代の思い出になってきている。

最後はちゃんと50年のシメをやらないと(笑)

蛇行したついでに。

興和で新入社員で福岡支店に配属され、1年間総務経理を担当したあと、新しく新人社員が

配属されてきて、彼が跡を継いでボクは薬局回りの営業に回された。

担当地区は北九州。

問屋3社と門司、小倉、戸畑、若松地区の100軒近くの薬局を担当。

小倉駅の近くの定宿に泊り、朝一番、車で問屋に行き、営業員に各種販促ツールを渡し

販促を頼み、時々薬局回りにも同行してもらった。

日報さえ書けばいいのでサボることも時々あった。

24歳ころ、回っていた薬局で懇意になった薬局が何軒かあって、ご夫婦から何度か

見合いを勧められたこともあったが断った。

そんな中、担当していた門司の薬局にいた女性と仲良くなり、彼女Tさんと休みの日には

会社の車であちこちドライブに行っていた。

帰りは門司の自宅の下の道まで送っていた。

送っていた道は片側3車線の太い道だった。

今でもその道はそのまま残っているのでは。であれば今でも行けると思う。

そのころ疑問に思ったのは、この仕事を天職にしていいのだろうかということ。

仕事が終わり旅館に戻れば食事を食べたあとは時間がある。

1970年ころ、時はちょうどコンピューター学校が街中にできはじめた頃だった。

きっとこれからはコンピューターの時代が来るのだろう。

そうだ、コンピューターを勉強しようと思い立ち、小倉駅の近くにできた

コンピューター専門学校の夜間コースに通うことにした。

学校にはコンピューターはなかった。

机上でCOBOLという言語を教わり、紙に書いて講師がチェックしてくれた。

間もなく、富士通のFACOM230-10というコンピューターが入ると講師が言っていたが

結局入ることがないまま、コースは終わった。

毎週金曜日の夕方には車で100km近くある福岡の寮まで帰っていた。

ちょうどそのころ寮にあった新聞で富士通がシステムエンジニア(SE)を募集しているとの

記事を見つけ、そうだ、コンピューター学校で知ったSEになろうと思い、福岡にあった

富士通の支店に電話をかけ、面接を受けることになった。

面接では、SEになりたいと言い、面接官から、それでは東京の本社に行って面接を受ける

ようにと言われた。

生まれてはじめて東京に行き、丸の内にあった富士通本社で面接を受け「SEになりたい」と

希望を言ったことをはっきり覚えている。

結果、採用が決まり、採用通知が福岡の寮に届いた。

どのタイミングで親父に話したかは覚えていない。

退職したい旨支店長に話したら、引き留めはされたものの、引き下がることはできない。

後任を決めてもらい、問屋、薬局に引継ぎの挨拶をして回り、興和は終わりとなった。

九州を去るにあたり、唯一の心残りは門司の薬局にいたTさんのことだった。

もう少々話が続きそうである。

2020年6月 9日 (火)

結婚記念日 ③

結婚記念日の話が蛇行しているが、もう少々蛇行を。

前回の②で22歳で興和に入社したことを書いた。

入社したあと数年間のことを紹介。

名古屋の本社で入社式が終わったあと福岡支店への配属が決まった。

名古屋同様、縁のなかった街で、しかも初めて住む九州、うれしかった記憶がある。

支店は博多の繁華街、中洲から歩いて10分少々のところにあった。

寮は事務所の2階、遊ぶところには事欠かない場所だった。

支店には50名くらいいて、総務・経理部門に配属された。

5歳以上上だった、おそらく希望したのであろう地元名古屋本社に戻るSさんの後がま。

Sさんは好きになれないタイプだった。

一通りの引継ぎらしきことはやってくれたが、微に入り細に入りとは程遠く

新入社員のボクには厳しいものだった。

会社の大半は営業職。医家向けと薬局向けに分かれていて九州各県が各自のテリトリー。

週末、福岡に戻ってきて、月曜日全体会議に出て、それぞれの担当地区へ車で出るのが

パターンになっていた。

そのため、平日事務所にいるのは、支店長と医家向け、薬局向けの課長、それと

新人の総務経理担当のボク、あとは10名くらいの女性社員という感じだった。

新入社員のボクは支店長と2人の課長と同じ並びの席に座らされた。

事務所内の配置は、まざまざと目に浮かぶ。

昨夜、何食べたか思い出せないのに、55年前の事務所の様子が頭に浮かんでくる

人間の頭って、不思議なものだと思いながら書いている。

総務・経理の席の配置もばっちり浮かんでくる。

月曜日午後営業職の人たちが九州各地に飛び出して行ったあと1週間は事務所の中の

大半は女性。

前任者がろくろく引継ぎらしきことをしないままいなくなり、どうしたらいいか

わからないことが色々あったが、周りの慣れた女性たちが教えてくれた。

課長席に座らされ、コの字状になっていたボクの席の正面に座っていたのは

Sさんだった。

顔を上げると目が合うという位置関係にあり、互いに意識したのかよく目が合っていた。

Sさんとは数回食事に行ったことがある。

1歳年上でとっても感じよい人で、いいなぁと思った。

色々個人的な話もしてくれた。

自分は妾の子で母ひとり子ひとりの家庭で育ったこと、社内の男性とお付き合い

していて、いずれは結婚することになるだろうなど。

もうひとり、受付けに座り、常時タイプライターで伝票を打っていたUさんとも

仲良くなった。

ご飯食べにお出でよと、会社から歩いて15分くらいの家に何度か行ったことがあった。

妹がいて、当時の西鉄の尾崎と付き合っていると聞いたことを思い出す。

Uさんとは、博多で開催された万博に一緒に行って、コカコーラだと教えられて

初めてコーラを飲んだことも思い出す。

22から25歳、まさに青春時代を過ごした博多、懐かしい。

みんなどうしているだろう。

2020年6月 8日 (月)

結婚記念日 ②

古い話になるが、結婚前の25歳前後の話から。

22歳で大学を卒業し就職。

勤めた会社は興和。

名古屋が本社の会社でキャベジンやコルゲンの薬品製造、販売に加えて

貿易商社、紡績など幅広くやっていて、中京地区では名門企業。

先日の朝日新聞一面トップ記事で、安倍首相が国がマスク調達先に選んだのが

興和と書いてあり、オッと思い読んだ。

先ず、興和に入社した経緯、そのあと富士通に転職したきっかけについて。

神戸大学を卒業したのは1966年3月。

当時、4人で一軒家を借りていて、自堕落な生活をしていた。

下宿では子供たち向けの塾をやったり、各自アルバイト、夜は部屋でマージャン・・

大学は神戸の高台にあり、下宿から大学に行くにはバスに乗らなければならない。

下宿からバス停までは歩いて10分くらい。

「よし、今日は行こう」と思い、バス停まで行くものの、バス停前には

パチンコ屋があり、パチンコの誘惑に負けてということが珍しくなかった。

顔見知りの店員から「学校行かないの?」と言われたことが何度もあった。

久しぶりに行った学校では就職案内の紙がいろいろ貼られていて、そのひとつが

目に入った。

それが興和。曰く「往復の交通費出します」

行ったことのない名古屋、この際観光してこようと思い、教務課に行き

説明会参加を申し込んだ。

帰って下宿の仲間に話したら「一緒に行きたい」と言い、彼は翌日教務課に行き

申込みし、後日、ふたりで名古屋に行った。

説明会に参加したあと、ふたりともに内定通知が届いた。

倉敷にいた親父に電話。

親父は「聞いたこともない会社だ。断って商社か銀行を受けろ」と指示があり

大学の教務課に行き、内定通知を断りたいと話したら「ダメだ。来年から採用募集が

こなくなる可能性がある。内定通知に従って動くように」と言われ、これで興和の

入社が決まった。

結婚記念日とは関係ない話になってしまっている。

次回、結婚記念日 ③以降では興和に入社したあとカミさんといかにして結ばれたかを

書こうと思うが、その前にしばらく蛇行が続きそう。

もしよろしければ、お付き合いください。

2020年6月 7日 (日)

結婚記念日 ①

我が家は今日、なんと結婚50年目の記念日。

ふたり元気にこの日を迎えられたことに、心より感謝。

東京に住む娘が孫たちを連れてお祝いに来てくれた。

娘の手土産と家族4人からのカード。

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お昼は娘の差入れ。

横浜中華街でお取り寄せしてくれた飲茶と娘手作りスイーツ。

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いろんな話で盛り上がった中、いま住んでいる家のとなりの家族がむかしの上司だった

NKさんのご家族とのことで盛り上がった。

NKさんは3歳くらい上で、数年前に亡くなられ、葬儀に参列したとき初めて奥様にお会いし

「主人からよく花房さんのお話は聞いていました」とお聞きし、びっくりしたことがあった。

そのNKさんのお宅がお隣と聞き、1千万人住む東京でと驚いた。

孫たちから、4月に入学した高校、中学にコロナのため行けなくてという話を聞かされた。

食事のあと定番になったゲーム「マスターマインドをやろう」

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妹孫とまったり。

学校のことを色々話してくれた。

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庭のビワを取り、駅まで送った。

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家に着いたあと、3人のメッセンジャーにそれぞれ書き込みがあった。

カミさんから「今日は滅多にない最良の日でした♫こんな日が来るとは思いませんでした。

皆さん、ありがとうございました。パパにもよろしくお伝えくださいね」

娘から「今日はお母さんの体調がよくて、お祝いできたし、いっぱい話ができて

ほんとよかった。私たちも幸せだったよ。また遊びに行きま~す」

カミさん「お父さんも楽しそうでした。今きて、お昼に食べた寿司はどこで買ったと言ってた?」

と聞いてきました(笑)ちゃんとお取り寄せナンバーワンの飲茶三種類だったよと言っておきました。

Facebookでお寿司になってるかも(笑)」

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