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2020年5月 4日 (月)

英語では苦労した ②

前回①では話が脱線したので「英語では苦労した」に戻して。

富士通に中途入社し、コンピュータのシステム エンジニアになることを目指したが

周りの連中は自分よりでき、頑張らなければと思うものの、落ち込むことが

多かった27歳ころだった。

元来の性格であるようだが「であれば、何か仲間とは違う道を」と思い、入社4年目

くらいだったろうか、そのころ富士通があちこちの国ではじめたコンピュータ

ビジネスに関わりたいと思いはじめた。

当時、富士通は海外ビジネスを前回①で書いたようにいろんな国ではじめた。

中でも、関わりたいと強く希望したのはオーストラリアだった。

オーストラリアに関われば、英語が出来るようになると思い、当時の課長、部長に

「富士通オーストラリアに行かせて欲しい」と直訴した。

ふたりから「英語は大丈夫か?」と聞かれ、即座に「受験勉強しましたから

大丈夫です」と答えた。

だが、勉強したのは、読み書き、文法だけで聴いたり、話したりした経験は皆無。

上司は本当に大丈夫とは思わなかったようで「駐在する前にとにかくスキルアップ

するように」と強く言われた。

同時に、当時所属したSE部門には2人海外から来て職場で働いていた社員がいて

上司の部長から「二人の間に席を移して座り、ふたりとは英語でしゃべれ」と言われた。

指示通り席を移し、ふたりの間に座った。

が、ふたりとも日本語が問題ない。

そのうちのひとりとは今も家族ぐるみで付き合っている。

ボクが英語をしゃべろうとしてもふたりからは日本語が返ってきて、部長の思い通り

にはならなかった。

そのような状態のまま駐在し、富士通オーストラリアでの仕事、シドニーでの暮らしが

はじまった。1974年6月のこと。

またまた前置きが長くなり、そろそろ本題の「英語では苦労した」の話へ。

当時は飛行機が小さくて、羽田からシドニーまでは一気には飛べなかった。

途中、真夜中にマニラで停まり、給油。

お客は全員降ろされ、マニラ空港で1時間以上待たされた。

初めて踏んだ海外の地。

若かったし、興奮しながら、マニラの空港内をぶらぶら。

忘れもしない、カウンターバーのある店があり、立ち寄った。

飲むものを英語で注文しなけばならない。

何を注文したかは覚えてないが、海外で外国の人と初めて言葉を交わした

記念する日だった。

で、シドニーに着くと「ポールの夢をみた」で書いた大男ポール レティがホテルに現れ、

31歳にして初めて英語でやり取りすることになり、以降英語で苦労し奮闘することになる。

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コメント

Hanaさんの入社時の様子を初めてしりました。面白いね。英語で苦労、続きが楽しみだ。オーストラリアのシドニーで初にお目にかかった(^_^)。現地に転勤して何年目だったのか。英語がうまかったでしたよ。当時はお世話になりましたね。

秀さん

ご無沙汰。
次回は苦労した話をばっちり(笑)
シドニーで会ったのが初めてだった?
英語がそれなりに話せるようになってたんであれば
2年は過ぎてたんじゃないかな。

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