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2020年5月10日 (日)

オーストラリアの思い出 ②

1年半過ごした家を引越した。

引越した家をどうやって見つけたか覚えていないが、おそらく不動産屋に行ったのだろう。

住んだ家はチャッウッドという地区でショッピングほか生活するには便利な場所だった。

この家の写真は残っていない。

前庭と大きな裏庭があり、リビングルーム、キッチン、ベッドルーム2つの一般的な家だった。

家賃は1軒目の家と変わらず月10万円くらい。

覚えているのは、新しく新聞の購読をはじめたこと。

新聞は分厚く、丸くまるめたものを車で庭に投げ込んでくる。

日曜日は特に分厚く、ザーッと眺める程度だった。

裏庭で持って行ったラジオを苦労して合わせながら日本のニュースを聴いていたのを思い出す。

この家でも隣に住む家族にはいろいろ教えてもらい、助けてもらった。

ここに移って変わったのは、上の息子が小学校に入学前に通えるプレスクールに通い

はじめたこと。

通園するために乗る幼稚園のバスはうちから歩いて5分くらいのところに停まり、連れて行き

乗せていた。

バスにみんなで乗って行って、ひとりでずっと英語、5歳の息子にとっては大変なプレッシャー

だったことだったろう。

この家に住んでよく覚えているのは、家の前に停めていた車に他の車がぶつかってきたこと。

音を聞いて、よく面倒をみてくださっていた隣の奥さんが飛び出して見つけ、ぶつけた者と話し

住所、名前をメモしてくださっていて、メモを渡され、状況を説明してくださった。

大きな激しい傷はついていなかった。バックしていてガシャっとぶつかった感じだった。

すぐぶつけた者の家を訪ね、話をするが、こちらの英語力不足のため、話をはぐらしてきた。

怒りは収まらず、前のブログに書いたポールに相談。

ポールは「許せない!」と一緒に怒ってくれ、何故か警察ではなく、簡易裁判所に申立てしようと言い

ポールとシティにあった裁判所に行って申立てをした。

申立て手続きはポールがやってくれた。

手続きはポールがやってくれても裁判所に出頭し説明、弁明は当然ボクがやる必要がある。

ポールと一緒に説明内容を準備し、練習した。

法廷では準備した書面を読んだ。

行ってまだ1年半、英語が心許ない時期。

細かくは覚えていないが、証言台に立って証言したのは覚えている。

判事から質問が出たかどうか、質問にどう対応したかはまったく覚えていない。

訴えた相手が来ていたかどうか、何か反論してきたかどうか、最後裁きがどうであったか

補償するよう裁判所から言渡しがあったかどうか、45年前のことでまったく覚えていない。

ただ、これは1年半あの家に住んでいる間に経験した最も記憶に残る出来事であった。

書きながら、同じ歳のポール、どうしてるだろうと思った。

最後に会ったのは、10年以上前、我が家に訪ねてきてくれたとき。

元気だろうか、たぶん今も独身ではなかろうか。

心配だが、住所もメモしてないので手紙を出すことができないし、電話番号、メールアドレスも

わからない。

元気であることを、ただただ祈るばかり。

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