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2020年1月

2020年1月30日 (木)

犯罪被害者支援条例

一昨日、知り合いの横須賀市議会議員のFさんから「花房さん、市議のFです。急ぎの

お願いがあります」とのメールが届いた。

何かと思い開いてみると

 ・明後日の「政策検討会議」で議論される事柄について花房さんのご意見をいただきたい。

 ・犯罪被害者支援条例案に対する市長室からの意見への「反論」をいただけるとありがたい。

ボクの意見を書いて、併せて「政策検討会議」を傍聴させてもらいますと返事した。

政策検討会議は年4回開催される定例本会議に先立ち、全党派の代表が出席して定例会議で

議論されるテーマについて意見交換する場であり、何度か傍聴したことがある。

返事の中には以下を書いた。

 ・積年の思いの犯罪被害者支援条例の制定、ボクが思いが遂げられなかった宿願なので

  何としても条例制定を成就して欲しい。

 ・お気づきの通り、前に進められない大きな要因は行政側の消極的な取り組み姿勢にある。

と書いて、これまで奮闘してきたことを書いたブログ(文末で紹介)を付けて返信した。

今朝、市役所の会議室で開かれた「政策検討会議」を傍聴参加した。

傍聴者はボクひとり。

犯罪被害者支援条例は第一番目のテーマで取上げられ、F議員が提案主旨説明を行った。

参加した各会派の6名の議員から反論、指摘はなく討議は終了。

会議の座長が全会派に今後の対応を提案。

全会派一様に「持ち帰って会派内で討議」となり、座長が「次回2月7日の政策検討

会議で全会派の意見を出してもらい議論する」で終了。

終わったあと、F議員と少々会話。

そのあと別の議員のMさんから挨拶された。

ボクは4年前の秋の議会の生活環境常任委員会で犯罪被害者支援条例の制定を求め

陳情したことがある。

Mさんはそのとき委員会の委員のひとりとしてボクの陳情を聴いてくださったとのこと。

Mさんは「あのとき花房さんは口が乾いていたようで発言されるのが苦しかったよう

だったので、途中で水を差し上げようかと思ったことを思い出します」と言われた。

まさにMさんの言われる通りで、初めての経験で何としても思いを伝えたい、解って

欲しいとの思いが先行し緊張し、口の中が渇き弁舌に苦慮したことをしっかり覚えている。

読み上げる文章は準備していて、10分くらいで、ただそれを読むだけだったのだが。

まさにMさんの言われる通りだった。

当時書いたブログを探したが、生活環境常任委員会で陳情したことはブログに書かなかった

ようで見つからない。

そのほか関係ブログが以下ふたつ見つかった。

ふたつめの2017年のブログは市長に面談し訴えたときのことを書いたブログ。

2015年11月5日 http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2015/11/post-c87a.html

2017年10月3日 http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2017/10/--743e.html

思い起こせば犯罪被害者支援条例を、何としても人口40万人のこの町で作りたいと考え

ひとりで動きはじめて6年を超えた。

ここにきてやっと先が見えてきた気持ちになった。

終わったあとF議員と話した。

「やっととの思いです。凶悪犯罪、交通事犯はもちろんですが、数が多いのは性犯罪です。

早く犯罪被害者支援条例を制定し、特に性犯罪被害者の方々の助けになるよう、よろしく

お願いします」

2020年1月28日 (火)

遅ればせながら新年会

5年前から4人で活動を続けている「横須賀市民オンブズマン」の1月定例会のあと

遅ればせではあったが新年会をやった。

定例会では昨年末からの継続テーマ「横須賀市立博物館の活性化」について今後の対応を議論し

2月の定例会には市議会議員のKさんを呼んで市議会とオンブズマン両方から活性化のための

アプローチを進めることを決めた。

市民にしっかり周知されていなく、活性化が必要な施設はほかにもあるはず。

博物館を皮切りに、オンブズマンの今年の活動テーマのひとつににすることで衆議一決。

そのあと毎年恒例となったメンバーのひとりのIさん宅で新年会。

今年もテーブルには、買ってきたマグロ以外はすべてIさんが近くの観音崎で

釣ってきた魚で、それらをさばいてくれていて並べられていた。

Img_1941

出されたお酒を飲みながら、2時間以上わいわいしゃべり、そろそろ失礼しようと礼を言い

3人で浦賀駅まで歩き、それぞれ電車に乗り帰路についた。

今年も実績、成果につながるオンブズマン活動を続けたい。

2020年1月25日 (土)

映画2本

横須賀の映画館のビル全体が改装のため、半年くらい前から閉館になっている。

そのため観たい映画があるときは横浜まで行かなければならない。

わざわざ行くのであれば、2本観たいと思い、できるだけ2本観るようにしている。

ちょうど観たいなぁと思う作品が2本重なり、一昨日観に行った。

どちらも前評判のいい映画。

2本とも期待を外さなかった。

アメリカ映画「リチャード・ジュエル」と韓国映画「パラサイト 半地下の家族」

リチャード・ジュエル」は96年アトランタ爆破事件の実話。

パラサイト 半地下の家族」はカンヌ国際映画祭でパルムドール受賞。

2本観るときはいつものパターンだが、今回も間に1時間少々空きがあり

その間、近くのファミレスでお昼を食べた。

こんな時間の使い方、定年退職者の特権だなぁと、あらためて思った。

2020年1月24日 (金)

SITAをはじめた思い ②

①で書いたように上司の渋々の了承を取り付け、1998年12月はじめたSITA試験であったため

何としても、定年退職する前に自ら受験し資格を取らなければとの思いに駆られた。

SITAの試験には1級から3級まで3つの級があり、1級では1次試験のペーパテストと

パソコン講師を想定しテーマに沿ったプレゼンテーションを行う2次試験をクリア

しなければならない。

迷わず1級を受けることにした。

当時仕事ではワードを使った文書の作成とパソコン通信しかやっていなかったため

ハードルは高かった。

1次試験のペーパーテストはWordとExcel 

Excelはほとんど使ったことがなかったため、さあ大変。

テキストを使ってにわか勉強をはじめた。

2次試験は、テーマが3つ決まっていて、そのうちひとつが出題され、試験官の前で

プレゼンテーションするという内容だった。

今でも覚えている。テーマのひとつは「ごみばこ」

家で女房の前で練習して女房に聴いてもらった。

彼女が言ったひとことは「何を言っているかよくわからない。大丈夫?」

パソコン教室の富士通オープンカレッジでやっていた対策講座も申し込み受講した。

このような受験準備をして正規の手続きを踏み、もちろん対策講座受講料、受験料を

払い受講、受験した。

試験はオープンカレッジのひとつ、東京の表参道校で受けた。

表参道校のオーナーはよく知った仲で、試験の前、ガンバってと声をかけてくれて

プレゼンテーションの発表も教室の小窓からのぞき見していて、終わったあと

「悪くなかったよ」と言ってくれた。

このような経過をたどり、何とか合格し合格証をもらい、SITA資格が取得できた。

定年退職したときSITA資格の合格者は1級、2級、3級重複受験していただいた方含め

合格者の合計は延べ3000人を超えた。

それから15年以上経った今、きっと5000人を超える方々にチャレンジしていただいた

のではと思う。

次の「SITAをはじめた思い ③」では、合格された方々が全国各地でグループを作る動きが

はじまったことを紹介。

2020年1月21日 (火)

SITAをはじめた思い ①

SITA(Senior IT アドバイザ:サイタ)の第1回試験を行ったのは1998年12月。

ボクが定年退職したのは2004年 61歳になった年。

最後の職場は富士通ラーニングメディア(FLM)と言い、IT教育、ドキュメント制作を

主業にする富士通の子会社。

ここが最後の職場との思いで、58歳でFLMに移った。

FLMに移るにあたり、ふたつのことを考えた。

①60歳でFLMで定年退職する ②2年間で何か会社に残して辞める

このふたつの思いではじめたのがSITA試験制度

SITAの名前は自分で考えた。

SITAは「咲いた」に通じる。

自分もすぐ仲間入りするシニア、シニアにとって「咲いた」は悪い名前じゃない、

きっとシニアの皆さんが何か新しいことにチャレンジしたいとの思いに沿っているのでは

ないかと思った。

1998年、時はまさにIT元年、国が全国で国民向けにIT講習会をはじめた時期であった。

シニアに向けた試験制度は、やるべしと自ら納得。

当時富士通ラーニングメディアの社長をしていた人に「やらせて欲しい」と熱く思いを語った。

最初、社長は冷ややかだった。

「シニアが試験など受けないだろう」「君、退職したら受けるか」とも言われた。

もちろん即受けると答えた。

許可してもらえばということで、ふたつのことを約束した。

①お金は極力使わない ②教育や教材開発を担当している女性ふたりを兼業でいいので

つけて欲しい。

いくぶん渋々であったがGOが出た。

GOが出れば、もうこっちのもの。

先ず、お金を使わないではじめることに集中した。

SITA(サイタ)なんて自分以外誰も知らない。

お金を使わないで知ってもらうためにはどうすればよいか。

それには新聞ほかメディアで取り上げてもらうことだと思い、八方手を尽くした。

朝日新聞、読売新聞、それに地方の人々にも知ってもらいたいと思いで共同通信、

各社を訪ね、取材して欲しいとお願いをした。

当時はあまりなかったパソコン専門誌にも説明に行った。

朝日新聞が取り上げてくれて、資格を取れば家でパソコン教室を開くことができるとの

論調でどういうわけか経済関係の紙面に載った。

共同通信は全国の地方紙に流してくれて多くの地方紙が記事にしてくれた。

記事になった日は電話がどんどん鳴り、数日間はお昼は外に食べに行けなかったことを

思い出す。

メディア以外にタダでできることは他にもいろいろあると考え、あちこちアポを取って

説明に行った。

先ず、中央官庁。

当時はまだ通産省と呼ばれていた経産省を皮切りに労働省、文部省に行った。

都庁、神奈川県庁、横浜市役所にも行ったことを思い出す。

もっとお金をかけないでやれることがあるのではと思い、あちこちのシルバー人材センター、

生涯学習センターにも行き、シニアが地元でIT指導をすることの期待効果について熱っぽく

語って回った。

お金をかけないでできることは、コンピュターの展示会で紹介しPRすればよいと考え、

当時パソコンのコンピュターショウの先駆けであったパソマルに展示したく、富士通のブースを

借りて、小さなテーブルを持ち込んでPRをした。

こうしてSITAは何とか立ち上がった。

立ち上がったあと起きた動き、それに自ら受験した体験談について、

次のSITAをはじめた思い②で紹介。

2020年1月18日 (土)

新年会

火曜日、東京 町田で行われた新年会に参加。

集まりはアクティブSITA(サイタ)と呼ばれるグループ。

SITAはSenior IT Adviserの頭文字をとったもので、パソコンを中心に

地元の人たちにIT教育や指導を行うことを目的に集まったシニアのグループ。

この日集まったメンバーは40人。

ボクもメンバーに入れてもらっているが、平素の活動には参加していない。

理由は、横須賀から町田までは電車を乗り継いで片道1時間半以上かかるため。

ずっと月一度ある定例会に参加していたが、例会のあとは毎回飲み会、

参加すれば帰宅は11時半。

厳しくなってきたため、去年から定例会の参加は辞め、いまは秋の箱根一泊旅行と

年初の新年会だけ参加している。

その新年会が火曜日にあり、メンバーの皆さんに久しぶりに会った。

会場は町田駅近くのホテルの中にある中華料理店。

40人近くが参加したため、一部屋貸し切り。

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パワーポイントで用意された資料が画面に映し出され、昨年の活動報告。

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恒例となったSさんの尺八演奏。

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最後はこれまた恒例のビンゴ大会。

今回はパソコンのソフトを使い、画面に数字が映し出されるとともに

各自のスマホにも出て、ビンゴになるとスマホが音で知らせてくれるすぐれもの。

全員興奮し「ビンゴ!ビンゴ!」と次々に大声が上がった。

さすが、シニアのIT集団、すばらしい!

終わったあと3人でお茶した。

Nさんとはお互い日々やっているテニスの話、Hさんからは西国三十三カ所

札所巡りの話を聞いた。四国八十八ケ所もいいけど、西国三十三カ所もいいよ

ということで、ぜひ行きたいと思った。

1時間近く3人でワイワイ話し、町田駅で別れた。

グループ「アクティブSITA」が出来たきっかけとなったSITA試験制度を

定年直前に作った思いと経緯については次回のブログで紹介。

2020年1月17日 (金)

1月17日

今年もまた1月17日が巡ってきた。

あの「阪神・淡路大震災」から25年。
神戸は大学に通い、青春時代を謳歌した思い出の街。
朝、大震災関連のテレビ番組を観た。
大震災の話は5年前の20年の節目の年にもブログに書いた。

2020年1月14日 (火)

気分を変えて

2日に1度くらい我が家の裏の海岸遊歩道を歩く。

端から端まで歩くと1.4㎞。

時には気分を変えてと、昨日午後は山の方向を歩きたいと思い、電車のとなり

駅方向に歩き、かつて子供たちが通っていた小学校を目指し、あまり歩いたことのない

坂道を登って小学校まで。

昨日は休日のためグラウンドには誰もいなかった。

望洋小学校の名の通り高台にあり、遠方に海が臨める。

久しぶりに訪ねた学校、懐かしい。

校舎、グラウンド。

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家族ぐるみでお付き合いしていて、娘と同学年のお嬢さんがいたご家族と

毎年春 秋の運動会には、両家族がそれぞれ用意したお弁当を囲んで

子供たちも一緒にワイワイ言いながら食べたことが、とても懐かしい。

35年近く前のこと。

お弁当を広げて食べたのは、いつも下の写真の鉄棒のうしろあたりだった。

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懐かしさに浸ったあと、学校を跡にして帰路撮った写真。

東京湾唯一の島、猿島、それに海のそばには我が家のあるテラスハウス群も見える。

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学校から下る道を降りて我が家までは20分かかった。

子どもたち登りの多い学校へ通う道、きっと結構大変だったろうと

あらためて思った。

スマホの歩数、10874歩。

2020年1月11日 (土)

毎週金曜日午後の楽しみ

11月から週1回金曜日の午後、我が家から歩いて5分のところにある

リハビリデイセンターに通っている。

横須賀市から委託を受けて介護系の会社が運営している施設。

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昨年秋、我が家に訪ねてきてくれたケアマネージャさんから

「リハビリセンターに行けば週1回運動ができる」と勧められたのがきっかけ。

歩いて行くと言ったが、介護保険の規定でセンターが車で迎えに来て、送り返す

ことが必須とのこと。

毎回来ているのは年寄り25名くらい。 

1時から3時間飽きることなく指導員の指示に従い、マシンを使い、

しっかり体系だった運動指導をしてもらえ、行くのが楽しみ。

マシンや器具を使った運動に加えて、ビデオ映像を観て運動の勘所も

学習できる。

毎回、心地良く汗をかき、最後、出されたコーヒを飲んで終わり。

壁にかかっている書がすばらしい。

行くたびに読む。

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聞けば、かつて通所していて、亡くなられた男性が書いた書とのこと。

読むたびに「こうありたい」と思う。

昨日も1時から4時までみっちり。

毎回、はじめに目のご不自由なKさんから体操の指導を受ける。

Kさんがまたすばらしい方。

あとは各自希望するプログラムに従い運動。

ボクは自転車こぎとルームランナーを10分づつやったあと、休憩して

3種のマシンを補助員が数えるカウントに合わせてやった。

あとはストレッチ。

これは同じことが家でも出来ると毎回思うがなかなか家ではやらない。

ビデオで体を動かす勘所も観ることができる。

ひとつのテーブルに決まった6人が座るので顔なじみになっている。

皆さん市内近郊の人たち。

昨日は年齢が話題になった。

ボクのとなりの女性は82歳。とても見えない。

このような施設に通う意欲があるからだろう。

前のふたりは男性79歳、女性78歳。

みんな人生の先輩だ。

3時間めいっぱい体を動かし、おしゃべりしながらお茶やコーヒを飲み

終わったら、施設の車で各自を家まで送ってくれる。

心地良く疲れ、帰ったあと風呂に入り、金曜日午後のルーチンワーク終了。

2020年1月 4日 (土)

三島散策

昨日は昼前に出て、我が家から電車で30分足らずの三島へ。

三島は我々夫婦が大好きな街。

三島には大変な回数行っている。

仕事をしていたときは、富士通の工場へ行くため、三島駅より会社のバスに乗り、

打ち合わせなどで数知れず通った。

オーストラリア他、海外からの来訪者の工場見学にも何度も同行した。

昨年9月には、フェイスブックで知り合った三島在で交通事故でお父さんを

失くされた方が家族で行った三島駅前での署名活動にも参加した。

三島駅を下車したあと、夫婦ともども勝手知った川沿いの道を通り三嶋大社へ。

富士山の湧水が流れるこの川沿いの道は大好き。

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道沿いには歌詞を書いた碑がいろいろ。

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三嶋大社の横門から大社へ。

3が日、大勢の参拝客。

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娘宅と我が家の家内安全と安寧、穏やかな世の中であることを祈願。

祈願したあとは、三島に来たんだからうなぎを食べに行こうと。

先ず、大社前のうなぎ屋すみの坊に行ったら完売。

それじゃということで、歩いて20分の桜屋へ。

歩いている途中、町中から富士山がきれいに見えた。

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残念ながら、桜屋も完売。

仕方ないので諦め、伊豆箱根鉄道の三島広小路駅から電車に乗り、三島駅に戻った。

思惑が外れ、結局、夜は熱海駅のステーションビルの上の馴染みの店で食べて帰った。

スマホの歩数、7800歩。

2020年1月 2日 (木)

今年の我が家は

2020、にいまるにいまるの今年の我が家はいろいろ節目の年。

先ず、50年前の1970年に一緒になった我々夫婦は、6月に金婚式を迎える。

よくぞ、まあ、との思いとともに、元気に迎えることができれば大変悦ばしいこと。

ふたりで思いを込めて祝いをしないと。

それに4月に誕生日のボクは77、ななななになる。

元気に迎えることができれば、これまた、よくもここまでとの思い。

こちらは、元気に産んでくれ、育ててくれた亡き両親に心より感謝。

沖縄の娘の家でも今年はいろいろ大きな変化がある。

3月、姉孫が受験を予定している東京の高校に受かれば、11年ぶりに

沖縄を引き上げ、家族全員、東京に戻ってくる予定。

合格しなくても、姉孫は高校生に、妹孫は中学生に。

これまた大きな節目。

ということで、にいまるにいまるの今年は、53年ぶりに東京でオリンピックが

開催されるばかりでなく、我が家にも大きな変化と出来事がある節目の年になる。

2020年1月 1日 (水)

熱海で年越し ⑤

新年あけましておめでとうございます。

皆さまそれぞれ新たな思いで新しい年を迎えられたことでしょう。

昨夜ブログに、明日朝は初日の出を観るため5時40分にスマフォの目覚ましをセットしてと書いた。

今朝アラームの音で目を覚まし、防寒して家を出て、海岸まで歩いて降りた。

途中、例年の元旦に比べ周りが暗い感じがしたものの、そのまま海岸まで。

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いつもであれば、人が集まっている海岸遊歩道は人がまばら。

で、初めて気がついた。アラームの時間の設定が1時間早かったことに。

日の出は6時ではなく、7時だったんだ。

さりとて家に帰る気にはならず、海岸遊歩道をぶらぶら。

雲が厚い。初日の出は大丈夫かなあ。

こういう感じの空模様の年は何度もあった。

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だいぶ明るくなってきた。

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いっそう明るくなってきた。

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ただ、雲が低く、昇ってくる初日の出を観るのは望み薄の感じ。

成り行きをベンチの隣に座り観ていた女性と意見が一致。

結局昇ってくる初日の出を拝むことはできず、ふたりで残念と。

「向かいのジョナサンでお茶どう」と誘い、ジョナサンへ。

いろいろ話してくれた。

以前、娘一家が住んでいた保土谷から、今朝車を飛ばしてひとりで来た。

道中、スムースに走れてよかった。

初日の出を観たあとは保土谷までトンボ帰り。

やっている仕事についても話が出て、年明けの初出勤は6日からとのこと。

ジョナサンから見た昇った朝日。

不思議な感じの日の出だった。

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彼女を車を停めていた駐車場まで送り「気をつけて帰って」と言い、別れた。

家まで帰る道すがら、こんな珍しい店を見つけた。

今回いる間に来よう。

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マンションに帰ったら玄関には立派なお飾りが。

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部屋にはおせちがテーブルの上に置いてあって、カミサンに礼を言い

「明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします」で

我が家の新しい年の幕が開いた。 

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皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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