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2019年2月19日 (火)

熱海にて ②

何故、熱海に居を構えたかについて。

このマンションを購入したのは23年前、95年の12月。

95年は我が家にとって大変な年だった。

この年、3月に大学を卒業した息子は4月に就職。

これでやっとと思っていた矢先、就職した3か月後、息子は交通事故で亡くなった。

乗っていたバイクに前方不注視、無謀運転の2トン積みのトラックが突っ込んできて

起きた事故だった。

我が家は全員、茫然、自失、一瞬で悲しみのどん底に突き落とされた。

Goh_2

ボクは昼間は会社に行けば、その間いくぶんかは心がまぎれた。

家で四六時中、亡き息子と向き合っている女房は最大のピンチ。

このままではヤバイ、何とかしなければという気持ちになった。

そのとき思い出したのが、ある新聞記事の広告だった。

4月に働きはじめた息子は、すぐ日経新聞の購読をしたいと言い、購読をはじめた。

新聞の広告を見て「うちもこんなの買わない?」と言い、見せてきたのが、今の熱海の

このマンションの販売広告。

こう答えたと記憶している。

「いや、うちには縁がないよ」と。とは言ったものの、この広告記事はとっておいた。

女房が大ピンチになったとき、この新聞の広告を思い出し、女房に話した。

「あの子が言ってた熱海のマンション見に行ってみない?」

販売していた住友不動産に電話して見学のアポを取った。

マンションと部屋を見て、まったく縁もゆかりもない、初めて来た熱海であったが

「決めよう」とふたりの意見は一致した。

帰りにマンションンの最寄り駅、来宮駅まで歩き、駅の前の高台から見た熱海の夜景は

今でもはっきり覚えている。

このようなことで縁ができた熱海、以来住んで24年。

ふたりで、”あの子の家”にしようとの合言葉で買うことを決めたあと、女房は家具ほかの

購入を手はじめに、家つくりに心をくだき、気持ちのはけ口となった。

この頃、毎週のように金曜日会社から帰宅したあと車を飛ばし、横須賀から熱海まで来て

2晩泊り、日曜日の夜、横須賀に帰るという日課がずっと続いた。

だが、20年以上経った最近、女房はほとんど熱海に来なくなった。

ボクは行くと言えば「どうぞ、しばらくいたら」と。

そんな経緯で居を構えた熱海、それ以来いろんな知り合いの輪が広がった。

リゾートマンションとして売り出した当初は、ほとんどの住民がリゾートとして購入し、

多くが東京、神奈川在住で、ここはセカンドハウスという人たちだった。

このような人たち多くと知り合いになった。

83戸のこのマンションの役員になった年が4度あり、1度は請われて理事長に。

また、マンションの外にも色々なきっかけで知り合いができた。

その中のひとりが市長の齊藤 栄さん。

齊藤さんは一度我が家でやったバーベキューにお招きしたこともあった。

熱海市の市会議員数人の方ともお近付きになった。

タイミングがあったとき、熱海市の市議会定例会を傍聴したことも何度もあった。

そのきっかけで、温泉旅館のオーナーで今は亡きMさんと知己になり、熱海に来る度に

旅館を訪ね、熱海の市政、議会、議員、熱海の最近の話をよく聞かせてもらった。

きっかけを作った女房は最近はほとんど熱海に来なくなった。

前回来たのは、1年前の年末年始。誘っても来ることはなくなった。

ボクも今年初めて。

大きな温泉があり冬はいいのだが、ひとりで来ると食事をつくるのが面倒で足が遠のく。

5分下れば、マックスバリューがあり、ショッピングにはまったく問題ないのだが。

食事作りが面倒なので、来たら必ずナベを作り、3度食べるのが半ば習慣になっている。

マンションのすぐそばのバス停から箱根行きのバスが出ているし、来宮駅まで行けば

伊東線に乗り伊豆半島巡りもでき、熱海まで行き東海道線に乗れば沼津方面に行き

海岸沿いからすばらしい富士山が望める。

という好条件のロケーションではあるが、横須賀でいろいろあり、なかなか「よし、熱海に

行こう」という気にならないのが実状である。

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