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2018年12月

2018年12月29日 (土)

娘の帰省

このところ毎年末恒例になった娘家族の沖縄からの帰省、我が家には昨日一日寄っただけ。

今年は中2の姉孫の高校受験準備で、予備校の冬期講習会を受けることがメイン。

昨日、娘と姉孫・妹孫3人で横須賀へ来た。

12時半駅で待ち合わせし娘が「ここにしよう」と決めていた店 「しゃぶしゃぶ温野菜」へ直行。

おかわり自由、食べた食べた全員。

だからだ、半年くらいの間に孫たちの背がまたぐっと伸びていた。

食べながら、おしゃべりは尽きない。

学校のこと、部活のこと、期末試験の結果など、話題の中心はもちろん孫たち。

妹孫は先日行った関西研修旅行の話をしてくれて、神戸でお土産にクッキーを買ってきて

くれていた。

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最近は以前ように写真を撮らせてくれない。

そのため、今年4月、春休み帰省時、ボクの誕生日祝いをしてくれたとき撮った写真を。

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娘から「5月のGWに沖縄に来たら。休みが続くときでないと子供たちは毎日とても忙しい」と

珍しくお誘いがあった。

会ったとき、別れるとき、孫たちは我々夫婦に、何度も何度もハグしてくれた。

2018年12月28日 (金)

一軒隣のSさんと立ち話

昨日、散歩に出かける途中、水まきしていた一軒隣のSさんに引き留められ、立ち話。

Sさんは、知り合って30年以上、近所で一番ウマが合い、話題も合う仲間。

ご夫婦で地元で手広く建設業をやっている。

名門の戸塚カントリークラブの会員で、よく会のメンバーの話を聞いたことがある。

「ニューヨークの娘のところに1週間行ってきます。留守中よろしくお願いします」

我が家も旅行に行くときは、いつもSさんに同じことを頼む。

Sさんのお嬢さんはアメリカ人と結婚し、ニューヨークに住んで20年以上。

薬剤師をやっていたが、今は歯科医師。

ニューヨークに3階建ての居宅を持っていて、自分たちがそのひとつに住み、他は

貸家にしている。

「娘が子供を連れて帰ってきて、横須賀で家を買い、米軍のベースの中にある歯科に

勤める、と言っている。ダンナはニューヨークに残り、娘は行ったりきたり」

しばらく娘さんの話になった。

Sさん、「何か新しいことに常にチャレンジする子で、明日は今日と違う何かが起きることを

期待。本に例えてよく話していた。明日のページは今日のページと違わないとダメと。

ニューヨークでは高収入だし、家賃収入はあるし、何の問題もないのに」と。

ということで、お嬢さんは、また新しいページにチャレンジすることを決めたようだ。

だんだん歳を重ねていく両親が心配、ということも、きっとあるのだろう。

ダンナさんの出身のヨーロッパを娘さん夫婦、Sさん夫婦、ダンナさん両親夫婦6人で

何度も車で旅した話はよく聞いたことがある。

Sさん「今回行けば、娘が横須賀に来る話がきっと出る。どうしようとしているのか色々

聞いてきます。娘がいつも思い描いている明日の新しいページを期待しています」

ボクは「若いって、いいですねぇ。またお嬢さんにお会いしたとき話を聞かせてもらうのが

楽しみです」と。

2018年12月23日 (日)

追想「我が家の変遷」(2)

先日書いた「我が家の変遷」(1)の続き。 

前回の最後に、公団住宅の賃貸住宅から1978年、35歳のとき、ここ横須賀の家に

越してきたことを書いた。 

今回は越してきた、いきさつについて紹介。 

78年、子供が7歳と5歳になり公団住宅の2DKでは狭さを感じるようになり、いつまでも 

ここではと思うようになった。 

そのようなタイミングでたまたま新聞で見つけたのが、いま住む横須賀のこの家。 

カミさんが新聞の広告を見て、「海のそば、いいなぁ。見に行ってみようよ」と言ったのが

きっかけ。 

当時乗っていた小さな車、三菱ミニカで、4人で延々と東京の北から名前しか聞いたことが

なかった神奈川県の南、三浦半島の横須賀まで長い時間かけて、途中道がわからない中

迷いながら、やっとの思いでたどり着いた。 

たしか10月末、着いたときは夕方4時を過ぎていた。 

販売していた西武不動産の担当者の方を見つけ、案内してもらった。 

カミさんは即、「いいねぇ、気にいった」と。 

販売員の人が「完売したのですが、昨日1軒キャンセルが出ましたので、もしよければ 

ご案内します」と、今住んでいるこの家を案内してくれた。 

カミさんは即、「気にいった。決めようよ」 

ボクは「ここからだと、どれくらいかかるかわからないけど、通勤が大変」と渋った。 

カミさんはかまわず「環境は抜群だし、幼稚園も小学校も近いとのこと、家族4人の中 

あなたが我慢してくれれば、快適な生活ができる」と言い、販売員の人に内金1万円を渡し 

「購入します」。これですべてが決まった。 

4人の中ひとりだけが我慢すればと覚悟し、カミさんの決定に従うことになった。 

それから26年間、ハンパじゃない混んだ電車に乗り続け、1時間半かけて職場に通った。

冬場の朝は、空に残る星を見ながらの電車の駅までの道だった。 

35歳、貯金はわずか。足らないお金は両方の親に無理を言い、支援してもらった。 

やっと、自分の家を持ちたいとの夢はこうして叶った。 

それより何より、定年退職したいま、こうして環境、住み心地の良い家に住むことが 

できたのは、40年前の、あのカミさんの即断即決があってのことだと感謝している。 

以来40年、定年退職してから14年、大変心地良い気分で日々が過ごせているのは

ありがたい。

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1970年に結婚し、1DKの借り上げ社宅からはじまり、2DKの賃貸公団住宅、

シドニーで3年間住んだ大きな庭付きの家、帰国して賃貸公団住宅に戻り、たまたま

新聞で見つけ、カミさんが即決即断した、この横須賀の前面に海が見え、瀟洒な家が 

立ち並ぶ住宅街、色々あった我が家の住屋の変遷は、最終的には間違いなく正解で

あったとあらためて思う。 

ここ地元にはたくさんの知り合いができ、墓も建てたので終生この地に住むことになるのは

間違いない。 

2回にわたる我が家の変遷の歴史にお付き合いいただき、ありがとうございました。

2018年12月21日 (金)

クリスマス・イルミネーション

来週初めはクリスマス。

この時期、毎年、我が家の近くはクリスマス イルミネーションで華やかになる。

米軍横須賀ベースに勤めるアメリカ人が少なくなく、華やかさに色を添えてくれる。

イルミネーションを見て回るのは、毎年の楽しみ。

今年のベストは我が家からすぐ近くの家のもの。

仕掛けに手が込んでいて、見る人を楽しませてくれる。

夜の東京駅の装飾で多くの人が馴染みになったプロジェクション マッピング技術を

駆使したもの。

手前に置いたプロジェクターから、CGで作られた映像が家の壁に映し出される。

壁の真ん中に映し出される映像はいろいろ変わり、とても楽しい。

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足元にはプロジェクターが置いてあり、制作者であろうと思い、ちょうど家のそばにいた

人に色々尋ねた。

材料はすべてベースで調達した。今年初めてチャレンジしたが、出来栄えには満足。

家の前を歩く人たちをしばらく楽しませてくれる。

下の4軒のものもすばらしかった。

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毎年思う。

このようなイルミネーションの飾り付けをするお宅は、きっと円満で家族仲が良いので

あろうと。

去年撮った写真を探したが見つからない。

今年夏、任期を終え、アメリカ サンディエゴに帰国した、我が家の斜め前に住んでいた

ロンが去年つくったイルミネーションはすばらしかった。

息子さんが初めて横須賀に来るということで、1週間以上かけて、ロンが家の周囲全体に

飾ったイルミネーションはすごかった。

「息子が来るまでに完成させなければ」と言いながら作業していたロンを思い出す。

2018年12月18日 (火)

月例会&忘年会

横須賀市民オンブズマン活動をはじめて3年。

毎月一回、第3日曜日の18時から、4人のメンバーのひとり、弁護士のHさんの事務所で

月例会をやっている。

平素の交流は、必要な都度、メーリングリストでのやりとり。

一昨日は6時に集まり議論をしたあと忘年会。

この日の議論のテーマは2つ。

ひとつは継続テーマ「ボクシング協会について」

ポイントは、9月市民オンブズマン事務局に市のボクシング協会の元関係者という方から

電話があり、「市がボクシング協会に出している補助金の助成に疑義がある」

補助金詐取もありうると考え、市の所轄部署の課長と係長に面談し、補助金支出について

質問と確認をした。

一昨夜は次のステップをどうするか議論。

結論は再度所轄部署と面談し、補助金支出の違法性を確認、そののち住民監査請求する

方向で動くことを決めた。

もうひとつのテーマはオンブズマンのホームページについて意見交換。

あまり更新していないホームページだが、ホームページの管理者情報で見みると、

一日平均70人前後の訪問者がある。

これだけの人たちに閲覧してもらっているのであれば、もっと新しい記事をアップして

いかねば、ということが議論のポイント。

世間で話題になっているコンセッション方式と呼ばれる水道事業の民営化問題、

及び議員定数削減問題を取り上げようということになった。

議員定数が1人削減できれば、議員報酬・政務活動費ほかで年間1300万円が浮く

勘定になる。

もうひとつ決まったのは、来年4月の統一地方選挙前に地域のミニコミ紙にオンブズマンの

意見広告を出すこと、及び集会を呼びかけること。お金がなくて厳しいのだが。

内容は、議員定数削減問題、定例議会でまったく質問しない議員問題ほかを中心に。

1時間くらい議論したあと、皆「今日はこれで終わり」と第2部の忘年会へ。

忘年会はメンバーのIさんのお宅で、彼が準備しふるまってくれた魚中心の料理を

「うまい!」と言いながら、皆で堪能した。

Iさんは知り合いをときどき呼んでいて、隠れ庵の雰囲気の場所。

もらったメニューには、

  ・カサゴ・アジ・タコのカルパッチョ

  ・刺身盛り合わせ

  ・焼き魚

  ・魚煮物

  ・揚げ物

  ・鍋

  ・おしたし

ビール、酒がついて、料理は普通の料理店を凌駕している。

出された魚のうち、マグロとアオリイカを除いては、店主であるIさんが観音崎沖で

乗合船に乗り釣ってきたもの。

メニューの中心はフグとカワハギ。

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真ん中の写真はIさんのメニューではキュウセンの煮物と書いてあったが、

瀬戸内海でも多く獲れる魚で、郷里の倉敷ではギザミと呼んでいた。ベラとも呼ぶ。

安い魚であったため、小さいころオフクロがよく買ってきて煮ていたのを思い出す。

ちょうどIさんの奥さんが外出していて、男4人猥雑な話含め、2時間以上盛り上がった。

この仲間4人、みんなよく意気が合い、いい仲間だ。

2018年12月17日 (月)

追想「我が家の変遷」(1)

今朝、近くを散策。 

あらためて思った。良い環境の街に家を求めてよかったと。 

この場所と家を選んだのはカミサン。そのことは後述。 

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散策しながら、結婚してこれまで50年近くの我が家の住み家の変遷を思い起こしてみた。 

結婚したのは1970年。 

結婚前に住んでいたのは、2人一部屋、ただ寝るだけという感じの6畳の会社の寮。 

結婚を決めたあと、とにかく住む家を手当てしなければと思い、会社の厚生課に 

社宅に住みたいと相談に行った。

紹介されたのは、川崎市の西端にあった借り上げ社宅。

地元の農家の方が、なし園をやめて建てた1DKの2階建てアパート。

ダイニングを兼ねたキッチンと6畳一間。

家具を置くと布団を敷くスペースがあるだけの小さな部屋だったが新婚のふたりには十分。

そのうち子供ができ、もう1部屋あるところに移りたいと、公団住宅に何度か申込みし、

やっと当たって、板橋区にある超大型団地 高島平団地の最上階16階の部屋に移った。

1974年、オーストラリアのシドニーに出向することが決まり、3年の任期を終え帰って

きたとき、また家探しすることは大変だと思い、借りたままにしてシドニーへ。

いない間、家賃を払い続けることがイヤで、任期中1度一時帰国の機会があり

会社の知り合いに話し、帰国するまで住んでもらうことにした。

赴任したシドニーでは、高島平の団地に到底比べものにならない大きな庭付きの家に

住んだ。

「えっ、こんな家賃でこんな家に住めるの」と、ものすごくうれしかった。

週に60ドル(当時オーストラリアドルは300円くらい)の家賃もありがたかった。

しばらくして、南アフリカに赴任していた家のオーナーが帰国することになり、退去せざるを

得なく、別の家を見つけ転居した。

2軒目の家も庭付きで、1軒目より少し高かったが、十分満足できる値段だった。

当時はまだシドニーに住む日本人が少なかったこともあり、両方の家の隣人が親切に

面倒をみてくれた。

こうして1974年、31歳で赴任したシドニーに3年間いて、34歳のとき、ふたりの子供を

連れて帰国した。

帰国して住んだのは、1年半くらい会社の知り合いに住んでもらっていた高島平団地。

帰国してすぐ住んで生活できるように、3年離れている間、、冷蔵庫の電源は入れたままに

しておいた。

当然、庭付きの広い家に3年間住んだあと帰ってきて住んだ2DKの公団住宅の我が家は

とても狭く感じた。

こんな笑い話のような話もある。

そんな狭い団地ではあったが、帰国後何度かオーストラリアから出張してきた富士通

オーストラリアの仲間を我が家に招待したことがある。

そのうちのひとりが、狭い台所の一角で食事をしたあと、閉めていたふすまを指して、

「この奥がベッドルームか?」と尋ねてきたことがあった。

ふすまを開けてとなりの畳の部屋を見せて、みんなで笑ったのを思い出す。

この高島平の団地から、1978年、35歳のとき、ここ横須賀の家に越してきた。

そのいきさつは次の(2)で紹介。


2018年12月11日 (火)

毎日助けられてる、スマフォ

ガラケーからスマフォに替えたのは3年くらい前。  

ガラケーのころはメールが出せて、電話さえかけられればいいと思っていた。  

新しいことを覚えるのもイヤだった。  

我が家はボクより早くカミサンがガラケーからスマフォに移った。  

何がきっかけだったか覚えてないが、やっぱりスマフォかなぁ、と思いはじめた。  

持てば、スマフォってこんなこともできるのかと思うことばかりで、日々助けられている。  

日々当たり前のように使っているが、何に使っているだろう、とあらためて考えてみた。 

当然のことながら、先ずメールに電話、フェイスブック、それにカメラ。限られた人とのLINE  

あと重宝しているのは、歩数計、乗り換えナビ、ラジオ、電車でヒマなとき数独。  

助かっているのは、アラーム。

毎週観ているテレビ番組と新聞でみて観たいと思った番組、それにラジオ英語講座の

時間設定。  

特にラジオ英語講座は再放送も聴いているので、水木金土、時間も朝、昼、夜  

とても覚えられないので、大変重宝している。  

ただ、これだけアラームをセットしていたら、鳴ったとき、「さあ、何だったろう」と思う  

ことがしばしばある。  

あとは、夫婦でしょっちゅう使っているのは、音声で入れるグーグルの「教えて」のSiri  

Siriは孫たちが何かあったら、いつも使っていたのをみて知った。  

ボクがよくSiriを使うのは英語の単語を知りたいとき。  

音声認識力のスゴサに驚く。  

記録に残っている最近Siriに助けてもらったのは「平戸のふるさと納税」「オートノミーの  

意味は?」「コンセッションの意味は?」など。 

「英語でXXは何と言うの?」と尋ねれば、的確に答えてくれる。  

何より、言ったことばをしっかり認識して答えてくれる技術力のすごさに驚く。  

20年以上前、AIがもてはやされはじめたたころ、音声認識技術を各社が競い合ったのを 

思い出す。  

当時「特定話者」という言葉があった。  

話す人の声と話し方をコンピューターに覚えさせ、その人がしゃべった言葉を認識させる 

技術だった。  

それは今やはるか昔の話、小さなスマフォが話者が誰であろうと、話す言葉を的確に 

認識する技術のすごさに驚きと隔世の感を覚える。

2018年12月 8日 (土)

あしなが育英会

あしなが育英会のことを知って、もう長い。 

育英会のホームページのトップには、こう書かれている。 

 「あしなが育英会は病気、災害、自死(自殺)など道路上の交通事故以外で保護者を 

 亡くしたり、保護者が著しい障害を負っている家庭の子どもたちへの奨学金制度を 

 実施しています。 

 高校、大学、専門学校などに進学を希望している、経済的に苦しい遺児たちに奨学金 

 (無利子貸与+給付)を交付しています」 

年に何度か届く機関紙「あしながファミリー」が昨日届き、じっくり読んだ。 

「あしながファミリー」に書かれた記事を読み、今回も深い思いに至った。 

一家の主である父親を亡くし、家計が苦境に陥っている中、母親を中心とした家族全員の

苦しい日々、遺児たちの進学に向けて頑張っている姿、頑張ってはいるものの苦しい

生活から抜けられないこと等が綴られた多くの投稿やインタビュー記事、実態調査結果を

読んだ。 

以下、その中いくつかを紹介。 

 ・夫は自死のため、生保がおりませんでした。子供3人と介護1の母がいます。 

  下がまだ小学校4年生なのでなかなか長時間の仕事ができません。 

 ・夜勤をしないと生活ができず身体的精神的に疲れてしまっていますが、息子が 

  やりたいこと、一生懸命がんばっていることをさせてあげたい。学校だけは行かせて 

  あげたい。 

 ・随分きりつめて、家計簿も1円単位でつけていますが赤字続きです。これから老後を 

  迎える私はとても不安です。 

 ・その日暮らしといわざるを得ない収入で、将来に向けて貯えることができないため 

  急な出費に対応できません。 

 ・主人が病気のため要介護状態で働くことが難しい中、できる仕事をしながら介護

  しているため、子供を大学に行かせてやれるかがとても心配です。 

 ・パートの仕事をWワークして8時から23時15分まで働いています。1週間のうち 

  1日しか休日はありません。自分が高齢なので仕事も雑務しかないのがつらいです。 

 ・ある人に「父親がいなくてかわいそう。不幸だね」と言われた。何も言い返せなかった。 

  「幸せだ」と言い返せなかった。 

 ・街頭であしなが募金をしていたとき「がんばって!教育こそあなたたちが持っている 

 一番の武器よ」と年配の女性が笑顔でそう励ましてくれた。私の心に深く響いた。  

あしなが育英会の奨学家庭2635件の実態調査では、 

 ・遺児家庭の収入は一般家庭の半分以下で、親の手取り月平均14万6380円。 

  一般世帯の45.5% 536家族が15万円未満 

 ・大学進学率 全国平均49.7% 遺児33.7% 

ボクは8年前から毎年12月に3万円づつ、郵便局からあしなが育英会の口座に

振り込みさせていただいている。 

あしなが育英会のホームページはこちら

2018年12月 3日 (月)

「年賀状止めます」のお知らせ

昨日、年賀状止めますと書いたハガキを、毎年年賀状をやり取りしている人たち全員に

出した。書いた文面は、

  拝啓

  肌寒さが日々増してきている晩秋のこの時期、皆様ご健勝のことと拝察いたします。

  さて、私は年が改まりましたら、七十六歳となります。

  加齢とともに、諸事心許なさが増してきており、身辺の整理を徐々にやって

  いかなければとの心境になってまいりました。

  長きに渡り、新年のご挨拶を通し、ご交誼を続けさせていただきましたことに

  対しまして、改めて感謝申し上げます。

  誠に勝手ではございますが、本年をもちまして新年のご挨拶はご遠慮させて

  いただきたく、どうぞご了承いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

  末筆になりましたが、ご家族皆様のご健勝とご多幸を心より祈念申し上げます。
    
                                             敬具 

ポストに投函したら、ホッとしたという気持ちになった。   

考えてみると、ちゃんとした形で年賀状を出しはじめたのは、就職した50数年前。

その前も友だちには出していたことだろうが、あらたまった形の年賀状は就職が

機だったと思う。

我が家の年賀状の変遷を考えてみると、最初はもちろん手書き、それからプリントゴッコ。

プリントゴッコは刷りミスほか失敗が多く、おまけに刷り上がったものが完全に乾くまでの

プロセスも大変だった。

刷り上がったものを和室の畳の上に一晩並べておいていたことを思い出す。

だが、プリントゴッコは原版さえ作れば、あとは刷るだけ、手書きに比べれば画期的で

カッコウも良かった。

プリントゴッコの次はパソコン。

この10年近く使ってきたのは「筆ぐるめ」 その前に使っていたのは「筆まめ」

手書き、プリントゴッコから比べれば、格段に作業が楽になったが、使うのが1年に

1度のため、使い方を忘れ、毎年手探りでやってきた。

その間、印刷屋にお願いするという気には一度もならず、毎年年賀状は心を込めて

書いて、作って出さないとという気持ちに変わりはなかった。

パソコンになってからは写真がつけられるようになったのはうれしかった。

孫たちと家族の写真が何年も続いた。

今は亡くなられた富士通の秋草社長にも毎年出していて、こんな孫の写真付きの

年賀状でいいかなぁ、と毎年思いながら送った。

こんな歴史のある年賀状を止めると決めるには少々迷いもあったが、この先

ずっと続けることは難しく、どこかで失礼しなくては、とずっと思っていた。

長い間、やりとりを続けさせていただいた皆様には申し訳ないとの思いはあるものの

内心ホッとし、肩の荷が下りたが正直な心境。

あとは親族、家族には、我が家の出来事、孫たちの成長、夫婦の状況など近況を

1年に1度伝える手段として、しばらく年賀状は続けようと思っている。

2018年12月 2日 (日)

6人、今年も集まった

年末近くになると、昔の会社の仲間から日程調整のメールが届く。  

ほとんど年齢が同じ6人が、これも毎年同じ場所、横浜高島屋前で待ち合わせ。 

平素は1年間、やり取りすることはほとんどない。  

定年して14年、会社が終わったら、仲間とも終わりがボクの主義で、最後にいた職場の  

社長から、定年したあと退職者の集まりに入ってはと誘われたが断った。

会社が終われば仲間とは終わり新しい仲間と、ということを退職する前から決めていた。  

以来、会社のかつての仲間とは、飲み会に誘われない限り、集うことはほとんどない。  

一昨日集まったメンバーは6人とも、30年以上前の元システムエンジニアの仲間。  

きっかけは、7~8年前、たしか11月だった、電車の中でメンバーのひとりのUさんに会い  

「こういうメンバーで毎年年末に忘年会やってるんだけど来ない」と誘われ、即OKした。 

毎年事前にメールで日程調整するものの、年寄り6人それぞれ予定があって、なかなか  

決まらない。  

平日の昼なので、場所を予約するでもなく、毎年6人が横浜高島屋前で会い、ぶらぶら

歩いて適当な店を見つけてというのがパターン。  

今回はひとりSさんがいくぶん体調が完全でなく、二次会のお茶から合流。  

一次会は結局去年と同じ沖縄料理店。  

お互い近況をばらばら話し、夫婦や家族の話も。

もちろん共通の仲間の近況も諸々。  

Hさんからは老人大学で学んでいることが出た。テーマは失念。  

Uさんからは、毎年の恒例、今年もクリスマス前に神奈川県民ホールで第九を披露する  

合唱団の話。

定番の健康話は今年はあまり話題にならなかった。  

それだけ皆、それなりに健康なんだろう。  

終わったあと、横浜西口から東口に移動、前半参加しなかったSさんが海沿いのマックで

合流。話に聞いていたよりはるかに元気。  

このグループの仕上げは、毎年マック。  

Hさんがマクドナルドの株を持っていて、株主に届く優待券を毎年提供してくれる。  

フルメンバーの6人で、またわいわい。  

Hさんに、「マックの株上がっても売らないでね」  

海を見ながら、それぞれ好き勝手にまた1時間おしゃべり。  

15年たっても、こういう仲間は最高

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