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2018年8月20日 (月)

終戦のこの時期 ①

土曜日、我が家から2つ目の駅 浦賀のコミュニティセンターに展示を観に行った。

終戦直後の引き揚げ者の悲劇の記録を取り上げたパネル展。

栄養失調で痩せ細った復員兵や、引き揚げ船内ではコレラがまん延して故郷を

目の前にして命を落とした感染者、終戦直後の悲劇が200枚ほどの写真や資料で

紹介されていた。

軍医として南方に行ったカミサンの父親も引き揚げ船で浦賀港に戻ってきた、と本人から

聞いたことがある。そのため、どうしても行きたかったパネル展だった。

展示を見て、浦賀港は12カ所あった引き揚げ港のうち、引揚者の数が4番目に

多い港であったこと、それにコレラ患者の出た船はすべて浦賀港に着岸することが

義務付けられていたことなど、すべて初めて知る話ばかり。

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生々しい写真がたくさん紹介されていた。

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最初の引き揚げ船は、今は横浜みなとみらいの山下公園に停泊し展示されている

氷川丸。1945年10月のこと。

以降、南方地域や中国大陸などから56万人の軍人、一般人が浦賀港で祖国の地を

踏んだ。

パネルでは、あふれるほどに乗船した復員兵が手を振って祖国に帰れたことを

喜んでいる姿をとらえた写真が紹介されていた。

「復員兵ははだしでやせ衰え、力ない足取りで上陸してきたとき、これが歓喜の声で

送られた兵隊さんかと涙が出た」など、出迎えた住民の証言も紹介されていた。

痩せこけて骨と皮だけのようになったコレラ患者や船上で行われた予防接種、

故郷を目の前にし、無念にもコレラ他で亡くなり、祖国の地を踏むことができなかった

兵隊さんが少なくなかったなど紹介されていた。

写真、記録をじっくり観たあと、エンドレスで繰り返し上映されていた20分くらいの

映像も2度観た。

映像の最後で制作に携わった人たちの名前が紹介されていた。

構成担当者の名前を見てビックリ。

以前近くに住んでいて、娘の友だちで、今はボクのフェイスブックの仲間でもある

紀久子ちゃん。

亡き義父が実体験したことを知ることができ、複雑な思いになったとともに

戦争はどんなことがあっても、未来永劫ゼッタイに許されないとの思いをあらめて

強くした。

PS 引揚者記念館は5年前、弟・妹3人で若狭方面に旅行した折に、舞鶴でも

 見学したことがある。

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