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2018年2月 4日 (日)

それで思い出した

先週3日間、新聞の夕刊が配達されなかった。

夕刊の配達員が替わって、忘れたのではないかと思い、今朝配達所に電話したら、

やはりそうだった。

「明日からちゃんと届けるようにします」で決着。

それで思い出したのが、40年以上前に駐在したオーストラリアのシドニーでの新聞

配達事情。

3年駐在した2年目あたりから新聞を配達してもらうことにした。

当時住んでいた家は↓のような家。

家賃は週65ドルだった。当時1オーストラリアドルはたしか300円くらいだったので、

月家賃8万円くらいだったのだろう。

大きなベッドルームがふたつ、大きなリビングルーム、キッチン、バスルーム、40年以上

たっても間取り、部屋の様子がまざまざと頭に浮かぶ。

Cimg7035

会社までは車で15分くらい、すぐ近くにゴルフコースがあり、数分降りていけば海辺の

住宅街だった。

ついでに家の話をすると、オーナー一家は外務省に勤めていて南アフリカに赴任中

聞いていた。

家はまったくそのままにして、不動産代理店が仲介して貸した家だった。

食器、ナイフ、フォーク他すべて家財を残したまま。

家の裏には手入れがされていない大きな庭があり、木々が茂ってうっそうとしていて、

ここには1年半くらい住んだが、怖くて一度も庭の奥まで行けなかった。

ただ、裏口から庭に出たところにはパッションフルーツやキウイなどの樹が植わっていて

とって食べた記憶がある。

一度、50センチ以上ある大トカゲを見つけて驚いたこともあった。

脇道にそれたので新聞の話に戻して。

どこの家もそうだったが、新聞配達人は走る車から丸めた縦長の新聞を庭に投げ込む。

広告が入っていることが多かったので結構新聞は重かった。

よく覚えていないが雨の日は何かにくるんでいたのだろう。

新聞代をどこで払えばいいかわからなくて、隣の人に聞いたのだろう、近くのミニコンビニ

のようなミルクバーという店に行って払っていた。請求書が届いていたわけじゃない。

当時は今と比べ移民も少なく、まあ、何事も鷹揚だった。

新聞ということでは、会社が週に数度日本の新聞を送ってくれていて、5人いた駐在員の

家庭で回し読みしていた。

もちろんネットはまったくない時代で、回し読みしていた新聞が唯一の日本のニュース源

だった。

夕刊が届かなかったことで半世紀近く前のシドニーでの経験を思い出した。

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