今日は我が家の特別な日
今日は亡くなった息子の22回目の命日。
23歳だった息子は就職して3ヶ月目、仕事中に乗っていたバイクに正面から前方不注視の
無謀運転のトラックが突っ込んできて亡くなった。
加害者の虚偽の供述を暴くため、2度バイクとトラックを借りて事故検証を行い、加害者が
事故直後警察に話したことが虚偽であったことを暴き、6年半かけて行った民事裁判で
勝訴した。
不本意ではあったが、加害者を我が家に呼んで、自分が立てた論証を説明し、結局あの
野郎は最後「その通りです」と認めた。これを最後にヤツには一度も会っていない。
今日は朝、墓に参った。
最近息子に話しかけるのは「家族、仲間みんなを見守ってくれてありがとう」、それと近況の
報告だけ。
これは毎朝我が家であの子に手を合わせるときも同じ。
守ってくれているという気持ちがいつも心の中にある。
郷里の倉敷に建てた墓をこちら横須賀の我が家から歩いて20分足らずのところに移して
良かったと思っている。
長男であるにもかかわらず、弟に詫びて宗派を替えて、墓の移動、改葬を行った。
結果、いつでもあの子に会いに行けるし、仲間たちにも寄ってもらえる。
ただ、この墓は息子と我々夫婦が入って終わりになる墓。
毎年、この日の朝届くファックスが今朝も届いた。
以前近くに家族で住まわれていて20年近く前に東京に居を移され、息子の小さいころを
よく知る女性から「今年も7月5日がきました。くちなしの花の香が、豪くんのことを思い
起こさせます」
亡くなったあとたくさんのあの子の仲間に無理を言い寄せてもらって作成した208ページの
追悼文集。
あの子の思い出の入った追悼文集「君に会えてよかった」の最終第13章「あの日のこと」を
あらためて今朝読み返した。
以下、以前に書いた「追悼文集」について再掲。
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この追悼文集は、突然逝った息子の人となり、生きざま、思い出を何かの形で遺して
やりたいとの家族の勝手な思いで、たくさんの仲間の皆さんにお願いして投稿を寄せて
いただいた。
これまた勝手な思いであったが、仲間に集まってもらいやる予定の一周忌にぜひ間に
合わせ、みなさんに渡したいとの勝手な希望を多くの人たちが受け入れてくれて、60人を
超す方々から投稿をいただいた。
大学のゼミの先生からはじまり、同期入社の仲間、高校・大学の遊び仲間、お付き合い
していた人、塾の教師仲間・生徒・・・
破天荒な子であったが、たくさんの仲間の中で、まさに青春を目いっぱい謳歌し、突然
逝ってしまった。
亡くなる前の思い出を書いた日記を投稿してくださった方、徹底討論「朝まで生ブチャ
(息子の愛称)」でおもしろおかしい対話を書いてくださった塾の教師の後輩・・・
それにオーストラリアの会社の仲間が送ってきてくれた弔意を書いた英文の手紙7通、
告別式でいただいた2通の弔辞も掲載した。
多くの親族からの投稿、それにもちろん女房と娘とボクの文章。
子供たちが小学生だったころ女房が作っていた家族新聞「まぼりタイムズ」も入れた。
忘れないようにとの思いで「あの日のこと」のタイトルで、亡くなった日のことを書いた
ボクの文章も最後の第13章に入れた。
こうして出来上がった追悼文集は208ページの大作になった。
追悼文集につけるタイトルを何にしようかと、女房・娘・ボク3人で何度も話し、なかなか
決まらなかったが、最終的に「君に会えてよかった」になった。
「君に会えてよかった」には色々な意味が込められている。
我々家族のあの子に対する思いはもちろんのこと、投稿を寄せていただいた皆さんへの
あの子からのメッセージであり、皆さんからあの子へのメッセージでもある。
こうしてたくさんの皆さまの協力で出来上がった追悼文集は、仲間に集まってもらって
行った一周忌の席で皆さんにお渡しできた。
涙が止まらず、思うように挨拶ができなかったことを思い出す。
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