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2017年3月11日 (土)

あれから6年

今年もこの日が巡ってきた。 

2011年3月11日14時46分。

地震発生時間に合わせ、今年もテレビの前で、犠牲になられた方々に心から黙祷を捧げた。 

いぜん2500人を超える方々の行方がわからず、何としてもとの思いで、見つからない 

ご家族を探されている姿に涙を誘われる。

定年退職7年後、あの日のあの時間、我が家は夫婦で家にいた。 

お昼をすませ、くつろいでいた時間だった。

経験したことのない突然の激しい揺れに驚き、夫婦ふたりで表に飛び出した。

その日の様子は翌日書いたブログに残っている。

その後も大震災への思いを10回続けて連日ブログに書いた。

地震発生後、何か被災者の方々のお役に立ちたいとの思いが強く、震災4ヵ月後、

たった4日間であったが、陸前高田に傾聴ボランティアのお手伝いに行った。

陸前高田で見た光景、お会いした方々から聞いたお話は忘れることはない。

傾聴ボランティアに行ったときのことを書いたブログはこちら

地震直後、オーストラリアで一緒に仕事をしていた仲間から、安否を気遣う電話があった。

ほかふたりのオーストラリアの仲間から、「大丈夫か?」とのメールが届いた。

「日本が大変なことになっている。もう日本は再起できないのではないか」とのニュースが

連日世界中を飛び交っていたのでは。

定年直後から「定年バンザイ」のタイトルで7年近く続けていたブログは、地震発生から

8日後、被災を受けられた方々に対し不謹慎な気持ちを感じ、とてもブログを書く心境では

なくなり、休止することにした。

休止2か月後、気分がいくぶん落ち着き、タイトルを現ブログの「無為に過ごす」にかえて

再開した。

最後に、昨日の朝日新聞の読者投稿欄に出ていた79歳の男性の投稿から。

                手のひらに残る閖上の碑の記憶

 宮城県名取市の閖上中学校の旧校舎近くにある黒御影石の慰霊碑には亡くなった生徒

14人の名前が刻まれている。

 語り部の方に「この子らの名を、皆さんの温かい手でなでてやってほしい。文字が消えて

しまうほど」と促され、私たち高校の同期生21人は、涙しながら文字を何度もさすった。

 碑の高さは約1mで手前に傾いている。「皆さんの手で触れやすい形にしました」と話した

語り部の女性は、亡くなった中学1年生の母親だった。

 「子供たちが生きた証しを、多くの命が失われた証しを、記憶に残したい」とおっしゃった。

 震災後6年を経た今日、閖上の碑は人々の温かい手で触れられ続けているだろう。

震災地の人々が少しでも前向きに生きていかれるよう祈っている。

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