« 阪神・淡路大震災 | トップページ | 三島ぶらりひとり旅 »

2017年1月18日 (水)

阪神・淡路大震災 (続)

昨日の朝日新聞記事。

優秀ですばらしい、大学の後輩たちに思いをはせながら、何度も読み返し、そのたびに

涙が止まらなかった。

                 特集:阪神大震災22年

 公認会計士になる――。22歳の神戸大生の夢は、阪神・淡路大震災に砕かれた。

ひたむきに生きた22年。両親は、同じだけ齢(よわい)を重ねた今も息子を思い続ける。

友人たちは、咲かせられなかった夢の貴さを改めてかみしめている。

 1995年1月17日、津市の自宅で藤原宏美さん(76)は大きな揺れで目覚めた。

長男で神戸大経営学部4年の信宏さん(当時22)が神戸にいる。電話はつながらない。

翌18日朝に現地へ。行けるところまで列車に乗り、3時間ほど歩いて神戸市東灘区の

木造アパートにたどり着いた。

「なんだ、大丈夫じゃないか」。一見、形を残しているように見えたアパートは、

信宏さんの部屋がある1階が2階に押しつぶされていた。遺体が見つかったのは、

震災の2日後。胸を圧迫されていた。

 約3カ月前、難関の公認会計士試験合格の報告を電話で受けた。

「お父さん、通ったよ。就職も決まった」妻の美佐子さん(72)と喜んだばかりだった。

 優しく、おとなしかった信宏さん。エアコン、風呂なしのアパートにも文句を言わず、

通っていた公認会計士受験の予備校の費用はアルバイトで工面した。

妹の進学のことも考え、「常に家計を心配してくれていた」と美佐子さんは振り返る。

 地震発生の直前の大みそか。信宏さんが1泊だけ津市の自宅に帰省した。

宏美さんが車で駅に送ると、降りたロータリーで車を見送ってくれた。

宏美さんは「社会人になって2、3年は、旅行とか楽しく過ごす時間をあげたかった」

 なぜ難関の公認会計士を目指したのだろう、と考える。

「目標を目指して努力していたこと自体に充実感があった、と信じたい」

 宏美さんと美佐子さんはこの17日も、アパート跡地の駐車場で手をあわせる。

                  ◇   ◇   ◇   

 震災の数日後、崩れたアパートから、信宏さんの遺品を掘り出す若者たちがいた。

公認会計士受験の予備校に通う仲間3人だ。

 田島照久さん(45)は、信宏さんの机から、合格時に自分が送った祝電を見つけた。

「取っていてくれたんだ」。涙がこぼれた。吉形圭右(けいすけ)さん(45)は、がれきの

隙間に潜り、遺品をひっぱり出した。

 西口卓さん(44)は遺品の中に、卒業論文の制作用に信宏さんに貸したワープロが

あるのに気づいた。「卒論が入っている」と思い、その中のフロッピーディスクを宏美さん、

美佐子さん夫妻に届けた。予感は的中。夫妻はディスクから卒論を印刷。

神戸大に提出した。授与された卒業証書は夫妻宅に飾られている。

 4人は「勉強漬けの貧困学生」(吉形さん)のグループだった。

昼食の弁当はコメを持参し、予備校近くの喫茶店から厚意でおかずを分けてもらった。

信宏さんは飲み物代を浮かせようと水筒を持ち歩いた。

 3人はみな、公認会計士になる夢をかなえた。3月には他の仲間と一緒に信宏さんの

墓参りをする。「頑張っているよ」「天国から見ていてくれ」。そう語りかけるつもりだ。

 勉強漬けだったけれど、確かに青春があった、あの日々を思いながら。

« 阪神・淡路大震災 | トップページ | 三島ぶらりひとり旅 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 阪神・淡路大震災 | トップページ | 三島ぶらりひとり旅 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
フォト