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2016年10月14日 (金)

シンガポール ①

一昨日、東南アジアの旅から帰ってきた。 

帰ったばかりなのに、10日あまりで5か所へ行ったため、ごっちゃごちゃになっている上に、

既に記憶があやふやになっている部分もある。 

撮った写真を見て思い出しながら、ブログに残しておかないと、記憶が散逸する気がする。 

さて、先ずは最初のシンガポールから。 

シンガポールのチャンギ国際空港に着いたのは、9月30日金曜日の夕刻。 

久しぶりのチャンギ空港、その大きさにあらためて驚いた。 

空港でシンガポールドルに換金し、市内の中心オーキッドにあるホテルに電車MRTで向かった。

MRTは台湾でも乗った。MRTは今や電車・地下鉄の各国共通の呼称なのだろう。 

退社時間帯であったため電車は混んでいた。車窓からきれいな虹が見えた。 

翌日は朝から、カミサンが出発前ネットで予約していたシンガポールとマレーシアの国境の町 

ジョホールバルへツアーで出かけた。 

宿泊したホテルの裏にあるフォーシーズンホテルのロビーに7時50分集合。 

行ってみると参加者は我々以外日本から来た女性2人の4人でツアーはスタート。 

ガイドのロバーツから国境(ボーダー)超えの手続きの説明を受け、ボーダーの近くまでは 

すぐ着いた。 

ボーダーの近くになると車は大渋滞。 

ロバーツによると日常茶飯事、朝夕は毎日この状態とのこと。 

Cimg1443
日本に住む日本人は国境超えにはまったく縁がない。

アメリカのサンディエゴからメキシコに入ったとき、国境越えの経験があるが、島国以外どこの

国でも、国境超えの手続きは人々の日常生活に密着している。  

30分以上かけて渋滞を抜けだし、チェックポイントに着き、バスを降りて入管手続きを行い  

手続きが終わったあと待っていたバスに乗り、マレーシアのジョホールバルに入った。  

Cimg1444
ジョホールバルは「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれ、日本中が沸いた熱い思い出がある街。

1997年ジョホールバルで行われたサッカーFIFAワールドカップアジア最終予選の

第3代表決定戦でイランと戦い勝利し、初めてFIFAワールドカップの本戦出場を決めたという

日本にとって大変因縁のある街。

マレーシアに入ると、ロバーツに加え、ガイドはマレーシア人の女性のカンさんに代わった。  

ロバーツも親切なガイドだったが、カンさんの日本語、もてなし姿勢はすばらしかった。  

結局ふたりのガイドがついたJTBのツアーだった。 

我々プラス日本人2人でお客は4人、大きなバスで一日、ふたりがつきあってくれて、とても 

採算に合わないのではと思った。  

午後はカンさんの案内で、王宮とモスク、途中ホテルのバイキングをいただき、カルチャー 

ビレッジを訪ねた。 

カンさんはガイドの仕事には定番という感じで、行く先々で写真を撮ってくれた。 

旅行してもほとんど人物写真は撮らない我々には珍しく写真が残った。 

下はモスク。まぎれもなく、70前後の夫婦。  

Cimg1451
モスクのあと、マレー・カルチャー・ビレッジへ。 

カルチャービレッジらしく、踊りを見たり、お茶とお茶菓子をいただいたり。

いただいたお茶とお菓子はマレーシアでポピュラーなロティチャナイとテタレ。

Photo
ロティはパンのことで、油をつけて広く延ばし、パイのようにたたんで焼く。

一緒にツアーに行った女性が実演に参加した。

Cimg1475

ボクも手を離していく宙で混ぜるミルクティー、テタレの実演に参加した。

残念ながら、こちらは写真が残っていない。

テタレは道中、あちこちで何度も飲んだ。

バティック(ジャワサラサ)と呼ばれるワックスで線が引かれた絵に色を入れる作業もやった。 

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このあと、ガイドのカンさんにマレーシア側のボーダーまで送ってもらい、シンガポールへ戻り、

ホテルまで送ってもらったリチャードと別れ、ジョホールバル一日ツアーは終わった。

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