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2016年10月 8日 (土)

センチメンタル ジャーニ

先月30日、羽田を発って、シンガポール、マレーシアを回り、9日間が過ぎた。 

一昨日から、ここ、マレーシアのボルネオ島南端サラワク州の州都クチンに来ている。 

今回のシンガポール、マレーシアの旅は、まさにセンチメンタル ジャーニ。 

ここクチンは、カミサンの父親が戦争中、軍医として出征していた地のひとつ。 

義父は戦争体験を1962年に「茶羅茶羅経」という本にまとめ、書き遺している。 

本のはしがきには、以下のように書かれている。 

「3回出征し、砲煙弾雨の中をくぐり抜け、自分は負傷もせず、内地の土を踏むことができた。 

軍医だから後ろの方からひょこひょこついて行ったんだろうと言われるかもしれないが、近代戦には 

後も前もない。空からと長距離砲だから、どこにいても同じだ」 

「3回出征し、通算5年間戦地で過ごし、終戦後、フィリピンで捕虜となった」 

「帰国後は地元岡山で医院を再開、村長を1期務めた」などなど 

252ページの著作には、歴戦し経験したことがつぶさに書かれている。 

豪放磊落な人だった。 

この著作は読んだことはあったが、直接戦争の話を聞いた記憶はほとんどない。

義父が亡くなってもう30年近くになる。 

戦争の話を聴いておけばよかった、と今になってつくづく思う。 

旅の途中、久しぶりに夫婦で義父の思い出をいろいろ話した。 

クチン滞在記はまた後日書く予定。 

もうひとつセンチメンタル ジャーニである由縁は、シンガポールは95年に23歳で亡くなった

息子の因縁の地。 

息子が大学3年生のとき、カミサンと大学生だった娘3人で、夏休みにシンガポールを旅した。 

旅をプランしたのは、いま沖縄に住む娘。

娘のプランに従って、JTBかどこかのツアー旅だった。

家族3人での海外旅行はこれが初めてだった。残念ながらボクは仕事で付き合えず。

今回シンガポールに行ったのは、息子がシンガポールで歩いた場所を巡り、旅先での

息子の言動をカミサンから聞くことだった。

3人が出発する前にはこんなこともあった。

当時息子がお付き合いしていたお友だちのTさんは夏休みで郷里の青森に帰省した。

彼女が帰省したため、彼女が飼っていた金魚3匹を息子は我が家に預かっていた。

息子から「留守中、毎日このエサをやって、面倒みて」と頼まれていた。

旅行中、カミサンが我が家に電話してきた。

ボクの状況はほとんど聞くことなく、息子は「金魚にエサやってくれてる?」

夜店の金魚すくいで獲った金魚だったが、息子は大好きなTさんに面倒みるよう頼まれた手前

夏休み彼女が帰省している間、何としても守らなければならない金魚だったのだ。

金魚の話以外にも、今回カミサンからシンガポールでの息子の言動をいろいろ聞いた。

このことはまた後日。

今日は午後3時のフライトで最後の滞在地クアラルンプールに移動し、2泊して来週火曜日朝

成田着の便で帰国する予定。

今朝はカミサンはひとりで買い物に出かけ、ボクはこのあと近くにあるサラワク州の5つの

小さな博物館に行く予定。

近くのモスクからコーランが聞こえている。

毎朝5時からのコーランで目が覚める。

他にもいろいろ経験し、見聞きした。

この先ゆっくり紹介していきたい。

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