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2016年8月

2016年8月30日 (火)

楽しかった昨夜の集まり

昨夜、元の会社の仲間10人が集まり、楽しい飲み会があった。 

場所は銀座。銀座なんて今年初めて。 

出る前カミサンが心配して、iPadの地図で行き方を教えてくれた。 

そのおかげで、途中一度訊ねただけで、たどり着けた。 

ボクはまだガラケー。平素不便を感じることはないが、こういう時には「やっぱりスマホか」と思う。

集まったメンバーは10人。

ボクが1980年課長になったとき、一緒に海外を担当した人たち。

年齢幅は、ボクが73歳最年長で、一番若い仲間は57歳。

うち6人はまだ現役。

皆えらくなっていて、うれしかった。

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定年するずっと前に会ったのが最後という仲間も少なくなく、幹事の発声で「ひとり3分で近況を」

とはじまったものの、3分で終わるはずがない。

ゴルフの腕前がシングル、囲碁の腕前が相当な人、中小企業診断士として活躍・・・多士済々。

6時半にはじまった飲み会は、9時まで盛り上がりぱなし。

次回は来年春、次は女性を呼ぼうということで5人くらいの名前が挙がった。

最後に、幹事に感謝して散会。

2016年8月28日 (日)

ベイスターズ VS ジャイアンツ

昨日、ハマスタにDeNA-巨人戦を観に行った。

ベイスターズが調子がいい間にジャイアンツ戦を観に行きたいとずっと思っていた。

横須賀は小雨ぱらぱら、横浜はどうかと思い出かける前にネットでチェックした。

同じような感じなので、雨が激しくなりコールドゲームになることはないだろうと思い、出かけた。

ジャイアンツ相手だから、チケットが早く売り切れるのではないかと思い、スタジアムには

試合開始の1時間半前に行った。

甘かった、時すでに遅し、一塁側内野席チケットを買うために売り場に行ったら、既に売り切れ。

残っているのは立ち見席だけ。

立ち見席なんて初めてだが、仕方ないので立ち見席を買った。

立ち見席は一番上の席の後ろにまさに立ち見用に6~7人が入れる囲いが設けられている。

「えっ、この席が3100円。これで数時間立ってみるの」という感じ。

試合は面白かった、というか、ベイスターズが投打とも調子よく、安心して心地よく観れた。

お客の入りも大変よかった。2万7千人とのこと。ハマスタのキャパシティは3万人弱か。

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我らがDeNAの主砲、キャプテン筒香。初回に早速二塁打を放ち、打点を挙げ、昨夜は2安打。

一塁側は、筒香応援歌に酔いしれた。

横浜高校からDeNAに入り6年目、まさにベイスターズの至宝。

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ラッキーセブン、一塁側の観客席は大盛り上がり。

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それにしても3時間の立ち見は厳しい。

これからは行く日を選んで、事前にプレイガイドに行ってチケットを買わなければと思った。

ただ、立ち見席には隣りにアメリカから来た夫婦がいて、話がはずんだ。

ボクが「雨の中、数時間ずっと立って観るのは楽じゃないね」と話しかけたのがきっかけ。

カンザスシティから観光で来ていて、日本に来る前、香港で4日、日本で4日過ごし、

今日が最後の日とのこと。

初めての日本だったが、京都が良かった、また日本に来たいと言っていた。

明日朝、成田から発つ便が10時とのこと。

日本での滞在がたった4日間、その短い滞在中、野球を観に来ている夫婦、いいなぁと思った。

アメリカで活躍する日本人プレイヤー、イチローや田中などのことも色々話していた。

ゲームは9時に終わった。

結果は、7対4だったが、それ以上の点差と勢いを感じたゲームだった。

ジャイアンツは4回以降、1本もヒットなし。山口が堂々と完投勝利。

望むらくは、筒香の一発、それにリリーフエース山崎の投球を見たかった。

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終了後、本日のヒーローが呼ばれた。

手が込んだ演出。ライトを消して暗い中でのヒーローインタビューに呼ばれたのは

投のヒーロー山口、打のヒーローは4打数3安打、3打点の宮崎。

一塁側のベイスターズファンはほとんど帰らないで、最後のうれしいセレモニーを楽しんだ。

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夫婦で観に来るたびに負けて、気分よく帰れなかったことが、毎年ずっと長い間続いていた

ベイスターズ戦、昨日は気持ち良く、関内駅まで歩いて帰った。

2016年8月21日 (日)

講演会 「戦火の苦しみから学ぶ」

金曜日、逗子・葉山九条の会主催の講演会「戦火の苦しみから学ぶ」を聴きに行った。 

講演者は横須賀出身のフォトジャ-ナリストの安田菜津紀さん。 

安田菜津紀さんの名前を見て気がついたのは、毎週日曜日の朝観ているテレビ番組 

サンデーモーニングにコメンテーターとして登場している、あの安田菜津紀さんだ、と。 

40歳前後か、美人で才たけて、弱者に手を Nyasuda

差し伸べられる方であることをあらためて知った。

終戦の8月、逗子・葉山九条の会は、


地元に縁のあるすばらしい人をスピーカに 

選んだ、とうれしく思った。 

安田さんの活動の原点はカンボジャ。 

その後東南アジア、中東、アフリカと活動の 

ウイングを広げ、どの地域でも活動のテーマの 

中心は、貧困、難民、戦火を逃れた人たち、 

災害など、常に眼は弱者に向けられている。 

東日本大震災以降は、陸前高田市でさまざまな 

活動をされている。 

戦争状態にある国では、自分に何ができるかを常に自問しているとのこと。 

「医者ではないので医療には関われない。NGOのメンバーではないので組織だった活動は 

できない。フォトジャーナリストの無力さを感じることもあるが、現地の人たちに寄り添い、

現地で起きていることをひとりでも多くの人たちに伝えていくこと、それが使命である、

との思いで、活動を続けている」とのこと。 

ただ、それぞれがそれぞれの役割を持ち寄り合えば、何かができると確信している、とも。 

10人にひとりがシリアから逃れてきた難民であるヨルダンの難民キャンプで出会った家族に

ついては、多くの写真を写し出しながら話し、現場の様子が会場の参加者にしっかり伝わった。 

大変興味深かったのは、話に出てきた場所、陸前高田、カンボジャ、ヨルダン、どれもボクには 

大変縁があるところ。 

陸前高田は、NGO活動をしている亡き息子の高校の仲間Mくんに頼んで、震災3ヵ月後 

傾聴ボランティアで1週間行ったところ。カンボジャは定年退職直後に会社に頼まれJICAの 

仕事で3ヶ月間行ったところ。ヨルダンはMくんがNGOで既にもう3年以上行っているところ。 

安田さんの講演が終わったあと、会場から多くの質問が出た。 

ある男性が、大変有益な話であったことに礼を述べたあと、「安田さんの感性はどのようにして 

育まれたのでしょうか」と質問した。 

安田さんの答えは、「ちょっと答えにくい質問です。何故なら今日会場に母がきていますから」 

と笑いながら話したあと、「母は私が子供のころ、絵本を月300冊読み聞かせてくれました。 

このような原点があって、今の私があるのではないかと思います」と。

これから、サンデーモーニングで安田さんにお会いできるのが楽しみ。 

講演が終了したあと、1階のロビーでやっていた「広島・長崎原爆展」をじっくり観た。 

これまで見たことのない凄惨極まりない写真と絵がたくさん展示してあり、それぞれに 

日本語と英語の説明が付けられていた。

多くの写真を見て、ただただ暗澹たる気持ちになり、言葉がなかった。 

写真、絵、説明文、だいぶくたびれている感じだった。 

きっと、国内・海外たくさんの場所で展示されてきたのであろう。

2016年8月19日 (金)

映画「陸軍」

以前から観たいと思っていた映画。 

終戦の8月ということで、TSUTAYAでDVDを借りてきて観た。 

予想通りすばらしい映画だった。 

1944(昭和19)年12月に公開された作品。 

太平洋戦争3周年記念映画として、陸軍からの要請で制作された戦意高揚の国策映画。 

木下惠介監督。原作は火野葦平。 

出演は笠智衆、田中絹代ほか、往年の名優たち。 

当り前のことながら、みな若い。笠智衆の声はまさにあの笠智衆の声だった。 

戦意高揚一色でなく、戦時の市井の人々の姿がリアルに描かれていて、今観れば 

反戦映画にも思えた。

日清・日露の両戦争を経て満州事変に至る60年あまりを、ある家族の3代にわたる姿を

通して描いた作品。

田中絹代演じる母親のセリフ「男の子は天子様からの預かりものですから、立派に育てて

お返ししなくてはなりません」

戦場でお国のために戦死しようとも受け入れなければならないとの覚悟、当時戦時の母親の

思いであったのかと思うと、胸が熱くなった。

以下のラストシーンには涙を誘われた。

出征する日の朝、母親は近所の人に「泣くから見送りに行かない」と言う。

母の耳に軍隊ラッパが響いてくる。いてもたってもいられなくなった母は、ラッパのする方向を

めざして走り出し、大行進の中で息子の姿を探し、群衆をかき分け、涙ながらに息子の姿を

追い続ける。

セリフがないこのラストの10分間くらいのシーンを見て、あらためて強く思った。

「金輪際ゼッタイ2度と戦争をすることは許されない」と。

2016年8月15日 (月)

終戦記念日

71回目の「8月15日」が巡ってきた。 

今年も全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれ、戦没者のご冥福を祈り、平和への誓いを

新たにした。 

12時、テレビの前で、命を落とされた310万人を超える方々に、心を込めて黙祷を捧げた。 

昭和20年8月15日、きっと今日と同じように青い空で、蝉の鳴き声のうるさい暑い日だった 

ことだろう。 

戦争中のことはおろか、終戦後のことも、幼かったためほとんど覚えていない。 

朝日新聞が月1回くらい読者の声の欄で戦争体験談一色の「語りつぐ戦争」というコラムを

掲載している。 

投稿者の大半は80歳台以上の方々。 

男性の多くは、70年前の戦場での悲惨極まりない体験を克明に記憶されていて、細かく 

綴られている。 

『語りついでいかねばならない。悲惨な戦争は2度と繰り返してはならない』との強い思いで 

皆さん投稿されている。

1年前、以前から行きたかった江東区にある施設「東京大空襲・戦災資料センター」を訪ねた。

その時の印象を綴ったブログはこちら

戦争の悲惨さを後世に伝承していくため、生々しい写真や記録がたくさん展示されていて、

まさに「語りつぐ戦争」が実践されている施設。

戦争が終わり、世代は2代から3代、4代と移ってきた。 

8月は沖縄戦、全国各地の空襲、原爆、終戦と悲惨極まりない追憶がめぐってくる月である。

2016年8月13日 (土)

今日からお盆

郷里の倉敷では、お盆は8月13日から16日までだった。 

そのため、7月のお盆には違和感を感じ、5年前に墓地を求め、墓を建てたお寺さんには、 

以来毎年、8月のお盆に来ていただき、お経をあげてもらっている。 

ただ、大抵のお寺さんがそうであろうが、事前にいつ行くからとの連絡はない。

そのため、お盆のどこかで来てもらえると思い、極力家を空けず、それなりの準備をしている。

ご住職は今日2時ころ来られた。

読経していただいたあとは、毎年のことだが、カミサンも入り3人で雑談。

住職が最初に切り出した話題はポケモンGO。

自分はやらないが、お寺の近くでレアなポケモンが出るらしく、大勢の人たちが集まっている

とのこと。

あとはご家族の話。

数年前は毎年、跡取りになることを想定している息子さんを連れてこられて、勉強させていた。

「中3になり、部活が忙しく、一緒に回るのは無理になりました」と。

「この間、お墓で息子さんの友だちと思われる人が4人で来ていて、墓参りされていましたよ」

と言われた。

「きっと同期入社の仲間たちで、墓参りしたとの連絡はフェイスブックでありました」と返事。

この仲間たちは、以前はこの時期になると、毎年みんなで我が家に来てくれて、毎回真夜中まで

ワイワイ騒いでいたが、アラフォになった今では皆それぞれ職場で中堅となったこともあり、

このイベントは数年前からなくなった。

夕方、墓参りに行った。

お花と缶ビールが供えてあった。

缶ビールのブランドを見てわかった。

また、大学の仲間のKくんが遠方の相模原から来てくれたんだ、と。

2時間以上かけて、これまで何度足を運んでくれたことだろう。

そのたびに「我が家に寄って」とメールするが今回も連絡なく、遠路をひとりで来てくれた。

フェイスブックで「次回来ていただくときは、今度こそ事前に連絡して我が家に寄っていただき、

近況をお聞かせください」とメッセージを送った。

返事が届いた。

ご無沙汰してます。ちょうど今日から夏休みに入り、近くを経由しながら墓前に来させて

頂きました。次回は是非近況かねてお会いしたいと思っております。今の仕事も二年経ち、

いろんなことに挑戦しており、元気です」とうれしい返信があった。

21年経っても、こうして仲間たちが忘れず心を寄せてくれていることに対し、うれしい限りである。

夜は迎え火を焚いた。

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迎え火を焚きながら、夜空を見上げ、「今夜はあの子が来てくれているのでないか」と毎年思う。

2016年8月 9日 (火)

今年初めて海へ

酷暑が続く。

あまりの暑さに、今年初めて、我が家から車で5分くらいの小さな浜に泳ぎに行った。

この歳になっても一番好きな四季は夏。 

この浜は、人が少なく、きれいな海なので毎年泳ぎに行く。 

今日も来ていたのはカップルひと組だけ。

正面左あたりが羽田、飛行機が頻繁に離着陸するのが見える。

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山際に見える岩場まで100メートルくらい。 

シュノーケルをつけて岩場まで泳いで行き、今日も1時間くらい潜ったり、プカプカしていた。 

気持ちいいこと、この上なし。

この岩場には大きな岩がたくさんあり、海草や昆布のようなものが岩にくっついていて

ここへ行けばいろんな魚がいる。

一番たくさんいるのはカラフルなベラ。

網を持っていけば間違いなく捕れる。

ただ、ベラは白身魚で身が柔らかく、あまり美味しくないので店では売られていない。

ベラ以外はカサゴやときどき見かけるフグ、今日は一匹だけだったが、ボラではないかと

思うくらい大きな魚に出くわした。

シュノーケルで浮いたり潜ったり、とにかく気持ちがいい。

かなりの運動量で帰ってきてシャワーを浴びたら、グッタリ。

プールで2時間泳いだくらい疲れる。

この夏、あと4~5回は行きそう。

お金のかからない快適な夏の遊び。

2016年8月 7日 (日)

孫たちの夏休み ②

ガラス細工の体験が終わったあと、横浜の天王町にある割烹「とかし」へ。

「とかし」はもともと娘のダンナの馴染みのお店で、娘夫婦と孫たち、それに我々夫婦全員

長いお付き合い。

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娘と孫たち4人で行ったら、パパは既に来ていたが、カミサンはまだ。

マスターは我々のために、いろいろ準備してくれていた。

こんなでかいの見たことないというくらい大きなカキ。

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刺身の盛り合わせも、マグロのにぎりも美味しかった。

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ここまで食べても、横須賀から来るはずのカミサンは来ない。

「きっと横浜駅でポケモンGOやってて、レアキャラ見つけたんだ」などワイワイ言いながら、

待つこと30分以上。

孫たちがボクのケータイを持って「探してくる」と言い出かけ、電話がつながり見つけてきた。

カミサン曰く「我が家から駅まで歩いている途中知り合いに会いおしゃべりしてた。天王町駅

からの道を間違えた」などなど、言い訳しきり。

用意してもらっていたデザートはスイカ。

マスターと奥さんとワイワイおしゃべりしながらいただいた。

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毎度のことながら、奥さんから孫たちにプレゼント。

大きくなってきたので、今年は髪をとくブラシをいただいた。

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娘から奥さんへもプレゼント。

娘から我々にも沖縄からの土産。

まんなかの小さなビンは娘の作った商品のパッションフルーツ バター。

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横浜駅まで行き、「今度は沖縄でね」と言い、別れた。

別れ際、いつものように、孫たちが我々にハグしてくれた。

2016年8月 6日 (土)

孫たちの夏休み ①

沖縄から娘と孫たちが夏休みで帰って来た。

今年は家族で西宮や四国に行く予定が決まっていて、残念ながら我が家には泊らない。

そんな中、娘からメールがあり、「川崎にいる昔の会社の仲間がやっているガラス工房に

体験で行くんだけど、興味があれば、どうぞ。それとパパが休みなので夜はトカシで食事しない」

と誘いがあり、どちらも「行く」と返事。

ガラス工房は1時半からだったが、「あまり早く来なくてもいいよ」とメールが届き、3時ころ

見学に行った。

場所は、かつて通っていた富士通の川崎工場の近く。

娘の友だちのIさんと娘はずっとフェイスブックでつながっていて、今回の体験はフェイスブックの

やりとりで決まったようだ。

先生のIさんはマンションの1室を借りて、工房と教室をやっていて、自宅は近くにあるとのこと。

行ったら、孫たちが真剣に作業していた。

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材料は、このガラス棒。

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先生の作品がたくさん飾ってあった。

彼女は先週もガラス工芸のメッカ「小樽のがらす市」に3日間出品し、小樽に行っていたそう。

「楽しみながら大好きなガラス工芸ができ、それが仕事でシアワセ」と言っていたのを聞いて、

うれしかった。

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孫たちの作品「とんぼ玉」が出来上がった。

色の組み合わせ、グラデュエーションもできるようになっていた。

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ふたりとも3時間飽きることなくやって、「最高に面白かった。来年も絶対来たい」

来年は中学生になる姉孫は「部活休んでも来たい」と。

小3の妹孫は、「自由研究に出したい」

「最後に先生にインタビューをしたいんですが、いいですか?」と。

3つ質問をしていた。

①ガラスは何から作られるんですか ②ガラスは何度くらいで溶けるんですか ③ガラスには

どうやって色をつけるんですか。

ひとつひとつ先生が丁寧に答えてくださって、メモしていた。

実は妹孫は2か月近く前、学校の体操の時間に転んで、利き腕の右ひじを骨折して、

ギブスをしているが、左手で器用に字を書いていた。

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予定時間をかなりオーバーしたが、先生は最後までしっかり付き合ってくださって、全員で

お礼を言い、「来年もまた来ます」と、工房を後にした。

そのあと、横浜に行き、パパと合流し会食した。

長くなるので、こちらは次のブログで。

2016年8月 2日 (火)

リオといえば、思い出す

リオ五輪が3日後に迫った。

ブラジルには出張で3度行ったことがある。もう30年くらい前のこと。

そのうち1度はサンパウロからリオへ行った。

当時、航空機に積める燃料のキャパシティの関係で、日本からブラジルへの直行便はなかった。

途中、ニューヨークかペルーのリマで給油して、サンパウロへ。

ニューヨーク経由で行く時は、航空会社が空港の近くのホテルを提供してくれて、数時間休んで、

サンパウロ行きの便に乗り換えた。

ニューヨークまで長時間のフライトで疲れ、また時差で眠かったが、ホテルで寝てしまって飛行機に

乗り遅れては大変と思い、眠れなかった。

リオに行った目的が何であったかは思い出せない。

ただ、当時の駐在員だったW君かH君が撮ってくれた写真が残っている。

写真は、リオと言えばというくらい有名な丘の上の巨大なキリスト像。

写真の裏には、「コルコバードの丘にて」と書いてある。

きっと写真は後日送って下さったのであろう。

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上の写真は、像の近くで撮った写真なのでわからないが、下の写真の像の下に写っている人の

大きさと比べれば、その巨大さがわかる。

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コルコバードの丘をネットで検索してみた。

キリスト像が建てられたのは1931年、85年前。

ブラジルのポルトガルからの独立100周年を記念して建てられたもの。

コルコバードの丘の標高は710メートル。

そんな高所に資材を運び上げ、高さ40メートル、左右30メートル、重さ635トンの巨大な

キリスト像を85年前に建造したとは、とても信じられない。

きっとオリンピック放映でも、リオのシンボルであるキリスト像は紹介されることであろう。

リオと言えば、もうひとつ有名なのは、コパカバーナ海岸。

リオに行ったとき、どうしても行きたかったコパカバーナは、ビーチバレーやスイミングする

女性たちで有名な海岸。

泊るホテルはコパカバーナ海岸沿いと、駐在員にお願いして予約してもらった。

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ついでにもう少々ブラジルの話を。

最近は日本でもあちこちのイベントの出し物として珍しくなくなったが、ブラジルと言えば、

陽気に踊るサンバ。

それに、今回のリオオリンピック開催にあたって取りざたされているのが、治安。

30年前も駐在員からさんざん治安については聞かされた。

それを実感した話では、こんなことを覚えている。

駐在員のW君が休みの日にサンパウロ郊外にドライブに連れて行ってくれたときのこと。

郊外の広い道を走っていた時、交差する道の左右を見て、信号が赤であっても停まらない

毎回そのまま直進した。

不思議に思い聞いてみると、「停まったら横からピストルを持った強盗が出てきて、ホールド

アップさせられ、金品を強奪されることが珍しくないので、車が少ない道は信号で停まったら

危険なため停まらない」と話してくれた。

ドライブの帰り、サンパウロ郊外のスラム街を走ってくれたのも覚えている。

今も治安状況は当時とあまり変ってないのでは。

各国のオリンピック関係者が危険に巻き込まれることのないよう願うばかりである。

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