お別れ会
富士通の元社長 秋草 直之さんが先月18日、77歳で亡くなられた。
昨日、帝国ホテルでお別れ会があり、参列した。
秋草さんには長い間大変お世話になった。
システムエンジニア(SE)部門の総帥で、「これからはSEも海外に出ていく」との信念のもと、
SE部門で最初に海外に目を向けられた方だった。
そのSE部門でずっと秋草さんの下で長い間、海外に携わらさせていただいた。
お別れ会は12時から。11時半、予めメールで連絡を取り合っていた人たちとロビーで合流。
受付けで渡された挨拶状には以下のような功績が書かれていた。(一部紹介)
『昭和36年入社当時、まだシステムエンジニアという呼称すらなかった時代からシステム
開発の最前線の現場を歩んだ故人は、ソフト・サービス時代の先駆者と呼ぶにふさわしい
存在であった。平成10年からは代表取締役社長を務め、傑出した先見性と高邁な信念を
もって、社業を牽引するのみならず、今にいたるネットワーク社会の発展に大きく寄与して
こられた。
その間世界的な市況悪化に直面するも、果断な改革断行により未曾有の危機を乗りきられた。
こうした中にあっても、グローバルに活躍しえる人材の育成と先端技術へのあくなき挑戦を
主唱し続けた故人は、弊社の持続的発展にとどまらず、常にテクノロジーをベースとした
我が国産業全体の発展を見据えておられた』
会場に入り、献花。
最高にすばらしい遺影を前に、こうべを垂れて長い間お世話になったことに対し、心から深く
お礼を申し述べた。
そのあとはとなりの立食会場へ移動。
現役の人たちに対しては、お別れ会参加は自重するようにとの通知が出ていたようで、ほとんど
見かけなかった。
そのため大半はリタイアした人たち。
それでも参加者はおそらく2千人を超えていたであろう。
ボクは定年退職し12年。参加者のうち、退職した前からも含め長い間会っていなかった
たくさんの人たちに会えた。
おそらく、200人に近い懐かしい人たちに会い、顔はわかるが名前が出てこない人も多かった。
「昔と変わってないよ」と、多くの人たちから言われ、うれしかった。
秋草さんの写真がいろいろ掲示してあったとなりに手書きのメモが貼ってあり、びっくり。
秋草さんがまだ部長の時代に、部の女性がやった管理職人気度リスト。
まったく覚えていない。日付は81年と書かれていた。38歳のときだ。
今は厳しくてこんなことはできないだろうが、当時は職場にいろいろ遊び心があった。
これも間違いなく秋草さんの影響だった。
リストのトップには当時の秋草部長、光栄なことにボクの名前もあった。
立食パーティでたくさんの人たちと話したあと、お開きに。
会食が終わったあと秋草さんの思い出話をしようと、予め何人かの人とメールでやりとりしていた。
現役の人はダメだったが、女性3人が入り5人で、ワイワイ2時間半以上、お茶を飲みながら
秋草さんの思い出ほか、おしゃべりした。
秋草さんの思い出話ということでは、ボクもいろいろ披露した。
海外に何度も何度もご一緒したときの話、出張中にお聞きしたご家族の話、職場での秋草語録、
何度も何度も食事に連れて行ってもらったこと、秋草さんがメンバーだった田園調布のテニス
クラブに仲間と一緒に招待していただいたこと、シドニー駐在中出張で来られたとき我が家に
お招きしたこと、定年後、別に作るのをサボって孫たちと一緒に写した写真のついた年賀状を送り
1月7日ころご返事をいただいていたこと、などなど、思い出は尽きない。
あらためて、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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