« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016年5月

2016年5月31日 (火)

横須賀市民オンブズマン総会

一昨日の日曜日、横須賀市民オンブズマン設立1年目の総会を行った。 

現在会員は8名、認知度はまだまだなので、総会開催の告知をしようということで、市役所内に 

ある記者クラブでプレスリリースを行い、神奈川新聞が記事にしてくれ、あわせてミニコミ紙の

タウンニュースに依頼し、以下の記事を掲載してもらった。 

  ”市政と市議会 仕事ぶりをチェック” 

     『市政と市議会を市民の立場で監視する「横須賀市民オンブズマン」は5月29日(日) 

     活動報告を兼ねた総会を開く。一般も参加できる。 

     昨年の市議選で当選した40人の質問回数の全チェックに、各会派・無会派の質問力

     評価を行う。 

     吉田雄人市長の直近1年の政策や百条委員会を設置されていることなどにも触れる。 

     このほかに、人口40万人を割り込んだ時の市議定数のあり方や市長・副市長に 

     任期4年ごとに支払われる退職金について、参加者と論議を交わす。 

     同オンブズマンは、元横須賀市議と弁護士らで構成されている』 

当日、総会に何人参加してもらえるか楽しみであったが、参加者は男性2名、女性2名の4名と 

市議ひとりで、少々期待外れ。 

ただ、議論は盛り上がり、いろいろ質問、意見、前向きな提案が出た。 

以下、主なる討議ポイント。 

1.議員40名の質問回数を全チェック。会派代表質問、無会派議員の一般質問の質問力を評価。 

  昨年3回の定例会で一度も質問を行わなかった議員、40名中、議長・副議長を除き、 

  15名のリスト公表。 

  各議員、選挙でそれぞれ公約を掲げ、当選後は約束した公約を果たすべく活動し、 

  どの議員も活動の過程で解決すべき問題・課題に遭遇しているはずである。 

  解決すべき問題・課題を打破するために、行政当局である市に質問・提案・改善要求を

  行うことは、議員活動の基本のキである。 

  民間より高給を取りながら、その必須の行動を取らない議員は論外である。

2.市長のこの1年の政策を評価し(百条委員会を含めて)、議論した。 

3.市議定数(現在40名)の削減 

  近々、横須賀市の人口は40万人を割ると言われている。 

  数年前、人口が横須賀市を超えた藤沢市の人口は42万人、市議定数は36。 

  市議定数を減らすためのアプローチを議論した。 

4.市長・副市長の退職金 

  市長は2227万円、副市長は1421万円の「退職金」を、再任されれば、4年ごとにもらえる 

  ことが条例で決まっている。 

  一般のサラリーマンが40年以上勤めもらえる退職金を1任期4年で、市長は当選するたびに 

  何度でももらえる。 

  とんでもないくらい腹が立つ話。だが、市民はほとんどこの事実を知らない。 

  弱冠40数歳の吉田雄人市長、彼は来年の市長選に向けて着々と準備を進めている。 

市長・副市長の退職金、市議定数の削減の2点に絞り、再度ミニコミ紙タウンニュースに 

「希望者はオンブズマン月例会にオブザーバーとして参加して実態を知って欲しい」との 

記事を掲載したいと思っている。

2016年5月29日 (日)

沖縄の娘宅へ(6)

以前のブログに書いたが、ボクの沖縄の興味は、沖縄戦の戦跡巡り、それに琉球王国時代の 

遺跡を訪ねること。 

琉球時代の遺跡では、特にグスク(城)と関連遺跡群に惹かれ、たびたび訪れた。 

沖縄本土には世界遺産に認定されたグスクが9ヶ所ある。

最も知られているのは首里城跡。 

これまでに9ヶ所すべて、中には複数回行ったところもある。 

一番好きなグスクは、名護の北西の本部半島にある今帰仁(なきじん)グスク。 

今回娘たちと一緒に行ったのは勝連グスク。 

Cimg0965_3
Cimg0963_3
Cimg0968_2
3枚目の写真にあるように、勝連グスクはうるま市にある。 

うるま市は米軍基地の兵士が日本女性を殺害したことで最近しばしば取り上げられる街。 

うるま市はかつては石川市と呼ばれ、同じく呼称をコザ市から沖縄市に変えた街とともに、  

米軍の兵士がしばしば問題を起こしていた街。  

別の日にカミサンとふたりで座喜味グスクに行った。  

ここも以前来たことがある。

Cimg0980_2

Cimg0982_2

座喜味グスクはかつて城だったことが偲ばれるグスク。 

Zakimigusuku
座喜味グスクに行く前、久しぶりに残波岬に寄った。 

Cimg0978
お昼どきでお腹がすいたので、カミサンがスマホで読谷の人気の店を検索し見つけた 

残波岬の近くの花織そばで食べた。 

評判通りお客が多く、人気の食事処だった。 

沖縄料理のテビチ(豚の足)も美味しかった。 

Cimg0977

2016年5月27日 (金)

訃報に接し

かつての職場の仲間で広島に住むIさんから10日ほど前にメールが届いた。  

「中村洋四郎さんが1月23日にお亡くなりになりました。富士通のSE軍団を築きあげた   

お一人ですね。ご冥福をお祈りします」  

中村さんは取締役で、システムエンジニア集団の総帥のひとりであった。  

30年くらい前の話であるが、中村さんには忘れられない思い出がある。  

中村さんが富士通オーストラリアに初めて出張された折、会社の事務所で脳梗塞で 

倒れられた。  

東京に報せが入り、関係者は大騒ぎになった。  

出張される前、当時ボクが担当していた富士通オーストラリアの状況を詳しくレクチュアした。 

報せが入るとすぐ、当時のSE部門のトップであったK常務から、中村さんの奥さんと一緒に 

すぐシドニーに行くようにとの指示があり、急遽、奥さんに会い、大至急奥さんとボクのビザを 

申請し、翌々日に出発した。  

シドニー空港に着くと駐在員が迎えに来てくれていて、そのまま病院へ直行。 

中村さんは眠っていて、状況と容体を担当医に聞き、すぐ東京に報告。  

たしか1週間くらい滞在したが、やることは毎日これだけだった。  

中村さんの意識は翌日には戻ったが、翌々日からリハビリがはじまり、ご本人は大変だった。 

中村さんは、激務をこなすことで有名な方だった。また部下にも厳しい人だった。  

奥さんが言われていたのを覚えている。  

「家でも休みの日は朝食を食べたあとはすぐ、食卓を片づけ資料をテーブルに広げ仕事を  

はじめる人でした。毎日帰ってくるのが遅かったし、休みも一日中仕事をしていて、平素から  

体のことが心配でした」  

1週間少々経ち、担当医から帰国OKの許可が出た。  

車椅子で飛行場まで行き、そのまま飛行機に乗り、翌朝羽田空港に帰ってきた。  

空港にはK常務ほか出迎えに来ていて、そのまま入院。  

退院後は左半身に麻痺が残ったものの、しばらく静養されたのち復帰された。  

最近は年賀状をやりとりするだけになっていたが、賀状をいただくたびに、どうされている

のだろうかと、ずっと気がかりだった。  

心からご冥福をお祈りいたしたい。

2016年5月24日 (火)

沖縄の娘宅へ(5)

1週間娘宅に滞在した間、できるだけ娘の食事つくりの負担を減らすよう気配りした。 

一日はお昼、おにぎりを持ってコンビニでおかずを買って、ビーチに行って食べた。 

行ったビーチは娘宅から30分くらいの西原。 

Cimg0961
もう5年前のこと、この西原ビーチには思い出がある。 

また一日は名護に出かけた。 

この日お昼を食べたのはキャプテン カンガルーというハンバーガーショップ。 

「なに、ハンバーガーなの」と言って行った店だったが、ビックリ。 

Cimg0896_5
途中から小雨がぱらつきだした中、店の前は長い行列。 

車を見ると、その多くが「わ」と「れ」のレンタカー。 

明らかにガイドブックやSNSを見てきた人たち。 

裏の海岸をブラブラしながら、待つこと2時間近く。待った甲斐があった。 

Cimg0903
ボクのは、これ。73歳、オニオンチップスとベーコンの入ったこちらをぺろり。 

      c0215224_10313259.jpg

次の日の夜は娘宅の近くの焼鳥屋に行った。
 

いかにも近くの人たちの馴染みの店。 

Cimg1024
メニューはこれ以外にもうひとつ、ダンボールに書かれていた。味はとてもよかった。 

Cimg1026

Cimg1028_2
食べたあと家までの運転は飲んでないボク。 

まったく街灯のない曲がりくねった農道を娘のナビで帰った。 

別の日は、娘宅から40分くらい北の宜野湾マリーナで開催された 『FOOD FLEA』へ。 

沖縄県内のレストランやカフェが集結する人気のフードイベントだそうで、ベースのアメリカ人が 
多かった。
 
c0215224_16200467.jpg

c0215224_16291200.jpg

停めた車に戻る途中、姉孫が「ゴールデンウイーク中、あとひとつやりたいことがあるの。
 
GW中、31アイスでダブルが31%引きになるので行きたい」と言い、31アイスへ。
 
Cimg1047
横須賀に帰る日、パパが休みで夫婦で空港まで送ってくれた。
 
途中、空港近くの守礼そばという店に4人で寄った。
 
三線の奏でを聴きながら、沖縄そばをいただいた。
 
Cimg1065
 
Cimg1066

 

2016年5月20日 (金)

神奈川県犯罪被害者支援委員会

1ヶ月くらい前、神奈川県知事名で、神奈川県犯罪被害者支援委員会の委員の委嘱状が

送られてきた。

Cimg1079
3年前に県から要請を受け、当該委員会の委員になり、1年間、定期的に開催された委員会に 

出席した。 

神奈川県では、平成26年から30年までの5年間を犯罪被害者支援推進計画の策定と 

その実践期間と定め、取り組んでいる。 

今年は当推進計画の中間年度であり、再度委員会を構成し、その取り組みを加速させる

ことを目指している。 

当委員会の委員への就任はこのような背景から要請されたものである。 

一昨日、今年度の第1回委員会が県庁の会議室で開催された。 

大きな円形の立派な会議室で、出席者の席の手元には発言時押すボタンがついており、

定年退職者にはおよそ縁のない会議室だった。 

集まったのは、6人の委員と県庁ならびに県警関係者、合せて14名。 

6名の委員は、弁護士、産婦人科医会理事、大学教授2名、自治体課長、それに被害者 

代表としてボク。 

3年前の委員会もそうであったが、委員の中、被害者はボクだけ。 

事務局から2年間の進捗報告、中間年度ならびに残された3年間の事業計画案が説明された。 

説明を聴いて、過去2年間でかなり前に進んだとの印象を受けた。 

ならびに3年前の委員会で被害者の立場でいろいろ要求したことを、それなりに取り上げて 

取り組んでいるとの印象を持った。 

例えば、犯罪被害者に対する生活支援、自助グループ紹介など。 

3年前に比べ、性犯罪・性暴力へ力を傾注していることは大いに評価される。

「かながわ ホットライン」と呼ぶ24時間・365日受け付ける電話ホットラインを開設し、

対応に当たっている都道府県は神奈川県だけのはずである。

電話番号は、045-210-7379。

確認したら、県外からの問い合わせも受け付けるとのこと。 

説明を聴いたあと、委員に意見を求められ、いろいろ質問、意見、提案を行った。 

全国的に神奈川県は犯罪被害者支援施策は進んだ県と言える。 

中でも、かながわ犯罪被害者サポートステーションと呼ばれる県と警察が連携した組織は 

神奈川県の支援の枠組みの中核にある。 

報告を聴き、最初に指摘したのは、サポートステーションの相談・支援実績の数。 

21年度から27年度まで、相談件数、支援件数は千件に満たない数で推移している。 

現状の説明を聴くとともに、どうすれば認知度上げることができるか、広報・告知に対し 

もっといろいろ工夫が必要ではないかということで、次回以降の継続検討テーマとなった。 

事務局から、これからの課題のひとつとして、市町村の指導と連携が挙げられた。 

これについても発言した。 

横須賀市の議会で犯罪被害者支援条例を制定したく、市議会の常任委員会で陳情をしたが 

趣旨不了承(条例制定同意せず)で終わったことを披露し、あらためて請願をする方向で 

検討している旨説明した上で、市町村の指導と連携は是非とも実効あるものにして欲しいと

要請した。 

県主導で市町の担当者を集めた主幹会議も行っているとの説明があり、それに加えて、 

県から市町に出向いて担当部署に対し 出前レクチュアを行って欲しいことも要請した。  

締めくくりで、委員会の座長に「県が施策を策定しても、具体的に推進し、犯罪被害者が 

頼りにするのは自らが住む市町村の自治体である。向こう3年間の最重要テーマとして 

県と市町村の連携を提案したい」と申し入れし、受け入れられた。 

次回の委員会は7月の予定。 

今後も被害者の立場で意見を述べ、当委員会を実のあるものにしていきたい。

2016年5月18日 (水)

沖縄の娘宅へ(4)

娘宅があるのは、那覇市内から車で南へ30分弱のところにある南城市。

南城市は12年前に1町3村が合併してできた新しい市。

娘の家は合併前は村で、地名に字がついていた牧歌的雰囲気の田舎。

1週間いた間、3日毎朝6時前に起きて近くを散歩した。

横須賀の家は海のそばで朝の散歩には格好の場所で、朝早く海岸遊歩道を歩く人が

多いが、ボクはほとんど朝散歩することはない。

娘の家の近くでは、いつものことながら色々興味深いものが目に入った。

ちょうど月桃のシーズン。

Cimg1054

Cimg1056
ハイビスカスもあちこちで見かけた。ハイビスカスは赤だけでなく黄色もある。 

Cimg0971
パパイヤが娘の家の近くの道端に実をつけていた。

娘が「誰もとらないだろう」と言っていた。

Cimg1003
バナナ畑は娘の家の前にもあるし、あちこちにある。

Cimg1053
巨大な岩と生い茂った樹、こんな場所もあちこちにある。

Cimg1030
大きなお墓があった。地区の人たちを葬むるお墓のようであるが、個人の家のお墓かも。 

Cimg1010
下の石敢當(いしがんとう)があちこちにある。石敢當は、魔物が丁字路や三叉路などの

突き当たりに当たると砕け散るとされていて、魔物の侵入を防ぐ魔よけ。

Cimg1008
ある朝、散歩中早くから畑仕事をしていた同年輩の男性に会った。

「おはようございます」と声をかけたら、当然ボクは顔見知りの集落の人間ではないので、

「どこのお宅?」と聞かれた。

家の所在を話すと、家を建てたときお世話になった方のようで、いろいろ立ち話をした。

2016年5月15日 (日)

沖縄の娘宅へ(3)

沖縄戦跡巡りから一転、滞在中の孫たちとのかかわり合いについて。

3日目、娘から「週一回子供たちが通ってる体操教室を見学して、連れて帰ってきてくれない」と。

即OK。3年以上通っている妹孫の体操教室は以前にも来た時のぞいたことがある。

教室はかつて妹孫が通っていた幼稚園。

カミサンと出かけて行ったら、幼稚園の裏の園庭でサッカーボールの蹴り合いをやっていた。

Cimg0991
サッカーが終わったら2階へ移動し、体操教室。

長い間やっている妹孫は体が柔軟。先生に声をかけられ前に出てやっていた。

Cimg0992
通いはじめて間がない姉孫はまだいろいろ苦手のよう。

帰り道、姉孫が「ちょっと厳しいけど、ガンバってみる」と。

Cimg0995

Cimg0997
小学校は家から歩いて5分くらいのところにある。

8時前に出れば間に合う。

Cimg1060
学校の関係では、こんなこともあった。

娘は子供たちが幼稚園のころから読み聞かせボランティアをやっている。

今回、「お父さん、一度読み聞かせ、やってみない?」と言われ、これも即OK。

調整役の仲間の女性に伝えてくれて、妹孫のクラスで、横須賀に帰る日の朝やることになった。

姉孫が「返す本があるから、図書館に行って読む本を選んであげるよ」と。

車で、子供たちがいつも本を借りているコミュニティセンターへ。

ふたりで借りていた15冊の本を返して、姉孫が読み聞かせする本2冊、「これが面白いよ」と

選んでくれた。

 Cimg1020_2 Cimg1019

帰る日の朝、8時過ぎに学校へ。「皆さんに紹介するので」と娘がついてきてくれた。

娘から「子供たちはすぐ飽きるから、大きな声で抑揚をつけて」とアドバイスされた。

Cimg1064
女性の校長先生ほか皆さんに挨拶し、名前を書いた名札を首からぶら下げて、3年2組の教室へ。

Cimg1075
読み聞かせは先生の朝の職員会議の間、15分間。

最初に名前を黒板に書いて、飽きさせないよう、読んだことを途中質問しながら、15分ちょっとで

2冊の本の読み聞かせが終わった。

小学校の教室に入ったのは60年以上ぶりか(笑)

娘がこっそり廊下から写真を撮ってくれていた。

20160509081956_resized

終わったあと、関係されている方々に「いい経験をさせていただきました」とお礼を言った。

「お嬢さんのところに来られたときは、またぜひやってください」と。

娘が、妹孫が書いた本読みカードをメールで送ってくれた。

20160509_194833

2016年5月13日 (金)

沖縄の娘宅へ(2)

沖縄には、数度の現役時代の出張含め、プライベートの旅、それに娘宅の訪問すべてで

20回近く行っているのでは。 

その中で、いつの間にか旅のテーマになったのは、沖縄戦の戦跡にまつわる場所を訪ねること、

それと琉球時代の史跡を訪ねることのふたつ。 

今回も2つのテーマにまつわる場所をあちこち訪ねた。 

娘宅に行った翌日、娘と孫たちそれにカミサンは那覇に出かけた。 

ディズニー映画のズートピアを観て、お昼は串焼き食べ放題の店でランチ、そのあと 

ショッピングと、朝ウキウキしながら出かけて行った。 

ボクは借りたレンタカーでひとりで戦跡巡り。 

先ずは何度も行ったことのある糸満の平和祈念公園の平和の礎へ。 

祈念公園の駐車場に車を停め、近くでお花を買った。

公園には沖縄戦で亡くなられたすべての方々、約25万人のお名前が地区毎に刻まれた

「平和の礎(いしじ)」がある。

沖縄戦終結50周年を記念して、1995年6月23日に建てられた。 

Cimg0914
当時は全国多くの地域でそうであったのであろうが、人の名前(主に女の人の名前か)に 

カマドやナベやウシなど家の中のものの名称がつけられていた名前が珍しくない。 

また土地・地区の名前と苗字が同じであった家族も多い(例えば、知念、糸数) 

Cimg0916_2
昨年の6月23日、沖縄戦終結70年目の「慰霊の日」にネットで見た「平和の礎」を掃除する 

子供たちの写真が心に残っている。 

Ishiji

平和の礎のあと、初めて裏手にある摩文仁の丘へ上った。 

終戦直前、多くの人々が逃げ惑い田舎道を抜けて、本島南端の摩文仁までやって来た。 

摩文仁の丘には全国各県の慰霊碑に加えて、戦争を逃れ生還された方々が、亡くなった 

戦友を悼み建てられた碑があった。 

上はニューギニアのブーゲンビル島、下はフィリピンのミンダナオ島の碑。 

Cimg0920

Cimg0923

下は、一家全滅し弔う人のいない家族を慰霊する「しづたまの碑」 

Cimg0922
摩文仁の丘を越えた先に行きたいところがあった。

急な坂道を下り、沖縄師範学校男子部生徒を祀る健児の塔へ。

Cimg0930

Cimg0931
健児の塔の裏手の急な山道には巨大な岩と健児の学徒が自決した壕があった。

Cimg0933
急な山道の途中には、沖縄でガマと呼ばれる洞窟があった。

ガマは沖縄のあちこちの戦跡にあり、戦火を逃れた住民が兵隊とともに身を寄せた。

このガマの入口には「第三十二軍司令部終焉之地」と書かれていた。

地上戦による米軍の猛攻で沖縄の各陣地は陥落、首里にあった司令部も45年5月30日、

摩文仁のこの壕へと後退した。

Cimg0924
近くには第三十二軍司令部慰霊碑「勇魂の碑」が建てられている。

Cimg0939
45年6月23日午前4時30分、牛島司令官はこの壕にて自決、それを追って、他の司令部将校も

自決し、日本軍の組織的な戦いは終わった。

このことから、6月23日を沖縄では「慰霊の日」と定めている。

摩文仁の丘の眼下には美しい海が広がる。

45年6月23日もこの風景は変わらなかったことだろう。

Cimg0942

摩文仁の丘のあともう1ヶ所どうしても行きたかったところがあり、そちらに移動した。

お腹がすいてきたので、今ごろ4人は串焼き食べ放題を食べているのではと思いながら

コンビニに寄って弁当を買い、車の中で食べた。

訪ねた先は、ひめゆりの塔の近くの魂魄の塔

この一帯は米軍が最も激しく攻め込んだ地区で、最も多くの住民が亡くなった場所である。

Cimg0948_2

Konpaku01_2

初めて知った。かつてこの村の村長だった金城和信さんのことを。

上記の碑にも書かれているが、「魂魄の塔」だけでなく金城さんは「ひめゆりの塔」

「健児の塔」を建てられたことを。

金城ご夫妻は沖縄戦の戦没者と遺族のためにその生涯を捧げられた。

Cimg0953

2016年5月10日 (火)

沖縄の娘宅へ(1)

ちょうど1年ぶりに沖縄の娘宅へ。  

最近は娘が超多忙のため、暇人の訪問は歓迎されず、OKの返事がなかなか出ない。 

GW中は仕事を休むということで、やっとOKが出て、2日の月曜日から沖縄に。  

以前は貸してくれていた車も「レンタカーを借りて」と言われ、今回もフェイスブックの仲間の 

とよみレンタカーのオーナーの雨宮さんにフェイスブックのメッセンジャーで予約メールを送った。  

電話がかかってきて「申し訳ないですが、GW中は予約がいっぱいで、仲間うちで連絡を 

取り合いながら調整していますが、どこも予約でいっぱいで」と。  

とよみレンタカーは空港から10分くらいのところにあり、空港の送迎はやってもらえるし、 

対応が良く、お勧めのレンタカー屋さん。 

娘にその旨連絡したら、「だったら知り合いのレンタカー屋さんに当たってみる」と。  

沖縄に移住し、間もなく7年。顔が大変広くなっている。  

間もなく、「大丈夫、借りられた」と連絡があった。  

借りる車はいつも軽。夫婦ふたりだから軽で十分。沖縄は圧倒的に軽、小型車が多い。 

レンタカーのナンバーは数年前までは「わ」だけだったが、数が増えてきて「わ」だけでは 

対応できなくなり、新しく「れ」ナンバーが追加された。  

中国、韓国からの旅行者はこれまではチャーターしたバスツアーが中心だったが、個人旅が増え、 

レンタカーの数が増えた一因のようだ。  

7年近く経つと、家族の生活も大きく変わり、孫たちも当然成長した。  

7年前横浜から移り住んできたとき借りたアパートに引っ越したとき孫たちはこんな感じだった。  

Rimg0404
それが、7年経った今は、小学校6年生と3年生。  

Papakara

アパートに6年間住んだあと、1年前に住んでいたアパートから歩いて10分くらいのところに 

家を建てた。 

昨年来たとき新築直後だった家は、1年間で内装、庭の植栽が大幅に良くなっていた。  

ボクと違いパパは家の中の造作、庭造りではオールマイティ。 

そのやる気と学習する姿勢には常々敬服している。 

庭はこんな感じになっていた。遠方には海が臨める。 

Cimg1034
となりは、バナナとサトウキビ畑。

野菜作りはパパと娘。とうもろこし、トマト、枝豆など。 

Cimg1037
大きなパパイヤがふたつ実をつけていた。 

娘が我々が来るまで取らないで、帰るとき持たせてくれることになっている。 

Cimg0910
行った日の夕食はみんなで2階のベランダでバーベキュー。 

Cimg0877

前日、パパが子供たちを連れて釣りに行き、3人でたくさん釣ってきた沖縄の県魚グルクンも 

焼いて食べた。 

Cimg0875

2016年5月 1日 (日)

犯罪被害者支援条例

我が街、横須賀で「犯罪被害者支援条例」を制定したいとの思いから、昨年12月市議会の

生活環境常任委員会に陳情し、意見陳述したことは、12月10日のブログ「市議会で陳述」に

書いた。

ここで言う犯罪被害者は、凶悪犯罪のみならず、性犯罪、交通事犯など刑法で認知される

幅広い犯罪被害者を指す。

12月のブログには、「10人の委員(議員)が市民安全部に諸々質問し、質疑は50分間に及び

やりとりは大いに盛り上がったものの、結果は5会派が趣旨不了承(条例制定不要)で、

残念ながら、審査は終了した」と書いた。

結果ならびに所轄部局である市民安全部の対応に納得がいかず、6月議会でリベンジしたい、

今度は請願の申立てをしようと思い、ずっと作戦を考えてきた。

これまでの議会傍聴を通し、見識の高さと明解な論理展開に敬服していたX議員に、今後の

進め方を相談するため、昨日午前、議員の事務所を訪ねた。

9時から2時間以上、大変有意義な意見交換ができた。

初めて会ったX議員であったが、波長がぴったりあう人で、「社会正義の観点から大いに

必要なことである」との意見で、とても良い議論ができ、貴重なアドバイス、特に役所と

議会へのアプローチの仕方について納得いく意見をいただいた。

進め方としては、ボクが考えていたように自ら請願を出すのではなく、多数会派の議員の

キィマンに相談し、議員発議の形で請願を出してもらう方向で進めることが決まった。

議員発議で請願を出すやりかたは、最近議員の中でも意識が盛り上がってきており、今まさに

俎上にのぼっている中学校給食条例はその最たるものである。

このやり方で進めていけば、12月議会ではすべてを自分でやった陳情と違い、うまく根回しし、

議会にリーダーシップをとってもらい、結果的に実を取る方向で進められそうである。

ボクの作業負荷も減るし、結果が出せる可能性はより高くなると確信する。

具体的に進め方の案を練り直し、Xさんと議論を重ね、何とか初志貫徹したいとの思いである。

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
フォト