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2016年1月

2016年1月29日 (金)

大学の仲間の集まりでスピーチ

大学時代、寮で一緒だった仲間の飲み会を定期的にやっていることは、何度かブログに書いた。 

50年以上前に一緒だった仲間が、年4回、有楽町の帝劇の地下にある大学のクラブに集まり、 

歓談している。 

惜春会と呼ぶこの集まりはもう10年以上続いており、ボクは万年幹事。 

毎回メンバーの誰かが自分の好みでテーマを選んで話す、というスタイルも5年以上続いている。 

今年第1回目の惜春会が火曜日に開かれた。  

珍しく、2桁10人のメンバーが集まった。  

この日はスピーカーが誰も手を挙げなかったため、幹事のボクが話すことになった。  

選んだテーマは、準備があまり必要なく話せるテーマということで、「英語との関わり」  

1970年初富士通がはじめた海外コンピュータービジネスから話を切り出し、1974年  

31歳で希望して赴任した富士通オーストラリアでの3年間の駐在経験、その後携わった  

海外ビジネスについて話した。  

赴任し即英語力不足を痛感し、移民向けの夜間英語クラスへ通ったこと、自分なりに  

どのようなステップで聴く・話す・読む・書くを徐々に進めていったか、それなりにバリアを 

超えられたかなと思うようになったのは赴任2年後であったこと、言葉の習得=徹底的に

真似ることであると認識したこと、しっかり書くことができるようになれば、話す・聴くはついて

くると思ったことなどを話した。 

オーストラリア人との交流も自らの経験をいろいろ話した。 

駐在3ヵ月後、英語も心許ない時期、職場の仲間に女房、子供を紹介したく、家に15人くらい 

カップルで呼び、日本食の立食ディナーをやったこと、駐在中家族同士で呼んで呼ばれての 

機会がいろいろあったこと、帰国してからも出張で来日した富士通オーストラリアの仲間を 

たびたび我が家に招待したこと、なども話した。 

話を聞いていた仲間は異口同音に「奥さんが大変だった。よくやってくれたよ。亭主は好きで 

やってたんだろうけど」 「奥さんに感謝しないと」 

たしかに若かったとは言え、カミサンは本当によくやってくれた。 

今は人を呼びたいと言っても、「ダメ」の一言で終わり。 

英語との接点ということでは、定年後もラッキーなことに、横須賀米軍基地に勤める隣人が 

近所に何人かいて会話の機会にはこと欠かない。 

また、NHKのラジオ英語講座を3年以上聴いていることも英語との接点維持に役立っている。 

英語に興味を持つ動機付けは、会社が与えてくれたプレゼントであったんだと最近よく思う。

2016年1月24日 (日)

小林 節氏講演会

安倍政権に真っ向から向き合い安保法制反対を発信し続けている憲法学者で慶応大学

名誉教授 小林節さんの講演会を、ヨコスカベイサイドポケットに聴きに行った。  

小林さんは、昨年6月の衆議員憲法審査会で「安保法制は憲法違反」の判断を示した3名の 

憲法学者の一人。  

憲法の基本理念・立憲主義を壊す安倍政権に果敢に立ち向かい、連日「安保法」廃止に向け 

精力的に動いている。  

講演会の案内のタイトルは「戦争法を廃止して民主主義を取り戻す」  

主催は、戦争に行かない、誰1人行かせない、横須賀ALLs。  

「横須賀ALLs」は、米軍基地のある街、自衛隊の基地の街横須賀から安保法(戦争法)を 

廃止させようと、宗教者、弁護士、学者、市議、小さい子のママ、戦争体験者などで結成された会。  

つい先日、小林節さんの呼びかけで、「立憲政治を取り戻す国民運動委員会」(民間立憲臨調)が  

憲法学者・弁護士・市民運動家・俳優・アイドルなど200人で立ち上がったと報じられていた。 

委員会は、安倍政権が成立させた安保法案は違憲だとする立場から、立憲主義の大切さを 

発信していくとのこと。 

この日の小林さんの話も、「立憲政治を取り戻す国民運動委員会」の話題からはじまった。 

安倍首相に何度も言っている、「憲法を何だと考えるのか」と。 

小林さんは何度も「安倍王朝」という表現を使い安倍さんは総理大臣でなく王様的存在であること 

彼は憲法はときの権力者が使いこなすものであると考えていること、アメリカ一辺倒の政治姿勢 

などなど、多くの時間を割いて、事例を織り混ぜながら話された。 

その上で、小林さんの主張は、 

 「現状は打破できる。紙と鉛筆で。選挙で勝てば次のステップに進める」 

 「野党共闘は複雑に考えてはだめだ。最後ひとりに絞ればいいのだ。当面衆議院は 

 現状のままとし、とにかく勝負は7月の参議院選。全国32の一人区で自民・公明勢力に 

 勝つこと」 

 「そのことを説きながら全国を行脚している。日本列島3周目に入った」 

 「憲法を無視する政治家は許さないとの気概を持って、主権を取り戻し、主権者として 

 幸福を追求していくため、現状に鉄鎚を下す」 

とき同じくして、金曜日の朝日新聞の天声人語が、小林さん中心に立ち上げた「立憲政治を 

取り戻す国民運動委員会」を論じていた。 

曰く、「立憲主義の大切さを発信していくことが、なぜ大切か。民主主義という仕組みは 

必要不可欠だが、十分ではない。歴史上、民主的に選ばれた政権が専制的な政治を始めた 

例は多い。人権の抑圧のように、時の多数派であっても、決してしてはならないことを憲法で 

決めておき、民主主義の暴走を防ぐのが立憲主義だ。委員会はまさに”立憲主義の否定、 

民主主義の暴走”と安保法制を断じる。立憲主義とは何か。すべての前提となる議論が尽く 

されていない」と。 

講演会が終わったあと、「横須賀ALLs」のメンバーが壇上で行動宣言を行った。 

 ・全国で行われている「戦争法廃止」を求める2000万筆署名に横須賀市民も参加し、 

  市内で7万筆集める。 

 ・米軍基地の街、自衛隊の街横須賀で自衛隊員を戦争に送らない。 

 ・選挙に行こう。子供を守ろう。

2016年1月22日 (金)

錦織、セカンドウイークへ

今朝の錦織の全豪オープンテニス第3戦、世界ランク27位のスペインのガルシアロペスに

勝って、来週のセカンドウイークの準々決勝に5年連続で進むことになった。

全豪は、時差のある全米やウインブルドンに比べ、2時間の時差のメルボルンで行われるため、

テレビ観戦がスゴイ楽。

1回戦、2回戦、3回戦すべてを観てきたが、いずれも朝の9時スタート。

当然勝ち上がっていくほど、相手は強敵。

1回戦の世界ランク34位のコールシュライバー、2回戦の103位のクライチェク、いずれにも

落したセットはなく、3-0で勝ち上がってきて、今朝のガルシアロペス戦を迎えた。

27位のベテラン、ガルシアロペスは強敵だった。

7-5、2-6、6-3、6-4で勝利したものの、1試合、2試合とも2時間以内で終わらせたが、

今朝のガルシアロペス戦は2時間48分だったことからも、かなりの苦戦であったことがうかがえる。

1試合目、2試合目に比べ、サーブで腐心することが多かった。またネットに出ることも多かった。

1セット目の第7ゲーム目にブレークを許し、その後4-5になったあと、ブレークバックして、

結果、第1セットを7-5で取ったのが大きかった。

ただ、第1セット終了後、メディカルタイムアウトをとり、右手首の治療を受けた。

そのあとの第2セット、フォアハンドミスが目立ち、2-6で取られ、今日のゲームはここが

一番心配だった。

思わず、立ってテレビの前に近づき、「よし、いいぞ!」と声を上げながら観戦した。

ただ、追い込まれたときの錦織には、世界の超一流プレイヤの強さを感じる。

第2セットのあとは、第3セット6-3、第4セット6-4、安心して観ていられた。

これで5年連続ベスト16に進出。

この先はセカンドウイーク。

これまで1日おきで試合のあった今週と違い、週末が休める。

鋭気を養い、セカンドウイークに挑んで欲しい。

数年前、錦織が「勝てない相手はもういないと思う・・・」と言ったのを覚えている。

心技体が充実し、試合経験を十分に積んだ今の錦織には頂点が極められるのではと思う。

2016年1月20日 (水)

オンブズマン定例会

昨年5月に発足した横須賀市民オンブズマン、半年少々経ち目覚ましい成果とは言えない  

ものの、いくつかの活動実績は上げることができ、今年はなお一層結果が出せればと思う。 

核になるメンバーは4人。  

そのうちひとりは弁護士で常時多忙のため、月1回、第3日曜日の夜6時、彼の事務所に  

集まり、今後の活動予定を中心に最長1時間半をメドに打ち合わせをしている。  

メンバー4人が集まり、先日の日曜日にやった今年初めての打ち合わせでは、以前から  

議論してきたことも含め、以下を中心に今後の進め方を話し合った。  

 ①事務局メンバーと議会傍聴について  

  現在メンバーは全部で9人。  

  積極的にメンバーを増やそうとはしてないものの、年4回の議会を傍聴をして、先々  

  結果を議員採点票にしていくためには、もう少々メンバー増が必要か。  

 ②議員の質問の良否、市長の答弁への突っ込み、成果が引き出せたかどうかの評価を  

  明確にするため、議員の質問採点票を見直すことになった。  

 ③あらためて議会事務局のホームページを検証して、請願・意見書・問責決議などに  

  明示されている各議員の諾否の確認。  

 ④議会開催直前に議会事務局がホームページに掲げる質問する議員の発言通告書を  

  読み、傍聴するに値するかどうかを判断。  

 ⑤百条委員会「吉田市長の不透明な市政運営に関する検査特別委員会」の注視と傍聴。 

そのほか新しく決まったアクション事項は、  

 ①支出済みの政務活動費の調査  

   手始めに、過去の海外出張を中心に、出張の必要性と成果の検証。  

 ②市長、副市長など特別職の退職金の妥当性。

2016年1月16日 (土)

映画「戦場ぬ止み」

沖縄の米軍辺野古基地闘争を描いた映画。

作品のタイトルは沖縄のことばでいくさば ぬ とぅどぅみ

辺野古のゲート前フェンスに掲げられた琉歌の一節。

逗子市の九条の会が主催した「いのちと平和を考える映画祭」で、逗子市の文化プラザで

上映されたドキュメンタリー映画。

この映画を観たくて熱海から横須賀に帰ってきた。

監督は女性の三上智恵さん。

三上さんが映画の紹介で書いている。

 『基地は訓練をする場所で、日本はずっと戦争をしていない。そう思わされ、都合良く目を

 背けてきた日本人に、70年間封じ込められてきた沖縄の呻きをぶつけなければならない。

 そこから語り直さなければ届かないのだと、19年沖縄の放送局にいて痛感しました。

 この映画は、沖縄の負担を減らして欲しいなどという生やさしいものを描いてはいません。

 知事を先頭に、国と全面対決してでも沖縄が止めたいものは、日本という国で息を吹き返そう

 としている「戦争」そのものです。

 それが見えているから沖縄は屈しません。辺野古のゲートや海上で彼らに襲いかかってくる

 権力は、警察、防衛局、海上保安庁にその姿を変え、素手の県民を押さえつけます。

 でも、いくら押さえられても、その口は歌を唄う。怒りの絶頂を瞬時に笑いに変え、気力を

 盛り返す。撮影しながら、私は確かに地鳴りを聞きました。揺り起こされた「島ぐるみ闘争」の

 震動は、やがて激震となって本土に到達するでしょう』

129分の作品に終始一貫描かれているのは、沖縄住民の辺野古基地建設反対闘争。

基地を作るのは防衛局だが、住民の前に立ちはだかるのは沖縄県警機動隊と民間警備会社。

大浦湾を防衛局と海上保安庁の大船団が包囲し、建設に抗議するわずかな船とカヌー隊を

制圧した。

国策に引き裂かれ、直接ぶつかり合うのは県民同士。

「私を轢き殺してから行きなさい」と工事車両の前に身を投げ出したのは、あの沖縄戦を

生き延びた85歳のおばあ。彼女にとって沖縄はずっといくさの島、それを押し付けるのは

日本政府。

翁長知事が圧勝、続く衆院選でも民意を叩きつけた。しかし国策は止まらない。

最初から最後まで、やるせない気持ちと無力感、それに、もちろんずっと怒りを感じながら

画面を見続けた。

ただ、救いだったのは、三上監督が描くのは激しい対立だけではなく、基地と折り合って

生きざるをえなかった地域の人々の思いと来し方。苦難の歴史のなかでも大切に育まれた

豊かな文化や暮らし。厳しい闘争の最中でも絶えることのない歌とユーモア。いくさに翻弄され

続けた70年に終止符を打ちたいという沖縄の切なる願いを、世界に問うている。

去年は沖縄戦にまつわる映画「うりずんの雨」、日本が負担する在日米軍駐留経費にまつわる

映画「ザ・思いやり」を観た。

3本の映画、それぞれ主題は違うが、いずれも深く考えさせられる作品だった。

2016年1月15日 (金)

熱海を引きあげ

11日月曜日、横須賀に帰ってきた。

結局、年末年始18日間熱海にいたことになる。

カミサンは「歯医者さんの予約日を替えたので、もうしばらくいる」と言い、ボクは予定があり

テニスにも行きたいので、ひとりで帰ってきた。

横須賀は寒く、食事も作らないとダメなので、楽さぐあいはずっと違う。

昨年末、喪中の挨拶状を出しておいたので、届かないと思っていた年賀状が10枚くらい

届いていて、寒中見舞いを出すことにした。

昨日、3週間ぶりにテニスコートに行って、びっくり。

暮れの30日に大変な出来事があったと聞き、驚いた。

コートでプレイしていた仲間のひとりが急性心筋梗塞で倒れ、救急車で運ばれたが、いまだに

意識が戻らないとのこと。

彼とボクは同じ歳。20年以上付き合いがある。

大変元気でテニスもアグレッシブ、統率力もあるためテニスクラブの会長を務めている。

倒れ息が止まったが、仲間が人工呼吸をし、一時息を取り戻したが、運ばれた救急車の

中でまた息が止まり、そのあと意識が戻らないとのこと。

大変心配である。あのアグレッシブなプレイ姿をぜひまた見せて欲しい。

暮れの30日には、これまた30年来のお付き合いがあった、80歳の先輩Oさんが

亡くなったとのこと。

Oさんもテニスをこよなく愛する人だった。

体調を崩し、最近はプレイすることは無理だった。

コートに行ってみんなに会いたいと先月顔を見せたのが最後だったとのこと。

亡くなったとの連絡は届いたものの、送りは家族だけで、ということで年明け早々家族葬で

送られたそうだ。

Oさんは人に教えるのが好きだった。

辛口で「いつまでたっても上手くならないなぁ」と言いながら教えてもらったのが懐かしい。

ボクも含め仲間がみんな歳を重ねた。

「誰に何があってもおかしくないねぇ」と言いながら、Oさんの思い出を語り合った。

2016年1月12日 (火)

あちこち山歩き(3)

東海道線上りで熱海から40分くらいのところにある二宮に行った。 

二宮ではこの時期、菜の花と水仙が咲き誇り、天気が良ければ富士山をバックに楽しめる。 

一昨日の朝日新聞の1面に二宮の吾妻山の菜の花と富士山が紹介されていた。 

記事では、「暖冬の影響で菜の花の開花が例年より半月近く早く、6万株の菜の花が満開」 

と、きれいな写真付きで紹介されていた。 

ボクが行った日は曇天の夕方であったため、残念ながら富士山はまったく見えず。 

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吾妻山の頂上からは相模湾が一望できる。 

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途中の道には水仙が群生。 

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この時期の花と言えば、熱海は梅。 

別の日、我が家から15分くらいのところにある熱海梅園へ早咲きの梅を見に行った。 

3連休であったため、人が多かった。 

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梅園のあと近くの山を歩いた。 

この山はマンションの裏方面にあり、目指すは頂にあるライオンズ マンション。 

途中、熱海の中心街が一望できる、大好きな場所でしばらく休憩。 

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そのあと、頼朝通りと呼ばれる道をずっと歩き、海がきれいに臨めるシニアの施設と  

かんぽの宿を通り帰ってきた。

この日も1万歩を超えた。 

それに、古い熱海の風情を感じるウオーキングルートを新たに見つけ、ラッキー。

2016年1月10日 (日)

あちこち山歩き(2)

我が家の最寄り駅は、伊東線で熱海の次の駅、来宮。 

来宮から伊東線に乗り、山歩きを目指し、二つ目の駅、網代と三つ目の駅、宇佐美に出かけた。 

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先ず、網代駅で下車。ここはまだ熱海。 

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駅前の案内板を見ると、ハイキングコースが6つ紹介されていた。 

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距離と道中の高低差により、初心者、初級、中級に分かれている。

初めてでもあるので、往復1時間弱の「うすづき山ハイキングコース」を選んだ。

駅前から続く家並を抜け、表示に従い歩いて、ハイキングコースへ。

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コースは足を踏み外せば、やばいと感じる細い山道で、歩いている人は誰もいない。

もしもここで足を踏み外せば・・・、ケータイでカミサンに連絡する以外ないが、ここの場所が

わかるかなぁ、と思いながら山道を歩いた。

無事、眺望の開けた山の頂に。

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駅まで帰る途中の店でミカンを買った。

店の奥さんが「うちでとれたミカンです。甘いですよ」

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網代はまた来れば、他のハイキングコースにもチャレンジできる。

網代のあと、次の駅、宇佐美で下車。

伊東線の電車は、朝夕以外は1時間に2本。

そのため、時刻表をケータイで写メしておいた。

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宇佐美からは伊東市。

駅前の表示板には、海水浴、みかん狩り、ハイキングがウリと書かれていた。

駅から海が近く、息子の仲間がサーフボードに乗りにきていた場所としてなじみがあった。

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ただ、案内図を見ても、これはという場所はない。

さりとて、もうハイキングはいい。

お寺の表示が多く、お寺を観ながら町を歩くことにした。

2ヶ所のお寺に参拝した。

2ヶ所とも、とてもいい感じのお寺だった。

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帰って歩数計を見ると、1万2千歩超、気持ち良い山歩き、里歩きができた。

2016年1月 8日 (金)

あちこち山歩き(1)

今年も熱海で年越し。

熱海は海だけでなく、山も多く、山歩きコースには事欠かない。

新年早々は体調がすぐれず、毎年元日に参詣する氏神様の来宮神社に参拝したのは4日。

そのあと、毎年お参りするのは丹那神社。

丹那神社は丹那トンネル工事で殉職された人たちを祀る小さな神社 Cimg9267_2

トンネル工事に着工したのは1918年。

工事は難航を極め、いく多の困難を乗り越え、67名の尊い犠牲者を出し、1933年に

トンネルは貫通。翌34年に現在の東海道本線が開通した。

犠牲者の中には徴用された韓国の方々も多く、碑は韓国語、英語で記されている。

読むたびに、心に深く重く響く。

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トンネルの長さは8km弱、新幹線で通ってもその長さを実感する。

お参りするたびに、先人の尊い犠牲のもと、我々が恩恵に与れていることに対し、心から

謝意を述べる。

殉職碑から家までは、新幹線、東海道本線の線路の下を通る地下通路を通って帰る。

通路を出たところにはもうひとつ殉職碑があり、こちらにも必ず手を合わせる。

丹那トンネルの殉職碑は鉄道省が建てたものだが、こちらの碑は有志によって

建てられたもの。

殉職した方は、国府津保線区に勤務していた人で、集中豪雨の中、作業にあたり、

高圧線に感電し、濁流にのまれて亡くなったと記されている。

仲間の不慮の死を悼み、同僚により、ひっそりした場所に建てられた碑を見るたびに

じーんとくる。

周りの雰囲気から今ではもうお参りする人もあまりいないことがうかがい知れる。

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このようにたくさんの方々の尊い犠牲のもと、今の我々があることに対し、心の中で深く

感謝の気持ちを捧げる。

2016年1月 5日 (火)

新年早々

2日から風邪気味で、数日熱っぽく下痢に悩まされダウン状態だったが、今日やっと復活。

今年は暮れから正月、年末年始の日巡りが悪く、働く人たちには最悪、昨日4日が月曜日で

仕事始めだった。

テレビでは年初定番のニュース、帰省した子供、孫と、祖父母のしばしの別れの姿が

たびたび放映されていた。

我がことのようによーくわかる。

仕事始めに縁がなくなり、もう10年以上。

とは言え、4日はやはり気になった。

「今ごろ全国のそこらじゅうで”明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い

しますの挨拶が交わされていることだろう」、と。

自分の現役時代を考えてみると、正月明けは休みが取りにくかった。

休暇を取ったあと出勤し、ピント外れのタイミングで「あけましておめでとうございます」

を言うのは、気まずかった。

そのため、帰省しても、初出の日に合わせ戻ってきて、出勤したものだった。

20年以上前は、初出の日は着物姿の女性も少なくなく、新年という感じがした。

今はどうなんだろう。

仕事もお昼まで。午後は麻雀、これが初日のスタートだった。

そんな初出の日、今は昔。

先ず、全員パソコンを立ち上げ、メールの処理から仕事がスタートという初日であろう。

「あけましておめでとうございます」の挨拶と言えば、退職したら言う機会がなくなる。

今年元旦、「あけましておめでとうございます」を言った人は、数人。

朝起きたときカミサンに言い、あとは会った知り合いに言っただけ。

考えてみると、新年の挨拶をしていたのは、ほとんど会社の人たちだったのだ。

ということで、リタイアしたら、お正月もいろいろ様変わりする。

2016年1月 1日 (金)

年があらたまり

新年を迎え、今年こそやれれば、やりたい、と思うことを3つ。

ひとつ目は、終活元年。

去年も何人かの女性から「ダンナが何も書き遺してくれないままいなくなったので

何をどうすればいいか困っている」との話を聞いた。

寿命は延びたというものの、ボクも今年は73歳。

ガンさえ免れれば、しばらくは大丈夫とは思うものの、自分しかわかってないことや

自分の思いをメモに残しておくことは、いくら早くてもいい。

時間の経過とともに追加、更新していけばいい。

今年こそ終活初版をつくろう。

ふたつ目は、断捨離。

とにかく今年は捨てること、処分することに真面目に取り組もう。

必要なことは、先送りしないというやる気、それに思い切る気持ちだけ。

捨てて、後悔したり、跡を引くものは、家の中にはそんなにない。

聞いたことがある。

断捨離に最も効果的なことは引っ越し。

だが、引越しの意思がない以上、断捨離、やるしかない。

近くの知り合いから聞いた。

XXXへ電話すれば、不燃ゴミ、紙ゴミ、粗大ゴミ何でもトラックいっぱいXXX円で

持って行ってくれる、と。

断捨離やらなくて困るのは残った人。

娘にはゼッタイ迷惑をかけたくない。

みっつ目は、少々次元が違うが、正しい姿勢の維持。

そもそもの良くない姿勢が歳とともに、じじくさくなってきていることはよくわかっている。

基本は胸をはる姿勢。とともに腰を伸ばす。

胸をはれば腰はおのずと伸びる。

それに加えて、あごを引き、歩幅を大きく。

この三つが基本だと思い、意識はするものの、すぐ忘れゆるんでしまう。

きっとこの1年、ゆるみ、ハッとし、直し、またゆるみを数知れず繰り返すことだろう。

それの積み重ねで、しっかり体が覚えてくれればと思う。

最後は番外。

人の行為に対し、感謝する心を持ち続けること。

これは先日我が家に来て3泊した孫たちからあらためて教えられた。

今までは感じなかったことであるが、孫たちの口から、ささいなことに対してでも、

びっくりするくらいスッと「ありがとう」が出てきて、これは見習わなければと思った。

4つの中では、これが一番てっとり早くできる。

以上、欲張り過ぎのような気がするが、この1年で少しでも前に進めばうれしい。

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