大学の仲間の集まりでスピーチ
大学時代、寮で一緒だった仲間の飲み会を定期的にやっていることは、何度かブログに書いた。
50年以上前に一緒だった仲間が、年4回、有楽町の帝劇の地下にある大学のクラブに集まり、
歓談している。
惜春会と呼ぶこの集まりはもう10年以上続いており、ボクは万年幹事。
毎回メンバーの誰かが自分の好みでテーマを選んで話す、というスタイルも5年以上続いている。
今年第1回目の惜春会が火曜日に開かれた。
珍しく、2桁10人のメンバーが集まった。
この日はスピーカーが誰も手を挙げなかったため、幹事のボクが話すことになった。
選んだテーマは、準備があまり必要なく話せるテーマということで、「英語との関わり」
1970年初富士通がはじめた海外コンピュータービジネスから話を切り出し、1974年
31歳で希望して赴任した富士通オーストラリアでの3年間の駐在経験、その後携わった
海外ビジネスについて話した。
赴任し即英語力不足を痛感し、移民向けの夜間英語クラスへ通ったこと、自分なりに
どのようなステップで聴く・話す・読む・書くを徐々に進めていったか、それなりにバリアを
超えられたかなと思うようになったのは赴任2年後であったこと、言葉の習得=徹底的に
真似ることであると認識したこと、しっかり書くことができるようになれば、話す・聴くはついて
くると思ったことなどを話した。
オーストラリア人との交流も自らの経験をいろいろ話した。
駐在3ヵ月後、英語も心許ない時期、職場の仲間に女房、子供を紹介したく、家に15人くらい
カップルで呼び、日本食の立食ディナーをやったこと、駐在中家族同士で呼んで呼ばれての
機会がいろいろあったこと、帰国してからも出張で来日した富士通オーストラリアの仲間を
たびたび我が家に招待したこと、なども話した。
話を聞いていた仲間は異口同音に「奥さんが大変だった。よくやってくれたよ。亭主は好きで
やってたんだろうけど」 「奥さんに感謝しないと」
たしかに若かったとは言え、カミサンは本当によくやってくれた。
今は人を呼びたいと言っても、「ダメ」の一言で終わり。
英語との接点ということでは、定年後もラッキーなことに、横須賀米軍基地に勤める隣人が
近所に何人かいて会話の機会にはこと欠かない。
また、NHKのラジオ英語講座を3年以上聴いていることも英語との接点維持に役立っている。
英語に興味を持つ動機付けは、会社が与えてくれたプレゼントであったんだと最近よく思う。
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