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2015年12月

2015年12月31日 (木)

娘たちの帰省 その2

娘たちが来る前からカミサンが「連れて行きたい」と言っていたのは、御殿場高原リゾート

時之栖(ときのすみか)

カミサンは以前から、時之栖に御殿場高原ビールを飲みに行きたいと言っていた。

ちょうど、ウインターイルミネーションの時期で子供たちに見せたいし、お肉を食べさせたい

ということで、娘とメールでやりとりしながら、行き方ほか調べていた。

娘から「御殿場に行くのであればアウトレットモールにも行こう」と提案があり、であれば

「クリスマスプレゼントを用意していないので、アウトレットモールで子供たちに選ばせよう」

とのボクの提案も受け入れられ、御殿場行きが決まった。

朝9時に家を出て、電車で沼津へ。

沼津から御殿場線に乗り換え、先ず御殿場アウトレットモールへ。

30分くらい乗った御殿場線では、道中ずっと正面に富士山が臨めた。

ただ、天気は良かったものの、山の上部に雲がかかり、残念ながら大好きな富士山の

雄姿は見えず。

御殿場駅で降りて、アウトレットモール行きの無料シャトルバスに乗り換え。

アジア系外国人含め、バスはいっぱい。

アウトレットモールに着いたあと、待ち合せ時間と場所を決め、娘と孫たちとは別行動。

我々ふたりは最近産まれた知り合いの男の子へのプレゼントを探しにディズニーの店へ。

そのあとレストランで食事。

同席になった若い夫婦と会話。

品川から3千円でシャトルバスに乗ってきたとのこと。

食事をすませ、ブラブラ歩いていたら、娘たちとばったり。

孫たちのリクエストでみんなでディズニーの店へ。

姉孫はここでクリスマスプレゼントに下の写真のバッグを選んだ。

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妹孫から「ソニープラザで目をつけたものがある」と言い、プラザでUFOのおもちゃをゲット。

ふたりは帰る途中、何度も何度も買ったものを出しては見、出しては見していた。

これで、赤ちゃんのプレゼント、ふたりのクリスマスプレゼントが買え、ボクはブラブラ歩くのが

疲れ、天気が良く暖かだったので、ベンチに座り30分くらいぐっすり昼寝。

そのあと5時ころの無料シャトルバスに乗り、時之栖へ。

時之栖はさまざまな施設のある、まさにリゾート。

辺鄙なところにあるのに、車やバスで来たたくさんの人でいっぱい。

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目指すはレストラン。

ドイツのビアレストランの雰囲気の店だった。

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カミサンは念願の御殿場高原ビールを。

娘は3種類のビールを愉しんでいた。

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ステーキ、ムール貝、チキンほか全員いっぱい食べた。

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子供たちはデザートを。

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こうして、数日遅れのクリスマスショッピング、クリスマスディナーを全員楽しみ、3泊した

娘たちは帰って行った。

2015年12月30日 (水)

娘たちの帰省

れのこの時期、毎年恒例となった娘と孫たちが、3泊4日で我が家にやってきた。  

来る前から、あとX日で来る、来たときはXXXをしよう、と夫婦で楽しみに待っていた。  

小学校5年生と2年生の女の子ふたり、ふたりはますます仲良しになり、ウマもぴったり合う。 

当たり前のことながら、性格や好みは違う。  

我が家に来たら、平素家ではやらせてもらえないことがやれて、ふたりはこれが一番の楽しみ。  

例えば、iPadでゲーム。  

朝ふたり早く目を覚まし、暗い中でiPadを探していたが見つからず、諦めて寝ていた日もあった。  

姉孫がカミサンのスマフォでゲームをしていたこともあった。  

プレステで初めてやったプヨプヨにも興奮し、「これ、おもしろい!」と喜んで遊んでいた。  

妹孫が朝早く起き、ボクのフトンに潜り込んできて、いろいろ話してくれた。  

家族4人と我々夫婦の誕生日、それにパパとママの結婚記念日、我々の結婚記念日すべて 

覚えていて、びっくり。たしかに全部合っていた。

子供の海綿体のような脳にあらためて驚き。 

クラスで保健委員をやっていることも教えてくれた。保健委員はお友だちがお腹や頭が痛く

なったら、保健室に連れて行くのが役目だそうだ。 

来た翌日、お弁当を持って、娘と孫ふたりの4人でバスに乗り、姫の沢公園のアスレチック

広場に行った。とにかく広い。この日の歩数計、1万7千歩。 

石ころゴロゴロの登り道では、スイスイ先を行く孫ふたりに追いつかず、差がつくばかり。

ほぼ65歳違う歳の差を痛感した。 

定期的にテニスと水泳をやってるのにと思いはするものの、体力は片や上り坂真っただ中、

片や下り坂真っただ中、娘から仕方ないよと慰められた。

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2015年12月26日 (土)

映画「ザ・思いやり」

知り合いに誘われて、アメリカ人監督制作の映画ザ・思いやり」を観て、監督の話を聴いた。 

「思いやり予算」という言葉は聞いたことがありますか? 

1978年からだから、もう40年近く、日本が負担する在日米軍駐留経費のこと。 

一昨日の新聞に報じられていたように、決定した来年度の思いやり予算は1920億円。 

16~20年までの思いやり予算の総額は、何と9465億円、ほぼ1兆円という大変な支出となる。 

消費税増税で国民の負担が増える上に、東北大震災の復興にはまだまだ多額のお金が 

必要となる。加えて、最近決まった軽減税率導入に必要な財源は1兆円。 

思いやり予算の年間2000億円の半分でもいいから振り替えて欲しい、と思ってしまう。 

また、思いやり予算は、特に米軍横須賀基地がある我が街には大変関心のあるテーマ。 

そんな思いを持って、映画と監督の話を楽しみに、市民プラザの大学習室に聴きに行った。 

同じ思いを持って来ていた人で会場はいっぱい。シニア中心に200人を超える人が集まっていた。

配布されたパンフレットに書いてあった映画が訴えるポイントは、

「思いやり予算」の疑問に挑む。

 ・日本の経済が困難な状況の中、日本人はここまでアメリカ軍を思いやらなければならない

  のでしょうか?

 ・34年以上もの間、アメリカとの条約においては一切義務付けられていない「思いやり予算」は

  日本人が自ら働いて支払っている税金からアメリカ軍に34年間で6兆円以上が投入され

  年間、米兵ひとりあたり1300万円と膨大な額を支給し、アメリカ軍人のぜいたくな生活を

  支援するために、そのほとんどが使われている。

 ・この映画では、米軍への「思いやり予算」の不条理さと矛盾を提示し、さまざまな視点から

  日本国民に問いを投げかけていく。

パンフレットは続く。

  日本の税金が在日米軍のために、このように↓使われていることを。

  在日米軍家庭のための住宅、小・中学校、教会、銀行、ゴルフ場、マクドナルド・・・など

  電気・水道・ガスは使い放題でタダ、有料道路料金もすべてタダ。

  米兵による凶悪・凶悪事件の補償金にも使われていることを。

監督で主演のアメリカ人 リラン・バクレーさんはテキサス州出身、35年前高校生のとき

初めて来日しホームステイした。アメリカ人の奥さんと4人家族で22年間海老名に住み

厚木基地の爆音の中で過ごしている。定期的に基地前でもアピールを続けている。

平和的にアピールを続けていけば、関心がない人にも解ってもらえ、日本から米軍基地が

なくなる日が、いつの日にか来ると信じて活動を続けている。

対策を提示することを趣旨に、映画の第2弾を創る準備を進めているとのこと。

映画(日本語字幕付き)も、監督の日本語での話も、とてもすばらしかった。

87分間の映画はまったく時間の長さを感じなかった。

監督のスピーチのあと、個人的に聞きたいことがあり、ひとつ質問をした。

「映画の中で、Sympathy Budget(同情予算)という言葉が何度も出てきたが、この言葉は

基地の中のアメリカ人にはそのまま話せないのでは?」

監督の返事は「もちろん!Sympathy Budgetという表現は使えない。Sympathy Budgetは

ボクの作った言葉」

映画と講演を通して新しく知ったことがたくさんあるとともに、米軍駐留による抑止力効果と

費やしている貴重な多額の財源のバランスをどう考えていくか、簡単には語れる問題では

ないが、中長期的視野に立って日本として考えていかなければならないとあらためて思った。

2015年12月23日 (水)

忘年会、これが最後

日曜日、横須賀市民オンブズマンメンバーの忘年会があり、今年の忘年会はこれで終わり。 

忘年会の前に今年最後の例会を行った。  

初めてメンバー8人(うち女性2人)全員が揃った。  

弁護士ふたり、5月に市議を退いた人ひとり、あとは5人の市民メンバー。  

例会では、先ず不要不急の市長の訪米費用の返還を求める住民監査請求の結果が

報告された。 

予想通り、監査委員会は監査請求を承認せず。

ただ、費用を一切かけることなく、新聞も取り上げてくれ、これまでこのような類の住民監査

請求はなかったことであろうから、市長に対してはプレッシャーをかけることができ、やった

意味は十分にあった。  

議会定例会の議員の一般質問を傍聴し、質問内容、突っ込み・追求の鋭さ、市長から  

結果を引き出せたかどうか等を評価・採点する議員採点表について議論した。  

12月議会で、質問した13人の議員のうち、ボクが傍聴し、採点したのは9人。  

他にふたりが傍聴した結果と印象を議論し、ボクの考えたベスト3とワースト3を披露した。

傍聴しなかった4人の議員については、今回傍聴しなかったメンバーが市議会の録画を観て

評価・採点することになった。 

今後とも傍聴は分担して続け、情報が集まったところで、発表方法を考え、結果を公表する  

方向で進めることが決まった。  

そのためにも、もう少々メンバーを増やした方がいいということになった。  

議員採点表以外の来年のテーマは、政務活動費のサンプル調査、市長の政治資金調査、 

それに再来年の統一地方選挙に向けて、現在41人の議員定数の削減と適正人数の検討、 

陳情・請願の実態調査と改善の余地の検討など。  

6月にスタートした市民オンブズマン活動は順調に滑り出した感じ。  

例会が終わったあと忘年会。  

忘年会ではオンブズマン活動はあまり話題にならず、和気あいあいの中、さまざまな話題、  

雑談で盛り上がった。  

来年のオンブズマン活動が楽しみである。

2015年12月20日 (日)

お悔やみ

喪中の挨拶状をいただき、昨日、会社で4年先輩だったNさんのお宅にお悔やみに伺った。

最寄駅の花屋さんで寄せ植えのお花をあつらえてもらい持参した。

奥さんとお会いするのは初めて。

先ず、仏前に手を合わさせていただき、遅れたことを詫びた。

マンションの14階、明るい陽光の差し込む部屋で、いろいろお話を伺った。

ガンであることが判明したのは昨年後半。

転移が早く、3月に亡くなられた。

ご長男が癌センターに勤務する医師で、出来る限りの手は尽くしたものの、無念な結果に

終わったとのこと。

Nさんとのお付き合いは長い。

去年の夏には、もうひとりの会社の同僚とともに横須賀に訪ねてきて下さって、3人で会食し、

それぞれの近況、やりたいことなど大いに話が盛り上がった。

古くはオーストラリアに駐在していたころからのお付き合いである。

Nさんは長期の出張でシドニーに赴任され、我が家にも何度も来ていただいた。

英語が大変好きで堪能で、それ以外にも多趣味な方だった。

そのため、シドニーでは、束の間の単身生活を嬉々として楽しんでおられた。

当時、一緒に撮った写真が残っていたはずだと思い、古いアルバムから1枚の写真を

見つけ、昨日奥さんにお持ちした。

1975年、40年前。全員若い。

我々夫婦にはさまれたNさん36歳、ボクが32歳、カミサン28歳。

Sydney

Nさんは何事にも熱中する方だった。

60歳過ぎてはじめた囲碁の腕前が急速に上達し、最後は4段、あちこちの大会で

優勝された。

奥さんのお話だと「東京オリンピックでフランス語の通訳をすることが夢だった」とのこと。

Nさんは書くことも大変好きだった。

昨日奥さんが見せてくださったのは、ガンを発症した以降の症状の経過、病との闘い、心情

それにもうひとつ、自らの晩年の生きざまと家族・親族への想い。

それぞれ5ページくらいにまとめられていて、じっくり読ませていただいた。

こんなこともあった。

去年、小説を書いたので、と自作を送ってくださった。 

日米をまたにかけたラブロマンスの中編小説だった。

このことは「会社の先輩から届いた本」のタイトルでブログにも書いた。

奥さんといろいろ話に花が咲き、Nさん宅には2時間半以上長居した。

あらためて、Nさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

2015年12月19日 (土)

X'mas飾り付け

朝起きて2階へ上がったら、昨夜カミサンがこの時期恒例のクリスマスの飾り付けをしていた。

リビングの戸棚の上には平素置いてないものが並べられていた。

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中央の青と白の陶器の水差しはスペインに駐在していた人が帰国し、我が家を訪ねてきて

くださったときいただいたもの。

その左の陶器の人形はボクがスペインに出張したとき買ってきたもの。

その左のブルーの皿はカミサンと石垣島に行ったとき工房で手作りしたもの。

その左の置物は、出張でイギリスに行ったとき買ったもの。

壁にかかった絵は、カミサンが昔やっていた赤ペン先生の添削のバイトで貯めたお金で

買ったもの。

右のワインラックには何本かワインが入っていたが、息子の仲間が来て飲んで行った。

この写真だけ載せておけば、ごちゃごちゃしたリビングは見えない。

出窓にもいろいろ並べてあった。

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真ん中にあるのはカミサンが刺繍教室に通って作った作品。

テレビをつけてソファに座り、よくもこんなにと思うくらい細かい作業をいつもやっている。

その上にはクリスマスのオーナメントがぶら下がっている。

刺繍の前には知り合いの女性から届いたクリスマスカード。

現役時代には英語のクリスマスカードは結構送っていたし、届いていたが、今年はこれ

ひとつだけ。

まぁ、やりとりしていた相手もみんな歳を取った証拠。

毎年楽しませてくれるシクラメンが今年はイマイチ。

こちらも出窓の手前の雑然としたダイニングテーブルは写真に入れていない。

今年の目標だった断捨離、結局手付かずで終わった。来年こそはやろう。

2015年12月17日 (木)

圧巻、X'masイルミネーション

今年もあと2週間、「暮れも押し詰まって」という会話がそろそろ聞かれる時期になってきた。 

今月はじめころから我が家の周りは、思わずスゴイと声の出るようなすばらしいX'mas 

イルミネーションが飾られはじめた。 

圧巻なのは、道を隔てて斜め前の米軍横須賀基地(ベース)勤務のアルネールとマリア宅。 

一般家庭でこんなX'masイルミネーションを見たのははじめて。 

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アルネールは10月31日のハローウイン・ナイトの飾りつけでも楽しませてくれた。

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今回のX'masイルミネーションはその比ではない。 

我が家の前のロンとマービック宅も早くからX'masイルミネーションの飾り付けをはじめた。 

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我が家の1軒隣りの懇意にしているSさん宅も毎年X'masイルミネーションの飾り付けをし 

近隣では目立つ飾り付けだった。 

Sさんと立ち話したとき、「今年のX'masイルミネーションは?」と聞いたら、「いやー、前の家に 

圧倒されて、今年はやらない」 

アメリカ人宅が近くにあるため、毎年この時期にはほのぼのした気持ちになり、愉しませて 

もらえる。

2015年12月15日 (火)

またまた映画の話

9月2日のブログ「映画を観続けて11年」でリタイアしたあと観た映画のことを書いた。

それに続いて、今回も映画の話。

ブログを書いたあと、知り合いに勧められ、TSUTAYAで借りてきて観たイギリス映画

「おみおくりの作法」も、とてもいい作品だった。

先日、会社で同じ職場だった仲間のNさんから、印象に残った映画のリストがメールで

送られてきた。

メールにはこう書いてあった。

 『ツタヤのネット貸し出しで、この2年でこの5倍くらい観ました。

 花房さんのリストにあったものもありますし、既に観られたものも多いと思います。

 (洋画のベスト5のうち4つは入っております。邦画もまだ感想は書いておりませんが

 最近、「春との旅」「1枚のハガキ」も観ました。特に、「春との旅」の仲代達也が良かった

 ですね) また、いい映画があれば教えてください』

送られてきたリストはLIST.docx」をダウンロード

洋画4作以外にもリストに掲載されていてボクも観た作品がいろいろあった。

2人の間で好み、感性は相通じるところがあるようだ。

リストに載っている作品のうち興味を引く作品はTSUTAYAで借りてきて観よう。

かつて妹とも良かった映画の情報交換はやっていた。

自分の情報網だけでなく、知り合いから教えられる映画情報は貴重である。

2015年12月12日 (土)

忘年会、みっつめ

忘年会は結局、日月火曜日3日間続いた。

こんなの初めて。

リタイアして11年。いまだにこうして声をかけていただけるのはうれしい。

3回目の忘年会は、町田市を中心に活動するNPO法人アクティブSITAの月例会のあと

行われた。

アクティブSITAは地元の人たちにIT指導を行うシニアのアドバイザー集団。

今回は仲間のNさんとふたりで当番幹事。

今月の例会は、勉強会が中心だった。

テーマは「認知症サポーター養成講座」

講師は、地元町田の社会福祉法人の方。講演は1時間半。

あちこちに出向いて講演されている方で、大変よく整理されたわかりやすい話だった。

参加者は30人くらい。

皆きっと、今は大丈夫だが、いずれはと思うとともに、いつごろからかなぁと思いながら

話を聞いたことだろう。

終わったあと手短に月例会をやり、諸々報告があったあと、 シニア情報生活アドバイザー

第1回合格者の認定証授与式を行ったあと、居酒屋に席を移し、8時過ぎから15人参加し

忘年会。

こちらはいつもと同じ、無礼講でワイワイ盛り上がった。

全員、町田ないしは近くに在住。

ボクだけ2時間近くかけて帰らないとだめ。

10時過ぎ、幹事の相方のNさんにあとを任せ、帰宅の途についた。

忘年会はあと1回、20日に横須賀市民オンブズマンの集まりがあり、これで終わり。

2015年12月10日 (木)

市議会で陳述

犯罪被害者支援条例の制定を要望する陳情書を横須賀市議会に出したことは、

11月14日のブログに書いた。

あわせてこのブログに、当陳情は12月4日の生活環境常任委員会で取り上げられ、

委員会で10名の委員に陳述することが決まったことも書いた。

4日予定通り、委員会で陳述した。

与えられた時間は15分。

議会事務局の担当者から、陳述する内容を漏れなく話せるよう、しゃべる内容を文書に

まとめ、それを読み上げることを薦められた。

目安として1分でしゃべれるのは300文字とのアドバイスももらった。

前日夜、仕上げた文書を何度か読み上げて、15分に収まることを確認した。

当日の委員会では、言いたかったことは全部言え、打ち切られることなく15分以内で

陳述できた。

陳述終了後は予想通りの展開であった。

所轄部局である市民安全部、地域安全課の部長、課長はやっていることを並べたてて、

現行の条例から犯罪被害者支援部分を 取りだし、別建てにすることに対しては、その

意思なしと発言した。

そのあと10人の委員(議員)が市民安全部に諸々質問。

質疑は50分間続き、やりとりは大いに盛り上がった。

途中、陳述者は口をはさむことを許されない。

質疑が終了したところで採決。

10人の委員の構成は6会派プラス無会派の議員ひとり。

結果は、共産党議員と無会派議員のふたりが趣旨了承(条例制定必要)

5会派は趣旨不了承(条例制定不要)で、残念ながら、審査は終了した。

陳情のバリアーは高く、要望が通るためには、全会派、全議員が趣旨を了承する

必要がある。

ただ、現行の条例をこれほど議員の間で議論したことはなかったであろうから、陳情は

大いに意味があったと思っている。

自治体で犯罪被害者支援条例を制定する動きは、徐々ではあるが全国に広まりつつある。

世の中の気運が一層高まり、タイミングがくれば、あのとき陳情した者がいた ということで、

今回投げた石はきっと波紋を広げると思う。

不満足な結果に終わったが、達成感、充足感は十分にあった。

 あわせて、個人的には得難い貴重な経験をしたとの思い。

PS 今日市議会事務局で、昨年1年間に出された陳情件数と結果について聞いてきた。

   陳情件数19件  趣旨了承 ゼロ、審査終了 13件、残りは俎上にのぼらず。

   陳情が認められ、次のステップに進んだ件数が1年間でゼロとは。

   市民のガス抜きとは思いたくないが、どうしてここまでバリアーが高いのか。

2015年12月 8日 (火)

忘年会、ふたつめ

昨夜、元いた会社富士通で海外に関係していたOBと現役のメンバー合わせて30人くらいが

集まり、忘年会をやった。

会場は北青山、表参道駅近くのイタリアンレストランの2階を借り切った。

あの迷路の渋谷駅から歩いて行けるかどうか自信がなかった。

案の定迷って、途中歩いていた女性に聞くと、すぐスマフォで検索して教えてくれた。

縁がないスマフォ、働いていたら、なしではやっていけないんだと、あらためて思った。

会場に着くと、大半が集まり既にみんな歓談中。

リタイアして11年、顔はほぼ全員わかるが名前が出てこない人が少なくない。

昨夜の主役は下の写真の真ん中の渡辺さん。

渡辺さんは今年喜寿の77歳。集まった中、多くの人が渡辺さんにはお世話になった。

かつてニフティの社長で、今は大手IT企業の監査役。

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写真左は数か月に1度やっている会食で会うフェイスブック仲間の小田さん。右は萩原くん。

小田さんは富士通の中でも抜群の英語の達人。今は帰国子女などいるためわからないが

当時3万人くらいいた社員の中でトップではないかと思っていた。

萩原くんには、今年オフクロの一周忌で倉敷に帰省する新幹線の中で声をかけられびっくりした。

そのときはまだ富士通に勤めていた。「辞めたら自分で事業を興す予定で準備をしている」

と話していた。もらった名刺を見て、考えていた通り事業をはじめたことを知った。

名刺には、虎ノ門の共同通信会館に事務所があり、ビジネスコンサルティング、海外営業支援、

経営管理士、事業再生スペシャリスト、M&Aスペシャリストと書かれていた。

また、当時、事務職だった女性のOさんが税理士になり、三鷹に税理士事務所を構えていると

ご本人から聞き、名刺をいただいた。

厳しいご時世、現役の人たちそれぞれが自分の思いが叶うようにと願った。

この日集まったのは、かつての3つのグループ。

必ずしも全員が周知の仲ではなく、また年齢層もかなり開きがあった。

そのため全員がそれぞれしゃべるのではなく、グループ毎にひとりがグループメンバーを

紹介するスタイルをとった。ボクはSE(システムエンジニア)グループのメンバーを紹介した。

そのあと何人かが渡辺さんとの思い出話をしゃべり、喜寿のお祝いの花束を渡し、全員で

写真を撮り、楽しい会はお開きに。

参加者のひとりに富士通オーストラリアから日本に出向してきているCraig Batyがいた。

クレイグとは長い間家族ぐるみで付き合っている。

クレイグ、奥さんのロビンとふたりの子供たち、カミサンを入れて近いうちに会おうと約束して

別れた。

2015年12月 7日 (月)

忘年会、ひとつめ

昨日は1時から横浜で今年一回目の忘年会があった。

この時期集まってワイワイやる元会社の仲間5人。

平素はまったく音信なし。

12月になると幹事のSさんからメールが届き、毎年同じ横浜高島屋前に集まる。

例年平日に集まるのだが、6人のおじいたち、それぞれ予定があって、やっと全員OKの

昨日に決まった。

前もって店を予約するわけでもなく、ぶらぶら歩いて適当な店に入る。

この日も横浜駅からちょっと離れた居酒屋。

1年経っても全員変わりなし。

今年は体調の話やどこか具合が悪いなどの話はほとんど出ることなく、「みんな、顔つやが

いいなぁ」と誰かが言っていた。

家族で旅行した話、家庭菜園でたくさんの野菜を作っていて野菜を買うことがないなどの

話が出たが、あとから考えてみると何を話したか思い出せない。

3時間近くとめどもなく話し、笑い、という感じだった。

居酒屋のあとは、いつものパターン、マックでお茶。

日曜日なのでマックは混んでいた。

やっと見つけた席は6人座れないので、となりに座っていた女性ふたりに席をずらして

もらった。

このあと、このふたりの女性とワイワイ盛り上がった。

来年はこの集まりにふたりを招待することが決まり、ふたりがそれぞれ彼を連れてきて

6人だったグループは一気に10人になることになった。

これまでなかった会の名前は、年に1度集まることから、七夕会に決まった。

女性のひとりはテニスのインストラクター、もうひとりは歯科医院勤務。

うちひとりはかつて我が家の近くに住んでいたそう。

おじい6人は全員ガラケー、女性のスマフォで近くの人に頼んで写真を撮ってもらった。

夜、メッセージといっしょに写真が幹事のSさんに届いた。

  こちらこそ、ありがとうございました!

  私たちも楽しかったです♪

  写真が無事に届いて安心しました!

  皆さまも体調に気をつけて元気にお過ごし下さい。

  来年の七夕会楽しみにしてます!

故事ことわざの「袖振り合うも多生の縁」を教えたが、来年まで覚えているかどうか。

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2015年12月 6日 (日)

講演会参加

知り合いが主催する講演会に誘われ参加した。 

テーマは「安保法案が成立した今、軍隊の本質を知る」 

「帝国海軍は日中戦争と対米戦で何をしたのか」 

講師は、日中戦争史研究家 都留文科大学教授 笠原十九司さん。 

案内には、「安倍政権によるアメリカのための戦争協力法が成立してしまった今こそ、 

軍隊の本質を知ることが大事。歴史から学び、かつ戦争や軍隊の実相と本質を知り、 

煽られず、騙されないようにし、再び国民が犠牲にならぬよう、知識をもって、好戦的政府を 

断固忌避したい」 

講演者の著作「海軍の日中戦争ーアジア太平洋戦争への自滅のシナリオ」(平凡社2015年) 

講演では卑劣・狡猾な海軍の体質が語られた。 

 ※  当時意図的に流布された海軍は陸軍に比べ「平和的、開明的、国際的」であるとする 

   「海軍善玉論」は、戦後の日本人の歴史認識として定着 

 ※ 戦後、海軍首脳部の自省、「陸軍は暴力犯、海軍は知能犯。いずれも陸海軍あるを 

   知って、国あるを忘れていた」 

   「海軍首脳部は陸軍に対抗していかに多くの海軍軍事費を獲得し、軍備を拡張するか、 

    海軍組織のことばかり考えていて、国家の存亡や国民の命は二の次」 

   「海軍は国防という本来の任務から乖離し、組織を肥大化させることを自己目的にした。 

    海軍あって、国家なしだった」 

   「海軍中央でヒト、モノ、カネが取れる軍人が出世した。予算を獲得するには、軍事的 

    衝突の危機が必要であった。海軍の作戦が国策に決まれば、臨時軍事費がドーンと 

    取れ、好きな軍備がどんどんできた」 

 ※ 海軍は同一の学校(海軍兵学校、海軍大学校)を卒業した者によってのみ上層幹部を 

    独占し、天皇の統帥権に保障され、軍国日本の特権階級を形成したエリート軍官僚組織。 

 ※ 海軍全体が、国の命運や国家利益、さらには国防よりも組織的利益優先させた強い 

    セクショナリズム集団。海軍組織全体とくに上層部の結束した秘密保持体制。 

    海軍に不利・不都合な情報は部外に漏らさないという不文律を厳守。 

 ※ 日本の敗戦前後に海軍の戦争責任に係る膨大な記録・資料を徹底して焼却・隠滅。 

    海軍の謀略や侵略・加害の事実を告発する内部からの「証言封じ」に成功。 

 ※ 東京裁判対策が証明するように、海軍は軍中央の指導者を守るためには、「偽証」 

    までさせて、現地指揮官を犠牲にして恥じない「冷酷な体質」を備えていた。 

 ※ 「冷酷な体質」は、出撃したら生きて帰還することを許さない特攻兵器・人間魚雷や 

   神風特攻作戦を考案し、それを海軍中央が認めた「非人間性」につながっていた。 

 ※ 戦後、海軍はその卑劣な狡猾さから、天皇と海軍の免責に奔走。 

多くの参加者が、安倍政権と相通じるところがあるのではないか、と思ったはず。 

講演後の質疑もその点に集中した。 

歴史を知ることで、同じ轍を絶対に踏まないよう国民が声を上げていくこと、との講演者の 

コメントに多くの参加者が納得した。

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