箱根から郷里の倉敷へ(1)
箱根で一泊したあとそのまま、水曜日から2泊で倉敷に帰省した。
目的は小学校の恩師を囲んだミニ同窓会に参加するため、それに墓参り。
2ヶ月くらい前、倉敷の幼馴染のMくんから手紙が届いた。
日付を見ると、何とラッキーなことに、その前から決まっていた箱根旅行の翌日から
一泊で、倉敷で同窓会をするとの連絡。
Mくんに「参加する」と即電話した。
水曜日夕方5時前に着く新幹線で倉敷へ。
駅前から、ホテルの小型バスで宿泊する瀬戸内海沿いの鷲羽ハイランドホテルへ。
途中、M先生をピックアップし、バスの中で早速みんなで盛り上がる。
M先生は86歳。我々教え子より、ひとまわり以上うえ。
いや、お元気。3年前にお会いしたときとほとんど変わらない。
バスの中で、早速元気の秘訣をいろいろ披露された。
記憶力も驚くばかり。
我々含め教え子の名前はもちろんのこと、消息含めすらすら出てくる。
車で直接ホテルに着いた仲間も入れて、総勢13名、男女は9名と4名。
13名中、関東3名、関西4名、地元6名。
ホテルに着いて先ずは、眼下に瀬戸大橋が見える最上階の温泉へ。
みんなが写真や文集などいろいろ持ってきてくれていた。
60年前、昭和30年(1955年)。先生も若い、26歳。
クラスの生徒数も多い。数えると51人。
亡くなった仲間も少なくなかった。
集まった仲間は、お互い自然に昔の呼び名が出てくる。
キヨシさん、タマちゃん、カズミさん、メイコちゃん、ユウちゃん・・・
小学校の仲間だから、広域には住んでいなかったため、町内の名前を言えば、全員
地区のイメージは浮かんでくる。
「あそこの前の道を行った左」とか「あの路地の奥」とかで、だいたいみんなわかる。
ボクの家があった通りに住んでいた女性が、13人中2人いた。
1学年はたぶん400人くらいだったのだろう。
60年経ってこうして参加できる人たちは、いろんな意味で恵まれている。
世話役をやってくれたMくんの持つ仲間の人脈はすごい。
Mくんのケータイに入っている仲間にMくんが電話し、「いくらかけてもタダだから、みんなで
電話まわして」と言い、参加していない仲間たちとも会話ができた。
「次は、先生の傘寿の祝い」と言いながら、この夜は散会に。
翌朝、朝食後、バスで倉敷駅まで送ってもらい、ボクは電車で岡山に住む妹のところに行き
一泊し、昨日1週間ぶりに横須賀に帰ってきた。
帰省2日目のことは、次のブログで。
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