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2015年10月

2015年10月31日 (土)

ハローウイン・ナイト

今日10月31日はハローウイン。

週末とも重なり、渋谷は大変な盛り上がりのよう。

我が家の近所でもハローウインの飾りつけが。 

クリスマスと違い、飾りつけはまだ横須賀米海軍基地(ベース)に勤める米国人宅が中心。 

斜め前のフェルナンデス家も飾り付けをして、6時から子供たちが来る、と奥さんのマリアと 

楽しみにしていた。 

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フェルナンデス家に来た子たちが我が家にも流れてきて、あり合わせのお菓子でTreatした。 

カミサンと「来年は飾りのカボチャを置いて、お菓子を用意しよう」と話した。 

このあたりはベースに勤めるアメリカ人が多い。 

それをあてにして、ベースの家族に貸すために家を建てたり、改築したりする人がいる。 

フェルナンデスの家は夫婦だけで、4ベッドルーム、月家賃3千ドル(30数万円)とのこと。 

家賃は本人が払うのではなく、ベースが負担。 

出どころはときどき話題になる思いやり予算、もとはといえば、我々の税金。 

となりもベースに勤める若い女性アレクサンドラ。 

ときどきボーイフレンドが訪ねてきているが、2週間くらい家を空けていることがよくある。

艦上勤務でどこかに行っているのだろう。 

前の家も、ベース勤めの年配のロンと奥さんのマービック。 

この家にはメス犬のラーメンがいる。 

ラーメンはまだ3ヶ月くらいの若い犬なので遊びたくてしかたない。 

「ラーメン」と呼ぶと、しっぽをふりふり、フェンス越しにじゃれついてくる。 

ロンは朝7時前には、車で15分くらいのベースに出勤し、帰ってくるのは4時ころ。 

帰ってくるとラーメンを庭で遊ばせ、顔を合わせるとおしゃべりする。 

フェルナンデス家の2軒先には最近越してきた、幼いふたりの女の子がとっても可愛い 

ベース勤めの若い家族が住んでいる。

彼らのほとんどは米国サンディエゴから来ている。 

という感じで、我が家の近くは英語でおしゃべりするには事欠かない。

2015年10月28日 (水)

今年も誘ってもらって

2週間前、会社の仲間だった女性からメールが届き、「ソリューション・スクエアで

くすのき祭があるので行かない。ほかに3人女性仲間に声かけるので」というお誘いが

あり、日曜日、11時に待ち合せし、蒲田にある富士通のソフトウエア開発拠点である

ソリューション・スクエアに出かけた。

当日集まったのはメールをくれたTKさんとTMさん、KTさんとボクの4人。KTさんだけは現役。

みんなと職場が一緒だったのは、もう30年くらい前。

最後、それぞれどこの職場で一緒だったか、結局みんな思い出せず。

ソリューション・スクエアビルは蒲田駅から7分くらいの住宅街近くにあり、くすのき祭は

地元の人たちへのお礼の気持ちをこめて、毎年この時期に開催されている

もちろん従業員の家族と思われる人たちもたくさん来ていた。

このビルはかつてはシステムラボラトリーと呼ばれ、ボクもSE(システムエンジニア)時代に

長くいたことがあるビル。

当時A棟、B棟、C棟で構成されていたビルは建て替えられ立派なビルになった。

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4人で館内の催しを観て回った。

去年よりずっと地域の人たちへの配慮が行き届いてきているなぁ、と感じた。

ひとつは、子供さんたちへのさまざまなサービス、もうひとつはヘルスチェックコーナー。

ヘルスチェックコーナーでは、4人でいろいろ検査した。

先ず、基礎体力測定。握力・背筋力・肺活量・垂直跳び。

70歳の標準値に達していなく、ちょっとショック。

その後測定した骨量測定の結果も、「年齢の平均より少なめ、生活習慣を改善し、

骨量維持に努めるように」との判定。

ただ、最後に行った体組成計測判定(体脂肪率・筋肉量・基礎代謝量・内蔵脂肪レベル)の

結果では、体内年齢47歳と判定され、うれしかった。

みんなから「よかったじゃない!テニスやってるのがいいんじゃない」

全員「いいねぇ、ヘルスチェックコーナー、来年もきてやろう」

SEの拠点ビルなので、こんなポスターが貼ってあった。

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会場を一回りしたあと、蒲田駅近くで食事。

駅前の懐かしい弘城で焼肉ランチ。

そのあとファミレスのジョナサンでお茶。

昔の話、仲間の話、それぞれの近況・・・、次から次に話題は尽きない。

TMさんは沖縄にもマンションを持っていて、月の半分は沖縄。

去年TMさんに会ったとき、彼女が「オリーブオイル ソムリエの資格を持ってるし、沖縄で

シニア向け料理教室をやりたい」と話していたので、娘にそのことを伝え、「何かコラボ

できるかも」とのことで、TMさんと娘は那覇で会った。

TMさんが「次回は、もし花房さんが沖縄のお嬢さんのところに行くのなら、3月にわたしの

那覇のマンションで集まらない」と提案。

4人でワイワイ話し、「そろそろ帰ろうか」となったのは5時半。

考えてみると6時間半、よくもまあ、タネが尽きることなく。

2015年10月26日 (月)

百条委員会

10月1日のブログ「オンブズマンが面白くなってきた」で、横須賀市議会が「吉田市長の

不透明な市政運営に関する検査特別委員会」を設置し、その第1回会合を傍聴したことを

書いた。

発足したときは、地方自治法98条に基づく検査特別委員会であったが、その後、議会で

より強力な調査権や告発権をもつ百条委員会とすべきである、と全会一致で議決され、

百条委員会に格上げされた。

委員会は、10月23日に市長、副市長を呼んで、特別委員会で5時間討議、追求する

ことも決めた。

23日、特別委員会を傍聴した。

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傍聴者は10名までで、超えた場合は抽選とのことであったが、少々早めに行き問題なく

傍聴できた。

9時から2時間、副市長、昼休みをはさんで1時間半市長の意見聴取が行われた。

質問に立った市議が理詰めで、厳しく追求したが、完全には追い込めなかった。

そのため、特別委員会は、再度市長、副市長ほか関係した職員12名を呼んで

より強制力のある証人喚問を、11月13日に行うことを決めた。

今回の任意の聞き取りと違い、証人喚問での偽証は罰則が適用される。

市議会と市当局の二元代表制が機能していることを確認し、うれしく思った。

当日の委員会の模様は神奈川新聞が記事にしている。

2015年10月25日 (日)

中学校駅伝大会

この時期、毎年我が家の裏の海岸通りで、横須賀市中学校駅伝競争大会が行われる。

昨日開催された競技会は8回目、市内の24校が参加した。

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海岸通りは片側2車線の広い道路。

片側2車線のひとつの通行を遮断し、遮断した2車線を往路と復路に分け、たすきを

受け渡しする駅伝にはぴったりの道。

中学生だから、距離は男子15.9km、女子11.5km。

朝から準備のため、若い子たちがどんどん集まってきた。

平素、中高年の人たちと付き合うことが多いため、若い人たちの集団を見てるだけで、

元気がもらえる感じ。

各校、自前の旗を持って応援。

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初めに女子。

折り返し地点で、たすきを渡し、1校4人で走る。

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女子のあと走った男子を見て、スピード、勢い、迫力の違いを感じた。

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熱いものを感じながら、「がんばれ!」と声をかけ、奮闘に拍手を送りながら応援した。

男子は我が家の近くの中学校が今年も優勝し、3連覇を果たした。 

女子上位3校、男子上位4校は、11月8日に横浜八景島海の公園周回コースで開催される

県大会に出場し、関東大会、全国大会を目指すことになる。

青春の1ページとして、参加した選手全員の心に深く刻まれ、長く記憶に残ることだろう。

2015年10月20日 (火)

いまは無くなった昔の風物詩

年4回、大学の寮の仲間が集まり、飲み会をやっていることは何度もブログに書いた。

会の名前は、当時姫路にあったかつての旧制高校の寮の名前と寮歌の一節の両方から取り

名づけた「白陵惜春会」

仲間と初めて会ったのは18歳ころ、ということは55年近く前に知り合った連中。 

昨日、今年最後の惜春会を行なった。

毎回会場は有楽町の帝劇地下の大学のクラブ。

これまで17時からやっていた会合は今回から昼シフトにし、12時スタート。

ボクは定年以来、ずっと万年幹事。

幹事と言っても大した仕事はない。

会場を1年分予約し、毎回案内メールをメーリングリストで流し、会計管理をやるだけ。

今回は参加者6名といつもより少なかった。

3ヶ月ぶりに会えば、誰かに何か健康上のトラブルがある。

今回はOくんが、突発性認知症で半日間意識がなかったこと、Sくんが一過性意識障害で

短時間記憶が不明瞭であったこと。

70歳過ぎると何があってもおかしくないとあらためて皆で合点。

毎回スピーカーを決めて、スピーカーが選んだテーマで話し、ワイワイやることにしている。

昨日のテーマは「いまは無くなった昔の風物詩」

スピーカーのOくんの出身地は広島県三原市。

三原で過ごした幼少時代の話が幅広く網羅、紹介された。

参加者から「うちの方ではこうだった。ああだった」と議論百出。

取り上げられた風物詩の例を挙げると、

行商、井戸、行水・五右衛門風呂、汲み取り、紙芝居、巡回映画、町内火の用心回り、

お祭り、相撲巡業、木下サーカス、街頭詰将棋、飛行機ビラ宣伝、映画、四季の遊び、

ノツボ、集団検診(BCG、トラコーマ、虫下し)・・・

若い世代の人たちには、馴染みのないものばかりであろうが、娯楽が少なく、みんなが

貧しかった昭和30年初め前後の懐かしい話に全員で盛り上がった。

2015年10月16日 (金)

ハラスメントさまざま

ハラスメントという言葉は、今や完全に日本人に定着した。 

ハラスメントが最初に市民権を得たのは「セクハラ」 

もう30年以上前になるだろうか、それまであまり正面から向き合ってこなかった、女性の

尊厳・人権が「セクハラ」の呼称で社会問題化してきたのが、ハラスメントのはじまり。 

その後、ハラスメントは「パワハラ」、「モラハラ」などと続き、最近では、女性を対象とした

「マタハラ(マタニティ・ハラスメント)」

同じく最近ときどき聞くのが「アカハラ」

アカデミックハラスメント、大学などの学内で、教職員がその権力を濫用して学生や

部下の教員に対して行う嫌がらせ行為。

今年流行語になったのは「オワハラ」

”就活終われハラスメント”が就職活動生を悩ませた。

企業からすればせっかく優秀な学生を見つけて内定を出したにもかかわらず、他社に

とられてしまうということは、どうにか避けたい。

そこで内定が欲しい学生に対して、内定をえさに就職活動を終えるよう迫る”オワハラ”が

行われるようである。

しかし就活生からすればできるだけ企業選びの選択肢は残しておきたい。

我が家にもあるのは「カジハラ」

「カジハラ」は多くのリタイア組が奥さんから受けているようである。

奥さんには、家事に対し、それぞれが長い間集積したノウハウや流儀がある。

亭主が良かれと思い家事の一端を手伝うのだが、そのやり方を女房は良しとしないため

起きるバトル。

炊事、洗濯、掃除、家庭内のどこででも起きる。

これからも新しい「XXハラ」はどんどん出てくることだろう。

ついでに、先日のラジオ英語講座でこんな話が出ていた。

アメリカでは、1986年に最高裁の判決が出て以来、セクハラの定義が大幅に拡大され、

女性を不快にする職場環境を作り出す行為すべてがセクハラとみなされるようになった

とのこと。

日本のセクハラは、まだ狭義である。

このレベルまで意識と対応が進んでもおかしくない。

2015年10月12日 (月)

箱根から郷里の倉敷へ(2)

妹の家に泊まった翌日、妹と墓参りに行った。 

初めてのことだが、近い関係にある墓をすべて参ろうと言い、9時半に家を出た。 

お花を買って、先ずは倉敷にある両親の墓に。 

父は亡くなって18年、母は2年。 

この墓を建てて20年。 

代々墓は、この日の午後行った岡山市の北の大変辺鄙なところにある。 

そちらに祀ってある祖父母の墓ほかをこちらの移そうと言いながら、そのままになっている。 

両親に、兄弟妹三家族の近況を報告をし、見守って欲しいとお願いした。 

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次に、久し振りに行ったのは、倉敷市内から車で30分くらいのところにあるオフクロの 

両親の墓。 

祖母は、ボクが生まれる前の昭和16年に亡くなっている。 

祖父は、昭和30年だから、ボクが中学生のとき亡くなり、亡くなったときのことは覚えている。

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ここから岡山市の北東方向にある次の墓まではかなりあり、山陽道に乗ったが、1時間半 

近くかかった。 

途中、道の駅のような施設2ヶ所に寄って、カミサンが喜びそうな野菜ほかを買った。 

こちらの墓はオヤジの先祖代々墓。 

この墓には小さいころの思い出がいろいろある。 

子供たちが小学生だったころ、年に1度くらい両親が子供たちを墓参りに連れて行っていた。 

とにかくスゴイ田舎で、岡山市内からバスで延々と時間をかけて行く以外に術はなかった。 

バスを降りてからも、たぶん2時間くらいかけて歩いていたのだろう。

長い道中を歩き、途中何ヶ所かわかれ道があり、両親も毎回どちらに行くかをはっきり

覚えていなかったため、帰りに間違えないようにと、わかれ道に木の枝を置きながら、

歩いていたことを思い出す。 

当時、この墓参りは数少ない家族のイベントだった。 

妹は弟と一緒にときどき墓参りに行っていて、今は舗装された道を、迷うことなく車で 

一気に行くことができる。 

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下は祖父母の墓。 

祖父が亡くなったのは、昭和22年、祖母は昭和30年。 

祖父は、昭和10年代、岡山市の収入役をやっていたと聞いている。 

そのためか、立派な戒名。大居士と大姉。 

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遠方でなかなか行けないため、平素の墓守は弟が地元のシルバー人材センターの

人たちにお願いしている。 

祖父母よりもっと古くは、代々このあたりの庄屋だったそうだ。 

小学生のとき連れて行かれていたころ、オヤジがここが屋敷だったという場所に何度も 

連れていってくれた。墓から歩いて3分くらいのところだった。 

屋敷がその後どうなっているのかを見たくて、50年近くぶりに見に行った。 

当時残がいが遺っていた屋敷跡には、今はまったく何も残っていなかった。 

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岡山市内まで戻り、最後にもう一ヶ所、親戚の墓を訪ねた。 

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行きたかった4ヶ所の墓を巡り、満足した気持ちで帰路についた。 

夜は、弟といとこの女性のKちゃんが妹宅に寄ってくれて、楽しい話をいっぱいした。 

ボクより2歳年下のKちゃんは勤務医だったが、今はほぼリタイア。 

Kちゃんは手土産に、瀬戸内海の高級魚のあこうのお造りとジャンアント マスカットを 

持ってきてくれ、みんなで楽しんだ。 

3時間以上、ワイワイしゃべっていた。

こういう内輪の仲間との歓談は楽しい。

翌日、1週間ぶりに横須賀に戻ってきた。

2015年10月10日 (土)

箱根から郷里の倉敷へ(1)

箱根で一泊したあとそのまま、水曜日から2泊で倉敷に帰省した。

目的は小学校の恩師を囲んだミニ同窓会に参加するため、それに墓参り。

2ヶ月くらい前、倉敷の幼馴染のMくんから手紙が届いた。

日付を見ると、何とラッキーなことに、その前から決まっていた箱根旅行の翌日から

一泊で、倉敷で同窓会をするとの連絡。

Mくんに「参加する」と即電話した。

水曜日夕方5時前に着く新幹線で倉敷へ。

駅前から、ホテルの小型バスで宿泊する瀬戸内海沿いの鷲羽ハイランドホテルへ。

途中、M先生をピックアップし、バスの中で早速みんなで盛り上がる。

M先生は86歳。我々教え子より、ひとまわり以上うえ。

いや、お元気。3年前にお会いしたときとほとんど変わらない。

バスの中で、早速元気の秘訣をいろいろ披露された。

記憶力も驚くばかり。

我々含め教え子の名前はもちろんのこと、消息含めすらすら出てくる。

車で直接ホテルに着いた仲間も入れて、総勢13名、男女は9名と4名。

13名中、関東3名、関西4名、地元6名。

ホテルに着いて先ずは、眼下に瀬戸大橋が見える最上階の温泉へ。

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風呂のあとは会食。

みんなが写真や文集などいろいろ持ってきてくれていた。

60年前、昭和30年(1955年)。先生も若い、26歳。

クラスの生徒数も多い。数えると51人。

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7~8年前やった同窓会と3年前やった同窓会の写真も。

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同窓会の定番話は、昔のこと、仲間のこと、それぞれの近況。

亡くなった仲間も少なくなかった。

集まった仲間は、お互い自然に昔の呼び名が出てくる。

キヨシさん、タマちゃん、カズミさん、メイコちゃん、ユウちゃん・・・

小学校の仲間だから、広域には住んでいなかったため、町内の名前を言えば、全員

地区のイメージは浮かんでくる。

「あそこの前の道を行った左」とか「あの路地の奥」とかで、だいたいみんなわかる。

ボクの家があった通りに住んでいた女性が、13人中2人いた。

1学年はたぶん400人くらいだったのだろう。

60年経ってこうして参加できる人たちは、いろんな意味で恵まれている。

世話役をやってくれたMくんの持つ仲間の人脈はすごい。

Mくんのケータイに入っている仲間にMくんが電話し、「いくらかけてもタダだから、みんなで

電話まわして」と言い、参加していない仲間たちとも会話ができた。

「次は、先生の傘寿の祝い」と言いながら、この夜は散会に。

翌朝、朝食後、バスで倉敷駅まで送ってもらい、ボクは電車で岡山に住む妹のところに行き

一泊し、昨日1週間ぶりに横須賀に帰ってきた。

帰省2日目のことは、次のブログで。

2015年10月 7日 (水)

この時期恒例の箱根一泊旅

町田市を中心に、地元の人たちの情報リテラシー向上活動を続けているNPOグループ

「アクティブSITA(シニアITアドバイザー)」、ボクも定年直後からメンバーになっているものの、

遠方であることを言い訳に、毎月開催される定例会以外、日々の活動にはほとんど参加

していない。

アクティブSITAでは毎年この時期、何人かのメンバーで箱根への一泊親睦旅行を、行き先を

変えて企画してくださる。他の予定と重ならない限り、毎年参加している。

因みに、SITA(シニアITアドバイザー)は、定年後何か会社に残るものをやって辞めたいとの

思いから、ボクが立ち上げた、地元でIT指導を行うシニア向けの試験制度。

親睦旅行は、一昨日の月曜日一泊で箱根の山歩き。

参加者は、NPOグループ総員38名のうち、14名(男性10名、女性4名)

ボクを除き全員、町田方面から車に便乗して、月曜日10時、箱根登山鉄道小田原駅

改札に集合。毎年のことだが、ボクは単独で駅改札へ。

10時、全員ピッタリ集まった。

Sさんを中心に4人の幹事の皆さんが、何度も打ち合わせをして下さっていて、今年も綿密な

プランが出来上がり、参加者はメールで送られてきた案内に従って動くという、毎年の

ことながら、おんぶにだっこの旅。

箱根登山鉄道小田原駅改札に集合した14名は、小田原から4つ目の駅、入生田で下車。

目指すは石垣山一夜城。

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石垣山一夜城は、秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣

として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれている。

この城が、石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、

山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに

周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われている。

秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎え

たりした。

この城は、関東で最初に造られた総石垣の城とのこと。

入生田駅から、3.6キロの舗装された道と山道を歩くこと1時間半、着いたところは

石垣山一夜城の本丸跡。

ここで各自持参した弁当でお昼。

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これも毎回のことだが、持参したガスバーナーで湯を沸かしコーヒーをいただいた。

他に赤ワインとデザートにケーキとすばらしい計らい。

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食事のあとは下り道。

1時間半くらい歩いて、小田原文学館へ。

落ち着いた佇まいの文学記念館。

近代文学の先駆者のひとり、小田原出身の文学者 北村透谷はじめ、小田原ゆかりの

多くの文学者が紹介されていた。

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文学館のあと、当初の計画に入っていた小田原城は時間不足のため行けず、小田原駅から

車に分乗して、毎年の宿である宿泊先の「みやぎの」へ。

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この日歩いた距離は2万歩強。

先ずは疲れを癒すため、温泉へ。

温泉のあとは会食。

今回は献杯からはじまった。

設立10年になるアクティブSITAで初めて物故者が出た。

この旅行にも何度も参加したことのあるKさん。

全員でKさんに黙祷を捧げた。

会食後は、これも定例、幹事の部屋に集まり、ワイワイは続いた。

これまた定例、この夜もメンバー提供の旅行中心のビデオ映像撮影会。

ここで全員びっくり。

幹事のSさんが私物のプロジェークターとともに持ってきて下さった大きなスクリーン。

スクリーンの写真が残っていないのが残念。

今回の鑑賞会では、Eさんの「シルクロードの旅」、Kさんの「勇壮な能代の夏祭り」、それに

ボクも定年2年後に夫婦で行った「ニュージーランド、Bed&Breakfast(民宿)2週間の旅」を

パワーポイントで披露させてもらった。

翌朝、食事後、ゴルフ組、散策組に分かれ現地解散。

これだけ楽しませてもらった2日間だったが、幹事のさまざまな工面で、費用はひとり9千円。

大変お世話になった上に、この費用に感激し、2日間の楽しい懇親の旅は終わった。

2015年10月 1日 (木)

オンブズマンが面白くなってきた

6月から横須賀市民オンブズマン活動に参加していることは何度かブログに書いた。 

毎月、第3日曜日の夜、6人の発足メンバーが集まり議論を重ねている。 

6人の中ふたりが多忙な弁護士のため、日曜日の夜しか時間が取れず、月1回集まり、

毎回1時間半くらい集中的に効率よく議論している。

また、メンバー間の連絡がより密にできるよう、ボクの方でメーリングリストを立ち上げた。 

先日の日曜日に行った事務局メンバー会議でも、アクションが色々決まった。 

 1.政務活動費の請願に対するフォローアップ 

 2.市長の米国出張費用に対する住民監査請求 

 3.市長の退職金に対するフォローアップ 

 4.市議会傍聴体制と議員採点表つくり

昨日午前、「吉田市長の不透明な市政運営に関する検査特別委員会」の第1回会合を

傍聴した。

議会は、市長が関与した3つの問題を究明するため、地方自治法98条に基づく検査特別

委員会を設置した。

このあたりの経緯は、9月17日、神奈川新聞が記事にした。

当件は、オンブズマンでも問題として取り上げ、市議会議長宛に「申し入れ書」を提出した。

申し入れ書では、吉田市長の恣意的かつ不透明な行政姿勢、情実人事と私物化、違法

行為すれすれの不透明、不公平な行為を明らかにするには、特別委員会を設置し、市長、

副市長を呼んで、詳しく厳しく調査、追求する必要がある旨を述べた。

検査特別委員会では、情実人事と私物化の好例として、一昨日の神奈川新聞の記事

取り上げられ、厳しい意見が相次いだ。

また、検査特別委員会では98条に比べ、より強力な調査権や告発権をもつ100条委員会に

移行すべきであるとの意見が出た。

今後のスケジュールは、10月23日に市長、副市長を呼んで、特別委員会で5時間討議、

追求することが決まった。

二元代表制の本領が発揮されるべく、議員各員の奮起を期待する。

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