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2015年8月12日 (水)

御巣鷹 30年

今日8月12日、日航機墜落事故の遺族の方々が、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に

慰霊の登山をされている様子が繰り返し報じられている。 

30年たち、登山をする人たちは歳を重ね、急峻な山道を登っていくことは大変になって

きているが、亡くなった方の運命の非情さ、無念さに思いを馳せながら、今日も黙々と

山を登られている。 

520名、信じられない数の犠牲者。 

思い起こすと、30年前の今日、夜電車を降り、家に向かっていた途中、数軒の家から 

テレビで何か大きな声でしゃべっているのが聞こえてきたことを、はっきり覚えている。 

30年前、クーラーの普及は今よりずっと少なかったためか、窓を開けていた家が 

多かったのであろう。 

家に帰りすぐ、大変な事故が起きたことを知った。 

時間とともに、被害の状況が徐々に明らかになってきた。 

後日、乗客の皆さまが墜落の直前、家族に宛てて書かれた走り書きのメモがいくつも

見つかった。 

そのときのお気持ちには、到底想いをいたすことはできない。

生存者が4名いたことも判明した。

そのうちのおひとりは、当時12歳だった川上慶子さん。

旅行帰りのご両親と妹さん4人で乗っていて、ご両親と妹さんは亡くなられた。

決して良いことではなかったが、どのようなルートだったのか、川上慶子さんの搭乗券の

コピーが会社で、お守りにというふれこみで、不謹慎にも流れていたことがあった。

今朝のネットニュースで、高齢者も多い遺族らが険しい山道を登る際の助けにと、仕事中

事故に遭って両脚を失い、車いす生活をされている地元の74歳になられる方が、手製の

つえを24年間作り続け、登山者に贈られていることが報じられていた。

最初は、犠牲者数と同じ520本で終わりにするつもりだったそうだが、遺族らからの感謝の

気持ちに後押しされ、作られた総数は2689本になったとのこと。

このような話も出ていた。

「機中、短い遺書を残し、40歳で逝った夫が庭に植えた柿の木は、日航機墜落事故の

年の秋、初めて実をつけた。涙を流して食べた日から30年。小中学生だった息子2人は

それぞれ家庭を持ち、孫も生まれた。谷口真知子さん(67)は、支えてくれた人への感謝を

込めて絵本”パパの柿の木”を作った」

30年、凄惨な事故に遭遇することがなければ、520名の皆様には、それぞれの人生が

あったのに、と思うと・・・

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