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2015年8月

2015年8月30日 (日)

市議会定例会傍聴

金曜日、横須賀市議会27年度第3回定例会を傍聴した。

何度かブログに書いたことがあるが、参加している横須賀市民オンブズマンの事務局

メンバーの間で話題になったことを確認するため、久しぶりに議員質疑と市長答弁を傍聴。

毎度のことであるが、この日も傍聴者数は一桁。これでは答弁する市長にプレッシャーを

かけることはできない。

議員4人の質疑・答弁を聴いた。

最も関心があったのは、オンブズマン事務局会合で話題となった先月の市長の米国視察

表敬訪問について。

当件、新人のI議員が以下質した。

『今秋、横須賀米軍基地へ配備が予定されている原子力空母の放射能災害対策、避難計画

について市民に十分な説明がなされていない中、7月市長は米国に視察・表敬訪問に行った。

公費で視察旅行をした以上、議会で報告すべきである』

これに対して吉田市長は、帰国後新聞発表し、市のホームページに掲載し、全議員に

メールし、また9月の市の広報誌にも掲載する予定と答弁し、それ以上詳細は何も語らず。

I議員はそれ以上追求できずという感じで、当件質疑は終了。

I議員の追求の仕方には全体的に甘さを感じた。相手の返答は十分に予測できるわけで、

こう答えてきたらこう突っ込む、こうであればこう、という事前の準備不足を感じた。

最近は質疑の方式の多くが一問一答形式になってきていて、この日質問に立った議員は、

I議員を除き全員一問一答形式で行った。

一問一答形式とは、冒頭全体質問を壇上で行ったあと、市長と向き合い個別に突っ込んだ

質疑を行う方式で、これまで一般的であった再質問を壇上で一括して行う一括方式より

ずっと緊張した状況で質疑が展開できる。

そのため、質問する議員には迫力、知識力、即座の反問力などまさに総合的議員力が試される。

今や一問一答は必須。一問一答が出来ない議員は質問すべきでないとすら思った。

横須賀市の吉田雄人市長は40歳。 

2009年に34歳の若さで40万人都市の市長になったことで一時期話題になった。 

I議員の質疑では、百戦錬磨、言い逃れ、時に虚偽を交えた答弁すら行う吉田市長を

追い込み、切り崩すことは至難で、新人とは言え、代表質問する以上、手練手管を早く

習得して欲しいと強く思った。

イライラが募った質疑と答弁であった。

市長に対しては、他の議員が、前回の定例会でK議員から出され、議会で多数決で可決された

市長の問責決議問題を取り上げ、また他の議員からも市長の不誠実な諸々の対応、虚偽答弁

などが指摘された。

この日の議会傍聴で、市長に対し一層強い嫌悪感を持った。

市長の米国視察については、オンブズマンで監査請求などの手段で追求していくことに

なるのではと思う。

  【ご参考】

    地方議会は二元代表制。

    住民が直接選挙で、首長と議会の議員を別々に選ぶ。

    首長の権限は予算や条例などの議案提出や人事など幅広い。

    議会は議案の議決などで首長の行政運営を監視する。

    首長は議会から不信任を受けた場合に限り、対抗策として議会を解散できる。

2015年8月26日 (水)

これには思い出がある

カミサンから庭の芝のエッジをカットして、と何度も言われ、暑い中やった。 

小さな庭だからエッジは大した長さはないが、長い間切っていなかったため、踏み石や 

レンガに食い込んでいて、思いのほか時間がかかった。 

エッジカットする前はこんな感じ。 

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汗をかきながらカットした結果は↓
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なんとか格好がついた。 

芝のエッジカットには思い出がある。 

40年前、オーストラリアのシドニーに駐在したときの話。 

1974年、31歳のとき。 

最初に住んだ家は、事務所から車で15分くらいのこの家だった。 

この写真は、4年前センチメンタル・ジャーニーと称し、娘と孫ふたりを連れて5人で 

オーストラリアへ旅行をしたとき撮ったもの。 

40年前に住んでた家を苦労して探し、見つけた。

当時とぜんぜん変わっていなかった。 

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家のオーナーが外務省に勤めていて、南アフリカに赴任し、空き家になり、貸家にした 

家だった。 

家財道具をまったくそのまま残し赴任し、台所の引き出しにはスプーン、ナイフ、皿など 

そのまま置いてあった。 

週の家賃65ドルだった。当時1オーストラリアドル300円ちょっとくらいだったはずなので 

週2万円くらいだったのだろう。 

裏の庭がすごかった。手入れされてない庭木がうっそうとしていて、何か出てきそうで、 

1年以上住んだが、怖くて奥まで行けなかった。 

実際、一度、ブルータングと呼ぶ50cm以上ある大きなトカゲを目撃したことがあった。 

シドニーの一般的な住宅街にある家だった。 

ノースブリッジという地区で、すぐ近くにノースッブリッジゴルフコースがあり、家のすぐ

そばには何番かホールのグリーンがあった。 

ときどき、このグーリンの近くにブラブラ散歩に出かけ、プレーしている人をながめていた。 

今でも、目に浮かんでくる。 

一度、お年寄りのご夫婦がプレーされていて、グリーン上で夫婦で静かに話していた。 

歳を重ねたら、こんな感じになりたいなぁ、と思ったのを思い出す。 

芝のエッジカットから話が外れてしまった。 

家の前には、1mくらいの歩道があり、家と歩道の間には芝が植えられていた。 

住んでしばらくたったころ、近所の人から、芝のエッジを刈るようにと注意された。 

まったく気がつかなかったが、たしかに他の家はどこも芝のエッジをきれいに刈っていた。 

芝を刈るための適当な道具が見つからず、代用品を使い刈っていたら、近所の男の子が 

その姿を見て「お金をくれれば刈ってあげるよ」と声をかけてきた。 

いくら払ったのかまったく覚えてないが、おそらく2ドルくらいだったのだろう、渡りに船と

思い頼んだ。 

それ以来、芝のエッジカットから解放された。 

我が家の作業をしながら、昔のことを思い出した。

2015年8月20日 (木)

このニュースどうしてメディアは報道しないのか

最近、時期を同じくして、かつて職場で一緒だったふたりの人からメールとフェイスブックで

同じ問題について意見をもらった。

テーマは公立中学校の歴史・公民教科書の採択にかかわる話。

先ず、男性のKさんから下記メールをいただいた。

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8月5日、横浜市教育委員会で来年度から4年間に渡って市内全中学校で使用する

教科書の採択が行なわれ、歴史も公民も育鵬社(フジサンケイグループの出版社)に

決まりました。

育鵬社の教科書は安倍首相の肝いりのものです。

当日は教育委員会には391人が集まりましたが、20人だけが委員会室での傍聴を

認められ、私は抽選に外れ、委員会会議室とは別の部屋で音声のみの傍聴をしました。

採択の瞬間はドキドキし、結果を聞き、悔しくて、気落ちして、どっと疲れがでました。

その日は9時に寝てしまいました。

投票は6名の教育委員で行われ、歴史教科書は帝国書院が3票、育鵬社が3票となり、

同数のため岡田教育長の裁量で育鵬社に決定しました。

公民では東京書籍が3票、育鵬社が3票で同数のため、岡田教育長の裁量で育鵬社に

決定しました。

教科書取扱審議会の答申では、歴史では帝国書院と育鵬社がともに1位、公民では

東京書籍と帝国書院がともに1位、育鵬社は3位でした。

前回の採択ではともに4対2の差で歴史も公民も教科書取扱審議会答申で評価、3~4位

だった育鵬社が選ばれました。

そのときは林市長の任命した山田教育長は育鵬社でない教科書に投票しましたが、

今回は同じく林市長が任命した岡田教育長が育鵬社に2票も行使したことになりました。

公民では今回も教科書取扱審議会の答申が無視されました。

今後、4年間、市内の8区では10年間に渡って、他の区では8年間に渡って、

日本国憲法軽視、侵略戦争美化の異常な教科書が使用されることになりました。

教科書の内覧会で確認しましたが、公民の教科書には安倍首相が登場する場面の

写真が15枚掲載されていました。

時の総理大臣が教科書に登場することなど過去になかったと思います。

この教科書で学んだ中学生が18歳になれば選挙権を行使することになります。

自民党は勢いづくでしょう。憲法改正も射程内に入るでしょう。

もともとこの流れを作ったのは民主党出身の中田宏市長ですし、それを受け継いだのが

民主党の推薦で当選した林市長です。

今やその林市長も自民党の支持を受け2期目の市長となっています。

私はこれまでの反対運動が至らなかったことを反省しています。

この流れを食い止めるために何とかしなければなりませんが、なかなか難しい課題です。

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以下は、女性のIさんが母親の立場に立って、昨日のフェイスブックにアップした

ネットニュース

そのあとフェイスブックでやりとりした彼女の書き込み↓

いやいや、本当に有り得ない話です。

まだ判断材料を持たない子供に対してまで、教科書を洗脳の道具に使おうとする姑息さ。

メールの内容にある、教科書採択のプロセスも余りにもおかしいですね。

買収されてるのでしょう。

こうして日本はどんどんおかしな方向に向かって行ってしまうのでしょうか。

特にここ数年の国の歪みように、不安ばかりが募ります。

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Iさんに「まったく同感です」と返事した。

この国は一部の人間により、どんどんおかしな方向に向かっている。

その者たちは、国の方向を変えることができるポジションにいて、数でその力を持っている。

しかも、その方向が、これから国を担っていくことになる子供たちであることが末恐ろしい。

この大変大切な将来課題をメディアは大きく取り上げることなく、粛粛と進められていることに

怒りと恐れを覚える。

メディアは政権の”御用商人”であってはならない!!

”いつか来た道”をゼッタイに通ることがないこと、切に切に願う。

2015年8月18日 (火)

百日紅(さるすべり)の花が咲いた

庭の百日紅に花が咲いた。

これだけきれいにたくさんの花をつけたのは、初めてでは。

カミサン曰く、「暑かったためじゃないの」

ボクは思いたい。知り合いの庭師さんのアドバイスに従って剪定したのが良かったのでは、と。

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この百日紅を植えたのは、約30年前。

植えた時期を覚えているのは、俳句を初めて詠んだ時期と重なるため。

詠んだ俳句の題材は百日紅だった。

当時働いていた富士通は、FIMATという名前で、45歳になった従業員を職場から外し、

3ヶ月間、同じ45歳の仲間と一緒に、さまざまなジャンルの学習をさせるという画期的な

プログラムをはじめた。

創始者は、当時の社長 小林大祐さん。小林さんの名言は 「ともかくやってみろ」

ネットで検索すると、1979年、創始者小林社長のFIMATへの思い、狙いが出てきた。

 ①現在までの自己の専門分野を超えた総合的な経営管理技術を身につけさせ、

  将来の経営幹部要員の育成、国内外の営業拠点ならびに関係会社の経営を

  担当できる人材の育成 

 ②管理者に対して、さらに高度の各種管理技法を習得させることにより、

  多様化する社会に対応できる能力の育成

 ③各人の資質、能力の多面的な評価を通じて将来の進路を解明し、適材適所の

  配置を図ることにより、人材の有効活用を期すること

 ④幅広い人間性を備えた人材を育成するために、自己啓発の契機を与えること 

高い視点と見識に立った、懐の深い試みであった。

当時、ユニークなプログラムということで、さまざまなメディアがFIMATについて取り上げた。

学習するテーマは、多岐にわたった。

マーケティング、国際経営、人事労務、財務管理、プロジェクト管理、意思決定訓練、

Business Policy、工場見学・・・

小林社長はじめ、多くの役員との懇談があり、各自意見を述べる機会が与えられた。

これらの課題とは別に、大学の先生などを講師に、いろいろな教養テーマも学んだ。

文学、詩歌、歴史、宗教、音楽、俳句・・・

受講した仲間たちは、全員職場では部長。

3ヶ月のプログラムが始まってすぐは、全員自分の職場が心配でしかたない。

そのため毎日職場に電話する。

そのうち「大丈夫です。終わったあと帰ってこなくてもいいですよ」との返事。

だんだん「俺がいなくても・・・」と思い出す。

FIMATには、こういう狙いもあったと思う。

百日紅からすっかり話が飛んでしまった。

百日紅とFIMATの関連は、FIMATの講座のひとつに俳句があった。

講座は何回かあり、先生は俳句界の第一人者、今もご健在の金子兜太先生。

受講した時期はちょうど夏の今ころ。

金子兜太先生から、お題が出され、各自考えてきて発表し、先生から評をいただいた。

お題は今でもはっきり覚えている。「百日紅」と「天気図」

「天気図」で詠んだ句は覚えていない。

「百日紅」の作句は「百日紅、今年の紅はいまひとつ」

FIMATを受講したのは45歳のとき。27年前。

庭に百日紅を植えたのは、たしかその数年前だった。

きっと咲きはしたものの、今年のように見事な咲きぶりではなかったのであろう。

うれしくなるほどきれいに咲いてくれた今年の百日紅を見て、30年近く前のことを思い出した。

2015年8月15日 (土)

終戦70年平和祈念映画

今日は終日、終戦70年の話題で持ちっきり。

知り合いから紹介されて、終戦70年平和祈念映画を横須賀芸術劇場で観てきた。

日本PTA全国協議会特別推薦映画、「望郷の鐘~滿蒙開拓団の落日~

「中国残留孤児の父」といわれた山本慈昭さん、自らも満州で過酷な体験をしながら、

生涯を残留孤児たちの肉親探しにささげ、献身的な愛で支えた、感動の物語。

映画の後半、涙が止まらなかった。

満州国は、日本が中国東北部に建てた傀儡国家で、1932年から45年まで存在した。

映画のテーマを監督の山田火砂子さんは、こう語っている。

「国家が総力を挙げて作り上げた大きな嘘は、いつの時代でも見破るのは容易ではない。

そしてそれに従った開拓団も義勇軍も客観的には侵略者であったという事実は打ち消せない。

国家の施策に純粋に協力しただけだと言っても、この事実は一人ひとりが責任を問われる

ことになる。

国家に尽くした日本国民は、加害者であって被害者であった。

日本国民は全員手をつなぎ戦争をしない、平和国家を作っていきたいとの思いで、この

映画をつくった」

映画の中で、こんな言葉が語られた。まさに当を得ている。

「だます人がいて、だまされる人がいて、戦争ははじまる」

今まさに世の中で大きな話題になっている安全保障法制、多くの国民の懸念、不安、心配が

杞憂であることを、ただただ願うばかり。

2015年8月12日 (水)

御巣鷹 30年

今日8月12日、日航機墜落事故の遺族の方々が、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に

慰霊の登山をされている様子が繰り返し報じられている。 

30年たち、登山をする人たちは歳を重ね、急峻な山道を登っていくことは大変になって

きているが、亡くなった方の運命の非情さ、無念さに思いを馳せながら、今日も黙々と

山を登られている。 

520名、信じられない数の犠牲者。 

思い起こすと、30年前の今日、夜電車を降り、家に向かっていた途中、数軒の家から 

テレビで何か大きな声でしゃべっているのが聞こえてきたことを、はっきり覚えている。 

30年前、クーラーの普及は今よりずっと少なかったためか、窓を開けていた家が 

多かったのであろう。 

家に帰りすぐ、大変な事故が起きたことを知った。 

時間とともに、被害の状況が徐々に明らかになってきた。 

後日、乗客の皆さまが墜落の直前、家族に宛てて書かれた走り書きのメモがいくつも

見つかった。 

そのときのお気持ちには、到底想いをいたすことはできない。

生存者が4名いたことも判明した。

そのうちのおひとりは、当時12歳だった川上慶子さん。

旅行帰りのご両親と妹さん4人で乗っていて、ご両親と妹さんは亡くなられた。

決して良いことではなかったが、どのようなルートだったのか、川上慶子さんの搭乗券の

コピーが会社で、お守りにというふれこみで、不謹慎にも流れていたことがあった。

今朝のネットニュースで、高齢者も多い遺族らが険しい山道を登る際の助けにと、仕事中

事故に遭って両脚を失い、車いす生活をされている地元の74歳になられる方が、手製の

つえを24年間作り続け、登山者に贈られていることが報じられていた。

最初は、犠牲者数と同じ520本で終わりにするつもりだったそうだが、遺族らからの感謝の

気持ちに後押しされ、作られた総数は2689本になったとのこと。

このような話も出ていた。

「機中、短い遺書を残し、40歳で逝った夫が庭に植えた柿の木は、日航機墜落事故の

年の秋、初めて実をつけた。涙を流して食べた日から30年。小中学生だった息子2人は

それぞれ家庭を持ち、孫も生まれた。谷口真知子さん(67)は、支えてくれた人への感謝を

込めて絵本”パパの柿の木”を作った」

30年、凄惨な事故に遭遇することがなければ、520名の皆様には、それぞれの人生が

あったのに、と思うと・・・

2015年8月11日 (火)

来た来た、孫々(3)

話が前後するが、孫たちが我が家に来る前、親子で静岡県の朝霧高原に行っていた。 

知り合いのパイロットOBの方が主催してくださった航空教室合宿に2泊3日で参加。 

我が家に着くやいなや、ふたりはその話をしてくれた。 

さて、ボクは相変わらず冗談で孫たちをからかうことが多い。 

例えば、「ゆうちゃん(妹孫)、ママとお姉ちゃんが先に沖縄に帰って、あなたは夏休みが 

終わるまで残ったらどう。帰るとき、空港まで送るから、大丈夫だよ。帰らなくてずっといても 

いいよ。ママが通った小学校に入れるよ」 

反撃された。 

「3人で帰る。ずっといないで、夏休みに来るから”こそ”、いいんでしょう!」 

昨日朝、うちから歩いて20分くらいのところにあるお墓にみんなで参ってくれた。 

孫たちは話に聞いたことがあるだけで、会ったことのない息子Gohくんに線香を上げて、

長い間、手を合わせてくれていた。 

日曜日、今や孫たちが来たときの定番となった”ショッピング ツアー”へ。 

夏、春来たとき、それぞれに千円か二千円づつ渡し、好きなものが買える大好きなイベント。 

残ったお金は、次のショッピング ツアーのために、袋に入れて置いて帰る。 

前回の残金はふたりともゼロ。 

行く店はいつも同じで、女の子のものを専門的に扱っている店。 

毎回、買うものがなかなか決まらなくて、ボクはいつも店の外の長椅子に座って待っている。 

前回同様今回も、パパとママの結婚記念日のためにプレゼントを買おう、とふたりで話していた。 

先ず決まったのは、結婚記念日プレゼント。

11月の結婚記念日まで隠しておくそうだ。

姉孫は今回も大好きなブランド「すみっこぐらし」のノートほかを、妹孫はシャープペンシルと

飾りで、やっと決まった。 

「お金が余ったから、本屋に行こう」 

本屋の椅子に座り、あれこれ見ていたが、結局、分厚い女の子のマンガ2冊ゲット。

「ママにしかられるかも。けど、横須賀に置いておくと言えばいいよ」でショッピング ツアー終了。

ついでに、カミサンから頼まれていた、ピース又吉の芥川賞受賞作品「火花」が掲載されている

文藝春秋を買った。 

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残ったお金は、 

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3人は、午前のフライトで沖縄に帰ったため、近くの駅まで車で送り、いつものお別れハグを

ふたりが何度もやってくれた。 

駅に行く前、娘は郵便局で荷物ひと箱沖縄の自宅へ送り、孫たちの10日間の旅は終わった。 

横須賀にいた7日間、プールに2回行き、2回とも制限時間の3時間、目いっぱい遊び、 

花火も2回やり、買ってきていた120本入った花火をすべて使いきり、宝探し、墓参り、 

ショッピングツアー、外食・・・、それに娘は連日のように出かけ、お友だちに会い、今回も 

全員、夏休みをエンジョイし、帰って行き、また夫婦ふたりの生活に戻った。

2015年8月 8日 (土)

来た来た、孫々(2)

来た翌日の昨日は、各自バラバラに行動。 

食事のときは、5人がそれぞれ自分のことをワイワイしゃべるため、なかなか話題の

深掘りが難しい。 

娘は午前中、横浜関内に事務所を持つ、社会保険労務士のFくんのところに、自分の 

やろうとしていることの相談に行った。 

Fくんは亡くなった息子の仲のよかった仲間のひとり。 

7人のスタッフをかかえ、横浜以外にも事務所を持ち、業容を拡大している。 

娘は来る前にアポを取っていた。

相談するには適切な人で、娘もよく知る仲なので、思いをFくんに話し、Fくんは2時間くらい

付き合ってくれて、参考になるアドバイスをいろいろもらったと喜んで帰ってきた。 

娘は、夕方にも子供たちを連れて出かけた。 

パパと合流し、パパが長年懇意にし、家族ぐるみで付き合っている、横浜の割烹「とがし」へ。 

我々も誘われたが、「暑い中横浜までは・・・」と、辞退した。 

「ママのXXさんにこれもらった」と、今回もふたりはプレゼントをもらって帰ってきた。 

今朝は、娘から「勉強がすんだらいいよ」とOKが出て、孫たちとボクの3人で、うちから 

歩いて5分のところにあるプールへ。プールと花火は「やりたいこと」リストのトップ。 

娘はお友だちのお家を訪ね、有明へ出かけた。 

帰省のたび、子供たちを置いて、友だちに会うのはいつものこと。今回も6日の間に4回。 

行ったプールは元は市営だったが、今は指定管理で業者が入ってる。 

料金はいくぶん高くなったようだが、サービスは以前に比べ、少し良くなった感じ。 

出かける前、子供たちから「写真撮っていいよ」の許可が出て、パチリ。 

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プールでは、ポテトフライとフランクフルトを買って食べ、制限時間いっぱいの3時間遊んだ。 

妹孫は去年に比べるとかなり水に慣れてきていて、プールの壁をキックする、けのびで 

息継ぎなしで、5m少々進むようになっていた。潜水も怖がらなくなった。 

姉孫が妹孫に泳ぎの勘所を教えていた。 

「いる間にゼッタイもう一度来よう」と言いながら、家まで歩いて帰った。 

夜は、来てから何度も、やろうやろうと言っていた花火を家の裏でやった。

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2015年8月 7日 (金)

来た来た、孫々(1)

一昨日夕方、沖縄から娘と孫たちが来た。 

姉孫、小学5年生、妹孫、2年生。 

何かのはずみに見つけた一昨年のバレンタインの写真では、こんな感じだった。 

それに比べれば、大きくなった。 

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我が家に来て即やることは毎回決まっている。 

家では禁止されているiPad、スマホのゲーム、それに買って置いていっている分厚い 

少女漫画の一気読み。 

最近は、「撮った写真をブログにのせないで」と言われているので、遠慮気味に撮った。 

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昨日は、娘と姉孫がそれぞれ作った「じいじの家にいるときやりたいこと」と、ボクが書いた

「やったら悦ぶこと」をまとめて、6日間の予定を作った。 

午後、娘とカミサン、孫たち4人で映画とショッピングに出かけた。 

映画はディズニーの「インサイドヘッド」 

彼らが出かけた間、姉孫がやりたいことのひとつに書いていた「宝探しゲーム」の準備をした。 

宝探しは以前はよくやっていたが、今回久しぶり。 

リビングとダイニングに紙を隠し、番号の順番に探していくゲーム。 

最初の紙を見て、次の紙が隠してあるところを探し、次々に進んで行って、最後の紙に

書いてある宝を探し出すゲーム。

部屋はあちこちちらかっているので、隠し場所はいっぱいあるhappy01 

以前はどの紙にも絵を書いていたが、この絵じゃわからない、とよくクレームが出ていたため 

今回は絵の紙と文章の紙の両方にして、中には簡単な英語の紙とローマ字の紙も入れて 

準備した紙は8枚、8ヶ所。 

宝物は、孫たちが食べて、「おいしい、また買ってきて」と言っていた、スーパの水まんじゅう。 

宝探しを準備したあとパソコンをやっていたら、娘からメールが届いた。 

「これから、スシローに食べに行くんだけど、出てこない」 

行かないと、夕飯に食いっぱぐれると思い出かけた。 

娘の話だとスシローはほかの回転ずしに比べネタが豊富で、子供たちも美味しいと言うので 

よく行くとのこと。 

食べた食べた、子供たちの食べたデザート2種類を入れても、ひとり千円ちょっとscissors 

姉孫が「回転ずしの秘密」という本を読んで知った話をいろいろ披露してくれた。 

まだまだ「やりたいリスト」には、花火、プール、ショッピングツアー他いろいろ残っている。 

しばらく楽しめそうだ。

2015年8月 5日 (水)

ラジオ英語講座

NHKラジオ第2放送の英語講座の話は何度かブログに書いたことがある。 

講座を聴きはじめたのは13年5月なので、もう2年以上になる。 

1ヶ月だけ浮気して「攻略!英語リスニング」という講座を聴いたが、どうもしっくりこなくて 

結局「実践ビジネス英語」講座に戻った。 

水・木・金曜日、午前15分、それに再放送が午後と夜あるので、どれか、または複数回

聴ける。 

また土曜日には3回まとめて、午前に45分間再放送される。

放送開始時間をケータイに登録していて、ケータイが鳴ったら聴き始めることにしている。 

かつてはあまりやっていなかったが、最近は毎回予習をすることにしている。 

単語、表現、慣用句など毎回新しいことが覚えられる。 

それらにアンダーラインを引いて、それを書いたノートを作ろうとしているが出来ていない。 

このノートを作ったら、これまで毎月買ってたまったテキストをすべて捨てようと思っているが 

山になったまま、捨てられないでいる。 

2年分のノートを作ったとしても、たぶん2時間あればできるだろう、と思いながらも、手が

ついていない。 

実践ビジネス英語講座の直前15分間、ラジオ英会話があり、テキストは買っていないが 

こちらも面白いし、勉強になる。 

最近は両方聴いているので、30分間英語に接していて、以前より耳が慣れてきた感じ。

さて、実践ビジネス英語講座のストーリーの舞台はニューヨーク。 

美容・健康関連商品を扱うグローバル企業の一部門。 

メンバーは30歳/40歳台の男性5名と女性3名。 

テーマは会社の事業に関連した話題はほとんどなく、事務所の中でコーヒを飲みながら 

立ち話するような雰囲気の話題が多い。

話の内容は英語の会話のあと、日本語での解説がつくので、ちゃんと理解できる。 

7月のテーマはふたつ、「エコツーリズム」と「座ってばかりいないで!」 

「エコツーリズム」では、メンバーのひとりの両親がコスタリカに老後の住まいを見つけ、

その引越しを手伝いに行ったときの話。

エコツアーは環境保護をテーマにしたツアーで、エコツーリズムはここ数年アメリカで

かなり盛んになってきている。

日本には馴染みのないコスタリカはエコツーリズムには理想的な国とのこと。

エコツーリズムをテーマに、6回に分け、話が進められた。

「座ってばかりいないで!」はオフィスで終日働くメンバー全員にとって関心の高いテーマ。

こちらも、6回に分けて話が進められた。

メンバーのひとりが慢性的な首の痛みに悩まされていることが、話題のきっかけとなり、

仲間の女性から、前かがみに椅子に座る傾向があることを指摘され、背筋を伸ばして

座るようにアドバイスを受ける。

別のメンバーのかかりつけ医は、健康診断のときいつも姿勢について尋ね、姿勢を改善

して、健康的なよい姿勢を保つ方法をアドバイスしてくれるそう。

一日中コンピュータの前に張り付いている人たちは、座る姿勢に特に注意する必要があり、

座る姿勢は、立つ姿勢や歩く姿勢に大きな影響を与えるとのこと。

ボク自身、大いに思い当たるところがあり、あらためて良い姿勢を、と思った次第。

2015年8月 2日 (日)

覚えてますか? この人の名前

高遠(たかとう)菜穂子さん。

2004年、他の日本人男性2名とともにイラク・ファルージャで地元の武装集団に身柄を

拘束された。9日後に釈放され帰国したが、3人を待っていたのは、「自己責任論」を

振りかざしたバッシングであった。

女性の高遠さんには特に見方が厳しかったことを覚えている。

その高遠さんを招いて、横須賀市民9条の会が主催した講演会を聴きに行った。

主題は『日本は戦争する国になって、いいのか。自衛官が戦場に行って、いいのか。

世界の暴力の連鎖は止められるのか。軍事の拠点、横須賀に住む私たちが、憲法9条を

活かすには、イラク支援を続ける高遠さんから学ぼう』

講演会に声をかけてくれた知人に感謝するとともに、戦場に近い現場で高遠さんが体験

された話を非常に興味深く聴いた。

高遠さんがイラクで拘束されたのは、2004年。

当時、日本政府はアメリカがはじめたイラク戦争を支持し、「人道復興支援」のためとして

イラクに自衛隊を派遣していた。

武装集団は自衛隊の即時撤退を要求したが、日本政府はこれを拒否。

そのような中、高遠さんたちは身柄を拘束された。

事件後、高遠さんはPTSDを発症したが、現在はそれを乗り越えイラクで人道・医療支援活動を

続けている。

講演では、写真・映像が流され、高遠さん自らが経験した凄惨な状況の説明が続いた。

4~500名いた参加者は、たくさんのショッキングな話を聴かされた。

「日本からのイラク支援カンパをもとに、避難民に食料支援をしているが、”砂漠に水をまく”

ような心境。餓死・病死、夏は脱水、冬は凍死。これだけの人々が犠牲を強いられていても

暴力の連鎖は終わらない」

高遠さんが何度も強調したのは、日本がいかに”情報鎖国”であるか。

「国際情勢を把握するには、日本語のニュースだけではまったく足りない。世界はいま

”国境なき戦争状態”に突入してしまった。”情報鎖国”を克服しない限り、行動を起こす

こともできない」

「特に若い人たちには、こんなときだからこそ、海外に行って見て欲しいと強く思う。なにも

戦場に行く必要はない。どんなに離れていても、日本は世界とつながっていることを感じて

欲しい」

安全保障法案で国が揺れるいま、まさに時宜を得たテーマであった。

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