« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2015年7月

2015年7月28日 (火)

宝田明 講演会

地元で懇意にしている方が主催した講演会に参加した。

講演者は、若い人には馴染みがないであろうが、一時期、東宝の二枚目俳優でならした

宝田明さん。

その宝田明さんも齢を重ね、81歳。

でもさすが、とてもその歳には見えないし、立ち振る舞い、話の内容、いずれもすばらしかった。

200名の会場は満席。やはり年配者が多かった。

演題は、風化させない戦後70年、「命と平和を考える」

登壇し、第一声は「宝田明の父です」。

昔の二枚目宝田明をイメージに講演会を聴きに来た聴衆向けに、すばらしいジョーク。

役者とは言え、話ぶりは最高に上手く、教養あふれる雰囲気で、笑いを誘う話も交えながら、

すばらしい講演だった。

Cimg0102_2
戦前、父親が南満州鉄道(満鉄)に勤務していた関係で住んでいたハルピン時代の話、

終戦直前に侵攻してきたソ連兵の蛮行、ソ連兵への憎しみ、子供心に戦争はまさに

狂気の沙汰だと痛感したことなど、いまだに話せる中国語、ロシア語を時折ちょこちょこ

織り交ぜながら話された。

戦争が終ったあと、ハルピンを発つ引き揚げ船に乗り、2ヶ月かけて博多にたどり着いた話、

船の中での物々交換、中にはあまりのひもじさから、子供を手放し、じゃがいもと交換して

いた家族もいたなど、70年経った今も生々しく語られた。

こういう話も出た。

97年、長時間に及ぶ狭心症バイパス手術を受けたとき、半日近く昏睡しており、麻酔から

覚醒してからの第一声が「三船敏郎が亡くなったから、東宝のみんなに連絡しろ」だったそう。

自身はこの経緯について「三船さんとボクは満州から引き揚げて来た者同士で仲良し

だったから、三途の川まで一緒だったけどボクだけ途中で戻って来ちゃったんでしょう。

昏睡状態の中起きた出来事なのに理屈では説明できないことがこの世の中あるんですねぇ」

話題にはならなかったが、宝田明さんで思い出すのは、ミスユニバース世界大会で優勝した

児島明子さんと一時期結婚していたこと。

ネット検索すると、世界大会での優勝は、1959年、56年も前のことだ。

当時、ボクは高校生。大変誇らしく思うとともに、こんなにスタイルのいい人がいるんだと

思ったことを思い出す。

最後に、「戦争放棄、不戦の誓いを定めた憲法第9条をないがしろにすることは許されない。

70年間、大切に立派な樽に入れ封印してきた原酒。閣議決定で見事な太い樽のタガが

外され、流れ出したら原酒はもう元には戻らない。憂国の士はいないのか」

「学校教育でもっと時間をかけて近現代史をしっかり教えるべきである」

予定の1時間半をオーバーし、2時間熱弁をふるい、聴く人たちを魅了した。

話が終わったあと、しばらく拍手が鳴りやまなかった。

2015年7月24日 (金)

夏、この時期恒例

この時期、恒例となっている三浦のメロンをお世話になっている方々に贈った。

三浦のメロンは甘くて美味しく、皆さんからの評判がいい。

きっかけは19年前、息子が亡くなった翌年、いろいろお世話になった方々にお中元を

と思い、ちょうどメロンを栽培している農園の女性と知り合いになり、それ以来お世話に

なっている。

ずっと毎年欠かさずお願いしていたが、ここ2年ネットで見つけたものを贈り、メロンは

ご無沙汰してしまった。

先日農園の馴染みのおかみさんに電話したら「どうしたんだろう、とみんなで話してた。

間もなく最後の収穫をするので、今年は来てよ」

場所は三浦半島突端の城ヶ島近くの農園、我が家からは25キロ。

ファックスを送れば済む話であることはわかっているんだが、久しぶりにご家族皆さんに

お会いしたくなって出かけた。

心地よい風を受けながら、バイクで海沿いを走ってゆくのが楽しみ。

カミサンからは「遠くをバイクで行くのは危ないから車で行って」、と今年も言われたが、

夏を感じながら走るツーリングの魅力に負けて、今年もバイクで出かけた。

途中何ヶ所か好きなポイントがありバイクを停めて、しばし休憩。

先ず、浦賀の渡船乗り場。反対岸まで3~4分で運んでもらえる。

Cimg0093

近くにはペリー上陸記念碑、そのまた近くには千葉の金谷に渡るフェリー乗り場がある。

Cimg0095

その先、海沿いを走る。

うっすら左に見えるのは房総半島、右は三浦半島。

Cimg0097
海から離れたあと、三浦半島の先端方向に向かって大根畑、きゃべつ畑を走り、毘沙門

という集落に入り、馴染みの木村農園にたどり着いた。

いつもは家族総出で、メロン・スイカの出荷作業が行われていた集荷場にはもう何もない。

前もって電話して「3時過ぎには行ける」と伝えていたが、出る前にいろいろあって

結局着いたら4時だった。

待っていてくれた奥さんは、畑に出ていた。

お嫁さんが「しばらく待っていたんですが、ケータイに電話して連絡します」と。

「それは申し訳ない。電話はしないで」と言ったものの、しばらくして奥さんは畑から

帰ってきてくれた。

「いやー、久しぶりだから会いたかったので。元気そうじゃないの。昨日もみんなで

明日は来るね、と話してたんだよ」

「今年は明後日の収穫でメロンは終わり、そのあとは大根」

行けば毎回のことだが「息子さんのお供えにして」とメロンとスイカをくださった。

「来年は必ず来るよ」とお礼を言い、木村さん宅をあとにした。

いただいたメロンとスイカは早速息子の前に置いて、今日の出来事を話した。

Cimg0099_2

2015年7月21日 (火)

映画「沖縄 うりずんの雨」

日曜日、神田神保町にある岩波ホールに観に行った長編ドキュメンタリー映画。

参加した会合でもらったチラシで「沖縄 うりずんの雨」を知り、どうしても観たくて

片道1時間半かけて観に行った。

往復の時間に加えて、映画は2時間半の長編。

時間だけでなく、その内容が余りにも重く、家に帰ったら、ドッと疲れが出た。

監督はアメリカ人、作品は「沖縄戦」、「占領」、「陵辱」、「明日へ」の4部構成。

6月23日、沖縄慰霊の日にあわせて封切られた。

映画のキャッチコピーは、

 「戦後70年、沖縄は問いかける」

 「戦争に翻弄されてきた沖縄の近現代史を見つめ、人々の尊厳を伝える」

作品の内容は、ボクが中途半端に説明するより、作品紹介サイトを見てもらった方がいい。

あえて印象に残っている言葉や場面をいくつか書くと、

 *米軍は沖縄を「戦利品」として扱い

 *取材を受けたお年寄りの言葉

  「撃ち殺されたかった。ガマ(洞窟)の中にいて、火炎放射器で殺されるのだけは

  どうしても嫌だった」

  *集団自決、集団強制死の証言

 *沖縄の人々の平和を求める反基地闘争

 *沖縄への差別的な扱いを許している私たちの無関心に対して、沖縄の人たちの

  深い失望と怒り

2015年7月20日 (月)

横須賀市民オンブズマン

4月まで6期24年間、横須賀市の市会議員を務め退任、退任後、横須賀市民オンブズマンを 

立ち上げた一柳洋さんのこと、それと一柳さんに誘われオンブズマン市民メンバーになった

ことは先月ブログに書いた。 

市民オンブズマンは「自治体の不正を監視したり告発したりする市民組織。情報公開や 

監査請求、住民訴訟などの手段で行政に改善を要求するための組織」 

5月30日に行ったお披露目会合には、主に新聞記事で知った人たち35名が集まった。 

その後、一柳さんほか弁護士2名と3名の市民メンバーで議論したことをもとに、お披露目

会合に参加した人たちにメールを送り呼びかけ、一昨日初会合を持った。 

参加者は10名くらいかと目論んでいたが、男女3名づつの6名。 

うち、3名が年会費5千円を払って会員になることを了承し、6名の発足メンバーに加えて、 

9名で横須賀市民オンブズマンはスタートすることになった。 

一昨日は当面の活動について、立ち上げメンバーから説明し、議論した。 

 ① 議員の政務活動費の精算方式について 

 ② 特別職(市長、副市長ほか)の退職金について 

①については、兵庫県議会議員のでたらめな政務活動費の使途問題に端を発し、 

世間で政務活動費を見る目が変わってきた。 

横須賀市で議員ひとりに支払われる政務活動費は年間約170万円。各議員には 

4月と10月に各自の口座に振り込まれ、使途の報告も年に2度でよい。選挙民が 

使途実態をより正確にタイムリーに把握できるよう、出来高払い方式に改めよ、との提案。 

当提案は既にオンブズマンより市当局に請願の形で行っており、議会事務局は継続審議 

との回答をしてきた。市当局の動きを継続して見守ることになる。 

②については、聞けば聞くほど不条理で、極めて腹立たしい話。 

横須賀市の吉田雄人市長は40歳。 

2009年に34歳の若さで40万人都市の市長になったことで一時期話題になった。 

聞けば聞くほど腹が立つのは、市条例で決まっていて、市長ほか5人の特別職が 

任期4年を務めれば、多額の退職金が出るという話。 

因みに市長、2226万円、副市長1420万円。 

これは再選、再任されれば何度でも出る。 

世の中の常識からすれば、到底容認できない。 

首相ですら、退職金は530万円とのこと。

大企業で40年間営々と勤め上げ、退職金は概ね2500万円。 

他自治体の実態を継続調査し、条例改正を請願するなど、オンブズマンとしてどのような 

動きを取っていくのか、引き続き検討していくことになった。 

選挙で当選し、ひとたび「囲い」に入ってしまえば、このような不条理極まりない恩恵が 

受けられることは「囲い」の外にいる市民はまったく知らない。 

無関心であることが、このような「温床」をつくっている。

それをいいことに、議員側もお粗末極まりない。 

一柳さんによれば、同期で当選しその後も当選を重ねている2名の議員は、年に4度開催 

される議会で、24年間一度も質問に立ったことがないとのこと。(山口と山下の2名。

一柳さんから実名を出して記載結構とのこと)

また、40人いる議員の中、前期の4年で質問を一度もしたことがない議員が16名いるそう。

1期目当選時は30名以上が4年で1回も質問せず。

理由は「与党は市長に質問しねえんだよ」(当記載、一柳さんOKとのこと)

政務活動費は少々前までは政務調査費と呼ばれ、目的は「自由研究」。

調査活動した結果をもとに、政策提言に結びつけ、議会で質問・提言の形にしていくのが

本来の姿。

市長・議員の海外視察の実態についても聞いたが、呆れる話。国内視察もしかり。

実情は惨憺たるもので、「囲い」の中は澱みきっていることを、オンブズマン市民メンバーに

なり初めて知り、何とかしたいと強く思った。

ただ、根っこの一番の問題は、市民の無関心。

ボクは定年後何度も議会本会議の傍聴をしたことがあるが、毎回傍聴者はごくわずか。 

これでは市長、議員にプレシャーはかけられないし、緊張感は到底生まれないと毎回思った。

先日の会合で、市民が少しでも市政に参画意識が持てるよう、議会を夜間・休日開催

するようにしてはと話した。

これに、一柳さんが呼応して、会社員との兼業議員の話をしてくださった。

会社員が勤め先を退職することなく、地元に熱い思いを持った人が地元議員になれる

道をつくり、加えて、議会を夜間・休日開催すれば、議員になる人の資質はぐっと

上がってくるし、もっともっと刺激のある議会運営が期待できる。

因みに、実際、現在いる40名の横須賀市議会議員の大半が兼業である。

オンブズマン活動の一環で、会社員兼業議員プラス議会の夜間・休日開催を検討して

いきたい。

加えて、既にやっている自治体もあるが、市民団体が首長、議員の通信簿制度を

はじめれば、ぬるま湯にどっぷりつかっている「囲い」の中にいる連中に喝を与えることができる。 

厳しい、苦しい耐乏生活を強いられている市民は数しれずいる。 

オンブズマン活動を通し、少しでも風穴が開けられればと思う。 

2015年7月18日 (土)

江戸東京博物館

前から一度行きたいと思っていた東京両国にある江戸東京博物館に先日行ってきた。 

ちょうど、これは行かなきゃと思う催し物をやっていて、20日で終了ということで、行くに

格好のきっかけになった。 

催しは、今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の特別展。 

「花燃ゆ」を観るのは、毎週日曜日の愉しみ。 

ドラマはどんどん面白くなってきた。 

最近の傾向ではあるが、大河ドラマの視聴率は低調。 

ご多分にもれず、「花燃ゆ」も10%~12%とのこと。 

残念だ、こんな面白い作品をたった10人に1人しか観ていないとは。 

江戸東京博物館のとなりが大相撲の国技館であることも、行って初めて知った。 

Cimg0084
会場の入口には「花燃ゆ」の紹介画像。 

Cimg0087
「花燃ゆ」の舞台は、長州の萩。時代は幕末。 

主人公は、明治維新で活躍した志士を育てた思想家、吉田松陰の妹 文(ふみ)。 

文は松陰の主宰する松下村塾(しょうかそんじゅく)の若い塾生、高杉晋作や伊藤博文ら

から妹のように可愛がられ、塾生の久坂玄瑞と結婚。しかし、久坂は禁門の変で自決。 

夫を失った文は、長州藩の毛利家に仕え、幕末の動乱を乗り越えていく。 

ドラマのストーリは、文が毛利家に仕えるあたりまで進んでいる。 

時代は、ペリー率いる外国勢が開国を迫り、それを良とせず抵抗する若い志士たち中心に

尊皇攘夷の風が吹き荒れていた1800年代半ば。その急先鋒は長州藩。 

文は大正10年(1921年)に79歳で亡くなった。 

年末まで続く「花燃ゆ」はおそらく文の死で終わることだろう。 

展示では、文や吉田松陰ゆかりの品々が集められ、また、同時代の貴重な歴史資料を 

紹介し、文とともに幕末維新期を生きた長州藩の人たちの人物像、それに彼らが生きた

時代が浮き彫りにされている。 

これまで観てきたドラマを思い起こしながら、ひとりで2時間近くじっくり展示を鑑賞した。 

観終わったあと、有楽町に移動した。

この日は5時から大学の仲間の懇親会があり、参加した。

1960年初め、ということは、もう50数年前に寮で一緒に寝起きした仲間たち。

1年4回、有楽町の地下にある大学のクラブに集まっている。

この日は、今年3回目。参加者は9名。

常連者が最近体調不良で休みがち、この日も半ば定番になった健康、病気が話題になった。

メーリングリストに書き込まれたメールから、消息のわかっている人の約半数が、ガンを

経験した、ないしは現在患っているという事実をあらためて認識した。

毎回スピーカーを決めて、スピーカーが選んだテーマで話し、それに対し意見を述べ合う

スタイルにして、もう5年以上が経つ。

この日のスピーカーは1年先輩のMさん。

演題は「ドイツが戦後ヨーロッパの中心として発展できた背景ー日本との対比」

ドイツ関連の5冊の参考文献を読んでまとめた8ページの資料をもとに話は進められた。

戦後のドイツのことは、ほとんど知らないまま話を聞き、「あー、そうだったのか」と思う

ことばかり。

話が終わったあと、議論百出、大いに盛り上がった。

最近報道のあった、高校教育過程で新たに新設が決まった科目「近現代史」については、

「ゼッタイそうあるべきだ。古墳時代の話から日本史を教えるような時代ではない」と全員

意見が一致。

NHK大河ドラマも「近現代史」に照準を合わせたテーマにすれば、視聴率は上がるのでは。

準備いただいたMさんにみんなで感謝。

「今後の会合は夜ではなく昼にしよう」と、衆議一決。

開催日は、1月・4月・7月・10月の第2月曜日。開始時間は12時。

万年幹事のボクが予約ノートに書き込み、次回のスピーカがO君に決まり、お開きに。

2015年7月13日 (月)

夏の高校野球神奈川県大会

本格的な夏の到来とともに、高校野球神奈川県大会が一昨日開幕した。

夏の高校野球は大好き。これまでにたくさんのドラマを見てきた。

甲子園まで観に行ったことはないが、神奈川県大会は毎年のように観戦に行く。

去年は息子の母校の応援に行った。

現役時代には何度か休みを取って、決勝戦を観に行ったことがある。

今朝は、家から歩いて10分くらいのところにある県立横須賀大津高校の試合を横須賀

球場に観に行った。横須賀球場はDeNAの2軍のフランチャイズ球場。

今朝の対戦は、大津高校と鶴見大学附属高校。

短パン、帽子、サングラス、足元はクロックスという完全に真夏の外出スタイルで出かけた。

大津高校は三塁側だったが、バックネット裏で観た。

Cimg0067
大津高校の応援席は、期末試験が終わっている時期なので、もう少し生徒が応援に

来てもいいのでは・・・

Cimg0069

ギラギラ照りつける太陽、あまりにも暑かったので上半身ハダカになり観戦した。

気持ちは良かったが、当然のことながら赤くやけた。

ボクが座っていた右前で年配のご夫婦が手作りの小さな幟旗を持って応援していた。

お孫さんの応援に来ていたようで、特定の選手の応援には力が入っていた。

Cimg0078
ゲームの前半は引き締まった投手戦。

6回を終わって、2対1で大津高校がリード。

このまま最後までと願っていたら、残念ながら、そううまくは行かなかった。

7回、8回、9回に鶴見大学附属高校に合計10点取られ、終わったら2対11で敗退。

高校野球は何が起きるかわからないと改めて感じた。

帰り道、今年も決勝戦を観に横浜スタジアムに行こうと思った。

途中雨で順延にならなければ、決勝戦は7月28日13時から。

決勝戦は球場の雰囲気がまったく違う。

勝てば当然、県代表として、全国の人が注視する中、甲子園でプレイできる。

負ければ、準優勝で終わり、来年に期すほかない。

勝負の世界の厳しさを目の当たりにすることができるのが、決勝戦の何とも言えない魅力。

2015年7月12日 (日)

息子の仲間たちとの交流

息子が亡くなり、今年で20年。 

以来ずっと、息子の仲間たちとの交流が続いている。 

高校の同級生、大学の同級生、たった3ヶ月のお付き合いで終わった同期入社の仲間。 

皆、アラフォー真っただ中。 

公私ともども、それぞれ楽とは言えない日々を過ごしている。 

そのうち何人かとはフェイスブックでもつながっている。 

その中、昨日は大学の仲間だったKくんと我々夫婦で食事をした。 

Kくんの家は相模原。 

横須賀からだと2時間かかる。 

Kくんは遠路を何度も横須賀に来てくれ、息子の墓に手を合わせ、その帰りに我が家にも 

何度か寄ってくれた。 

我々は、息子が在校中はKくんのことを知らなかった。 

一時期、息子のホームページを掲載していて、たまたまKくんが姓名で検索して見つけて

くれて、メールをもらったのがきっかけとなり、それ以来のお付き合い。 

初めてKくんが我が家に来てくれたとき、我々夫婦が感激することがあった。 

Kくんが持ってきてくれた息子へのお土産のひとつが、吉野家の牛丼。

それを息子の前に置いてくれて、お互い金のない時期、一緒によく吉野家に行ってたことを

話してくれた。 

息子はよく言っていた。「俺は吉野家ではいつもツユダクだ」 

Kくんには何度も遠方を来てもらったので、今回は我々が相模原に行くことにした。 

Kくんは、土曜日家の近くの食事処でアルバイをし、お店を手伝っていると聞き、その店が、

奇遇も奇遇、横浜線の相原にあると聞き、びっくり! 

相原には20数年前、当時息子がお付き合いしていたTさんが住んでいたアパートがあった。 

ふたりはいずれ結婚するのでは、とカミサンと話していた。 

KくんもTさんも息子も、同じ大学の同じ学部。 

Tさんは卒業後しばらく東京で働いたあと地元に戻り結婚。 

先日、息子の命日にはお酒を送ってきてくださった。 

Tさんに、ことの次第を伝えるため、久しぶりにメールした。 

息子は遠い相原に、車でしょっちゅう通っていた。 

メールで「相原に行ったとき、Tさんが住んでたアパートを見てきたい」とTさんに伝えたら、 

「住所を覚えてなくて、どうしようかと思ったら、ハッと気がつきました。当時Gくん(息子)が 

相原に送ってきてくれたハガキがあることに。ハガキをメールで送ります」 

メールが届いた。 

「私の好きなモディリアーニの絵葉書を選んでくれていました。 

優しいメッセージも添えられていますねー(*^^*) 住所も部屋番号もバッチリです! 

思い出し描きの地図と一緒に葉書の写真を添付しました」 

ということで、昨日午後、相原に行ってきた。

横須賀から相原、遠い。Kくんはこれほど遠いところをよく何度も横須賀に足を運んで

くれたのだ、とあらためて深く感謝した。

相原駅に着いてすぐ、駅前の交番でTさんのアパートを聞いた。

すぐ見つかった。

Tさんの話では、このアパートは息子と一緒に、安全で駅近を条件に探したそうだ。

Cimg0042

アパートを確認したあと、Kくんがバイトしている「沙羅の木」というお店へ。

Cimg0046
談話室と呼んでいる「沙羅の木」は気軽にお客さんが集まってきて、感じのいい奥さんの

料理を食べながら、おしゃべりするという雰囲気の店だった。

Kくんと我々夫婦、ケーキセットをいただきながら、奥さんも一緒にしばらく歓談。

そのあと、Kくんが前もって考えてくれていた相模大野の牡蠣専門店へ。

この店は、Kくんの小学校からの友人が店長を務めているとのこと。

牡蠣を堪能したことはもちろんのこと、3人で息子のことで大盛り上がり。

先ずは、Kくん「あいつはここにいますよ」と言い、Kくんの発案で息子も入れて4人でカンパイ。

Cimg0053

牡蠣専門店だけあって、宮城、秋田ほかあちこちの牡蠣をいただいた。

Cimg0054

Cimg0057

Cimg0058
お店には2時間以上いた。  

3人でしゃべっていた時間の半分以上は息子のこと。 

Kくんが何度も言ってた。 

「あいつと妹さんが一緒にやった合コンのことはいまだにはっきり覚えてますよ。しかも 

平素は縁のなかった自由が丘で。ふたりがそれぞれ自分の友だちの男の子と女の子を 

集めて合コンやる兄妹なんて見たことないですよ」  

息子のことをこんなにたくさんしゃべったのは、20年ぶりでは。 

アレンジしてくれたKくんに感謝しお礼を言い、心地良い気分で、カミサンと横須賀に帰った。

2015年7月 9日 (木)

講演「~元パイロットが語る~ 空の旅の舞台裏」

昨日朝、地元のコミュニティーセンターで大変興味深い講演を聴いた。

講演者の前根明さんは我が家の近くに住んでいる方だが、これまで面識はなかった。

子供さんが6人いて、ひとりは息子の友だちだった。

120名収容の会場は満席。平日でもあり、ほとんどがシニア。顔見知りもちらほら。

前根さんはボクより3歳上。

ラストフライトが2000年とのことで全日空を退職されて15年。

通算で運んだお客さんの数、350万人。

航空事故が起きれば、前根さんは解説者として今でもしばしばテレビ他メディアに登場する。

フライトの合間に世界で起きた約100件の航空事故を分析し、「事故のモンタージュ」7巻、

「事故からの生還」ほか10冊以上の著作を岡野正治の名前でまとめられている。

岡野正治が前根明だとは全日空社内でも知られていなかったが、15年前、定年退職で

パイロットを退いたときに産経新聞などいくつかの新聞に書かれてばれてしまった、とのこと。

話は最高に面白かった。

シニアが多いということは予めわかっていたので、難しい話は あまりなく、軽妙な語り口と

冗談を交え参加者を楽しませてくださった。

講演がはじまって1時間くらい経ったころ「大体毎日今ころ起きてるんですよ」 と言われ、

きっと昔は厳しい人だったのだろうが、今はまさに好々爺の雰囲気。

Cimg0039

ただ、今でも事故ほか事あるごとにメディアに呼ばれることが少なくないようで、それについても

興味深い話をいろいろしてくださった。

とにかくすばらしい方!

とともに、お持ちの大変な知識、記憶されている数字・人名、歴史文化・・ 驚くばかり。

ジョークがどんどん飛び出し、参加者は笑いが止まらず。  

そのいくつかを書くと、

 ・飲む・打つ・買うは、今やお酒は別にして、打つはときどきゴルフ、それと十割ソバ打ち。

  買うは、かつては仕事で行ったところでよく海外の市場に行っていたが、今は家の近所で

  買い物に。   

  ボクがいつも行くスーパーの名前が3つ出た。そうか、同じような暮らしぶりなんだと、ホッと。   

  これからの飲む・打つ・買うは、クスリ・点滴・お墓。  

 ・かつてはスチュアーデスの行列ができるほどモテた。ボクの人相・手相見が人気があった。  

 ・お孫さんが電話を受けて「じいじ、いる?」に「いらない」

メディアに駆り出されないのが一番だが、去年~今年、たびたび声がかかった。

マレーシア機行方不明、ジャーマンエアの副操縦士自殺、韓国航空のナッツ姫事件、

広島空港のアセアナ航空トラブル・・・

会場から「どんなとき危険を感じますか?またその対応は」の質問に対しては、

着陸と乱気流対応。

「着陸うまいね(まいね)」と評判だった。

「乱気流は大変。上空の風の強さはだいたい新幹線くらい。それに乱気流があると・・・」

「一番難しいのは直線の水平飛行。上下左右のブレを最小限に押さえなければならない」

最後の質問は「パイロットの適性に欠けている人は?」に対しては、即座に、  

①一点集中主義で融通性がない人、②ミスに気がつかない人、③ミスを指摘されても直さない人

最高に面白い講演会だった。

とともに、前根さんの人間性、お人柄に完全に魅せられた。

話の中で「買い物や散歩でこのあたりを徘徊してます」と言われていたので 、もしお会いする

ことがあれば、是非ともお声をかけたい。

70年超の人生で、これほど魅力的な方にお会いしたことはないのでは、とすら思った。

2015年7月 3日 (金)

一度行きたかった横浜寿町

先週金曜日、以前から行きたいと思っていた横浜の寿町というところを訪ねた。  

寿町は中華街、横浜スタジアムから歩いて10分ちょっと。 

大阪の釜ヶ崎や東京の山谷にあたる町で、昔の言い方で言えばドヤ街との認識。  

しばらく前に「ホームレス歌人」のタイトルでブログを書いたことがある。  

ポイントをもう一度書くと以下のような内容。  

 『朝日新聞が毎週掲載している「朝日歌壇」に一時期、公田耕一さんというホームレスの 

 方の歌が何度も入選作に選ばれ、話題になった。  

 公田耕一さんの投稿歌が初めて朝日歌壇に入選したのは2008年12月。  

 ちょうど東京の日比谷公園に年越し派遣村が初めて開設された年。 

 心の琴線に触れる公田さんの詠んだ歌には何度も感じ入った。  

 以下、ネットで見つけた公田さんの歌。  

   * パンのみで 生きるにあらず 配給の パンのみみにて 一日生きる  

   * 鍵持たぬ 生活に慣れ 年を越す 今さら 何を脱ぎ棄てたのか  

   * 百均の 「赤いきつね」と迷いつつ 月曜だけ買ふ 朝日新聞 

   * 親不孝通りと 言へど 親もなく 親にもなれず ただ立ち尽くす  

   * 哀しきは 寿町と言ふ地名 長者町さへ 隣りにはあり 

 公田さんの歌には、横浜・寿町の名前が出てくるため、公田さんは寿町を居にしている 

 のではと当時言われた。   

 「朝日歌壇」に公田耕一さんは彗星のように現れ、公田耕一さんの登場に鮮烈な印象を 

 受けた人たちは、公田作品に深い共感と応援を送った。  

 しかし、登場した翌年の2009年9月の入選作を最後に公田耕一さんは突然朝日歌壇から 

 姿を消した。  

 公田さんの所在、人物像は杳として知れず、ミステリアスのまま今に至っている。 

 「ホームレス歌人のいた冬」という本が出版されていることを知り、購入し読んだ。 

 とともに、一度、寿町に行ってみたいと思うようになった』  

前置きが長くなったが、こういう背景から、先週寿町に行った。  

昔のドヤ街をイメージし、行くにあたっては少々不安を感じ、念のために帽子とマスクと 

サングラスを持って行った。  

結果的には不安は取り越し苦労に終わった。  

寿町は石川町の駅から歩いて5分くらい。1丁目から3丁目まであった。  

XX荘、XX館の名称のついた一泊千円~千五百円の宿、安く食事ができる店、福祉施設、 

コインランドリーなどが軒を連ねていた。  

Cimg9976

「ホームレス歌人のいた冬」という本にも出ていた寿生活館、そのとなりには保育園もあった。

Cimg9974

酒を飲んで道に寝そべっている人はひとり見ただけで、汚い街というメージは感じられなかった。

たまたまこの日は寿生活館の前の公園で昼食の炊き出しが行われていて、長い列ができていた。  

Cimg9970
ボランティアと思われる女性に「食事が食べられるのは登録している人だけですか」と聞くと  

「誰でもいいです。よければどうぞ食べて行ってください」と言われた。  

昼を食べたばかりでもあり遠慮した。  

ふるまわれていた食事は雑炊のようなもの。

おかわり自由。それにデザート代わりに夏みかん1/4。  

食べている人に聞いてみると、週1回、金曜日の昼のみとのこと。  

しばらく座って様子を見ていた。  

運営しているのはボランティアの人たち。中にインド人と思える人が結構いた。  

それに中学生の女の子たち。学校が行かせているのでは。  

となりに座ったボクくらいの年配の人が話しかけてきて色々話した。  

来ている人たちは、それぞれが過去をかかえ、事情をかかえ、寿町に住み着いたのであろう。  

ただ、思っていたより、全体的に暗さが感じられなく、少し安堵した。

« 2015年6月 | トップページ | 2015年8月 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
フォト