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2015年5月15日 (金)

沖縄の娘宅へ(6)

今日、5月15日は1972年に沖縄が本土に復帰した日。今年で43年目となる。 

沖縄の戦跡、遺跡には本土復帰を記した記念碑が建てられている。 

復帰43年が経った今なお基地問題が膠着状態にあることは極めて嘆かわしい。 

対馬丸記念館のあと、戦跡「沖縄陸軍病院 南風原(はえばる)壕群20号」を訪ねた。

着いたら、既に4時半近かった。

5時閉館のため、説明をして下さる方に申し訳なかったが、快く受け付けてくださった。

説明して下さった方はボクと同じ歳、まさに沖縄戦を体験された方。

マンツーマンで丁寧に説明していただいた。

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記念館は元の壕の跡に造られた傷病兵の収容施設。

見学料を払った際もらった入場票に書かれていた歌。

  「切り落とせし兵の脚をば埋めにゆく女子学生ら唇噛み駆ける」

軍医・看護婦・衛生兵に加えて、ひめゆり学徒が傷病兵の治療に当たった。

医療設備や薬がとぼしいなか、満足な治療はできず、麻酔のないままの手術や手足の

切断が行われた。

米軍の侵攻が進むなか、沖縄陸軍病院は南部へと撤退することになった。

連れていけない重症患者は、青酸カリによる自決を強要されるなど、多くの人が悲惨な

最期を遂げた。

動員されたひめゆり学徒は222人、うち150人近くが亡くなったそうだ。

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壕に来る手前に、ひめゆり学徒が傷病兵に食事を運ぶため登った「飯上げの道」が

残っていた。

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壕を見学して外に出たら、鎮魂の碑と憲法九条の碑があった。

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時まさに、安全保障政策の根幹であった憲法九条のもと守られてきた「専守防衛」が

あやしくなり、沖縄の基地問題は県民の抵抗を押し切る形で進んでおり、悲惨な戦争を

語り継いでいく人たちはどんどん減ってきており、この先どうなっていくのだろうと思いながら

帰路についた。

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コメント

日本の総理こそが憲法9条を世界にひろめ発信する権利と義務を持っているんですが
先日のアメリカでの発言は最悪でした 帰国後は後方支援だから危険ではない 平和の為と言います。 北朝鮮は名指しでしたが 中国は出しませんでした かつてアメリカはベトナム戦争で ベトコンを殺しても殺しても湧き出てくると怯えたと何かで読みましたアメリカはいつもトップランナーであり続けたい 中国の世界への進出が目に余ると思っているのでしょう 日本はどうやらアメリカに利用される形になりました 閣議決定の後国会で攻防なんて意味ありません 与党の頭数は圧倒的に多いですから 残念です 

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