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2015年5月12日 (火)

沖縄の娘宅へ(5)

沖縄には娘一家が移住して以来、またその前も含めると相当回数行っている。

初めのころはポピュラーな観光地にも行ったが、一時期から戦跡巡り、それに琉球の

名残を求めて、あちこち訪ね歩いた。これまでに相当の数の戦跡・遺跡を訪ねた。

今回はどうしても行きたかった戦跡2ヶ所を訪れた。

選んだ日は、孫たちが映画「シンデレラ」を観に行くと決めた日、毎回のことだが

ひとりで出かけた。

先ず、那覇市内にある対馬丸記念館

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終戦の前年、1944年8月22日夜10時、悲劇は起きた。

沖縄から本土に疎開する学童ら1788人を乗せて那覇港を出発した対馬丸は米潜水艦の

魚雷を受け沈没し、学童780人を含む1485人が亡くなった。

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対馬丸が撃沈されたあと事件について「決して語ってはいけない」と厳重なかん口令が

敷かれた。

対馬丸撃沈からわずか49日目の1944年10月10日、米軍の大空襲に遭い、那覇は

焼き尽くされた。

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97年遺族の要望を受けて政府は船体の捜索を決めた。

水深870㍍の海底で「對馬丸」と記された船体が見つかったが、腐食が激しく政府は

引き上げを断念した。

入館時もらったパンフレットに「いま”対馬丸”を語ること」として以下が書かれていた。

   いま対馬丸を語ること、それは何でしょうか?

   戦争のこと?それとも平和?

   本当に語って欲しいこと、それはいまそこにあるそれぞれの「夢」のことです

   暗くつらい戦時でも「夢」は持っていました

   でも生きていればこその「夢」

   犠牲になった彼らが無くしてしまった「夢」

   彼らが持っていたであろう未来への「夢」

   その「未来の夢」に私たちは生きています

   この館には犠牲者の数と比較して遺品など「物」があまりにもありません

   沖縄戦では多くが焼かれ破壊しつくされ、形あるものは失われました

   しかし、人々の「想い」は決して失われません

   人々の「想い」、それは平和への強い「希望」です

   いまも世界では報復の連鎖が、子供たちから夢と希望を奪っています

   この報復の連鎖を断ち切る努力を一人ひとりがすること

   これこそが、対馬丸の子供たちから指し示された

   私たちへの「課題」ではないでしょうか

もう1ヶ所訪ねた戦跡「沖縄陸軍病院 南風原壕群20号」は、沖縄の娘宅へ(6)で。

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