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2015年5月

2015年5月31日 (日)

Chatsdood会

Chatsdood会、名前を聞いただけでは、もちろん何だかわからない集まりが昨日あった。

場所は毎回新宿の同じ店。昨日土曜日は1時スタート。

元いた会社富士通でオーストラリアに関わった仲間の集まり。

3年くらい前にスタートし、年に1~2回集まっている。

ボクはそもそも会社を退職すれば、会社との関係は終わり、退職後は会社以外の 

人たちと交流しようと思い退職した。 

そのため、最後にいた職場で何度も誘われたOBのメンバー会への参加も断った。 

そのような中、声をかけてくれる人たちがいて、退職後3つのグループのメンバーになった。

それと数名単位のグループで集まる会合にも、ときどき声がかかる。 

Chatswood会はそのひとつで、かつて富士通で大型コンピューターのソフトウエア開発を

担当し、オーストラリア事業に関わっていたふたりの先輩の発起でできた懇親会。

会の名前は、当時シドニーにあった富士通オーストラリアの本社の所在地に因んでつけられた。

昨日は11人が集まり、うち3人は現役、大半は定年退職者。

ありがたいことに、毎回、現役のTくんがアレンジしてくれる。

当然話題の中心は、それぞれタイミングは違ったが、駐在していたころ、関わっていた

ころの話、それに参加していない仲間の近況、現地で一緒に働いたオーストラリア人の

話題などで盛り上がった。

参加者のひとりHさんは、JICAのシニアボランティアでモロッコに10か月間滞在していて

最近帰国したばかり。モロッコでの活動をいろいろ話してくださった。

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3時に中締め、場所を近くに移し、2次会。

5時近くになり、6時15分に横須賀で約束していたことを思い出し、急いで湘南新宿ラインに

乗り、帰った。

少々約束時間はオーバーしたものの、途中地震にあうことなく横須賀まで帰れた。

2015年5月29日 (金)

熱海にて その2

熱海に行ったとき一度訪ねたいと長い間思っていたところがあった。  

それは、韮山の反射炉。  

今回こそ行こうと思っていた。  

横須賀に帰る前日の火曜日、最寄駅の来宮から伊東線でひと駅目の熱海に出て、  

修善寺行きの伊豆箱根鉄道に乗り換えた。  

熱海から下車駅の伊豆長岡駅までは30分足らず。  

駅前から韮山反射炉循環の無料シャトルバスに乗った。  

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「韮山反射炉を世界遺産に!」と書かれたポスターやのぼりを町のあちこちで見かけた。  

反射炉が完成したのは、江戸末期の1857年。150年以上前。  

毎週楽しみに観ているNHK大河ドラマ「花燃ゆ」とまさに同じ時代。  

反射炉は鉄を溶かすための溶鉱炉で、大砲を造る目的で建造された。  

当時、日本は迫りくる諸外国の艦隊に備え、反射炉で鉄製の大砲を鋳造し、江戸湾内の 

品川台場をはじめとする砲台に設置することを目指していた。  

まさに「花燃ゆ」で描かれている攘夷思想の発露であった。  

鉄を溶かすに必要な千数百度の高温を実現するため、反射炉内の天井部分は浅い 

ドーム型になっていて、そこに炎と熱を反射させ、溶解する材料に集中させたことから

反射炉と呼ばれている。  

炉の周囲の鉄製の枠は、後年崩壊を防ぐために付けられたもの。  

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反射炉の周りには砲身の内部をくり抜くための錐台や付属品の細工小屋などもあり、 

それらの施設も含め、反射炉はまさに大砲の製造工場であった。  

当時、佐賀藩や萩藩などでも反射炉は建造されたが、韮山反射炉は実際に稼働した 

反射炉が現存している稀有な例。  

説明してくださった地元のシニアボランティアの皆さまの解説はわかり易く、的を得ていた。  

韮山反射炉を建造した人は江川太郎佐衛門であることは、その昔たしか中学校の社会科で 

習った。  

反射炉のあと、シャトルバスで江川亭に連れて行ってくれるということでバスを待って乗った。 

江川太郎佐衛門英龍は、江戸幕府の代官を勤めた革新思想を持った人。  

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帰路、江川亭から巡回シャトルバスに乗り、韮山駅まで行った。

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念願だった反射炉に行け、面白い話がいろいろ聞け、心地よい小旅行になった。

2015年5月26日 (火)

熱海にて

木曜日夜から、2か月ぶりに熱海に来ている。

熱海にはほとんど毎回ひとりで来る。

「熱海に行く」と言えば、カミサンはひとりになれるので「いいよ、しばらく行ってても」と喜ぶ。

事情があり、このマンションは20年前に購入した。

マンションは85戸。

古くからの知り合いが多くいて、今回はそのひとりで理事長をやっているHさんから

「理事会をやるのでオブザーバーとして参加して」と頼まれた。

ボクも6年前に理事長をやり、通算3回理事をやった。

入居した当初7割が非常住者であったが、今は比率が逆転し、6割以上が常住者。

理事会は土曜日にあった。

懸案がたくさんあり、午後いっぱいかかった。

3か月前に替わった新しい管理会社の関連、規約・細則改正、入居者からの要望・苦情対応、

それに居住者の合意形成が難しい理事の輪番制ルール・・・

理事長のHさんはリーダーシップを発揮し、よくやってくれている。

理事長ほか理事は5人いるが、自分がやった経験から、裁き、決め、説得し徹底させるのは

理事長の役目。

さて、ひとりで来ると、一番面倒なのは食事。

家ではカミサンに頼るところが多く、こちらにひとりで来ると3食自分で用意することになる。

スーパーで出来合いの総菜を買ってくることはもちろん出来るが、すぐ飽きる。

そのため、できるだけ自分で作ることにしている。

とは言え面倒で、鍋とカレーを作り、連続して食べることも多い。

このような食事が続くと、帰って食べるカミサンの料理に毎回ありがたさを感じる。

横須賀にいるとき以上に時間があるため、熱海では体を動かすことに時間を使うことに

している。

熱海はアップダウンが多いため山歩き、それにプールでの泳ぎに時間を費やしている。

今回も熱海駅まで30分近く歩き、バスに乗って山の上にあるMOA美術館に行った。

広い美術館の庭園は緑鮮やかで、まさに初夏、気持ちの良い陽気だった。

すてきな唐門。

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ちょうど昼どきだったため、尾形光琳屋敷を模した一角にある蕎麦屋に初めて行った。

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とても雰囲気の良い蕎麦屋で、いただいた白湯そばも美味だった。

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MOA美術館にはこれまで20回以上は行っている。

今回の催しは、初めて聞く絵師 又兵衛の躍動感あふれる山中常盤物語絵巻。

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山中常盤物語絵巻は、義経の母・山中常磐の敵討ちを題材にした又兵衛絵巻を代表する

作品とのこと。

全12巻あわせると150mを超える長大な絵巻で、今回は12巻すべてが展示されていた。

全12巻すべてMOA美術館の所蔵で、全巻を一堂に展示するのは、3年ぶりとのこと。

展示を観たあと、海が臨めるMOAで一番好きな場所に行ったが、曇り模様で展望は

イマイチだった。

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2015年5月22日 (金)

沖縄の娘宅へ(8:LAST)

1週間滞在した娘宅からGW明けの7日に横須賀に帰ってきた。 

朝、孫たちが雨の中、学校に行くのを見送った。 

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「いろいろいっぱいやって楽しかったね」と、一緒にやったことを書いた手紙を置いて 

娘宅をあとにした。 

夕方、姉孫から絵文字のたくさんついたメールが届いた。 

「おてがみありがとう。夏休みも遊ぼうね」 

そうだ、8月初めに帰省する予定が決まったんだ。

空港に行く前行きたいところがあり、カーナビにセットし目的地に向かった。

行きたかったのは、琉球王国の城跡(グスク)のひとつである、勝連グスク。

沖縄本島南部を中心に点在するグスクなどの琉球王国の史跡群がユネスコの世界遺産

として登録されたのは2000年。

登録されたグスクおよび関連遺産群は9ヶ所。

著名な首里城跡はそのひとつ。

一時沖縄に行くたびに遺産群回りをし、これまでに8ヶ所を訪ねた。

残る1ヶ所は、うるま市にある勝連グスク。

今回行く前から、勝連グスクを訪ねたいと思っていた。

これまで訪ねた8ヶ所はどこもすばらしく、しっかり覚えている。

中でも最もよかったのは、本部(もとぶ)半島の今帰仁(なきじん)にある今帰仁グスク↓

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カーナビをセットしたものの、うるま市に入り勝連グスクへの道は、いつものことながら迷った。

たどり着いたグスクの近くにあった案内所でパンフレットをもらい、グスクのこと、お勧めの

食事どころ、那覇空港へのルートと時間を聞き、親切に教えていただいた。

勝連グスクを観光していた人はあまりいなかった。日本人より欧米人の方が多かった。

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曇天で海がきれいに見えなかったのが残念だった。

お昼は案内所で教えてもらった、グスクから車で5分くらいのお店「ももと庵」で食べた。

お店の雰囲気も良く、沖縄らしいランチをいただいた。

オーナーの女性の対応がとても良く、会話を楽しんだ。

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ももと庵のあとはレンタカー屋に寄り、レンタカーを返し、空港まで送ってもらった。

長い沖縄の旅にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2015年5月17日 (日)

沖縄の娘宅へ(7)

ゴールデンウイーク、1日くらいは遠出しよう、ということで名護に行くことになった。

高速に乗れば娘の家から名護までは1時間くらい。

「子供たちが楽しめるところがいいよねぇ。オーソドックスではあるけど、先ずは美ら海

水族館かな。美ら海以外どこにしようか?」と出発前にみんなで話したが、決まらず。

姉孫の一言、「途中、車の中でネットで探せばいいよ」ということで、衆議一決。

小学5年生の姉孫は、ボクよりずっと進んでる。

車に乗ると、スマホの音声アシストアプリSiriで音声で質問。

回答をもらったら、スマホでサイトを検索し、カーナビに入れて、ナビスタート。

この方法で、ボクが訪ねたかった戦跡、琉球遺跡もカーナビに入れてくれて、ボクは

登録地点のボタンを押すだけで目的地に行くことができた。

考えてみると、スゴイ世の中になってきたものだ。

美ら海に行く前、ボクが行きたいところがあり、途中名護市内から30分の瀬底島に寄った。

瀬底島に初めて行ったのはまだ働いていたころの1999年、16年前。

瀬底島のすばらしい海に感激し、その後も名護・本部方面に行った折には何度も寄った。

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孤島であった瀬底島に、島民の永年の悲願であった橋がかかったのは、1985年。

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この瀬底島にはいろいろ思い出がある。

中でも、12年4月に「信じられない出会い」のタイトルで書いたブログの出来事には

ホントに驚いた。

ブログにはワード検索機能がついていて、このように古い掲載記事が簡単に検索

できるので、ありがたい。

瀬底島のあと、美ら海水族館に行った。

美ら海は孫たちもぼくらも何度も来ているので、入館料が結構高い水族館には入らないで

園内をブラブラした。

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帰り道、名護のファーマーズ マーケットで横須賀に持ち帰る沖縄野菜をいろいろ買った。

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2015年5月15日 (金)

沖縄の娘宅へ(6)

今日、5月15日は1972年に沖縄が本土に復帰した日。今年で43年目となる。 

沖縄の戦跡、遺跡には本土復帰を記した記念碑が建てられている。 

復帰43年が経った今なお基地問題が膠着状態にあることは極めて嘆かわしい。 

対馬丸記念館のあと、戦跡「沖縄陸軍病院 南風原(はえばる)壕群20号」を訪ねた。

着いたら、既に4時半近かった。

5時閉館のため、説明をして下さる方に申し訳なかったが、快く受け付けてくださった。

説明して下さった方はボクと同じ歳、まさに沖縄戦を体験された方。

マンツーマンで丁寧に説明していただいた。

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記念館は元の壕の跡に造られた傷病兵の収容施設。

見学料を払った際もらった入場票に書かれていた歌。

  「切り落とせし兵の脚をば埋めにゆく女子学生ら唇噛み駆ける」

軍医・看護婦・衛生兵に加えて、ひめゆり学徒が傷病兵の治療に当たった。

医療設備や薬がとぼしいなか、満足な治療はできず、麻酔のないままの手術や手足の

切断が行われた。

米軍の侵攻が進むなか、沖縄陸軍病院は南部へと撤退することになった。

連れていけない重症患者は、青酸カリによる自決を強要されるなど、多くの人が悲惨な

最期を遂げた。

動員されたひめゆり学徒は222人、うち150人近くが亡くなったそうだ。

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壕に来る手前に、ひめゆり学徒が傷病兵に食事を運ぶため登った「飯上げの道」が

残っていた。

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壕を見学して外に出たら、鎮魂の碑と憲法九条の碑があった。

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時まさに、安全保障政策の根幹であった憲法九条のもと守られてきた「専守防衛」が

あやしくなり、沖縄の基地問題は県民の抵抗を押し切る形で進んでおり、悲惨な戦争を

語り継いでいく人たちはどんどん減ってきており、この先どうなっていくのだろうと思いながら

帰路についた。

2015年5月12日 (火)

沖縄の娘宅へ(5)

沖縄には娘一家が移住して以来、またその前も含めると相当回数行っている。

初めのころはポピュラーな観光地にも行ったが、一時期から戦跡巡り、それに琉球の

名残を求めて、あちこち訪ね歩いた。これまでに相当の数の戦跡・遺跡を訪ねた。

今回はどうしても行きたかった戦跡2ヶ所を訪れた。

選んだ日は、孫たちが映画「シンデレラ」を観に行くと決めた日、毎回のことだが

ひとりで出かけた。

先ず、那覇市内にある対馬丸記念館

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終戦の前年、1944年8月22日夜10時、悲劇は起きた。

沖縄から本土に疎開する学童ら1788人を乗せて那覇港を出発した対馬丸は米潜水艦の

魚雷を受け沈没し、学童780人を含む1485人が亡くなった。

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対馬丸が撃沈されたあと事件について「決して語ってはいけない」と厳重なかん口令が

敷かれた。

対馬丸撃沈からわずか49日目の1944年10月10日、米軍の大空襲に遭い、那覇は

焼き尽くされた。

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97年遺族の要望を受けて政府は船体の捜索を決めた。

水深870㍍の海底で「對馬丸」と記された船体が見つかったが、腐食が激しく政府は

引き上げを断念した。

入館時もらったパンフレットに「いま”対馬丸”を語ること」として以下が書かれていた。

   いま対馬丸を語ること、それは何でしょうか?

   戦争のこと?それとも平和?

   本当に語って欲しいこと、それはいまそこにあるそれぞれの「夢」のことです

   暗くつらい戦時でも「夢」は持っていました

   でも生きていればこその「夢」

   犠牲になった彼らが無くしてしまった「夢」

   彼らが持っていたであろう未来への「夢」

   その「未来の夢」に私たちは生きています

   この館には犠牲者の数と比較して遺品など「物」があまりにもありません

   沖縄戦では多くが焼かれ破壊しつくされ、形あるものは失われました

   しかし、人々の「想い」は決して失われません

   人々の「想い」、それは平和への強い「希望」です

   いまも世界では報復の連鎖が、子供たちから夢と希望を奪っています

   この報復の連鎖を断ち切る努力を一人ひとりがすること

   これこそが、対馬丸の子供たちから指し示された

   私たちへの「課題」ではないでしょうか

もう1ヶ所訪ねた戦跡「沖縄陸軍病院 南風原壕群20号」は、沖縄の娘宅へ(6)で。

2015年5月11日 (月)

沖縄の娘宅へ(4)

GWも終わりに近づき、どこかお昼を食べに行こうという話になり、出かけることにした。

どこに何を食べに行くかなかなか決まらず、やっと娘の提案で落ち着いた。

決まったのは、BE NATURALという、娘が月に1度料理を習いに行っている店。

娘のブログで何度も見たことがある。

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落ち着いてこじんまりした、いかにも女性好みの店。お客さんも女性ばかり。

出された料理はどれも美味しく、BE NATURALという感じのランチメニューだった。

妹孫が写真を撮ってくれた。

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食事のあと、娘がフラダンスを踊りに行くというので、孫たちを連れて観に行った。

もともとフラダンスは姉孫が習っていたが、姉孫がやめたあと、娘がはじめ、3年くらいになる。

多くの仲間の女性と楽しんでいるようだ。

躍った場所はスーパーマーケットの中の一角のFMスタジオ前。

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娘家族が住んでいる南城市のゆるキャラ「ナンジイ」がここにも飾られていた。

南城市の形がハート型だそうで、ハートをあしらったご当地キャラ。

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ほかに予定がある娘と別れ、孫たちを連れて帰った。

先に帰ったのには訳があった。

姉孫が母の日のためにパンケーキを焼きたいと言い。

大慌てで準備に取りかかり、帰ってきた娘に台所に入らないように言い、姉孫が頑張って

仕上げ、妹孫が折り紙細工を添えた。ボクもカブトを折ろうとしたが思い出せず。

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GW中の宿題になっていた絵日記にも書いていた。

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娘からカミサンへも母の日のプレゼントがあった。

自作のクッキーとアロマ・ディヒューザー(拡散器)

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食後、姉孫が白玉ダンゴを作ってくれて、みんなでデザートを愉しんだ。

2015年5月 9日 (土)

沖縄の娘宅へ(3)

(3)を書く前に、(2)で書いた知念岬で書き忘れていたことを思い出した。 

それは、5年前に知念岬の先にある久高島に行ったときのこと。

久高島には観光だけでなく、当時姉孫がお世話になっていた幼稚園の先生が久高島に

赴任されていて、先生にお会いすることも目的のひとつだった。 

そのときのことを書いたブログはこちら 

さて、話を(3)に戻して。

滞在中、ほぼ毎日起きぬけ、家の近くを散歩した。

大好きな月桃をはじめ、初夏らしい可憐な花をあちこちの庭先で見かけた。

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魔除けの石碑の石敢當もあちこちで見た。

石敢當は、直進しかできない魔物が丁字路や三叉路などで突き当り の家屋に侵入する

のを防ぐため、その突き当りに置いて魔物をぶつけて消し去るためのものとのこと。

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この日は妹孫のピアノ発表会。

初めての発表会。ピアノは習いはじめて2年くらいか。ピアノを弾くのが大好きとのこと。

この日は本人の演奏に加え、ママとの連弾とパパのギター間奏。

妹孫は臆することなく弾いていた。

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この日、姉孫はビデオ撮影係り。

孫たちはそれぞれやりたいこと、好きなことがはっきり分かれてていて良い。

この日の夜は居酒屋でご苦労さま会。

知念漁港直送の魚がメニューボードに書かれていたが、聞いたことのないものばかり。

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食事は盛り上がり、終わったら9時半近かった。

帰りの車で、昼間の頑張りで疲れた妹孫は爆睡。

連れて帰ってベッドまで運ぶのが重かった。

姉孫が「20キロあるから」と。重いはずだ、コメ袋2つ分になったんだ。

2015年5月 8日 (金)

沖縄の娘宅へ(2)

那覇空港に着いてすぐレンタカーを借りた。 

レンタカーを借りたのは空港から10分くらいのところにあるとよみレンタカー

とよみレンタカーのオーナーの雨宮さんはフェイスブックのお友だち。 

前回来たとき借りたのが縁となり、とても対応が良かった雨宮さんにフェイスブックの 

メッセンジャーでメールを送り予約し、今回もお世話になった。

もちろん空港の送迎はやってもらえるし、お勧めのレンタカー屋さん。

借りた車は軽。夫婦ふたりだから軽で十分。沖縄は圧倒的に軽、小型車が多い。

レンタカーのナンバープレートはこれまでは「わ」だけだったが、数が増えてきて「わ」だけ

では対応できなくなったのか、「れ」も見かけるようになった。

さて、着いた翌日、子供たちは学校からの遠足だった。

「遠くからわからないように見るので、見にいってもいい?」に対し、快いOKの返事は

出なかった。

以前は何も言わなかったが、今回初めて「ブログには写真ださないで」と釘をさされた。

後ろからか、顔がわからない写真にはOKが出た。

当たり前だが、だんだんそんな年齢になってきているのだ。

当日は11時ころカミサンと一緒に遠足で行っている公園と海辺へ出かけた。

先ず、妹孫が行っている小学校から歩いて行けるグスクロード公園へ。

カミサンは「わたしは出ない」と言い、車で待っていた。

お母さんたちも来ていて、聞いてみると小学校1年生と2年生とのこと。

たくさんの数だから妹孫は簡単には見つけられないし、見つける気もなかった。

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続いて、姉孫の行っている新原(にいばる)ビーチへ。

こちらは4・5・6年生。

帰ってきて姉孫が「6キロ歩いて、めっちゃ疲れた」と言っていた。

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この日のお昼は娘から「お勧めのお店」と紹介された新原ビーチから5キロくらい北の

知念にある「かばさ」という琉球宮廷料理の流れをくむ店へ。

「かばさ」に行く前、久しぶりに知念岬へ。

知念岬の眺めはすばらしい。

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「かばさ」は、おもてなしも料理もすばらしかった。

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10人入ればいっぱいになるような小さなお店で、予約が原則のようだったが、すべてを

ひとりでやっている奥さんが、予約なしでも心良く迎えてくださった。

お客さんは我々以外は女性客3人。手の込んだ料理ばかりなので仕込みに時間がかかる。

ひとつひとつの料理について奥さんが懇切丁寧に説明してくださって、しっかり味わった。

奥さんとの会話も楽しんだ。

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食事のあとは、青い海が一望できるニライカナイ橋を通り、カフェくるくまへ。

何度も来たことのある、くるくまも絶景の海が楽しめる。

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この日くるくまに行った目的は、くるくまを運営する仲善で春ウコンを買うため。

春ウコンは沖縄では「春うっちん」と呼ばれ、ウコンにはさまざまな効能があると言われている。

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帰り道、娘宅の近くの体育館でやっているクラフトフェアを観に寄った。

沖縄らしいさまざまな手作り作品が展示・販売されていた。

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2015年5月 5日 (火)

沖縄の娘宅へ(1)

4月30日から2年10ヶ月ぶりに沖縄の娘宅に来ている。 

定年退職者なのに、よりによってGW最中に来る必要はなかったのだが、この時期 

来たのには2つ理由があった。 

引っ越した家を見るため、それに日曜日にあった妹孫のピアノ発表会の見学。 

娘家族が沖縄に移り住んだのは、9年の9月。もう5年半が過ぎた。 

そのとき孫たちは5歳と2歳。引越してきたときはこんな↓感じだった。 

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引っ越した家の場所は、これまで5年半住んでいたアパートから車で数分、学校からは

10分足らず、目の前にバナナとサトウキビ畑があり、遠方に海が見える。 

那覇市内から車で南に30分くらい、しばらく前までは字(あざ)がついていた田舎。

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庭の隅にはヤシの木が、となりの家には、この時期沖縄ではシーズンの月桃が植え 

られている。 

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それに知り合いの方から引越し祝いにいただいたドラゴンフルーツとブーゲンビリアの

鉢植え。 

支柱を立てて、秋からずっと育てていて下さったそうだ。

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ここには1週間いて、来週横須賀に帰る予定。

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