ホームレス歌人
朝起きる前、枕元に置いているラジオでNHKの番組を聴くのが毎朝の日課になっている。
先週金曜日、ホームレス歌人 公田耕一さんのことが取り上げられた。
公田さんは朝日新聞が毎週掲載している「朝日歌壇」に一時期投稿が続き話題になった。
朝日歌壇は毎週楽しみに読んでいて、心に沁みた家族の話を中心にメモしている。
ブログにも何度か紹介したことがある。
公田耕一さんのことはもちろん記憶しているし、心の琴線に触れる公田さんの詠んだ歌には
何度も感じ入った。
公田耕一さんの投稿歌が初めて朝日歌壇に入選したのは2008年12月。
ちょうど東京の日比谷公園に年越し派遣村が初めて開設された年である。
朝日歌壇には毎週約3000首の応募があるそうで、その中、4人の選者がそれぞれ
10首づつ選ぶ。
以下、ネットで見つけた公田さんの歌。
* パンのみで 生きるにあらず 配給の パンのみみにて 一日生きる
* 鍵持たぬ 生活に慣れ 年を越す 今さら 何を脱ぎ棄てたのか
* 百均の 「赤いきつね」と迷いつつ 月曜だけ買ふ 朝日新聞
* 親不孝通りと 言へど 親もなく 親にもなれず ただ立ち尽くす
* 哀しきは 寿町と言ふ地名 長者町さへ 隣りにはあり
【注】 公田さんの歌には、横浜・寿町の名前がよく出てくるため
公田さんは寿町を居にしているのではと当時言われた。
「朝日歌壇」に公田耕一さんは彗星のように現れ、公田耕一さんの登場に鮮烈な印象を
受けた人たちは、公田作品に深い共感と応援を送った。
しかし、登場した翌年2009年9月の入選作を最後に公田耕一さんは突然姿を消した。
9か月の間に28首の入選作を残し、公田耕一さんの歌人としての活動はなぜか終わりを
告げた。
入選の打率は圧倒的に高く、公田耕一さんを詠う歌も多く詠まれた。
本当は、ホームレスではないのではないか、ホームレスだとしたら、なぜ、こんなインテリが
ホームレスになってしまったのか、脱出の道はあるのか、そもそも公田さんの実年齢は、
いくつなのか、50代説、60代説、70代説など、さまざまな説がこの時期飛び交った。
朝日歌壇には、公田耕一さんとは何者か、取材が殺到した。
しかし、公田さんの所在、人物像は杳として知れず、ミステリアスのまま今に至っている。
ボクも公田さんのことは忘れてしまっていたが、このラジオ番組でいろいろ思い出した。
ネット検索して『ホームレス歌人のいた冬』 (三山喬 著)という本を知った。
ぜひ読んでみようと思う。
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