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2015年3月

2015年3月29日 (日)

ホームレス歌人

朝起きる前、枕元に置いているラジオでNHKの番組を聴くのが毎朝の日課になっている。

先週金曜日、ホームレス歌人 公田耕一さんのことが取り上げられた。

公田さんは朝日新聞が毎週掲載している「朝日歌壇」に一時期投稿が続き話題になった。

朝日歌壇は毎週楽しみに読んでいて、心に沁みた家族の話を中心にメモしている。

ブログにも何度か紹介したことがある。

公田耕一さんのことはもちろん記憶しているし、心の琴線に触れる公田さんの詠んだ歌には

何度も感じ入った。

公田耕一さんの投稿歌が初めて朝日歌壇に入選したのは2008年12月。

ちょうど東京の日比谷公園に年越し派遣村が初めて開設された年である。

朝日歌壇には毎週約3000首の応募があるそうで、その中、4人の選者がそれぞれ

10首づつ選ぶ。

以下、ネットで見つけた公田さんの歌。

  * パンのみで 生きるにあらず 配給の パンのみみにて 一日生きる

  * 鍵持たぬ 生活に慣れ 年を越す 今さら 何を脱ぎ棄てたのか

  * 百均の 「赤いきつね」と迷いつつ 月曜だけ買ふ 朝日新聞

  * 親不孝通りと 言へど 親もなく 親にもなれず ただ立ち尽くす

  * 哀しきは 寿町と言ふ地名 長者町さへ 隣りにはあり

              【注】 公田さんの歌には、横浜・寿町の名前がよく出てくるため

                  公田さんは寿町を居にしているのではと当時言われた。 

「朝日歌壇」に公田耕一さんは彗星のように現れ、公田耕一さんの登場に鮮烈な印象を

受けた人たちは、公田作品に深い共感と応援を送った。

しかし、登場した翌年2009年9月の入選作を最後に公田耕一さんは突然姿を消した。

9か月の間に28首の入選作を残し、公田耕一さんの歌人としての活動はなぜか終わりを

告げた。

入選の打率は圧倒的に高く、公田耕一さんを詠う歌も多く詠まれた。

本当は、ホームレスではないのではないか、ホームレスだとしたら、なぜ、こんなインテリが

ホームレスになってしまったのか、脱出の道はあるのか、そもそも公田さんの実年齢は、

いくつなのか、50代説、60代説、70代説など、さまざまな説がこの時期飛び交った。

朝日歌壇には、公田耕一さんとは何者か、取材が殺到した。

しかし、公田さんの所在、人物像は杳として知れず、ミステリアスのまま今に至っている。 

ボクも公田さんのことは忘れてしまっていたが、このラジオ番組でいろいろ思い出した。

ネット検索して『ホームレス歌人のいた冬』 (三山喬 著)という本を知った。

ぜひ読んでみようと思う。

2015年3月28日 (土)

「マッサン」が終わった

日曜日を除き、朝15分間放映されるNHKの連続テレビ小説、定年退職後毎日観ている。  

定年退職し今年で11年、年に前後半2作なので、定年後放映されたのは20作品を超える。 

うち、ちょっと観て面白くなく観なかった作品が5作くらいあったが、通算かなりの数観てきた。 

その中で、今朝が最終回だった「マッサン」はベストだった。  

連続テレビ小説で泣いたことはなかったが、今回の「マッサン」には泣けた。  

ほとんど全作品の根っこにあるのは、家族を取り巻く葛藤と家族愛、それに生と死、 

世代のつながり、戦争など取り巻く社会情勢・・・  

今回の「マッサン」は初めての試みでヒロインに外国人女性を抜擢。  

選ばれたのはアメリカ人。相当厳選し、選ばれた女性だけあって、すばらしかった。  

物語はニッカウイスキー創業者の竹鶴政孝さんがモデル。  

舞台は広島、大阪、北海道余市。 

話の筋は竹鶴政孝さんの半生をかなり忠実に追ったものと思われる。 

今朝が最終回だった。  

マッサンの奥さんのヒロイン エリーが昨日の放送で亡くなった。  

生まれ故郷であったスコットランドには結局帰ることなく、出来上がったウエディング  

ドレスも着ることなく、マッサンに見守られ亡くなった。  

すばらしい夫婦愛、観る人たちを感動させた。  

エリー役のシャーロット・ケイト・フォックスは、日本語は完全に一から覚えたそうだ。 

短期間に習得した日本語のすばらしさだけでなく、日本人の情感を理解し、細やかな 

心遣い、振る舞いに多くの人が感動した。 

今朝の最終回、エリーの遺したマッサンへのラブレター、最後のエリーからマッサンへの 

お願い、またまた涙が止まらなかった。  

マッサン、エリー、半年間すばらしい夫婦愛をありがとう。 

この夫婦愛、少しは見習わなければ・・・  

月曜日からはじまる次の作品は、輪島を舞台にした「まれ」  

「マッサン」を超えるのはとても難しいだろうが、半年間また楽しめる作品であって欲しい。

2015年3月27日 (金)

TSUTAYA通い

このところ頻繁にTSUTAYAでDVDを借りてきている。 

特に、金曜日は60歳以上は旧作1本無料、それに年齢を問わず、月一回誰でも旧作1本

無料で借りられる。 

最近観た映画で特によかったのは「ファミリー・ツリー」 

ハワイが舞台の作品で、撮られたロケーションも音楽も良かった。 

主人公の弁護士マットは、妻がボート事故で意識不明になったことをきっかけに妻の 

浮気を知ってしまう。娘たちと一緒に浮気相手を探しに行くが、仕事に明け暮れて家庭を 

顧みなかったマットは娘たちにタジタジ。 

寮で暮らす娘を迎えにハワイ島に飛行機で向かう途中、マットは窓の外を見ながら、 

「家族は群島と同じ。全体でひとつだが個々は独立し、少しずつ離れていく」とつぶやく。 

映画の原題は「The Descendents(子孫)」 

子供は別れていって独立していく。血のつながりなんて、そんな緩やかなものである

ことを示唆している。 

ほか観た作品は、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した1970年の 

イタリア映画「ひまわり」 

戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、流れる音楽が 

とても良かった。 

そのほか観た映画は、クリント・イーストウッド監督の「ヒア・アフター」 

邦画では「復讐するは我にあり」 

原作 佐木隆三、監督 今村昌平、主演 緒形拳 1979年映画化。 

昔観た記憶があるが、面白かった。 

ストーリのあらましは、 

昭和38年。当時の日本の人々はたった一人の男に恐怖していた。 

榎津巌(えのきづ いわお)。キリスト教カトリック信者で「俺は千一屋だ。千に一つしか 

本当のことは言わない」と豪語する詐欺師で、女性や老人を含む5人の人間を殺した 

連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、78日間もの間逃亡したが、 

昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。 

この稀代の犯罪者の犯行の軌跡と人間像に迫った作品。 

もう一本邦画は松本清張原作、1983年映画化 「天城越え」 

観ながら、これも昔観たのではと思った。 

若い田中裕子がはまり役だった。 

10年以上前だったか、アメリカから流れてきた「カウチポテト」という言葉が一時期  

流行ったことがある。  

カウチ(ソファ)に寝ころび、ポテトチップスを食べながらDVDを観るという生活スタイルを 

表わす言葉だった。 

まさにカウチポテトしながら、TSUTAYAのありがたさを感じている。

2015年3月23日 (月)

日本水泳連盟 泳力検定会

土曜日、日本水泳連盟が主宰する水泳検定試験を横須賀の市営プールで受けた。 

検定は男女・年齢別に分かれている。 

一番下は6歳以下、一番上は70歳以上、年齢区分は12ある。 

一番上の1級はバタフライ・平泳ぎ・クロール・脊泳の200m個人メドレー。 

2級は上記4泳法の100m個人メドレー。 

3級から5級までは、各級バタフライ・平泳ぎ・クロール・脊泳のうち好きな泳法がふたつまで 

受けられる。 

級と種目と年齢がマトリックスになっていて、男女それぞれで合格タイムが決められている。 

ボクは25mクロールと25m平泳ぎを選んだ。 

水泳はちゃんと習ったことがなく、我流。 

無駄な動きが多いためだろう、特にクロールは息が上がる。 

年齢70歳以上の合格タイムは、4級はクロール35秒、平泳ぎ40秒、5級はクロール 

40秒、平泳ぎ45秒。 

3級になると、距離が50mになる。50mは厳しいと思い、4級か5級にすることにした。 

どれくらいのタイムで泳げるのかわからないため、検定前に2度プールに行って計測した。 

結果、4級は微妙かなぁ、という感じだった。 

受ける以上、認定書をもらいたいという思いが先に立ち、結局5級にすることにした。 

この日の受験者は18人。うち、ほとんどが小学生と思われる子供たち11人。

70歳台はひとりだけだった。

順番に呼ばれ、プールに入り、小さい音の号砲でスタート。

1級の個人メドレーは200m。25mプールを4往復。

4種類の泳法それぞれで50mずつ泳ぐ。

25mで息が上がるボクからしてみると信じられない。

1級は5人が泳ぎ、そのうち4人が小学生のようだった。ゴールを確認し思わず拍手した。

順番がきてプールに入った。

70歳台は他にいないためか、となりのコースには誰もいなく、ひとりで泳いだ。

計測のために練習したときより、頑張って思いきり泳げた。

検定がすべて終わったあとコースが解放され、物足りないため400mくらい泳いだ。 

結果発表は5時半から。

ドキドキしなから発表を待っていたら、名前を呼ばれ、クロールも平泳ぎも合格。

やったー、という気分になり、うれしかった。

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タイムを聞いたら、1分40秒が合格ラインのクロールが1分33秒、1分45秒の平泳ぎが

1分38秒だった。

このタイムだと、5級でなく4級を受けていてもクリアできていた。

次回、もう一度今度は4級を受けようという気持ちになった。

この日の夜は、心地よい疲れで爆睡した。

2015年3月21日 (土)

チャイルド・スポンサーシップ

少し前の話になるが、去年の11月たまたま観ていたテレビの番組で、貧困国で大変な  

生活を強いられている子供たちのことが紹介され、併せて、その子たちを支援する組織が

紹介されていた。  

貧困国のひとつで、カンボジャが取り上げられていた。 

カンボジャには特別の思い入れがあり、番組の最後で紹介された支援組織にその場で 

電話した。

支援組織は、特定非営利活動法人のワールド・ビジョン・ジャパン。  

電話で「カンボジャの子を支援したいので、資料を送って欲しい」と依頼した。 

後日、資料が送られてきて、チャイルド・スポンサーシップへの参加を申し込み、年が明けて 

支援する子どもを紹介する資料が届いた。  

その子が住んでいる地域はカンボジャの首都プノンペンから北西50kmのカンダール州。 

支援させていただくことになった子供さんは11歳の女の子のチョオン サヴァンちゃん。  

姉孫より2歳年上で、お父さんとは死別、兄弟は2人、姉妹は5人、母親のみと一緒に暮らす 

小学校5年生。  

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サヴァンちゃんの書いた自己紹介レターがついていた。  

本を読むのが好きで、将来は医者になって、みんなを助けたいとのこと。  

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支援する額は月々4500円。  

このお金はサヴァンちゃんだけを助けるためではなく、支援地域の人々が子供の  

健やかな成長のために必要な環境を整えていくことに使われる。  

サヴァンちゃんが住むポニャー・ルウ地域はたくさんの問題をかかえている。 

 ①不安定な収入  

   大半の住民は農民だが、洪水や干ばつにより十分な農作物が収穫できず、  

   貧困農民の半分は1年のうち3~6か月間、食べ物に困る生活をしている。  

 ②不十分な衛生環境  

   安全な飲み水を安定して得ることが難しく、乾期には井戸はすべて枯れてしまう。 

   その上、衛生的な生活を送る習慣や知識に乏しいため、多くの住民、特に子供たちは 

   健康な生活を送ることができない。  

 ③課題の多い学校教育  

   地域の95%の子供が小学校に入学はするものの、貧困家庭では子供を働かせざるを 

   えず、約3割が卒業できない。  

このブログの冒頭で、カンボジャには特別の思い入れがあると書いた。  

10年前、定年退職した直後、もといた会社からカンボジャに2か月間行って欲しいと頼まれ 

断わりきれず、JICAの仕事で行ったことがある。 

そのとき、カンボジャがいかなる国であるかは身を持って知った。  

とにかくアジアの中でも最貧国で、当時1/3以上の国民が1日1ドル以下で生活していた。 

カンボジャが何故ここまで国力が低位で疲弊しているかは、偏に20年あまり続いた  

内戦のためである。  

とりわけ1975年から3年8ヶ月間続いたポルポト時代にカンボジャはめちゃめちゃに  

破壊されてしまった。 

ポルポト派により何と170万人の人たちが殺されたり、強制労働させられ病死した。 

JICAからの派遣目的は、アジアの中で最貧国であるカンボジャが今後社会インフラを 

整備構築してゆく上で、情報通信技術をいかに活用していけばよいかを調査し、提言を 

まとめる、という難題であった。 

一緒に派遣されたのは、コンピュータメーカ3社から6名、期間は2ヶ月間、立場は 

JICA技術協力専門家、勤務地はカンボジャの首都プノンペン、勤務場所はカンボジャ 

情報通信開発庁、言葉は英語。 

情報通信開発庁のスタッフ6名がメンバーにひとりづつついて、ペアになって全員で

手分けして、全国各地を回り、現状調査、ヒアリング、分析作業を続け、最後に英語で

200ページ以上の報告書をパワーポイントにまとめた。 

報告書を副首相が入った場で説明した。 

30分の予定が議論が盛り上がり1時間半かかった。

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作業を続ける過程でカンボジャの状況をつぶさに見聞きすることができた。 

帰国2年後、8回シリーズでブログにも書いた。 

そのような実体験と思い入れのあるカンボジャ。 

サヴァンちゃん、それに彼女の住む村の支援ができれば、とてもうれしい。 

支援団体であるワールド・ビジョン・ジャパンはさまざまな仕組み、システムを準備している。 

例えば、アカウントを作って現地の組織を介して支援する子とのやりとり、フェイスブックで 

支援者同士の交流、希望すれば支援地訪問ツアーなど。 

ご興味のある方は、ワールド・ビジョン・ジャパンのサイトはこちら 

2015年3月13日 (金)

控訴審判決、やったー!

2週間前、知り合いのSさんの刑事裁判 控訴審を東京高裁で傍聴したことをブログに書いた。 

事件は交通死亡事故。 

バスの運転手が、横断歩道歩行中の小学生を右折しながら運転席の真正面ではねた上、

停まりもせずにその子がバンパーをつかんで必死に押し戻そうとしたのをさらに非情にも

車体に巻き込み、命を奪ったという凄惨極まりない事件であった。 

一昨日、控訴審の判決公判を傍聴した。

冒頭、裁判長が「被告の控訴を棄却する」

一審の判決、禁固1年を高裁は追認し、これで二審での被告の刑が確定した。

瞬間、原告席に座るご両親の顔に目がいった。

刑を宣告したあと、裁判長は判決文を読み上げた。

一審での原告側の主張をほぼそのまま認めた納得できる判断であり、安堵するとともに

自分のことのようにうれしさがこみ上げてきた。

加害者の運転手が許せないとの思いから、横浜地裁で行われた裁判からずっと傍聴してきた。

裁判長は判決文を読み上げた最後に被告に告げた。

「判決が不服の場合は、2週間以内に上告できます。ただ、最高裁が上告を認めるか

どうかの判断は、①憲法違反かどうか、②最高裁の過去の判例に照らし申立てが妥当か

どうかの2点で判断されます」

たとえ、被告が上告したとしても、最高裁が被告に利のある判断をすることは、これまでの

経験から考えられない。

そのため、被告は早晩刑務所に収監されることになる。

毎回法廷で、被告の運転手はうなだれ、いかにも反省している風を装い、被告席に座って

いたが、一審で出された判決を不服とし控訴したということは、反省のかけらもなかった

ことの証左と言える。

もちろんのこと、被告がたった1年の刑に服したとしても、被告の一瞬の過失で、最愛の

息子さんを奪われ、喪われたご両親にとって、霧散してしまったかつての幸せは一生戻る

ことはない。

閉廷したあと、原告のご両親、弁護士のT先生ほかで食事をした。

これまでまったく見ることのなかったご両親のホッとした表情を目の当たりにし、思いを

お話になる語り口を聞き、何とも言えないうれしい気持ちになった。

2015年3月11日 (水)

大惨事から4年

14時46分、毎年テレビの前で黙とうするが、今日は外出していたためできず、

心の中で祈った。

乗っていた電車は14時46分前に駅間で、非常時の訓練のため、一時停止した。

最近の新聞報道でいろいろ知った。

 ・被災地の人口減少。沿岸市町村は10万人減

 ・未だ仮設住宅に住んでいる方、8万人

 ・原発避難者、12万人

 ・国の定めた復興集中期間は5年。あと1年で終了

 ・義捐金の大幅減 

 ・震災遺構の保存か解体か

仮設住宅の広さは4畳半ふた部屋とのこと。

手狭であっても、多くの方々が「仮設後」の暮らしが描けないでいる。

来年度で終わる国の復興集中期間後は、各自治体に費用負担が求められる。

省庁縦割りの事業より、もっと自治体に権限も財源も渡し、柔軟な手法と発想で

復興に取り組んだ方がずっと良い方向に進むはずである。

先日のテレビで宮城県女川町の復興の様子が取り上げられていた。

復興のキャッチフレーズに共感をおぼえた。この発想は国ではできない。

こんな感じだった。

 ・還暦過ぎた人は口を出さない

 ・しがらみを捨て柔軟な発想で

 ・目標期限を決めて

 ・次の世代のための新生女川町つくり

義捐金は震災の年に数度ご協力させていただいた。

震災3ヶ月後、陸前高田に行き、たった5日間であったが傾聴ボランティアに参加

させていただいた。

あの陸前高田の惨状、積み上げられたがれきの山、残った一本松・・・

脳裏にまざまざと浮かんでくる。

陸前高田から帰宅したあと、「1日3度食事ができ、暖かな布団で寝られる」ことに

罪悪感に近い思いを持ったことを思い出す。

震災はこの国に住んでいれば、どこででも起きうる。

被災していない者にとって最も大切なことは、被災された方々へ想いを寄せる気持ちを

持ち続けることであると、あらためて思った。

2015年3月 9日 (月)

ヨルダンから一時帰国

息子の高校時代の仲間が年一回、夏に我が家に集まってくれる。  

仲間の中、特に仲のよかったMくんは所属するNGOから人道支援で「イスラム国」問題で 

渦中にあるヨルダンに派遣されている。  

Mくんの一時帰国を機に、土曜日、みんなで集まることになった。

高校2年、3年を一緒に過ごしたということは、もう25年前の仲間。

今回は我が家ではなく、横浜の女性のミカちゃん宅でやろうということになり、土曜日に 

Mくん含め男性3人、女性3人がミカちゃん宅に集まった。 

ミカちゃんが今回は自分の家でと言ったのは、7歳の次男のワタくんの希望だった、とのこと。

これまで毎年我が家でやるとき、ミカちゃんはワタくんを連れてきていたので、ワタくんは

みんなにしっかり馴染んでいる。 

カミサンは当日都合が悪く参加できないということで、いろいろ準備してくれた。 

無事に帰国したMくんと、4月に小学校に入学するワタくんのために赤飯を炊いて、

総菜を用意し、ワタくんへのプレゼントも買ってきていて持参した。 

食事はミカちゃんとお母さんが準備してくださっていて、女性のレイちゃんとヨウコちゃんが 

シホンケーキ、杏仁豆腐、クッキーほかスイーツを作ってきてくれた。

まさに、手作り持ち寄り飲み会。 

この日の主賓はもちろんMくん。 

我々が着くとすぐミカちゃんのお母さんが新聞を見せてくださった。 

後藤健二さんが殺害され、ヨルダン軍のパイロットが殺害されたことが判明した直後の 

ニュース。 

記事の見出しは、「ヨルダン在留邦人 治安に不安」 

記事には、Mくんの発言が掲載されていた。 

「ヨルダンでシリア難民へのカウンセリングなどに取り組む看護師のMさん(43)は 

”平和的な国民が反政府的な考えに変わってしまうのではないか”と発言し、不安を隠さない」

Mくん、「取材ではいっぱい聞かれ話したのに、たったこれだけか」

持ち寄り料理がテーブルに並べられ、ワタくんにヨウコちゃんからのプレゼントとカミサンからの

入学のお祝いと手紙が渡された。

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この日のメインの話題はもちろんMくんのヨルダンでの生活ぶりと仕事ぶり。

一日の生活リズムをみんなで聞いて、質問多発。

ただ、みんなが心配していたほど身近に危険が迫っているのではないと知り、ホッとした。

シリア難民がいかに追い詰められてヨルダンにのがれてきているのか、運び込まれてくる

多数の負傷者への対応、シリア人へのメンタルヘルスケアなど生々しい話がたくさん出た。

ヨルダンの在住邦人は約300名とのこと。

「何語でやるの?」に対しては「英語」

「何ヶ国語しゃべれるの?得意な順は?」に対しては、「英語の次は、パキスタンに派遣

されたとき覚えたウルドゥー語、それといま使うことが多いアラビア語」

他に盛り上がった話題はみんなの共通の高校時代の話、仲間の話。

それに今まで我が家では話題になったことがなかった「43歳の俺たちは初老の仲間入りか。

最近眼にきてる。ものを読むとき離さないとダメになってきた」

他には家族、特に子供の話題。

12時半ごろからはじまり、終わったら6時過ぎていた。

皆が「次回は横須賀」と言いながら、駅で別れた。

2015年3月 6日 (金)

映画「アメリカン・スナイパー」

ぜひ観たかった映画。

作品のキャッチコピーは、「史上最強のスナイパーのベストセラー自伝を映画化」

監督はクリント・イーストウッド。

イーストウッド監督作品はこれまでに10本近く観てきた。

この作品で、巨匠イーストウッドは現代アメリカの癒えぬ傷跡をあぶりだした。

主演は、米軍史上最強といわれた狙撃手クリス・カイルを演じたブラッドリー・クーパ。

最高の演技で最高にかっこうよかった。

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クリスはイラク戦争で、その狙撃の腕前で多くの仲間を救い、「レジェンド」の異名をとる。

スナイパーである彼は「誰一人残さない」というネイビーシールズのモットーに従い、仲間

たちを徹底的に援護する。

しかし同時にその存在は敵にも広く知られることとなり、クリスの首には懸賞金がかけられ

命を狙われる。

数多くの敵兵の命を奪いながらも、遠く離れたアメリカにいる妻子に対して、良き夫であり、

良き父でありたいと願うクリスはそのジレンマに苦しみながら、2003年から09年の間に

4度にわたるイラク遠征を経験、過酷な戦場を生き延び妻子のもとへ帰還した後も、

ぬぐえない心の傷に苦しむ。

映画の半分以上は壮絶な戦闘描写。

戦争とは何か、何故これほど無為なものに人はのめり込んでいくのか、と思いながら

全編観た。

実話であるこの作品の結末には言葉がなかった。

人の心に遺こる戦争の傷跡は、あまりにも深いことを思わずにはいられなかった。

「アメリカン・スナイパー」予告ビデオはこちら

2015年3月 4日 (水)

この市議が辞めるのは惜しい

横須賀で24年間市議会議員を務めている一柳 洋さんという方がいる。

その見識の高さ、是は是・非は非とする強い姿勢、確固たる信念、論理に基づく明快な

弁舌・・・、一柳さんの政治姿勢に共鳴し、長い間応援してきた。

一柳さんは、地元住民向けに法律相談、ガン医療相談も定期的に行っている。

その一柳さんが65歳になり議員を辞めるということを半年くらい前にご本人から直接聞いた。

横須賀市に犯罪被害者支援条例を作りたいと相談に行ったときだった。

曰く、「65歳までやって辞めると決めていたので辞める」。「考え直す余地は?」に対しては

「ない」の一言。

2~3月のこの時期、全国の市町の議会では恒例の定例会及び議員質問が行われている。

一昨日、一柳議員の最後の質問が予定されていたが、都合で傍聴に行けなかったため

昨日、市議会事務局の作成した当日の録画をパソコンで観た。

先ず、壇上からの質問、それに対し市長が壇上で答弁。そのあと、答弁では不十分な事項に

ついて市長との一問一答の直接やりとり。

一問一答の丁々発止のやり取りをするかどうかは、質問者である議員が決める。

数から言えば、圧倒的に多いのは一問一答ではなく、壇上での一括質疑。

一問一答方式は、案件に対する疑問点をひとつずつ取り上げ、納得いくまで質疑、答弁を

繰り返すため、この方法による質疑は微に入り細に入り、論点・争点を明確にすることができ、

議案の審議を深めることができる。

24年間の議員生活の集大成と言える、今回が最後の質疑。

市長相手の一柳さんの質問、指摘に対し、市長は今回もたじたじ。

一柳さんの論理立った指摘に対し、39歳の若い吉田市長は押されっぱなし。

一柳さんの主なる主張は、

 ① 市長の所信表明は不満

 ② 国に言うべきをもっと言え。官僚のてだまに乗るな。 

 ③ 自治体が主体で考え行動すべきであるとの意識に立ち、論理武装して国・役人にあたれ。

 ④ 国には、これをこうやりたいがどうしてくれるとの姿勢でのぞめ。そのためには戦術でなく

   確固たる戦略を確立せよ。

  ⑤ 横須賀をこういう街にするというビジョンを明確に示せ。

得難い、余人をもって替え難い地方議員である一柳さんが辞めていくのは、大変残念である。

ただ、辞職後はオンブズマン活動を続けると聞いているので、これからもお世話になる

機会はあることだろう。

【ご参考】 一柳さんの議会質問のブログ http://tokitei.exblog.jp/23739806/

2015年3月 2日 (月)

アメリカ人の隣人が増えた

数日前、斜め前の家の引っ越しで荷物が運び込まれた。

新しい住人は米海軍横須賀基地に勤務するアメリカ人家族のようだが、まだちゃんと挨拶 

していない。 

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 道をはさんでトラックの左に見える家も米軍横須賀基地に勤めるアメリカ人家族が住んでいる。 

荷物の運び込まれたこの家には、数か月前まで奥さんがハワイアン航空に勤める家族が 

住んでいた。 

この奥さんは昔テレビのアメリカのホームドラマに出てきたような雰囲気の女性だった。 

その前この家にはベトナムからのボートピープルでアメリカに移民し、医者の資格を取った 

独身の男性が住んでいた。彼からは健康管理について色々アドバイスをもらった。 

名前は失念したが、彼は4年くらい前にサンディエゴにある米海軍基地に帰った。 

我が家の隣りにも、ここ7年くらいずっと米軍基地勤務のアメリカ人家族が住んでいる。 

今回の住人は4代目。30歳くらいだろうか、初めての独身女性。 

言葉を交わしたのはまだ一度だけ。アレクサンドラと名乗っていた。 

住んで2ヶ月くらいになるが、艦に乗っているのだろうか、ほとんど家にいない。

引っ越し荷物が運ばれてきたときの大きな段ボール箱がひとつ、いまだに庭に置かれた

ままになっている。 

会う機会があれば、資源ゴミに出してあげようと言うのだが。 

Alex
これまで隣に住んだ3代の家族を思い出してみると、最初の住人は職種を最後まで 

明かさなかった30歳前後のシングルマザーのケリー。  

ケリーは困ったことがあったら我が家のドアをピンポンしてきた。  

「蜘蛛が出た!」と助けを求めてきたことが2度あった。  

1歳くらいだったろうか、赤ちゃんのグレイシーを上司のパーティに呼ばれたので  

預かってくれと言われて、預かったこともあった。  

こうして頼ってこられるとうれしくて、夫婦でケリーを助けた。  

2代目は看護学博士号を持った独身中年女性だった。  

3代目はダンナがベースの中の病院で看護系の仕事をしていた家族。  

来たとき4歳の男の子クーパーがいて、2番目の子がこちらで産まれた。 

初めて普通の家族という雰囲気のファミリーで、ジャスティンとハンナはこれまでの中で 

一番礼儀をわきまえた夫婦だった。  

越してきてすぐ、GODIVAのチョコを持って挨拶にきて、これまでになかったことでびっくり。 

ジャスティン一家は3年くらいいた。一番親しく付き合った家族だった。  

そして、今回4代目のアレクサンドラ。  

我々家族が30歳初めころシドニーに家族で住んだときは、わからないことばかりで  

近所の人たちや幼稚園の先生に助けてもらうことばかりだった。  

同じ海外勤務でも、企業の駐在員とすべてが備わっているアメリカ海軍基地に勤務する

人はまったく違うのだろうが、困ったときには声をかけてくれれば、とついつい思う。  

みんな短い付き合いで終わるが、我々にとって、立ち話仲間ができるのは悪くない。

 

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