あれから20年
20年前の1月17日、朝5時46分、あの大惨事、阪神淡路大震災は起きた。
朝からテレビで特集番組が繰り返し放映されている。
毎年のことだが、涙が止まらない。
神戸は大学時代を過ごした思い出の地。
もう50年前のことだ。
姫路で教養課程を終え、神戸に移り専門課程、最初に下宿したのは、JR六甲道駅
近くだった。
姫路の寮で一緒だった仲間3人と2部屋の1軒屋を借りて住んだ。
1軒となりが大家のYさん宅だった。
賄い付きの下宿で、朝晩食事をYさん宅に行って食べていた。
4人とも不規則な怠惰な生活をしていて、おばさんにはホントにお世話になった。
おばさんは文句ひとつ言わず、ずっとお世話してくださった。
そのおばさんも亡くなって4年になる。
六甲道駅周辺は、震災で最も甚大な被害を受けた地区のひとつだった。
Yさん宅も完全に崩壊したが、幸いなことに、ご家族は全員無事だった。
震災から2年後、下宿していた仲間3人でお見舞いに伺った。
かつての建て込んでいた家並みは跡形がまったくなく、あちこちに更地ができていた。
Yさん宅の数軒隣のアパートに住んでいた3人の神戸大学の学生たちが震災で亡くなった
ことを、訪ねたときおばさんから聞いた。
「つぶれた家の下敷きになり、燃え盛る火の中、周りの人たちは手を出すことができず、
ただ茫然と、目の前で亡くなっていく人たちを見取っていくことしかできなかった」
と、おばさんは話してくださった。
大変な数の命がこのような最期を遂げたのかと思うと、今でも激しく胸が痛む。
震災後、読んだ新聞に書かれていた記事をメモした。
『震災を”6千人が死んだひとつの事件”と考えるのは死者を冒涜していないか。
ひとりが死んだ事件が6千件あり、6千通りの死があるはずだ。ひとり一人の命を
見つめるべきではないか』
無念にも尊い命を落とされた6434名の皆様のご冥福をあらためて心よりお祈りする。
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