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2015年1月

2015年1月31日 (土)

高校の仲間の飲み会

ボクの出身高校は倉敷青陵高校。

卒業してもう50数年になる。

幹事役のHくんの呼びかけで、在京の仲間が年に2回くらい集まっている。

Hくんは男女40~50人にメールで声をかけてくれるが、毎回集まるのは6~7名、

しかもメンバーが固定してきているのが残念。

集合場所は毎回同じで、東京駅南口のオアゾ前。

今回も7名、ただ久しぶりに会うNくんが参加するということで、楽しみに出かけた。

前々日にNくんに電話した。Nくんは開口一番「お前と俺は生年月日が一緒。久しぶりに

会えるのが楽しみ」

そうか生年月日が一緒だったのかとあらためて思い出した。

Nくんとは小学校、中学校、高校と一緒で、受験した大学も一緒。

受験したとき泊まった旅館も一緒という仲。

Nくんは大学を卒業し、そのまま自民党本部に就職した。

以来ずっと自民党で秘書を続け、岡山県、愛知県で衆議員選挙に立候補したが

結局当選するには至らなかった。

岡山で立候補したときはオフクロが「よっちゃん頑張れ」と言い、たくさんのひとたちに

「よろしく」と頼んで回っていたのを思い出す。

Nくんは大臣秘書官含め福田元首相の派閥の秘書会グループの中心人物として

長い間活躍した。

Nくんには子どもの就職ほか頼みごとをしたことも何度かある。

息子の事故後、Nくんに相談したら「小泉のところへ行こう」と言い、一緒に小泉

純一郎事務所に行ったことがある。小泉さんはいなくて、秘書官の飯島勲さんと

30分近く話したことを思い出す。もう20年も前のことだ。

今回の集まりでも、政界の中枢に長い間いたとき経験したことや見聞きした生々しい

話がたくさん出てきた。

それにしても記憶力のすごさには何度も驚かされた。人の名前も姓名で出てくる。

自ら最高裁まで戦った事件を経験し、検察庁を中心に法曹界を何とかしないととの

思いが強烈で、国民会議を立ち上げようとしている。

「大変興味がある、ぜひメンバーに入れて」と話したら「わかった、時期がきたら声を

かける」と言っていた。

話がNくんのことばかりになってしまったが、もちろん他の話でもいろいろ盛り上がった。

昔の仲間の話はもちろんのこと、大学受験時代の話もいろいろ出た。

おそらく前にも後にもないのではと思うが、我々の年は東大合格者が12人出た。

この日は、うちふたりが参加した。

リタイアし、この歳になると、そんなことはもう一切関係ない。

リタイアした者が集まると定番の話題、健康、病気の話はまったく出なかった。

食事のあと、いつものようにお茶した。

1時に集まり、終わったら5時近かった。

2015年1月27日 (火)

新年会

もう1月も末、こんな時期に新年会のことを、と思いながら。

先週火曜日、町田であったNPO法人アクティブSITA(シニアITアドバイザ)の新年会に

参加した。 

地元でIT関連のさまざまな活動をしているアクティブSITAのことは何度もブログに書いた。 

アクティブSITAでは毎年新年会を行っている。 

これまではずっとカラオケを交え、男の手料理を持ち寄ったら、バイオリンと尺八のコラボ 

による演奏、というユニークな新年会だった。 

今年はメンバーが歓談、交流できる催しにしようということで、幹事陣が場所をホテルに 

設け、新しい趣向での新年会となった。 

参加メンバーは25名。 

昨年入会の3名を加え、メンバーは46名。シニアの組織なので、まずまずの集まりか。 

現在は会の活動に参加していないおふたり、Hさん、Tさんが会友として参加。 

Hさん、Tさんと初めて会ったのは、もう10年前。 

参加者の案内メールであらかじめ知っていて、久しぶりにおふたりに会えることを 

楽しみに出かけた。 

久しぶりに会ったとは思えなく、「おー、おー」と言いながら、懐かしく歓談した。 

進行役はSさん。大学で教えているだけあって、進め方にはよどみがなかった。 

そんなに広くない部屋での立食スタイル、大きな輪ができることなく、ゆっくり、じっくり、 

参加者それぞれ個別に歓談ができ、幹事陣の思いはかなった。 

5時半から予定の7時半まで、和気あいあいの中、大いに楽しんだ。

2015年1月25日 (日)

テニスクラブ年次総会

午前中、この時期恒例のテニスクラブの年次総会が開催された。

クラブがオープンしたのは1982年、今年で33年。

ボクは初期のメンバーなので30年以上在籍していることになるが、腕はなかなか上がらない。

長い間一緒にプレーしてきたメンバーは当然のことながら、みんな歳を重ねた。

会員数は105名。今日の総会には50名が参加。

コートは横須賀の緑豊かなところにあり、メンバーみんなのボランティアで運営されている

和気藹々としたクラブ。

他の予定と重ならない限り週に2回行き、プレイとともに仲間とのおしゃべりに興じている。

年会費は3万6千円。月にすると3千円。

月3千円でこれだけ楽しめていることには大いに感謝している。

総会では、14年度の事業報告と決算報告、それに15年度の事業計画と予算の説明あった。

今期もクラブ内大会の開催、地元の小学生を対象としたテニススクール実施、横須賀市民

大会・地域各種大会への参加、他クラブとの交流などを行うことが確認された。

今期は現行のクラブ運営体制での最終年度となる。

そのため、この日のメインテーマ「2016年以降の新クラブ運営に向けて」について

みんなで議論した。

配布された会則案を各自読み、意見を投書箱に入れ、出された意見を全会員に開示し

検討し、方向を定めていくことでまとまった。

議事終了後、クラブに貢献された人たちの表彰が行われた。

清掃活動皆勤・精勤者、設備整備・環境整備尽力者、小学生のテニススクール指導者、

クラブ通信発行者など。

総会終了後、用意された弁当をみんなでワイワイ食べて散会となった。

2015年1月21日 (水)

クレッグ&ロビン

日曜日、クレッグ・ロビン夫婦と我々夫婦4人で、横浜で久しぶりに会った。 

クレッグは富士通オーストラリアの仲間。 

彼に初めて会ったのは25年以上前。 

記憶では、何人か海外から出張者が来ていて、ちょうど部の忘年会を伊豆でやる予定に

していて、海外からの出張者も一緒に1泊で忘年会に行った。 

クレッグもメンバーのひとりだった。 

ハプニングや笑える話がいろいろあったことを思い出す。

そのとき撮った、残っている唯一の写真。

1987年11月だから、27年前。

左から3人目がクレッグ、右端がボク。当たり前だがみな若い。

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現在クレッグはオーストラリアから富士通に出向できていて、海外事業に携わっている。 

奥さんのロビンとも古い知合い。昔ロビンは富士通オーストラリアで役員秘書をしていた。 

クレッグ・ロビンとはずっと家族ぐるみの付き合い。

1989年、2人が我が家に来たとき撮った写真。

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先月、ロビンから「どこかで4人でランチしよう」とケータイにメールが届き、何度か 

双方のスケジュールを調整し、日曜日に横浜で会うことになった。 

12時に横浜高島屋前で待ち合わせし、ブラブラ歩いて、みなとみらいへ。 

中華街に行く予定が、「どこでもいい。そろそろ食べよう」と言いだし、カミサンが 

「じゃあ、ワールドポーターズに行こう。あそこへ行けば食べるところはいろいろある」 

ということで、ワールドポーターズへ。 

ワールドポーターズに着いて、4人の意見が一致したのは、インドネシアレストラン。 

既に1時過ぎていて、お客はあまりいなかった。 

「ゆっくりできる」と、食べて、だべって、5時ころまでいた。 

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話題の中心はお互いの家族の話。 

娘のブリアナは19歳、息子のジョーダンは16歳。 

ふたりを連れて我が家に来たのは10年くらい前だったろうか。 

子供たちがゴマ塩をかけたごはんが好きだったのを覚えている。 

今回クレッグが出向で東京に来て1年半。 

子供たちふたりは日本の生活に慣れ、ジョーダンは全部自分で調べ予約し、友だちと 

一緒に北海道ほかあちこち旅行しているとのこと。 

ロビンは世田谷のボロ市に行ったときの写真を見せてくれた。 

広尾に住んでいるため近くの店は物が高く、買い物は賢くやっているようだ。 

ロビンは沖縄に住む娘とも仲がよく、孫たちの写真を送って欲しいと言われメールで送った。 

もっとないかと言われていたため、この日パソコンを持って行って、娘のブログを見せた。 

「ブログのアドレスを教えて。グーグルで英訳できるのでNorikoのブログをみるから」と。 

クレッグのボーナスが出たら、是非沖縄に行きたいと言い、そのときは我々夫婦も一緒に 

行くことになった。 

この日ロビンは娘と孫たち、それにカミサンにプレゼントを持ってきてくれた。

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間違いなくロビンはプレゼントを持ってくると思い、年末に京都に行ったとき、我々も 

ロビンにプレゼントを買っておいた。 

家族のこと以外たくさんのことを話したが、あまり思い出せない。 

ワールドポーターズを出て、地下鉄の駅まで歩いた。 

暮れなずむ、みなとみらいがすばらしかった。 

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ロビンが「ここで、みんなで写真撮ろう(Let's do SELFIE)」と言い、ロビンがスマホで 

撮ってくれた。初めて知ったが、自分撮りのことはSELFIEというようだ。 

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「また近いうちに会おうね」と、お互い言いながら別れた。 

旧交をあたためた楽しい一日だった。

2015年1月17日 (土)

あれから20年

20年前の1月17日、朝5時46分、あの大惨事、阪神淡路大震災は起きた。  

朝からテレビで特集番組が繰り返し放映されている。  

毎年のことだが、涙が止まらない。  

神戸は大学時代を過ごした思い出の地。 

もう50年前のことだ。  

姫路で教養課程を終え、神戸に移り専門課程、最初に下宿したのは、JR六甲道駅

近くだった。  

姫路の寮で一緒だった仲間3人と2部屋の1軒屋を借りて住んだ。

1軒となりが大家のYさん宅だった。  

賄い付きの下宿で、朝晩食事をYさん宅に行って食べていた。  

4人とも不規則な怠惰な生活をしていて、おばさんにはホントにお世話になった。 

おばさんは文句ひとつ言わず、ずっとお世話してくださった。  

そのおばさんも亡くなって4年になる。 

六甲道駅周辺は、震災で最も甚大な被害を受けた地区のひとつだった。  

Yさん宅も完全に崩壊したが、幸いなことに、ご家族は全員無事だった。  

震災から2年後、下宿していた仲間3人でお見舞いに伺った。  

かつての建て込んでいた家並みは跡形がまったくなく、あちこちに更地ができていた。  

Yさん宅の数軒隣のアパートに住んでいた3人の神戸大学の学生たちが震災で亡くなった 

ことを、訪ねたときおばさんから聞いた。  

「つぶれた家の下敷きになり、燃え盛る火の中、周りの人たちは手を出すことができず、 

ただ呆然と、目の前で亡くなっていく人たちを見取っていくことしかできなかった」 

と、おばさんは話してくださった。

大変な数の命がこのような最期を遂げたのかと思うと、今でも激しく胸が痛む。 

震災後、読んだ新聞に書かれていた記事をメモした。 

『震災を”6千人が死んだひとつの事件”と考えるのは死者を冒涜していないか。  

ひとりが死んだ事件が6千件あり、6千通りの死があるはずだ。ひとり一人の命を 

見つめるべきではないか』  

無念にも尊い命を落とされた6434名の皆様のご冥福をあらためて心よりお祈りする。

2015年1月15日 (木)

新春放談会

大学時代の寮の仲間が集まり、定期的に懇親会をやっていることはブログに何度も書いた。

年4回やっていて、10年以上続いている。

会の名前は50年前に仲間みんなで住んでいた寮の名前と寮歌からとって「白陵惜春会」

火曜日に有楽町の大学のクラブに9人が集まり、今年はじめての惜春会をやった。

毎回、スピーカーを決め、スピーカーが自分が好みの話題をテーマに話す。

今回はスピーカーがいなかったため、万年幹事のボクがメーリングリストに

「年があらたまった初回なので新春放談会にしては」と諮り、異論なく新春放談会になった。

事前のメーリングリストでは、珍しく最近の病気体験談が4~5名から出て、その余韻で

会合の冒頭でも病気体験談、とりわけガンの話で盛り上がった。

それともうひとつ話題になったのは、クラブに置いてあった大学の冊子「神戸高商物語」

母校、神戸大学の源流は旧制神戸高等商業学校(神戸高商)。設立は113年前。

冊子にはいろいろ書いてあった。神戸高商の卒業生にはそうそうたる人たちがいる。

実業界では、トヨタ自動車初代社長、出光興産創業者、富士電機社長、朝日放送社長・・・

政界では石井光次郎、江田三郎・・・

放談会では「やりたかったが去年はできず、今年こそは」がテーマになり、断捨離が

話題となった。

断捨離の必要性を感じる人、思い出は残しておきたいので、と断捨離に疑問を呈する人に

分かれた。

去年引っ越しを体験した人の意見は「断捨離は絶対必要。気力体力がある間にやらないと

子どもに迷惑をかける」

ボクの今年の目標のひとつは断捨離。今年こそは必ずやろうと思っている。

断捨離の話から、いささかストレートではあるが、棺桶に入れるものが話題になった。

初恋の人の写真を入れたいと言う者がいて、「女房に頼むわけにもいかないし・・・」

「写真を入れたいと思うのは男だけで、女は思わないのでは」など、しばらくこの話題で

盛り上がった。

「死ぬまでに棺桶に入れるものを作る、ということにチャレンジしてはどうか」との意見も出た。

こういう話題になるのも、全員が古稀を過ぎたメンバーの集まりなので、やむを得ない。

最後に、ここ2年間行かなかったが、今年は旅行に行こうという話になった。

惜春会は大阪でもやっているので、「両方が集まるとしたら新幹線も通ることだから

金沢くらいかなぁ。あとは誰が企画し準備するかだなぁ」で今回は終わった。

2015年1月13日 (火)

心に沁みた歌(朝日歌壇より)

毎週朝日新聞に掲載される朝日歌壇の投稿短歌を愛読している。

メモしておいた心に残った歌、十首。  

 ※ 真暗な我が家に帰るさみしさを知らずに逝ってあなたは幸せ  

 ※ 手の甲に額あずけて眠る昼ゆるしてほしいこと一つある

 ※ 注連縄(しめなわ)と輪飾り作る生業もこの暮限りホスピスに入る 

 ※ たましいのままでいいから会いに来てあなたにあなた肌寒の朝

 ※ 文芸春秋今月とうとう四冊買ってきた夫静かに壊れて

 ※ 許せない思いは何も口にせずやさしさだけを残し逝きたり

 ※ 離婚あり別居もあれど死別なし地元の友らと笑笑で飲む

 ※ 「幸せな人生だった」と夫の言「わたしもと」すぐに云えなかった悔い 

 ※ 雪降れば窓際にイスふたつ置きふるさと思う東京暮らし

 ※ 買えばなんて指輪は買って欲しいもの女心も知らず夫逝く 

2015年1月 8日 (木)

熱海散策 その2

山を歩いた翌日午後、海の方面を歩いた。

マンションの知り合いの女性が、犬の散歩で歩いている道を3つ教えてくれて、

そのひとつが、とても石畳がステキな場所だと言っていたのを思い出し、

行ってみることにした。

街中を抜け、熱海駅を通り、右に海を見ながら海岸沿いの道を歩くこと40分。

ステキな石畳が見えてきた。

海光町の名がぴったりの立派な家が多い一角。

古くは文人や粋人が住んでいた町なのでは。

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周りの海もいい雰囲気。

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家に帰る道すがら、夏になるとにぎわうサンビーチへ。

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熱海と言えばここ、と多くの人が知っている「貫一・お宮」像

尾崎紅葉が書いた悲恋物語「金色夜叉」のモデル。

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「お宮の松」の道を隔てた前にあるのは、完成まじかにデベロッパーが倒産したため、 

手付かずで、5年以上たった今もオープンすることなく、そのままの形で残っている

建物があわれ。

熱海に住んで以来、たくさんのホテル、旅館、マンションの栄枯盛衰をみてきた。 

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この日の歩数計は1万3千歩。

いろいろ気になるので、昨日横須賀に帰る予定にしていたが、カミサンがカゼを引き帰れず。

今日は調子が戻ったようで、明日は帰りたい。

2015年1月 6日 (火)

熱海散策

一日遅れになったが、昨日は仕事始めだった。

仕事始めは通常4日だが、4日が日曜日であったため、今年は5日スタート。

この年末年始は日巡りがよく、6連休、あるいは9連休だった人も少なくなかったことだろう。

家族で休みを満喫し、英気を養った人、帰省したお孫さんたちと久しぶりに会い、幸せな

時間を過ごしたご両親、楽しかった時も終わり、また平素の日常に戻った。

振り返ってみると、現役時代、年始初日の出勤はイヤだった。休みが終わってしまった

ことに加え、出勤して「おめでとうございます」の挨拶をすることがどうも苦手だった。

さて、4日はまだいる熱海でひとりで散策した。

大みそかにお参りした近くの来宮神社には参拝客がまだ引きをきらず。

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お参りしたあと、神社の裏手の西山方面を散策。

熱海は坂や山が大変多い街で、西山もご多分にもれず急坂がつづく。

個人や宿泊施設で温泉を源泉から引いているところは熱海では珍しくない。

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新年は和のテイストで門松を飾る家も珍しくない。

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一時よりずっと減ったとはいえ、まだ会社の保養所も多く残っている。

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途中、廃墟になった建物を見つけた。

まだまだ施設の多くが残っているが、一時期は熱海、伊豆地区で勢いのあった

中銀ライフケアマンション、西山地区の施設は閉じられ廃墟のような感じになっていた。

建物前にはきれいな小川が流れ、道をはさんでバス停があり、かつては多くのシニアの

人たちが住んでいたことだろう。

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暮れなずむ中、街を見ながら山を下った。

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自宅の最寄り駅まで帰ってくると、冬の日は暮れていた。

この日の歩数計は9千歩。

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2015年1月 3日 (土)

獅子舞

午前中、箱根駅伝の復路を途中まで観て外出した。

夕方帰ったあと青山学院の快挙を知った。

朝の復路のスタートは、往路6位以下の14校が、箱根を一斉繰り上げスタートした。

繰り上げになると、そのあと正しい順位がわからなくなるが、終了時間を考えるとやむ得ない。

各区でつばぜり合いがあった。

5区では駒沢と東洋、8区では早稲田と明治、9区では明治と駒沢。

このあたりまで観て出かけた。

結果は多くの方がご存じのように、青山学院が往路・復路を制し、10時間50分を切る

すごいタイムで堂々総合優勝を果たした。

応援していた神奈川大学は17位。シード権が取れる10位には今年もまた遠く及ばなかった。

秋に行われる予選会に今年も参加し、勝ち上がれば本戦に出場できるという、去年と同じ

プロセスを経なければならない。

さて、駅伝観戦を途中で切り上げ出かけた先は、熱海の山の上にあるMOA美術館

美術館の能楽堂で行われた獅子舞を久しぶりに観に行った。

MOA美術館はこれまでに数10回行っている。

海を臨むすばらしいロケーションにあり、所蔵品が大変豊富で、時期時期で所蔵品が

展示される催しが開かれ、国内でもトップクラスの美術館。

毎年、三が日の2日、3日に能楽堂で獅子舞が行われ、これまでに数度観に行ったことがある。

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この場所で眺む海は極上。

今日は天気もすばらしく、手前左に初島、中央に大島がはっきり臨めた。

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しばらく海を見たあと能楽堂へ。

2時から、まさにお正月の催し、獅子舞がはじまった。

マンションの知り合いがMOA美術館に関わっていて、彼の話では獅子舞、お囃子を演じる

関古式囃子保存会は、毎年横浜からボランティアで参加してくださっているとのこと。

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最後は、

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能楽堂のあと、開催中の近代日本美術展を鑑賞した。

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たくさんの作品が展示されていた。 

名前を知っているだけでも、横山大観、伊東深水、狩野芳崖、小倉遊亀、平櫛田中など。 

活躍中の画家 千住博さんの大きな滝の絵がロビーの壁の一角に展示されていた。 

この大きな滝の絵は、先日の紅白歌合戦で、石川さゆりが歌った「天城越え」のバックにも 

使われ、プロジェクションマッピングで滝が流れる絵が印象的だった。 

これまたお正月らしい、尾形 光琳作 国宝 紅白梅図屏風が飾られていた。

展示されていた屏風はレプリカ(複製)だが、MOAには本物があり、300年前の作品は

厳重に保管されている。

この時期1ヶ月間だけ、ガラス囲いの中に入れられ展示されることも珍しくない。 

解説してくださる人がいて興味深い話がいろいろ聞けた。 

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2015年1月 2日 (金)

箱根駅伝往路

正月2日、3日の箱根大学駅伝は毎年の楽しみ。

箱根駅伝は前年の大会で10位までに入ったシード校10校と予選会を突破した10校、

それに予選会で敗退した大学の記録上位選手で編成する関東学生連合チームの

計21チームが出場する。

我が家が毎年応援する神奈川大学は、今年は予選会を1位で突破、今年こそはとの思いで

戦いぶりに期待した。

今年はテレビ観戦でなく、小田原に観に行くことにした。

小田原は平塚からはじまる第4区で、第4区は全区間中最短の18.5km、スピード

ランナーが競う区間。

小田原中継所は大変な人出であろうと思い、小田原駅から歩き、市民会館前で観る

ことにした。

通過予定時間をネットで調べ、30分前に行ったが、既に沿道は大変な人。

5年くらい前に知り合いの住む二宮で観戦したことがあったが、選手が一瞬で通過し、

あまりにもあっけなかった。

さりとて中継所は大変な人出。

そこで今回は選手がやってくる道を正面に見、選手が左に曲がる場所で観ることにした。

ただ、前に幾重にも人垣ができていて、写真を撮るのは容易でなかった。

待っていたら、車両の通行が停められ、やっと先頭の選手が来るのではとの雰囲気に

なってきた。

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頭上から、カメラで選手がとらえられるのは、ほんの一瞬。

この一角は明治大学の応援団が陣取っていた。

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死力を尽くす戦いであるとは言え、パトカー、白バイクを従え、沿道の「がんばれー!」の

声を聞きながら、応援を背に18km走る気分は、最高であろうと思った。

観た位置が遠方であったため、大学名と順位ははっきりわからなかった。

応援していた神奈川大学は10位以内には入っていたのでないかと思う。

全選手が通過したあと、近くにいた人に聞いたら、良い場所を確保するには1時間前には

来た方がよいとアドバイスされた。

観戦後、食事をしてお城のお堀端をぶらぶら。

タブレットでテレビ観戦している女性に会い、芦ノ湖のゴールの模様をテレビで観せて

もらった。

駒沢の5区の選手が倒れるようにゴールし、たすきがつながり良かった。

優勝候補の駒沢がもしも、たすきをつなぐことが出来なかったら、大変だった。

それにしても青山学院の頑張りはすごかった。

4区、5区で区間新を取り、5区の神野が快走し、山の神と言われた東洋大学の柏原の

走りを上回った。

2位の明治に5分の差をつけた青山学院、復路逃げ切れるかどうか、明日はまた楽しめる。

2015年1月 1日 (木)

新しい年を迎え

新年おめでとうございます。

2015年の幕があいた。 

昨夜の大みそか、紅白歌合戦が終わったあと、歩いて5分くらいのところにある

氏神さまの来宮神社にお参りした。 

当たり前だが、良い一年であることを願う人たちで、本殿前はごった返していた。 

昨年一年大過なく過ごせたことへのお礼、今年も家族だけでなく、知り合い・仲間

みんなが健やかに一年過ごせますようにと祈願した。 

年が明け、マンションのフロントには係りの女性が自らしつらえてくれたお正月らしい 

お花が飾ってあった。 

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夫婦ふたり、雑煮で新年を祝った。

今年は初めておせちをお取り寄せした。

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取り寄せたのは、カミサンがたまたまテレビで観た、倉敷のカモ井食品工業。

カモ井食品工業には深い思い出がある。

小さいころ住んでいた家のそばに、佃煮屋のカモ井食品工業の小さな作業所があり

子供たちの遊び場になっていた。

時は流れ、そのカモ井のおせちを元旦にいただき、感無量である。

料理は小ブクロに入り、おせちに入っていたパンフレットを見ると、その数31種類。

どれも美味しく、味付けが「これは倉敷風だね」というものもあった。

これまではカミサンが食材を買い集め、時間と手間をかけて作っていたが、年末の高い

時期に食材を買い集めることを考えると、経費的にはそんなに変わらないのではと思う。

何と言ってもカミサンが楽できる。

食事後、ぶらぶら近くを歩いた。 

最近熱海に来るたびによく行く、丹那トンネル工事で殉職された人たちを祀る小さな 

丹那神社にお参りした。Cimg9267_2

トンネル工事が着工したのは1918年。工事は難航を極め、いく多の困難を乗り越え、

67名の尊い犠牲者を出し、1933年にトンネルは貫通、翌34年に現在の東海道本線が

開通した。開通し、ちょうど80年になる。

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トンネルの長さは8km弱、新幹線で通ってもその長さを実感する。

お参りするたびに、前人の尊い犠牲のもと、我々が恩恵に与れていることに対し、

心の中で謝意を述べる。

殉職碑の近くに、明治28年当時と記された熱海電灯会社の水力発電所系統図がある。

これにも大いに興味を引かれる。

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殉職碑から家までは、新幹線、東海道本線の線路の下を通る地下通路を通って帰る。

通路を出たところにはもうひとつ殉職碑があり、こちらにも手を合わせた。

丹那トンネルの殉職碑は鉄道省が建てたものだが、こちらの碑は有志によって

建てられたもの。

殉職した方は、国府津保線区に勤務していた人で、集中豪雨の中、作業にあたり、

高圧線に感電し、濁流にのまれて亡くなったと記されている。

仲間の不慮の死を悼み、同僚により、ひっそりした場所に建てられた碑を見るたびに

じーんとくる。

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