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2014年11月20日 (木)

韓国の思い出(3)

韓国の思い出(2)を書いたのは3週間前。

(2)の最後に、こう書いた↓

  板門店には外国人であれば見学に行けると聞いていて、ぜひ行きたいと思った。 

  ただ、平日しか見学はできなかった。 

  これだけ回数来ている韓国。東京に黙って、1日全員休んで板門店に行くことを決めた。 

板門店はソウルの北80キロの38度線上、朝鮮戦争の停戦ラインである韓国と北朝鮮の

軍事境界線上にある。

今は板門店ツアーがあるようだが、35年前はパスポートを提示し、路線バスでしか

行けなかった。

板門店には行くことが許されない韓国人は、バスを途中で降ろされた。

板門店に着いてバスを降りるやいなや、大変な緊張感、緊迫感を感じた。

「軍事停戦委員会」の会議場の建物に案内された。

会議場の中心には細長いテーブルがあり、その中心にマイクが置かれ、マイクのケーブルは

北と南の境界線を示すように配線されていた。

見学者はマイクのケーブルの北側に立つことは許されなかった。

説明員がついたかどうかは記憶がないし、説明があったとしても何語で説明されたかも

記憶にない。

言葉を発することは許されなかったと思う。

ただ、35年経った今でも会議場内の様子はまざまざと脳裏に浮かんでくる。

会議場を出たあと、建物の前の広場から遠方には北朝鮮が臨めた。

遠方からスピーカーで大きな声が流れていた。

北がいかにいい国であるかを喧伝している放送であると教わった。

広場の下には100mくらいだったろうか橋がかかっていた。

橋のこちら側には韓国兵が銃を構え立っていて、向こう側にはやはり銃を構えた北の兵士が

立っていて、まさに対峙していた。

有名なポプラ事件が起きたのはこの橋だった。

ポプラの枝の剪定作業をしていた国連軍(韓国側)のアメリカ人将校が、北朝鮮兵士に

襲撃され斧で撲殺された事件である。

館内には展示があり、北が南に密かに侵攻するために掘ったトンネルが写真とともに

紹介されていたのを思い出す。

35年経った今も南北の緊張状態はまったく治まることなく、ある日を境に別離した

家族は南と北に引き裂かれたまま、日々を送り、生き別れしたまま亡くなっていくという

筆舌に尽くし難い悲劇がいまなお途絶えることなく続いている。

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