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2014年10月

2014年10月31日 (金)

韓国の思い出(2)

1980年初め、韓国がどれほど北と緊迫した関係にあったか、それと北の脅威を国民に 

いかに洗脳していたかについて、記憶をたどりながら書いていく。 

韓国と北朝鮮が厳しく対峙し緊迫した関係になった発端は、1948年に朝鮮民族を分断し 

ふたつの国、韓国と北朝鮮ができ、その2年後に両国の間で朝鮮半島の主権を巡り起きた 

朝鮮戦争であった。 

韓国側には、アメリカ軍を中心とした国連軍が参戦、北朝鮮側にはソ連と中国が参戦し、 

アメリカとソ連の代理戦争の様相を呈した。 

3年間に及ぶ戦争により、朝鮮半島全土は戦場と化し、両国を荒廃させた。 

韓国と北朝鮮は、もちろん元々は同じ朝鮮民族。 

それが朝鮮戦争から65年近く経った今なお、緊張関係にあるという大変悲しい状況にある。 

朝鮮戦争を機に離散してしまい、行き来ができなくなった家族はたくさんいる。 

ボクが頻繁に韓国に出張していた時期、韓国は同胞である北朝鮮に対し、その脅威と憎しみを 

あらゆる形で国民に喧伝し洗脳していた。 

北の脅威を国民に洗脳するということでは、記憶していることがたくさんある。 

当時、街には戒厳令が敷かれ、夜中0時以降の外出は許されなかった。 

泊っていたホテルの窓から見ていると、10分くらい前まで人が行き交っていた道には 

0時になると軍の衛視以外誰もいなくなり、通行人は皆無。 

さっきまで、数多くいたあの人たちはいったいどこに行ったのだろうか、と不思議であった。 

もし衛視に見つかれば、誰何(スイカ)され逃げたら射殺されると韓国の人から聞いていた。 

また、北からの攻撃を恐れ、月に1度灯火管制が敷かれ、時間は覚えてないが、すべての 

民家や建物では電灯を消すことが義務付けられていた。 

また、月に数度、事務所内の警報が鳴り、当時事務所のあったソウル駅前のビルの20階 

くらいのフロアから全員階段を使って降りて、駅前の地下道に逃げ込む避難訓練があり、

何度も経験した。 

ソウルの郊外に通じる道には、ところどころ道の上にガードレールのような感じの 

建造物が造られていた。会社の韓国人の仲間に聞くと、中にはダイナマイトが仕掛け 

られていて、北朝鮮が攻めてきたとき、爆破させ道路を封鎖するためだと教えられた。 

また、毎日夕方5時になるとスピーカーから国歌が流れてきて、全員大きな部屋に集まり 

姿勢を正し、国旗を正視することが日課になっていた。 

韓国富士通の事務所の入口には、たしか「北塊」だったと記憶しているが、写真がいっぱい 

掲載されたグラフ誌が置いてあった。ハングルなので中身は解らなかったが、写真から

北の悪態を報道した雑誌だと推測できた。 

また、当時富士通韓国から技術者がしばしば東京に出張してきた。 

打ち合せが終わったあと、一緒に食事に行っていたが、彼らは絶対焼肉屋には行かなかった。 

曰く、「北の人間がやっている店かもしれない」 

1948年南北が分断される前は、もちろん北も南も同じ国の同胞。 

1950年にはじまった朝鮮戦争は1953年に休戦(現在も戦争は終結ではなく、停戦中) 

休戦協定は、38度線近くの板門店で結ばれた。 

当時、板門店には外国人であれば見学に行けると聞いていて、ぜひ行きたいと思った。 

ただ、平日しか見学はできなかった。 

これだけ回数来ている韓国。東京には黙って、1日全員休んで板門店に行くことを決めた。 

長くなるので、板門店行きは次回の「韓国の思い出(3)」で。

2014年10月28日 (火)

くすのき祭

もと会社の仲間の女性からメールが届き、「ソリューション・スクエアで、くすのき祭が

あるので行かない。ほかにも3人女性仲間に声かけるので」というお誘いがあり、

日曜日、12時に待ち合せし、蒲田にある富士通のソフトウエア開発拠点である

ソリューション・スクエアに出かけた。

現役のふたりは休みの日まで会社へはという気持ちだったのだろう、参加せず、当日

集まったのはメールをくれたTKさんと、もうひとりTMさんとボクの3人。

TKさん、TMさんと職場が一緒だったのは、もう30年くらい前。

ソリューション・スクエアビルは蒲田駅から7分くらいの住宅街近くにあり、くすのき祭は

地元の方々へのお礼の気持ちをこめて、毎年この時期に開催されていることを初めて知った。

このビルはかつてはシステムラボラトリーと呼んでいて、ボクもSE時代に長くいたことが

あるビル。当時A棟、B棟、C棟で構成されたビルは建て替えられ立派なビルになった。

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平素カードがないと入れない事務所の中を開放して、見学ツアーもやっていた。

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ソフトウエア開発では必須のセキュリティ対策の基本であろう、机の上には物を置かず

退社時は各自に割り当てられたロッカーに書類を格納することになっている。

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くつろげる場所への配慮も基本。昔はなかったが今は当たり前。

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ボクがSEをしていたときからあったSEコンベンションが今はSSコンベンション。

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事務所が見学でき感激した。

一緒の女性ふたりから「うれしそうな顔」と笑われた。

見学のあと、カフェテリアで食事。

「ここのカレーは美味しいよ」と言われ、3人ともカレー。

食事が終わったあとしばらくしゃべり、駅の近くでお茶をした。

昔の話、仲間の話、それぞれの近況・・・、次から次に話は尽きない。

実はTMさんは沖縄の娘ともつながっている。

前回TMさんに会ったとき、彼女から「東京と沖縄を行ったり来たりしている。

オリーブオイル ソムリエの資格を持ってるし、沖縄でシニア向け料理教室をやりたい」

と聞いていたので、娘にそのことを話し、「何かコラボできるのでは」とTMさんと娘双方に

伝えたら、その後ふたりは那覇で会った。

会ったあと、双方からメールが届き、「好み、考え方が合っていて、何か一緒にやれれば

いいなぁ」とのことだった。

3人でワイワイ話し、「そろそろ帰ろう」となったのは5時半。

旧交をあたためた、楽しい一日だった。

2014年10月23日 (木)

あれから10年

沖縄に住む娘宅に姉孫が生まれたのが、ちょうど10年前の今日。

いまや元気な小学4年生。

10年前の今日、ボクは定年退職直後、断ったものの会社からどうしてもと頼まれ、

JICAの仕事でカンボジャに3ヶ月行っていた。

明け方だったと思う、娘のダンナから出産直後の写真付きメールが届いた。

母子とも元気の報せに、遠方でホッとしたのを思い出す。

カンボジャから11月末に帰ってきて、初めての対面。

初孫を授かり、何とも言えぬ喜びと感激を味わった。

10年前の6月定年退職し、ボクの人生にとっては大変記念に残る年でもあった。

また、10年前の10月23日は中越地震が起きた日。

カンボジャでネットニュースを見て、息子の大学の親友で小千谷に住むタムちゃんのことが

大変心配だったことを思い出す。

過ぎた10年を考えてみると、思うがままに過ごし、あっという間に過ぎた10年だった。

この先の10年を考えてみると、80歳を超え、今のように週2回テニスをやること、

自分で旅程をたてて海外旅行すること、仲間との交流、楽しみながらブログを書くこと

等々、ままならぬことが増えていることだろう。

そもそも存命しているかどうかとも思う。

そう考えると、この先貴重な時間、思うがままに過ごし続けたい、とあらためて思った。

2014年10月21日 (火)

韓国の思い出(1)

オーストラリアの駐在から帰ったあと、1980年から2年半くらい、韓国に頻繁に出張した。 

通算すると30回近くになるのでは。 

いま日韓は大変厳しい状況にある。 

35年前の韓国は今とはまったく違う国だった。 

出張の目的は、海外で初めてIBM機を富士通機に入れ替えた、リプレースユーザであった 

韓国電力のシステム開発だった。 

いまはわからないが、当時韓国には電力会社は韓国電力しかなかった。 

国で唯一の電力会社のシステム移行が納期通りに終わらないと大変なことになる。 

しかもIBM機のリプレースということで、相当のプレッシャーの中での仕事であった。 

当時35歳、5人の部下と同数くらいの韓国人SEを率いたプロジェクトリーダーは

重責であった。 

追々書くが、今と違い、当時の韓国はまだまだ貧しい国で、南北の緊張感はピークに

近い状況にあった。 

加えて、前年の79年には朴正煕大統領(現大統領 朴槿恵の父)が、古い友人だった

KCIAの部長に会食の席で拳銃で射殺されるという大変な事件が起きて間もないころで

韓国には長期間戒厳令が敷かれ、国全体が大変緊迫した状態にあった。

ソウルの街には高いビルが建ち始めたころであったが、ビルの下ではタバコの吸い殻を 

拾ってきたおばあさんが紙に吸い殻を巻いて路上でバラ売りするのを見かけるのが

珍しくない時代だった。 

地下道や地下鉄はニンニクのくさい臭いが充満していて、人々の着ているものは粗末で 

ソウルの街は雑踏と汚れで、夜になると灯っているあかりは少なく暗く、落ち着けない 

街だった。 

金浦空港から日本に帰る飛行機に乗るとホッとし、しばらくは来たくないと毎回思った。 

あれから35年、いまの韓国はまさに隔世の観。

当時、どれほど北と緊迫した関係にあったか、それと北の脅威を国民にいかに洗脳して

いたかについては、韓国の思い出(2)で。

2014年10月17日 (金)

大学の寮の仲間の飲み会

大学時代の寮の仲間が集まり、定期的に懇親会をやっている話はブログに何度も書いた。

年に4回やっていて、記録を取っていないためよくわからないが10年近く続いている。

会の名前は、50年前に同宿であった寮の名前に因んで、「白陵惜春会」

会場は有楽町の帝劇地下にある大学のクラブ。

火曜日に今年最後の「白陵惜春会」を行った。

この日は11名が参加。うちひとりは遠路タイから。

毎回、スピーカーを決め、スピーカーが選んだテーマで話を聴くことにしている。

この日のスピーカーは1年先輩のMさん。

演題は「朝鮮史 日韓併合までの日本との関係を中心に」

朝鮮半島の略史からはじまり、世界史の中での朝鮮・韓国の位置づけ、それに現代韓国

理解のための視点など、7冊の参考文献を読み込んでの話だった。

この日は、そのあとさまざまな話題が出て、盛り上がった。

Sくんが最近手がけている、こんにゃく作りの話と作ったこんにゃくを持ってきてくれて

みんなで賞味した。なかなか深い味わいに出来あがっていた。

Tさんからは、シルバー人材センターで植木の剪定、手入れに精を出している話が出た。

タイから参加のTさんからはカードゲームのコントラクトブリッジの面白さが話された。

先日、新聞報道された、スーパーグローバル大学に母校が選ばれなかったことも話題に

なった。

みな博学である。特に1年先輩の3人、Sさん、Nさん、Mさんの博学ぶりには感服する。

この夜、最も盛り上がったのは、Nさんが浅草のお師匠さんから習っている小唄の会の

発表会の話。

会の案内パンフが配られ、いろいろ解説があった。

発表会は11月9日10時45分開演、日本橋三越劇場。入場無料。

当日はお茶のお点前、小唄、舞踊があるとのこと。

貴重な経験、ぜひ参加したい。

来年の惜春会の開催日と次回と次々回のスピーカーを決め、お開きになった。

2014年10月13日 (月)

久しぶりの結婚式

定年退職して以来、結婚式に出席する機会はめっきり減った。

金曜日、郷里の倉敷に帰省して、久しぶりに弟の息子の結婚式に出席した。

帰省したときのいつものパターンになった妹の家に今回も泊めてもらった。

式場は倉敷の美観地区と呼ばれる場所にある披露宴のできるレストランを借り切って

日曜日の午後行われた。

それに先立ち、式は子供のころよく遊んだ市の中心にある鶴形山の阿智神社で神前結婚。

神前結婚は初めての経験。

レストランに移動して祝宴。

とてもいい雰囲気で印象に残る披露宴になった。

これで弟の家は3人の子供たちがそれぞれ家庭を持ち、弟夫婦はホットしたことだろう。

帰省した日は2月に亡くなった母親、16年前に亡くなった父親の墓に参り、それぞれの

家庭が大きな問題なく歩んでいることを報告し、見守ってくれるようお願いした。

今日は、昼前妹宅に弟といとこの女性のKちゃんが来てくれ、妹の手料理でみんなで歓談。

Kちゃんに会うのは親父の葬儀以来。

Kちゃんは勤務医、その後倉敷ほか近隣の保健所所長を務め、9年前に定年退職した。

子どものころの懐かしい話、それぞれの家族の話に花が咲いた。

Kちゃんが花房家の家系図をプリントして持ってきた。

弟も家系については以前からいろいろ調べていて、長男のボクはあまり興味がなかった。

大祖父が明治時代に岡山市の収入役で、叙勲を受けたこと、大祖父の父親の話、

祖母が嫁いできた家の家系など、ふたりともよく調べて知っていて、興味深い話を

いろいろ聞いた。

さかのぼれば、先祖は今年の大河ドラマ「軍師 官兵衛」にも出てきた、秀吉の家臣

宇喜多秀家。

岡山城に行けば、そのことがよくわかると教えてくれた。

次回帰省時には是非行ってみよう。

台風の中わざわざ来てくれたふたり、結局4時間以上4人でワイワイ話して、台風の

雨の中、帰って行った。

2014年10月10日 (金)

ラジオ英語講座

ラジオで「実践ビジネス英語」講座を聴きはじめたのは2年前の4月。

もう2年半になる。

水・木・金曜日の午前、15分間。

2年半経ったが、セットしたケータイのアラームで気づくことが多い。

他の予定とぶつかることも珍しくなく、聴けているのは2/3くらいか。

マンハッタンにある美容・健康関連商品を扱うグローバル企業を舞台に、登場人物は

同じ部署に所属する男性5人、女性3人。

さまざまな話題がテーマに取り上げられる。

今週のテーマは「心に残る公共広告」

子供の飢え撲滅のための公共広告キャンペーンが成功を収め、名だたる広告賞を

2つ受賞し、業界外の人たちからも広く称賛されている、というストーリー。

話の中で出てきた数字に驚いたので、紹介。

  アメリカでは、およそ1,600万人の子供たちが飢えに直面していて、この数字は、

  アメリカの子供たち全体の20%を超えている。

  これは、貧富の差が途方もなく広がるときに起きる事態であり、約5,000万人の

  アメリカ人が、いわゆる「食料不安」世帯で暮らしているという深刻な状況を意味する。

  「食料不安」世帯とは、家族の何人かが、1年を通して安定的に満足な食べ物を手に

  入れることができない世帯。

  その数は、2008年に景気が後退し始めてから変わっていないが、それ以前の

  10年間に比べ、著しく高くなってきている。

最近、日本でも「子供の貧困」が話題になることが多い。

昨年、子供の貧困対策の推進に関する法律も施行された。  

平均的な所得の半分を下回る世帯で暮らす18歳未満の子供の割合を示したものが

「子供の貧困率」 

「子供の貧困率」が16%を超え、過去最悪を更新し、6人にひとりが貧困状態にある、 

と新聞が報じていた。 

母子世帯が増え、働く母親の多くが非正規雇用であることが影響している、とも新聞は 

書いていた。 

定期的に寄付をさせてもらっている「あしなが育英会」から機関紙がときどき届く。 

機関紙で母子家庭の窮乏状態を目にすることが多い。 

特に「貧困の連鎖」という言葉を目にすると胸が痛み、そのたびに幸あらんと願うばかり。

2014年10月 7日 (火)

息子の仲間たち来訪

23歳だった息子が亡くなり、来年で20年。 

毎年この時期、我が家に来てくれる高校3年生の時の仲間が日曜日大雨の中、来てくれた。 

みんなアラフォー真っただ中、43歳。 

1時すぎ、Mくん、女性2人MちゃんとRちゃん、それにMちゃんちの男の子Wくんが先着。 

しばらくして、FくんとAくんが合流。 

かつては料理すべてカミサンが用意してたが、最近は持ち込みしてくれるので助かる。 

今年もコストコでいろいろ買ってきてくれた。 

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持ってきてくれたお花を息子のそばに置いて、スタート。 

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NGO活動でヨルダンに赴任しているMくんの一時帰国のスケジュールに合わせ、

日曜日に決まったが、今年も台風にぶつかった。

去年も台風にぶつかり、愛知の豊田から来てくれたKちゃんが乗っていた新幹線が

途中何度も止まり、ケータイでやりとりしながら、何とかたどり着いたこともあった。

今年もお土産がいろいろ届いた。 

先ず、Mくんがヨルダンで買ってきてくれたお菓子と死海のBATH SALTSをみんなに。 

BATH SALTSは風呂に入れるもので、どんな感じか楽しみ。 

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毎年Rちゃんがお手製のスイーツを持ってきてくれる。 

今年はマドレーヌ、クッキー、チョコ、杏仁豆腐の4品を2日間かけて作ってくれたと聞き、感激。 

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保険会社ほか事業を営んでいるFくんからの差し入れはシャンパンのCHANDON。 

「さすが社長」と、みんなで言いながら、MOET&CHANDONはみるみるうちに空いた。 

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今年も息子の部屋から持ってきた高校3年生のアルバムで大盛り上がり。  

息子が高校、大学だったころ、10人以上のメンバーが常時我が家に入り浸っていて、 

そのころの話やら、あちこち旅行した話やら、久しぶりに息子の話がいろいろ出た。

仲間のひとりで、今年の元旦に亡くなった女性のKちゃんのことも話題になった。

ボクのところにも連絡があり、3日に仲間と一緒にお宅を訪ね、Kちゃんに会い、

4日の葬儀に参列させていただいた。 

この日はサプライズもいろいろあった。

5歳のWくんが、「Mおじさんとお風呂に入りたい」と言いだし、「おー、それは面白い!」と 

ボクがすぐ風呂をつくって2人は仲良く入った。 

母親のMちゃんが「去年Mくんが一緒にお風呂に入ろうと言ったら、恥ずかしくて入れなくて 

今年は来る前からMおじさんとお風呂に入りたい、と言ってたの」 

風呂から上がり、「気持ち良かった?」とWくんに聞いたら、何とも言えないいい顔をした。 

そのあと、ふたりはマッサージ機でまったり。 

ヨルダンから一時帰国中のMくんに「現地で何やってるの?」とみんなで聞いたら、話してくれた。 

メインの仕事はシリア人へのメンタルヘルスケア、とのことで、びっくり。 

次にみんなの質問は「まさに戦闘地域で、危なくないの?」 

Mくんははっきり答えなかったが、危なくないはずがない。 

MくんはNGOでずっと海外で人道支援に携わっている。 

東北大震災のときも早くから現地に入り、NGOとして支援活動に従事した。 

それを知り、Mくんに頼み、ボクもたった4日間だったが、震災の3ヵ月後に陸前高田で 

ボランティア活動をさせてもらった。 

この日は残念なこともあった。 

沖縄の娘とこちらのみんなでフェイスタイムをやりたくて、娘にメールしたら「いいねぇ」 

と言っていたが、娘の方で急な予定が入り、やれなくなって残念だった。 

Wくんが眠くなり帰りたいと言いだし、7時前にお開きになった。 

昔だと夜中の12時前に終わることはまずなかったが、みんなもう若くない。 

「来年もよろしく!」と言いながら、みんな帰っていった。

2014年10月 4日 (土)

久しぶりに孫たちと

沖縄に住む娘と孫たちと久しぶりにフェイスタイムをやった。  

iPadのボタンを押して相手を指定すれば、相手のiPadのブザーが鳴り、相手が出てきて、 

お互いの動画を見ながら、無料で会話ができるフェイスタイムのことはブログに何度か書いた。 

フェイスタイムはiPhoneでも使え、家族、友だち、恋人同士で楽しんでいる人は多いことだろう。 

きっと一時人気のあったスカイプはいまや使う人が減っているのでは。  

画面を撮ってメールにも送れるが、この日は撮るのを忘れたため、先日娘から届いた写真を。  

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この日の夜は孫たちがいろいろ話してくれた。 

話題のトップは23日の姉孫の誕生日プレゼント。  

前から言っていた貯金箱が欲しいとあらためてリクエストされた。 

「写真を送らないとどんなものかわからないだろうから、すぐメールで送るね。 

色は絶対ブルー!」と念を押され、メールが届いた。 

小学校4年生でこんなことができるんだと感心。 

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姉孫は「行きはじめた塾で鍛えられていて、終わったら頭がパンパンでパンクしそう」 

妹孫は「ピアノ練習曲のバイエルンをやってるよ」と言い、リズムを口ずさみながら、 

テーブルの上で鍵盤を想定し、両手で弾いてくれた。 

妹孫は4月に小学生になったばかり。しかも3月25日生まれなので、クラスでは一番年下。 

「自分で手を挙げて、全校生徒(と言っても100人くらい)の前で今度弾くんだ」と言っていた。 

「逆立ちができるようになったし、体操もやってるよ」 

ダンナが出張がちな中、娘がしっかり子育てしていることがあらためてよくわかった。

2014年10月 3日 (金)

犯罪被害者週間

毎年、内閣府が12月1日の前1週間を犯罪被害者週間と定め、犯罪被害者の権利の確立と 

被害者支援の充実をめざして、毎年全国各地でさまざまな催しが行われている。

6年前、知り合いから支援を依頼され、以来、犯罪被害者団体ネットワーク(愛称ハートバンド)の

運営メンバーの一員として関わっている。

ハートバンドは、運営メンバー7名、事務所はなく、運営費は全面的に助成金に頼るという

弱小の任意団体である。

そのため年間を通した活動を行うことは難しく、12月の犯罪被害者週間に合わせ、緩やかな

連携を旨に、全国18の自助組織が一堂に会する、全国大会を主催している。

全国大会は会を重ね、今年が12回目となり、11月29日(土)に東京・晴海で開催する。

準備作業は佳境に入り、チラシを関係組織と関係者に送付し、当日の参加を呼びかけている。

ご興味のある方はハートバンドのホームページをご覧ください。 

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