駐在した3年間はたくさんの人たちを我が家に呼んだ。
当時、30歳過ぎで、まだ子供たちが3歳~5歳だったころ。カミサンがよく許してくれたし、
よくやってくれた。
富士通オーストラリアの仲間もよく我が家に来たが、多かったのは富士通からの出張者。
週末を過ごす出張者はひとりで食べに行くのも大変だろうと思い、ついついうちに来たらと
声をかけた。
訪ねてくる午前中、毎回フィッシュマーケットとスーパに買い出しに出かけていた。
帰ってきてから準備、今は一切お客を呼ぶのを嫌がるカミサンがよくやってくれたと思う。
よくお客が来たため、しっかりひとりひとりを覚えていなくて、「以前にもお邪魔しました」と
言われた人もいたし、日本に帰ったあと「お宅にお邪魔しごちそうになりました。ありがとう
ございました」と言われたこともよくあった。
その後、富士通の社長になったAさんも我が家にお呼びしたことがあった。
実は帰国してからも、同じ思いで「せっかく日本に来たのだから、日本人の家庭に一度
くらいは来たいのでは」と思い、オーストラリア人ほか週末によく我が家に呼んだ。
電車の乗り方を英語で用意していたが、東京のホテルから横須賀の我が家に乗り換え
ながら来るのは容易なことではなかった。
途中、「Tak,いまXXXという駅だけど・・・」と言い、かなり離れた駅から電話がかかってくる
ことはまったく珍しくなかった。乗り換えを説明し、駅に着いたら迎えに行っていた。
お客が来るときの子供たちの反応には差があった。
息子は「外人が来るの。だったら出かける」。娘は英語に苦労しながらも聴こう、話そうと
頑張っていた。
こんなこともあった。
お客はたいてい複数人で来る。一度メルボルンから来た女性が「Tak,お宅に来るのは
2度目」と言われ、とてもびっくりしたことがあった。ジョアン・アービックという女性だった。
彼女が「前来たときも何人かで来たし、髪型変えたからわからなかったんじゃない」と
なぐさめてくれたが、女性だったこともあり、大変恥ずかしい思いをした。
そのことがあってから、写真が貼れるビジターノートを買ってきて、お客が来たらみんなで
写真を撮って、ひとことづつ書いてもらうことにした。
以来、ノートにはたくさんの写真とひとことが残っていて、とても良い思い出になっている。
お客の中には富士通オーストラリアの人だけではなく、親しかった富士通オーストラリアの
お客様を呼んだことも何度かあった。
そのあとオーストラリアに出張したときには、逆に自宅に招かれた。
女の子を連れて我が家に来たチャールス・マクジュリーとは、3年前に信じられない
出会いがあった。
娘と孫たちを連れてカミサンと一緒にオーストラリアを旅したとき、アデレードの路上で
「Is this Tak?」と声をかけられ、自分の名前を呼ばれたことにびっくりし見たら、チャールス。
まったく信じられなかった。↓はそのとき撮った写真。

家に招くということでは、3年の任期を終え帰国することが決まったあと、当時の上司
ボブ・スコットから「うちでTakの送別会をやるので、招きたい人誰でもいいから呼んで
いいよ」と言われ、7~8人の名前を挙げた。
ボブは全員をカップルで呼んでくれて、楽しい送別会をやってくれた。
写真が残っていて、あの夜のことを今でも鮮明に思い出す。
当時からもう40年近く経った。
仲間はみんな70歳前後になっている。
毎年シドニーでOB会をやっていると聞いていて、一度夫婦で参加したいと思っているが、
まだ実現していない。
間違いなく、感激する出会いがたくさんあることだろうが。
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