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2014年7月

2014年7月30日 (水)

高校野球神奈川県大会決勝

今年も夏の高校野球神奈川県大会の決勝戦を観に、横浜スタジアムに行った。

神奈川県は全国一の激戦区、190校の中を勝ち残った2校は、向上高校と

東海大相模高校。

今年も私立2校の争い。

向上は30年ぶりの決勝進出、東海大相模は4年ぶり。

高校野球はどうしても判官びいきになる。

比較的常連校の東海大相模より、向上を応援したく、迷わず一塁側応援席へ。

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このところ決勝戦は毎年観に行っている。

たしか3年前だったと思うが、決勝戦は桐光学園と横浜高校だった。

桐光のピッチャーは楽天に行った好投手の松井、その松井が横浜にホームラン2本

打たれて、たしか2対1で負けた。

2本のホームランはよく覚えてる。

センターバックスクリーンとライトスタンドぎりぎりだった。

決勝戦は勝てば甲子園、負ければ、3年生の高校野球生活は終わり。

この1戦で天地の差がつく真剣勝負が何ともいえない魅力。

現役時代は会社を休んで何度か観に行った。

190校の中、勝ち進んできた両校だから、きっといいゲームになると期待した決勝戦

だったが、結果は何と予想もしなかった13対0の大差で向上が敗れた。

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奪われた三振の数、20個は大会記録とのこと。

勝てば、春夏初めての甲子園であったが、向上の夢は無残にも潰えた。

投打にバランスのとれた東海大相模は甲子園でも活躍するのでは。

2014年7月28日 (月)

ラブストーリ2作

TSUTAYAのメンバーカードの期限切れまじかの連絡があり、更新のためTSUTAYAに行き

米国映画のラブストーリーを2本借りてきて週末観た。

2作とも、とても良かった。

1作は以前から観たいと思っていた「ノッティング・ヒルの恋人」

ちょうど1年前に行ったイギリスでロンドンで泊まったホテルが地下鉄のノッテッィング

ヒル駅の近くだった。

カミサンは「ノッティング・ヒルの恋人」を既に観ていて、あの映画の舞台だと聞き喜んだ。

作品は、ノッティングヒルマーケットの本屋の店主と、ジュリア・ロバーツ扮する女優の

奇妙な出会いからはじまり、行きつ戻りつするラブストーリー。

期待通りの作品で、2時間飽きることなく楽しめた。

作品中、出てきたマーケットはホテルのコンシェルジュに聞いて行ったマーケット。

それに、いかにもノッテングヒルを感じさせる、白いすてきな家並は作中にも出てきた。

ノッテングヒルに行った日のことを書いたブログはこちら

もう1本の作品は「きみに読む物語」

こちらは妹から「いい映画だから観たら」と薦められた作品。ベストセラー小説の映画化。

ストーリは、『認知症を患い過去を思い出せずにいる老女と共に、療養施設へ入寮して

いるデュークは、ノートに書かれた物語を彼女へ読み聞かせる。物語は、1940年の

アメリカ南部シーブルックを舞台にした、青年ノアと少女アリーのひと夏の出来事。

身分違いの純愛を貫く若き恋人同士の情熱的な愛と彼らの行く末がつづられている』

ストーリの顛末にはジーンときた。

2本ともお薦めできる作品。

2014年7月24日 (木)

会社の先輩から届いた本

先月、「小説”風の行方”を上梓しました。無聊の折にでも読んでいただけたら幸いです」 

との手紙がついて、201ページの自費出版した小説が届いた。 

しばらく手つかずのまま置いておいたが、読みはじめたら面白く、一気に読んだ。 

手紙には、小説の書き方は教わったことがなく、まったくの素人で我流と書いてあったが、 

それを感じさせることのない作品だった。 

「小説を書くことは楽しく、やり甲斐があり、今作が3作目で、国際性のある通俗娯楽小説が

目標」と手紙に書かれていた。 

会社で海外事業をともに経験した先輩であったこともあり、かつての仕事の名残が随所に

出てきた。 

以下、小説のあらまし。 

アメリカ西海岸のサンノゼに生まれ育った日系3世の女性エミーの日米両国における 

ビジネス体験、日本人との恋愛、カナダ人との結婚と破局、その後の再起が描かれていた。 

28歳で初来日し、東京の会社に職を得、知り合ったリーダーの既婚男性と恋に落ちる過程

の描写はなかなかのものだった。 

ボクはこの先も小説を書くとか、自叙伝を書くとかの思いになることはないだろうが、自らの

経験も織り込み自分の思いや願望が思い通りに表現できる小説は、きっとはまるのだろう

ぁ、と思いながら読んだ。

2014年7月21日 (月)

釣り人多数

連休のためだろう、今朝2階のダイニングの出窓から見ると裏の海にボートが集まっていた。

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散歩のついでに近くの釣り船屋で聞いたら、アジとサバが上がっているとのこと。

そのまま1.6キロある海岸遊歩道を歩いた。

遊歩道から投げ釣りしている人たちがねらっているのは、カサゴ、メバル、メジナ。

あまり釣果はないようだった。

この家に住んで数年たったころだから、もう30年以上前の話。

毎週末、ボートを借りてカミサンと釣りに出て、同じポイントに1時間くらいいて毎回

10匹以上のメバルが釣れた年があった。

週末は必ずメバルの煮付けが食卓に並んだ。

そのころ釣り人は今と比べれば少なかった。

今のような遊歩道もなく、テトラポットが入っているだけで、あるがままに近い護岸だった。

その後、釣り人が増え、撒き餌のコマセを多くの釣り人が使うことで海が汚れ、魚の数が

減ったのでないかと思う。

散歩は遊歩道の端から端まで歩き、その先にある墓に参って帰ってきた。

歩数計は1万2千歩。

帰ってシャワーを浴びてさっぱりした。

2014年7月18日 (金)

大学の寮の仲間の飲み会

大学時代、寮で一緒に過ごした仲間との飲み会については何度かブログに書いた。  

姫路で過ごした教養課程の1年半の間、かつての旧制高校の寮に住み、まさに  

同じ釜の飯を食った仲間たちである。もう50年以上昔の話。  

年4回、有楽町の帝劇の下にある大学のクラブに集まっている。 

会の名前は、「白陵惜春会」  

名前の由来は、当時の寮の名前が”白陵寮”で、寮歌に”惜春の賦の流れきて・・・”  

という一節があり、そのふたつを組み合わせて命名。  

惜春会をはじめて10年近くになる。  

はじめた当初は現役メンバーもいて、6時スタートだったが、現役メンバーがいなくなった

いまは5時スタート。  

ボクは万年幹事。と言っても、やることはあまりない。  

場所は1年分予約しているし、我々と1年先輩と1年後輩の40人近いメンバーがいる

メーリングリストに開催通知を流し、会計管理をするくらい。 

食べ物、飲み物は人数を言っておけば、適当にみつくろってもらえる。  

今年第3回目の惜春会を火曜日にやった。  

今回の参加者は8名。  

話したいテーマを自ら選びスピーチすることにしている。  

今回は1年先輩のSさんが「アメリカ保守革命とレーガン税制改革」のタイトルで  

放送大学の修士論文にまとめた話をしてくださった。 

放送大学のことは初めて知った。一般大学同様4年間学び、修士課程は2年間。  

修士課程ではゼミに所属し、月1回指導教官のもとゼミ生全員が集まり、修士論文を  

仕上げていく。月1回ではあるが毎回の準備が大変だったとのこと。  

書き上げた論文は13万字。

論文要旨ほか、パワーポイントで紹介された。  

1981年に第40代アメリカ大統領に就任したレーガン大統領は、建国の理念である 

「自立・自助」の精神に立ち返り、「小さな政府」を目指して大胆な減税を行った。  

その結果アメリカ経済は力強い成長を取り戻した。  

併せて実行した軍事力の増強により「強いアメリカ」が復活し、アメリカの「保守革命」を 

成し遂げた。  

歴史的背景を織り交ぜて、レーガン前後のアメリカの政治史、レーガン大統領の人となり  

含め、施策と実績が51枚のスライドで紹介された。  

最後のスライドは「レーガンのその後」  

曰く、「1989年大統領退任後、カルフォルニアに引退。1994年アルツハイマーを公表。 

国民へのメッセージ”いま私は人生の日没に向けての旅をはじめます。しかしアメリカには  

常に明るい夜明けがあることを知っています” 2004年死去(93歳) 

帰って、あらためて配布された資料を読み直し、レーガン大統領の偉大さに深く感銘を受けた。  

Sさんはロスアンジェルス郊外のレーガンミュージアムを訪ね、そのとき購入した写真集が  

回覧された。レーガン大統領、とにかくすべてに格好いいの一言。  

Sさんは国会図書館にも通い資料を読み込み、仕上げた大作論文にただただ感服。 

大学のクラブには日経新聞の記事が掲示されていた。  

先月朝日新聞でも、「えー!」と思いながら読んだ記事。 

ケータイで撮った写真なので見づらい。  

「企業の人事担当者が選ぶ大学総合ランキング」  

先輩のMさんのコメント「使いやすいんだよ」。そうかも。 

あらためて日経新聞で検索して出てきた記事こちら

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2014年7月15日 (火)

葉山で会食

20年くらい前まで我が家の近くに住み、家族ぐるみでお付き合いしていたWさんと、

昨日、葉山でランチした。葉山はうちから車で30分。

Wさん宅はお嬢さんがふたりいて、下のお嬢さんは娘と同級生でとても仲が良かった。

お姉ちゃんのKちゃんは3歳上で、葉山に居をかまえている。

お母さんはご夫婦で都内に住んでいて、息子の命日には毎年ファックスを送ってくださる。

Kちゃんとはフェイスブック仲間。

フェイスブックで、「母も入れて、4人でおすすめの葉山のお店でランチしませんか」

と連絡があり、昨日葉山の魚料理のお店、「うりんぼう」に1時集合。

4人で会うのは2年ぶりくらいか。

「うりんぼう」は葉山御用邸から車で数分の静かな場所にあり、Kちゃんの前振りどおり

落ち着いた、とても感じのいいご夫婦のお店。

近くの佐島港より届く旬の相模湾の地魚、それに鎌倉・葉山・三浦半島のとりたて野菜を

食材に、四季折々旬を楽しめる、ご主人の手の込んだ一品一品がふるまわれた。

つきだしからはじまり、濃くなめらかな食前スープ、お刺身、お吸い物、ハスごはんと

太刀魚の焼物とてんぷら、ひとつひとつ奥さんが説明してくださって、4人ともすべてに満足。

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2時間くらいかけて、おしゃべりしながら、ゆっくりいただいた。

終わったあと、Kちゃんが「近くにハスの植え付けをしてあるところがあるので見に行こう」

と連れて行ってくれた。

ハスはまさに今が時期。みごとに花が咲いていた。

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ハスを見たあとは、ぶらぶら歩いてKちゃん宅にお邪魔した。

それぞれ持ってきたお土産を交換し、お茶しながら、おしゃべりの続きに花がさいた。

最近手を加えたと聞いていた裏庭を見せていただいた。

Kちゃん宅、となり近所のお宅、葉山は緑が多い。

Kちゃん、「都内までの通勤は楽じゃないけど、20年住んだ葉山は離れがたい」と。

1時間くらいワイワイ話し、お互い「またね」と言い、おいとました。

2014年7月12日 (土)

シドニー駐在時代の思い出(5)

駐在した3年間はたくさんの人たちを我が家に呼んだ。 

当時、30歳過ぎで、まだ子供たちが3歳~5歳だったころ。カミサンがよく許してくれたし、 

よくやってくれた。 

富士通オーストラリアの仲間もよく我が家に来たが、多かったのは富士通からの出張者。 

週末を過ごす出張者はひとりで食べに行くのも大変だろうと思い、ついついうちに来たらと 

声をかけた。

訪ねてくる午前中、毎回フィッシュマーケットとスーパに買い出しに出かけていた。 

帰ってきてから準備、今は一切お客を呼ぶのを嫌がるカミサンがよくやってくれたと思う。 

よくお客が来たため、しっかりひとりひとりを覚えていなくて、「以前にもお邪魔しました」と 

言われた人もいたし、日本に帰ったあと「お宅にお邪魔しごちそうになりました。ありがとう

ございました」と言われたこともよくあった。

その後、富士通の社長になったAさんも我が家にお呼びしたことがあった。 

実は帰国してからも、同じ思いで「せっかく日本に来たのだから、日本人の家庭に一度 

くらいは来たいのでは」と思い、オーストラリア人ほか週末によく我が家に呼んだ。 

電車の乗り方を英語で用意していたが、東京のホテルから横須賀の我が家に乗り換え 

ながら来るのは容易なことではなかった。 

途中、「Tak,いまXXXという駅だけど・・・」と言い、かなり離れた駅から電話がかかってくる

ことはまったく珍しくなかった。乗り換えを説明し、駅に着いたら迎えに行っていた。

お客が来るときの子供たちの反応には差があった。

息子は「外人が来るの。だったら出かける」。娘は英語に苦労しながらも聴こう、話そうと

頑張っていた。 

こんなこともあった。 

お客はたいてい複数人で来る。一度メルボルンから来た女性が「Tak,お宅に来るのは 

2度目」と言われ、とてもびっくりしたことがあった。ジョアン・アービックという女性だった。 

彼女が「前来たときも何人かで来たし、髪型変えたからわからなかったんじゃない」と

なぐさめてくれたが、女性だったこともあり、大変恥ずかしい思いをした。 

そのことがあってから、写真が貼れるビジターノートを買ってきて、お客が来たらみんなで 

写真を撮って、ひとことづつ書いてもらうことにした。 

以来、ノートにはたくさんの写真とひとことが残っていて、とても良い思い出になっている。 

お客の中には富士通オーストラリアの人だけではなく、親しかった富士通オーストラリアの

お客様を呼んだことも何度かあった。 

そのあとオーストラリアに出張したときには、逆に自宅に招かれた。

女の子を連れて我が家に来たチャールス・マクジュリーとは、3年前に信じられない

出会いがあった。

娘と孫たちを連れてカミサンと一緒にオーストラリアを旅したとき、アデレードの路上で

「Is this Tak?」と声をかけられ、自分の名前を呼ばれたことにびっくりし見たら、チャールス。

まったく信じられなかった。↓はそのとき撮った写真。

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家に招くということでは、3年の任期を終え帰国することが決まったあと、当時の上司

ボブ・スコットから「うちでTakの送別会をやるので、招きたい人誰でもいいから呼んで

いいよ」と言われ、7~8人の名前を挙げた。

ボブは全員をカップルで呼んでくれて、楽しい送別会をやってくれた。

写真が残っていて、あの夜のことを今でも鮮明に思い出す。

当時からもう40年近く経った。

仲間はみんな70歳前後になっている。

毎年シドニーでOB会をやっていると聞いていて、一度夫婦で参加したいと思っているが、

まだ実現していない。

間違いなく、感激する出会いがたくさんあることだろうが。

2014年7月10日 (木)

久しぶりに、かつての職場へ

先週水曜日、相談したいことがあり、数年ぶりに品川にある昔の職場に行った。 

一緒に訪ねたのは、10年以上の知己であるシニアSOHO三鷹のYさん。 

10年前に同じ職場だった女性のSさんに久しぶりに会った。

部長に昇格していて大変うれしかった。 

Sさんとは、相談事は短時間で片付き、あとはよもやま話。 

SさんもYさんもフェイスブックの友だちのため、日々の動静はそれなりにわかっている。 

うれしいことが決まった。 

近いうちに、Sさんの上司のKさんと、かつての仲間の女性のKさんの4人で横須賀で 

食事をしようということになった。

Sさんとの打ち合わせのあとYさんとお茶を飲みながら、Yさんから興味のある話を
 

いろいろ聞いた。 

YさんはNPO法人シニアSOHO三鷹でパソコン教室の校長をしている。

近々NPO法人シニアSOHO世田谷の代表理事に就任することが決まっている。 

ボクは町田のNPO法人アクティブSITAのメンバー。 

三鷹、世田谷、町田3グループの共通活動テーマは地元住民向けITリテラシーの向上。 

町田で最近話題になっていることは、事業型NPOを志向するかどうか。 

事業型NPOということでは三鷹が先んじており、それについてYさんの意見、アドバイスを 

いろいろ聞いた。 

以下、Yさんの意見とアドバイス。 

1.目指すところが事業型NPOであったとしても、その過程で何をやるのかを具体的に 

  明確にする必要がある。

2.テーマは地域の抱える課題解決。
 

  どんな課題に対してもITは使え、ツール・武器になる。 

  キィになる分野は福祉系。 

  福祉は幅が広く、どの行政も住民に対し最重要テーマとして予算を確保している。

3.福祉の分野には取り組むべき課題がたくさんある。
 

  例えば異世代交流、見守り、シニアの居場所と出番作り・・・

4.進め方としては、例えば、
 

  ①行政の指定管理者制度の事業者になること   

  ②どこの自治体も頭を痛めている空き家活用に手を挙げ活動拠点を確保すること 

  ③大学と連携して大学生を使う、ゼミの先生とタイアップする、等々・・・

Yさんが最近厚労省から獲得した予算についても話題になった。
 

厚労省の助成テーマは、iPadを活用した認知症(若年性認知症を含む)の者と家族の

支援に関する地域連帯活動支援事業。  

地域で長い間、住民のITリテラシー向上ならびに地域の課題解決に取り組んできた 

Yさんの話には大いに説得力があった。 

近いうちに、Yさんに「事業活性化を推進するグループ」が発足した町田に来ていただき、 

町田のメンバーと意見交換する機会を持つ予定。

2014年7月 6日 (日)

観音埼公園散策

我が家から車で10分足らずの浦賀水道と房総半島を臨む場所に観音埼公園という

広く絶好の眺望の公園がある。

先週初め、紫陽花を観に観音埼公園に出かけた。

横須賀美術館近くの海岸沿いに車を停め、美術館わきの道から公園の山道を上った。

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がくあじさいはまだ大丈夫だったが、あじさいは予想通り花の盛りはすぎていた。

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最も狭いところでは6kmしかない三浦半島と房総半島を隔てる浦賀水道は、外国からの

攻撃を阻むために、明治20年代から大正時代にかけ要塞や砲台が設けられた。

下の写真ではよく見えないが戦備品を備蓄していた海堡が臨める。

使われていないが、東京湾にはまだ3つの海堡が残っている。

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下は砲台跡。出来たのは海堡と同じ時期。

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うっそうとした林の小道をしばらく歩いた。

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山を下り、道路を渡りしばらく進むと海に。夏になると泳ぎに来るたたら浜。

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たたら浜のあとは、トンネルを抜けて観音埼灯台へ。

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観音埼灯台は明治初めに建てられ、その後2度の地震で被害を受け建て替えられた。

古い話だが、日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら厳しい駐在生活を送る

灯台守夫婦を描いた木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台にもなった灯台。

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この日歩いた距離は8km超、歩数は1万3千歩。

我が家に来た外国からの客人含め、多くの人を連れて来たことのある観音埼公園、

あらためてすばらしい場所だと思った散策だった。



2014年7月 2日 (水)

集団的自衛権に思う

昨日、今日、新聞・テレビは集団的自衛権一色。 

ボクも言いたいことは山のようにある。 

集団的自衛権の議論はかつてもあった。 

抑止力になったのは敗戦の不幸な記憶であった。 

冒頭に”No War”と書かれ、日本国憲法 第2章 戦争の放棄と書かれた葉書大の紙を 

いただき、以来ずっと机の前に立てかけ、ときどき読んでいる。 

そこには、第9条の第1項と第2項が書かれている。  

 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる 

   戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、 

   永久にこれを放棄する。 

 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 

   国の交戦権は、これを認めない。 

今さら言うまでもなく、連日報道されている集団的自衛権は、どう考えても第9条に 

抵触する。 

「不戦の誓い」、「専守防衛」が国是であり、70年間戦場でひとりたりとも殺すことなく、 

ひとりたりとも殺されることなく、これが平和を希求するこの国の根っこに流れている

精神である。 

集団的自衛権行使が容認されたことにより、この先何が起きるのかはまったく 

わからないし、予想も推測もできない。 

ただ言えることは、子供たち、孫たち、その先の世代に何が起きるのかわからないが、

今より危険な水域に入っていくことは容易に想像できる。 

戦争が起きるきっかけは、言えば些細なことであることは歴史が教えている。 

今月がちょうど100年となる第一次世界大戦勃発は、サラエボでセルビア人の若者が 

オーストリアの皇太子夫妻を暗殺したことがきっかけであった。 

第二次世界大戦は見境なく決行したパールハーバー襲撃が日米大戦のきっかけだった。 

些細なきっかけで勃発する戦争の悲劇については、先日のブログ「沖縄戦 慰霊の日

にも書いた。 

集団的自衛権行使容認が決まったいま、市井人が出来ることなど極めて限られている。 

先の戦争で経験した悲劇に思いをいたす以外、出来ることは思いつかない。

1年以上行ってない沖縄の娘のところに今度行ったときは、ぜひ訪ねたいところが

2ヶ所ある。

1ヶ所は、昭和19年米軍に撃沈された学童疎開船「対馬丸」記念館、もう1ヶ所は

終戦直前に部隊を率い立てこもり、最期深く胸を打つ電文を打ち、自決した大田實中将を

記念する旧海軍司令部壕。

自己満足ではあろうが、これらの施設の訪問がせめてもできる集団的自衛権行使容認に

反対の意を示す行動のような気がする。

2014年7月 1日 (火)

ジャカランダ

熱帯、亜熱帯に咲く世界3大花木のひとつで、藤紫色の花がとってもきれいな

ジャカランダのことはブログに何度か書いた。 

我々夫婦はジャカランダが大好きで、最初にジャカランダを見たのは、40年も前の

1975年ころ駐在したシドニー。感激する美しさだった。

南半球のオーストラリアでは11月後半に満開になり、ちょうどその時期、学生の試験

シーズンであるため、学生には好まれない花であると聞いたことを覚えている。

以来、ジャカランダはあちこちで見た。 

ただ、ジャカランダの名前を聞いたことがある人は、日本ではまだ少ないのでは。 

とはいえ、最近この時期になるとジャカランダが取り上げられる機会がちょこちょこある。 

先日、熱海市が主催し、日南市、雲仙市、広島市の4市が熱海に集まり「ジャカランダ 

サミット」を開催したとの記事を熱海新聞で読んだ。 

九州の2市の市長は、「北のラベンダー、南のジャカランダを定着させたい」

熱海市では5年くらい前、お宮の松から海岸通りにかけてジャカランダの植樹をはじめ、 

ジャカランダ プロムナードができ、この時期になると藤紫色の花をつけはじめる。 

日本ではごく限られた場所でしか見ることができないジャカランダが我が家の近くの 

神奈川歯科大のキャンパスに植えられていることを知ったのは、6~7年前のこと。

先日神奈川歯科大に観に行ったが、今年の花つきは例年より早かったそうで、花は

既に散りはじめていた。

以下、各地で観たジャカランダ。

植樹の歴史なのか気候なのか、花のつき方はオーストラリア含め、海外の方が華麗である。

 ※ カルフォルニア(2008年)

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 ※ 神奈川歯科大(2011年)

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 ※ 熱海(2012年)

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