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2014年5月

2014年5月27日 (火)

三浦三十三観音本開帳(4)

5月18日17時で三十三札所のお寺の観音様のご開帳は終了した。

16日の段階でお参りした札所は十三、あと2日で二十札所は無理かなと思った。

突然思いついた巡拝だったので、回れるところまででいいと、もともと思ってスタートした。

17日は三浦半島西側の葉山、逗子、横須賀を回り、最終日の18日は札所が海沿いに 

集中している半島の南端の三浦を回ることに決めた。

葉山では御用邸近くの第二十五番札所の真言宗 玉蔵院へ。

玉蔵院は750年ころ創建された古刹。

本堂にはご本尊の大日如来像、それに菩薩像、不動明王像が祀られていた。

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葉山では人気の旭屋のコロッケ、パンを買って、海を見ながらお昼を食べた。

御用邸の前を通り、夏にはたくさんの人出で賑わう海岸沿いを南下し、途中7札所で

お参りし、一気に油壷まで下った。

途中、第三十一番札所の浄土宗 長慶寺は興味のあるお寺だった。

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巡拝のしおりに載っていた観音様は長慶寺の観音様だと教えられた。

三浦三十三霊場巡礼由来のお寺とのこと。

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時代を経ているため、真中の龍すら判別が難しい天井絵には厳かさを感じた。

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ご開帳が終わる5時近くに油壷に着き、いそいで急な階段を上り、第三十二番札所の

曹洞宗 海蔵寺へ。

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この日は朝10時に家を出たため、十一札所を回れた。

座ってしばらく油壷のヨットハーバーをながめながら、翌日あと九札所が巡拝できれば

いいなぁと思った。

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翌18日は1ヶ月続いたご開帳の最終日。

半島南端の三浦からスタート。

この日は札所が接近しているため効率よく回れた。

第一番札所の曹洞宗 音岸寺から。

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音岸寺では地元のお年寄りがお接待してくださった。帰りがけお菓子の入った小さな袋を

いただいた。

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音岸寺のあと、比較的近くに三十三札所に入らない番外の札所がひとつあり、そのお寺

光照寺を訪ねた。立派な浄土宗のお寺だった。

「他のお寺が札所をやめたら、番外から三十三札所に入るんですか?」と聞いたら

「抜けたお寺もありますが、うちはずっと番外で、今のままでいいのです」と言われていた。

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光照寺のあと残るは、いよいよ最後の札所、第十四札所の真言宗 妙音寺。

このとき既に4時を回っていた。5時のご開帳終了前に何とか間に合った。

回った三十四のお寺の中で最も大きなお寺さんだった。

花の寺として有名で、ここはぜひお参りするようにと言われていたお寺。

特に、裏山の花山曼荼羅に約1000株自生している山ゆりが有名。

住職さんから「残念ですが、山ゆりが大輪の花をつけるのは6月半ばです。どうぞ

またお参りください」と言われた。

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妙音寺のお参りがすんだら、4時半を回っていた。

何とかご開帳最終日のぎりぎり、三十四札所の巡拝を終えることができ、満願成就。

次の本開帳は12年後。とても三十三札所巡拝は無理であろう。

その前、6年後には本開帳ではないご開帳があるそうで、その時はもう一度お参り

したいと思った。

札所巡拝の長いブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2014年5月24日 (土)

三浦三十三観音本開帳(3)

菩提寺である浄林寺の住職から三浦三十三観音本開帳の話を聞いたのは、2週間前の

5月10日。

ご朱印帳を求め、三十三札所の巡拝をはじめたのは翌日の11日。

あと1週間でご開帳が終わるタイミングであった。

たぶん全札所をお参りするのは難しいだろうと思いながら巡拝をはじめた。

三十三の札所の地図が出ているしおりを見て、先ずは我が家から近いところからと思い

最初に訪ねたのは、浦賀にある第十三番札所の曹洞宗 東福寺。

すべてのお寺の観音様には名前がついている。東福寺の観音様は聖観世音菩薩。

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13日にお参りした第十七番札所の慈眼院、場所がわからず探すのに苦労したお寺の

ひとつであった。訪ねた中で石段の数が一番多く、石段を上りつめたところにあった

立派な日蓮宗のお寺だった。

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14日にお参りした第二十二札所の浄土宗 観音寺は印象に残っているお寺。

坂中山と紹介してあった通り、細い道を登った山の上にあった。とても車では行けない

のでスーパの駐車場に車を停めて上った。

いただいた記帳はほれぼれするようなすばらしい字であった。

観音寺の住職さんは女性で、三十三札所の中、ここは外さないように参拝した方が

いい、このお寺の見どころはこれなど、色々アドバイスしてくださった。

以降の巡拝にとても参考になった。

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参拝した札所の中にはお寺でなく、地元の方々がお守りしている観音堂が3か所あり、

いずれも半島の南端の三浦地区にあった。地元の皆さんからゆっくりお話が聞けた。

下はそのうちのひとつ、17日に訪ねた佛光山 観音堂。

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中にはお堂に誰もいなく、記帳印が置いてあり、壁にやり方が書いてあり、それに従い

記帳した札所が1か所あった。札所巡拝は1ヶ月と長かったので仕方ない。

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2014年5月22日 (木)

三浦三十三観音本開帳(2)

参拝したお寺はすべて三浦半島にあるお寺なので、海沿いにあったり、海が見えたり、

山の上だったり、山の中だったり、そのほとんどが山と海に縁があった。

山の緑が鮮やかでとても気持ちよかった。うぐいすの鳴き声を聞いたお寺も多くあった。

好天の中、海沿いを走るのも爽快だった。

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住職さんや記帳をしてくださる方と話すのも楽しかった。

参拝者は数から言えば女性の方が多かった。複数人で来ているグループも珍しくなかった。

あるお寺で住職さんが「今回は若い人が多く巡拝に来られています」と言われていた。

厳しい世情からか、何かにすがりたいとの思いからではと思った。

ボクもすべてのお寺で心を込めて、家族や周りの知り合いが健やかであることを祈願した。

手を合わせると心が洗われる思いになった。

逗子、葉山、油壷、城ケ島・・・三浦半島の観光スポットにもあらためて足を運ぶことができ、

新たな発見がたくさんあった。

札所の番号づけの論拠は理解できなかった。

一番札所の音岸寺は三浦半島の南端の城ケ島の向かいにあった。

そのすぐ近くに最後の三十三番札所の観音堂があった。

音岸寺で「なぜここが一番札所ですか」と聞いたが「多くの人が同じ質問をされますが

わかりません。古い時代に誰かが決めたのでしょう」

札所の番号は昇順になっていたところもあったが、飛び飛びになっていたり、数字順に

並んでいなかったり、論理性に欠けるが、それぞれに理由があったのであろう。

それにしてもお寺さんの名前は覚えられなかった。

参拝を終えたあと次のお寺を探していたら、訪ねたお寺の名前を思い出せないだけでなく

これから訪ねるお寺の名前も出てこない。停まって巡拝のしおりを見たことがたびたび

あった。

駆け足でたくさんのお寺を回ったため、記憶が定かでなかったり、ごっちゃになっていたり

するところがあるが、すべてのお寺で撮った写真を訪ねた順に見ながら、特に記憶に

残っている札所を次回以降紹介したい。

2014年5月20日 (火)

三浦三十三観音本開帳(1)

先週面白い体験をした。

うちは3年前、家から歩いて20分の場所にあるお寺 浄林寺に墓所を求め、墓を建てた。

先々週、墓参りに行ったら住職に会った。

お寺に掲示してあり、気になっていた「三浦三十三観音本開帳」について話を聞いた。

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12年に1度、三浦半島にある33のお寺が観音様を開帳する催しとのこと。

4月18日から1ヶ月やっていて、5月18日で終わった。

本開帳は12年に1度とのことで、今回を逃せば12年後の開帳時にはボクは80歳を

超える。

これは今回巡拝をやらないとと思い、即記帳本を購入し、浄林寺の住職に第1番目の

記帳をしていただいた。住職が奉拝の作法をいろいろ教えてくださった。

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いつもはお参りする人が多くない浄林寺、催しのためか拝観する人がひっきりなし。

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翌日の5月11日から三十三観音の巡拝を目指して、バイクと車で札所巡りをはじめた。

途中、「このお寺が最後で満願です」と言う男性に会った。バスと徒歩で回ったそうだ。

大変だったと思う。

写経したお経を供え、経を上げる方にも会った。

バイクと車で急いで回り、功徳があるだろうかと思ってしまった。

お寺は数からいえば、淨林寺をはじめ浄土宗のお寺が多かったが、南の三浦半島の

先の方は臨済宗のお寺が圧倒的に多かった。鎌倉の建長寺、円覚寺の流れをくむ

ためとのこと。

33ヶ所のお寺の中には場所を探すのが難しいところがたくさんあった。

そんなとき目じるしになるのはこの赤いはた。もしこの旗がなければ行きつけなかった

お寺が少なくなかったことだろう。

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浄林寺の住職に教わったお参りする作法に加えて、途中教わったり、人のやっている

のを見て、いろいろわかってきた。

どのお寺さんにも本堂・観音堂の前に経文を書いた柱が立っていて、その柱から

紅白のひもが観音様までつながっている。

観音様にお参りする前に、この柱と紅白の紐をさわり、それがお参りのはじめである

ことも教えられた。

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国の重要文化財に登録されている仏像や観音堂の天井画も拝観した。

写真撮影は禁止であった満願寺の運慶作の観音菩薩像、地蔵菩薩像、三浦にこんな

立派な貴重な仏像があることを知り感激した。

眞福寺の観音堂の格天井の48枚の絵にも感激し、しばらくながめていた。

描かれた時代は江戸時代よりもっと前、また作者も不明であるとの住職の話であった。

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短期間に多くのお寺にお参りしたため、いくぶん頭がごっちゃになっているが、思い出し

ながらあと何回か書いていきたい。

2014年5月18日 (日)

オーストラリアから昔の仲間来訪

10日ほど前、富士通で一緒に海外関連の仕事をしていたTくんからメールが届いた。

「Jim Longwoodを覚えていますか? 富士通オーストラリアのパース支店にいたSEです。

現在はIT関連のコンサルタント会社GartnerのVPです。来週富士通フォーラムが

有楽町で開かれ、海外からのVIPとして招待されて来日します。Jimからメールがあり、

来日中に花房さんにぜひ会いたいので打診してくれと私に言ってきました。ぜひよろしく

お願いします」

Jim Longwoodの名前はもちろん覚えている。優秀なSEであったとの記憶もあるが、

残念なことに彼の顔が思い出せない。

Jimと交流があったのは、20年以上前のこと。

リタイアして10年のボクに会いたいと言ってくれることに感激。

もちろん参加OKとTくんに返事した。

金曜日19時、Jimの泊っている新橋汐留のロイヤルパークホテルのフロントで待ち合せ。

当日はJimとTくん、それにもうひとり富士通オーストラリアの古くからの仲間のCraig Baty

も合流した。

新橋駅近くの居酒屋へ。

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Jimが昔話をしてくれ、だんだん思い出してきた。61歳になったとのこと。

Craigとはずっと家族ぐるみで付き合っているが彼に会うのは久しぶり。

Craigは今は富士通オーストラリアではなく、1年くらい前から富士通勤務となり、

奥さんとふたりの子供たちも去年8月から東京に来ている。

富士通フォーラムの様子を聞いた。

Craigがフォーラムの目的、テーマ、訴求ポイントを詳しく説明してくれた。

すごい勢いで富士通のビジネスの方向が変わっていることに驚いた。

そのほか海外ビジネスの状況、富士通オーストラリアの現況、昔の仲間の近況

など話は尽きない。

プライベートではそれぞれの家族の状況が話題となった。

Craigのあの小さかった子供たちが、今や娘のブリアナが18歳、息子のジョーダンが

15歳と聞き、びっくり。

スマホに入っている奥さんのロビン含め家族の写真を見せてくれた。

Jimも4人の子供たち、4人の孫たちが写ったスマホの写真を見せてくれた。

7時過ぎにはじまり、終わったのは10時前。

久し振りに旧交をあたためた会食だった。

2014年5月15日 (木)

納得ゆかない、許せない!

今朝の朝日新聞トップニュースは「大手6行、リーマン後最高益」

アベノミックスで円安と株高が進み、貸出先の企業の業績が大きく伸びたためとのこと。

特に三菱UFJ、三井住友、みずほの3メガバンクは発足後最高益。

このニュースを見て、あらためて先日の納得できないことが頭に浮かんできた。

三菱UFJで10数万円と6千円を三菱UFJの他2支店に振り込んだ。

この数年間毎年この時期、同じような額を同じ三菱UFJ他支店に振り込んだきた。

これまでは毎年振込み手数料は三菱UFJ支店間であったため無料。

それが4月からアップした消費税を含む108円を徴収されていた。

おそらく6メガバンク横並びだろうから、三菱UFJだけでなく、どこもが4月から

徴収するようになったのであろう。

そもそも以前から振込み手数料を取る趣旨が理解できなかった。

その昔であれば、電話したり、手作業が入ったり、その分経費がかかるので、

その処理経費充当のためということであったはず。

今はもちろん電子データとして扱われ、引き出し、預け入れ、残高照会、通帳記帳と

同じトランザクションデータとしてコンピュータでは処理されているはず。

であれば、振り込みトランザクションだけ、しかも同一銀行支店間の処理に対してまで

なぜ金を取るのかまったく理解できない。

その金を取っているメガバンクはアベノミックスの恩恵にあずかり、発足後最高益を

出している。

国の金融行政にしっかり守られているメガバンク、そんなに金を貯めこんでどうする。

まったく許せないとの思い。

2014年5月13日 (火)

シドニー駐在時代の思い出(1)

先日書いたブログ「海外渡航自由化50年」で、31歳だった1974年から3年間、

オーストラリアのシドニーに駐在したことを書いた。

もう40年も前のことであるが、いまだにたくさんのことをしっかり覚えている。

昨夜何を食べたか思い出せない昨今、不思議に思えるが、若かった自分にとって

それだけすべてが鮮烈な経験だったのだろう。

羽田を発った翌日の朝シドニー空港に着いた。

1974年6月21日だったと思う。この日は日曜日だった。

誰であったか覚えていないが、空港には先に駐在していた人が迎えにきてくれていて

そのまましばらく宿泊したモーテルに連れて行ってくれた。

ハイウエイ沿いにあった、たしかショアモーテルというモーテルだった。

出迎えてくれた駐在員はたぶん「機中で眠れなかっただろうから休んで」と言ったこと

だろう。部屋には甘酸っぱい香りが漂っていて、この香りは当時オーストラリアの

ホテルでよく嗅いだ匂いであった。

とにかく疲れていたのでそのまま眠った。

どれくらい経ったころか覚えてないが、部屋のドアをどんどん叩く音で目が覚めた。

ドアを開けると、大男が立っていてビックリ。

いろいろ話すがあまり理解できない。

相手はボクが英語が理解できなそうだと気付き、ゆっくりしゃべりはじめた。

話していることは、「日本から技術者が来るということで待ってた。自分のお客さんで

問題があり、困っている。一緒にお客さんのところに行ってくれ」ということのようだった。

仕方ないと腹をくくり、彼の車でお客さんのコンピュータ室へ行くことにした。

お客さんは計算センターと呼ばれるDPAというお客さんだった。

彼はプログラムを動かすためのシステムを作るシステムジェネレーションという作業が

できなくて困っていた。

富士通がオーストラリアでビジネスをはじめたのは、たしかボクが駐在した前年の

1973年だったと思う。当時販売していたコンピューターはひどかった。

メッセージの多くは日本語、翻訳したマニュアルは英語の質が悪く、間違いも多かった。

当時はこれでも買ってくれるお客さんがいた。その多くが計算センターだった。

一般企業はまだコンピュータを導入しておらず、計算センターの多くは顧客の給与計算

などのためCOBOLという言語を使って顧客のプログラムを作っていたのんびりした時代

であった。そのため日本語のメッセージが出てきたり、質の悪い翻訳のマニュアルでも

お客さんは他のメーカーより安い富士通のコンピュターを買ってくれた。

このとき大男の彼が苦労したのは結局英文マニュアルの間違いであったことが判明し

問題は解決でき、彼は喜び、ボクも役に立てて大変うれしかった。

終わったあと彼はモーテルまで送ってくれた。

途中何か食べようということで、当時街中にたくさんあったミルクバーと呼ぶコーヒー

ショップのような店に寄った。

彼の名前はポール。

ポールとは以来ずっと仲の良い友だちになった。

出張したとき何度もポールの家に泊まった。ポールも日本に来たとき何度も我が家に

泊まった。我が家に来たとき娘にリカちゃん人形をプレゼントに持ってきてくれた

こともあった。

フェイスブックをはじめたころポールから友だち申請があり友だちになったものの、

ポール生来のくどさから頻繁に届く長い英語の書き込みがイヤになり、ポールに断わり

友だちを解消したこともあった。

ただ、ポールに教えてもらったこと、助けてもらったことはたくさんある。

特にポールに今でも感謝していることがある。

一緒に計算センターDPAに行き、帰りに寄ったミルクバーでポールから言われた。

「オーストラリアではみんなファーストネームで呼ぶ。Mr.Hanafusaなんてゼッタイに

呼ばない。ここでファーストネームを決めよう。フルネームは?」とたずねtられ

「Takanori Hanafusa」と答えると「Takanoriは長すぎる」

「TakaかTak、ただTakaはオーストラリアでは食べ物という意味があるからTakにしよう」

ということで、以来40年間、外人からはTakと呼ばれることになった。

2014年5月 9日 (金)

Healthy Aging (健やかに年をとる)

NHKラジオの実践ビジネス英語講座を聴きはじめて2年が過ぎた。

午前中週3回、15分間、夜再放送がある。

午前中外出しない限り、放送時間を忘れないようケータイのアラームセットして、

月・水・金曜日、それに土曜日に1週間分まとめた再放送を聴いている。

予習、復習もさぼらないように努めているが、「今日はいいや」になることが少なくない。

イディオム、表現、単語ほか勉強になることが多い。

覚えたい語句にはアンダーラインを引き、書き写して自分なりのノートを作ろうと

思っているができていない。月刊のテキストだけはどんどんたまり、いずれ必ず

ノートを作ろうと思っている。

さて、今週の会話のテーマはHealthy Aging (健やかに年をとる)

ボクにぴったりのテーマで、アメリカ人がどのように考えているのか、大いに興味を

持って講座を聴いている。

ビジネス英語ということで、ストーリーの舞台はニューヨークにある美容・健康関連

商品を扱うグローバル企業。

登場人物はその企業の同じ部署で働く上司と部下8人。男性5人、女性3人、うち

ひとりは日本人男性。

毎週取り上げられるテーマは、ビジネス英語とは言え、ビジネスに直結した話題

ではなく、幅広いさまざまなテーマが取り上げられるので面白い。

例えば、4月のテーマはふたつ、「大人のためのサマーキャンプ」「垂直農法」

それぞれ2週間づつ取り上げられた。

50歳前後の男女が3人、また多くが両親が年配者であることから、今週のテーマ

Healthy Agingはメンバー全員の関心事であり、ホットな議論が続いている。

仲間の中で最年長者スティーブが、ロバート・ブラウニングの詩の一節を引用して

「共に老いていこう。いちばんいい時はこれからだ。人生の最後、そのために最初が

作られたのだ」

含蓄があることば。まさに、そうだ!と思いながら聴いた。

ポールは「歳を重ねるほどに人生を最大限にいかすこと、老化という難題に賢く対処

することが大切だ」

65歳以上のアメリカ人の数は、2060年までには現在の2倍以上の9,200万人に

なるとのこと。

高齢社会に向かってまっしぐらなのは、いずこも同じ。

2014年5月 6日 (火)

ゴールデンウイークの一日

GWの一日、天気のよさに誘われ、電動自転車で出かけた。

毎日がGWの身には、あえてGWにとは思ったものの、以前より行ったことのないところに

一度自転車で出かけてみようと、ずっと思っていた。

さてどこに行こうか、坂道があるところは避けたいと考えたものの、名案浮かばず。

結局、行ったことがない場所にはほど遠い我が家の裏の海岸遊歩道からスタートし、

海岸沿いの道を走ることにした。

この遊歩道は、横須賀市が海を埋め立て、”海と緑の1万メートルプロムナード”と名付け

造った、JR横須賀駅から観音埼自然公園までつづく海岸通り。

スタートし10分足らずのところにある釣り公園で、まずはストップ。

平日は人がまばらな釣り場は大変な人出。

遠くに見えるのは、東京湾唯一の島、猿島。遊覧船が通う無人島。

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釣っているのはシコイワシ。子供たちもたくさん釣っていて、みな楽しんでいた。

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釣り公園のあと、しばらくプロムナードを走る。

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しばらく進むと、スケートボード広場でスケボーコンテストをやっていた。

3月に娘と孫娘たちとアメリカ西海岸を旅行したとき、孫たちが以前からスケボーを

やりたいと言っており、妹孫の誕生日祝いにスケボーを買った。娘が沖縄でも見ていた

ようで沖縄より安いと言い、アウトレットの運動具店で孫たちは念願のスケボーを手に

入れた。

安いといっても違いは3千円くらいとのこと。わざわざアメリカで買わなくても、と思ったが、

「このデザインがどうしても欲しい」という妹孫に負けて、娘はサンディエゴから沖縄まで

スケボーを持って帰った。

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次に、戦艦三笠のある三笠公園へ。

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ちょうど湾内遊覧船が着いたところだった。

多くの人たちが下船していた。

駐車場でも県外ナンバーの車が少なくなかった。多くの近隣の人たちがGWを利用し

横須賀への小旅行を楽しんでいるのだと思い、市民のひとりとしてうれしくなった。

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三笠公園では一日に5~6回、音楽噴水が楽しめる。

米軍横須賀基地の家族であろう多くのアメリカ人も楽しんでいた。

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最後は1万メートルプロムナードのスタート地、JR横須賀駅へ。

駅のそばの海には自衛隊の艦船が停泊していた。

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家を出たのが2時半、帰ったのは6時半。

通った国道16号線バイパスは20年近く前、海を埋め立てて造られた。

ウオーターフロントである沿道には今や多くのマンション、ショッピングセンター、公園、

合同庁舎や裁判所、緊急医療センターなどの役所施設がある。

平素は車やバイクで通り過ぎる道であるが、自転車も悪くないなとあらためて思った。

2014年5月 5日 (月)

海外渡航自由化 50年

昨日の朝日新聞の天声人語「海外渡航自由化50年」を読み、いろいろ思い出した。

海外渡航が自由化されて、と言っても「それ何!」って言う人も少なくないことだろう。

そうなんです、50年前は海外渡航は厳しく制限されていて、日本人は海外に自由に

行くことができなかった。

天声人語は書いている。

「海外パック旅行の代名詞でもあったジャルパックがはじまったのは自由化された翌年。

ジャルパックの最初の宣伝文句は”月賦がききます”」

「ジャルパック第一陣、欧州16日間の旅の費用は、いまの価値なら700万円」

「歳月は流れて、半世紀前に年間12万8千人だった海外渡航者は、いま2千万人近い」

ボクが希望して、オーストラリアに駐在したのは、31歳だった1974年から3年間。

海外渡航の自由化からまだ10年しか経ってないときだったのだ。

たしかに、当時会社で海外に行くのはまだまだ珍しい時代だった。

そういう中で3年間の駐在は、所属する部署にとっては一大事だった。

出発した74年のたしか6月20日、羽田空港には多くの仲間が見送りにきてくれて

花束をもらい、バンザイを三唱してくれ、恥ずかしい思いで出発したのは忘れられない

思い出。

今では極めて当り前である一時帰国の規定もなく、出発するとき、「たぶん3年間は

帰国することはできないだろう」と思いながら出発した。

当時は持ち出し外貨にも制限があり、額は覚えてないが換金したドルの額がパスポートに

書かれた。

飛行機も小さかったため、羽田からシドニーまで直行することができず、途中深夜

給油のためマニラに停まった。

ボクにとっては初めて外地に降り立ったことで、大変エキサイトしたことを覚えている。

コーヒーカウンターのようなところで何かを飲んで、となりの人と英語で会話し、何とか

通じてうれしかったのを思い出す。

そのあと飛行機はシドニーに向かって出発した。

40年前のこと、すべてが隔世の感。

「海外渡航自由化50年」とは関係ないが、この機会に赴任したころのシドニーの

思い出を後日書きたい。

2014年5月 2日 (金)

孫たちとフェイスタイム

久しぶりに孫たちとiPad同士でフェイスタイムをやった。

3月に沖縄の地元のマラソン大会に家族4人で参加し、完走したこと、終わったあとの

抽選でディズニーランド招待旅行が当たったことで盛り上がった。

3千人の参加者中、何と妹孫が3名の当選者に入ったそうで、興奮いぜんさめやらず。

航空券、ホテル2泊、ディズニーランド入場券が大人ふたり分出るそうで、学校が休みに

なる6月の沖縄慰霊の日に行く予定にしているとのこと。

大好きなディズニーのミュージカル映画「アナと雪の女王」の主題歌を歌ってくれた。

ふたりとも「アナと雪の女王」にはまっていて、映画館で1回、旅行中飛行機の中で

2回観たそうだ。

1分近い「アナと雪の女王」のテレビコマーシャルを覚えていて、最後に「3月14日

アナと雪の女王、スタート」と何度も繰り返していた7歳の妹孫の記憶力にびっくり!

ボクの記憶力に比べると雲泥の差。

お互いの夕食の料理を見せ合ったり、最近通いはじめた姉孫の塾の話、新1年生の

妹孫が学校でお友だちが8人できた話などしてくれた。

iPadのフェイスタイムボタンをクリックするだけで、相手のiPadのブザーが鳴り、

簡単に動画と会話がタダで楽しめるフェイスタイム、サイコー!

孫たちに教えられてフェイスタイムを使うようになってからは、スカイプはまったく

使わなくなった。

若い人たちはiPhoneでフェイスタイムを楽しんでいるのだろう。

↓はiPadのフェイスタイム画面を撮った写真。

写真の器は姉孫が陶芸教室で作ったものとのこと。

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