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2014年2月

2014年2月25日 (火)

母、逝く

22日土曜日の夜中12時ころ郷里の倉敷の弟から電話があった。

「入院しているオフクロが危ないと病院から連絡があり、これからすぐ病院に行く」

心配で寝られないでいると1時前に再び電話がかかってきた。

「オフクロが亡くなった。看護師さんが11時に巡回したときは特別問題はなかったが、

12時過ぎに見に行ったら、息絶えていた、とのこと」

その後、2時ころあらためて弟から電話があり「25日火曜日が友引なので、明日朝

斎場と住職に連絡するので、明日早めに帰ってきて欲しい」ということで、真夜中の

電話は終わった。

その後、おふくろのことがいろいろ脳裏に浮かび、眠れなかった。

弟から聞いた様子から想像するに、きっと最期は苦しむことなく、独りでこと切れた

のであろう。それだけがせめてもの救いだと思った。

93歳のおふくろは、3年前老人ホームに入所し、職員の皆さんに心こもる世話をして

いただき、日々穏やかに過ごしていた。

23日日曜日、ばたばた準備し、飛行機より早く着きそうな新幹線に乗り倉敷へ向かった。

倉敷駅からタクシーで、この日が来ることを考え、弟・妹と何度か相談に行った斎場へ。

既に湯せんが終わり、棺に入っていたオフクロに会う。

きれいに化粧してもらっていて、今にも目を開けるのではないかと思える顔を見、

17年前に亡くなったオヤジのところにとうとう行けるかと思うと、涙がこみ上げてきた。

「家族葬で送ろう」と以前から弟と妹と決めていた。

そのため、弟が責任者である会社から誰も参列なく、兄弟妹と孫たち、ひ孫、それに

いとこにあたるオフクロの妹の子供夫婦、総勢15名くらいのこじんまりした通夜、

告別式だった。

祭壇の供花も子供一同の一対のみ。

喪主はずっと両親の面倒をみてくれた弟に、ボクは通夜、告別式で挨拶をした。

両親から聞いたことはなかったが、長男のボクが生まれたのが1943年4月だから、

両親が結婚したのは1941年だったのだろう。

これまた話を聞いた記憶はほとんどないが、まさに戦争が勃発した時期であった。

挨拶では、思いだしながらオフクロの思い出を話した。このときも涙がこみ上げてきた。

通夜、告別式とも、お世話になっていた施設の方々が、7~8人来てくださった。

3年間、何度も何度もオフクロに会いに行った施設の方々とは顔なじみになった。

また、明るく、おだやかに振舞うオフクロは職員の方たちの間で人気者だった。

告別式のあと、市の郊外にある火葬場に行き、斎場に戻ってきて会食をし、送りは

滞りなく終えることができた。

93歳と高齢ではあったものの、3日前はまだ元気だったのに、と命のはかなさを感じ

ざるを得なかった。

とともに、いずれはその時期がくるボクの葬儀も、今日のような家族葬がいいと

あらためて思った。

下の写真は、年末年始に帰省した娘が沖縄の自宅に帰る途中、どうしても倉敷の

おばちゃんに会いたいと、子供たちを連れて倉敷の施設を訪ねたとき撮った写真。

よほどうれしかったのだろう、オフクロの笑顔がすばらしい。

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日曜日の朝、倉敷に出発する前、娘に電話して、オフクロが亡くなったことを伝えた。

そのあと娘からケータイにメールが届いた、

「パパがいないのでおばあちゃんに会いに行けなくて、ごめんなさい。今朝子供たちと

一緒にわんわん泣いて、ユナ(妹孫)はおばあちゃんに手紙書いてたよ」

「こないだおばあちゃんに会ったのは7年ぶりだったけど、覚えていてくれてほんと

うれしかったし、しっかりお話ができてお別れできたのがせめてもの救い。

次いつ会えるかなぁって思ったら、帰るときは離れがたかったなぁ」

「私たちの分まで、おばあちゃんに手を合わせておいてね。でも今ごろ沖縄にも来て

くれてるかもね」

2014年2月18日 (火)

市議新春交流&講演会

横須賀市議会議員のIさんはもう20年以上応援している。

へつらったり、おもねったりすることのない、その一刀両断の政治姿勢に共感を覚え、

無所属で活動するIさんをずっと応援してきた。

Iさんから新春交流&講演会の案内をもらったので、先週月曜日参加した。

冒頭、Iさんから市政、議会報告。

先日新聞で報じられた全国の市区町村の中で、横須賀市の人口流失が日本一である

ことがあらためて紹介された。

19万戸のうち、10%以上の2万戸が空き家である実態。

バブル期のままの不当な現行の固定資産税評価、相続税・贈与税評価の見直しを

3月議会で追及し、固定資産税評価に対しては4月に不服申し立てする予定とのこと。

次に、世の中で話題になりはじめた「2025年問題」について。

 ※2025年問題とは、団塊の世代が75歳以上になり、医療・介護が必要となる人が  

   爆発的に増え、医療・介護の供給体制が追いつかなくなる事態。

Iさんの問題指摘は、望んでも病院施設で亡くなることが叶わず、今後増加してくる在宅

看取り。分権と財源移譲が進まない安倍政権のもとで、自治体、地域共同体はどう生き

残りをかけていくのか。

個人のレベルでは、自分はどう逝きたいのか(死ぬ場所)、家族はどう看取るのか?

に対し、それぞれが考えておく必要があるとの指摘。

第2部は、フリージャーナリスト岩上安身さんの講演。

冒頭Iさんから「なぜ岩上さんをお呼びしたのか、それは今起きていること、いま政府

(官僚と安倍政権)によって企てられていることの本当を知って欲しいからです。

特定秘密保護法、TPP、解釈改憲、消費増税、辺野古埋めたて強行、進まない脱原発、

脱原発の知事候補へのネガティブキャンペーン、メディアを含む既得権力村に収奪されず、

そして暮らしと命を危うくさせないために、是非本当のことを知って欲しい」

岩上さんから上記について諸々話された。

特に、アメリカに吸い上げられる日本。 TPP 特定秘密保護法 、集団自衛権で国民の

暮らしと命が危ない!。メディアが報じない真実と官僚支配の実態が生々しく語られた。

「えー、そんなことが!」「実態はそうなのか」と思わせる話ばかりだった。

岩上安身さん紹介のウイッキペディアはこちら

2014年2月12日 (水)

映画「ウルフ・オブ・ウオールストリート」

上映前から観たいと思っていた映画。

ウォール街の狼と呼ばれた男、年収49億円を稼ぎ出した株式ブローカー ジョーダン・

ベルフォートの自伝が原作。ジョーダンを演じたのは、レオナルド・ディカプリオ。

3時間の間、アクセルを踏みっぱなしの映画だった。

実在のブローカー、ジョーダン・ベルフォートが巧みな話術を武器に証券界を駆け上がり

欲望に溺れていくさまが赤裸々に映し出されている。

オフィスで大騒ぎしながら標的に「小さい人」を投げている場面から映画ははじまる。

プロテクターをつけた「人」を標的にぶつけ、点数を競いあう株式ブローカーたち。

映画のすべてがこの一瞬に凝縮されている。

モラルのかけらもない人々。自分以外はみな小さな存在だと見下し、だまし、踏みつけ、

放り投げて、恥じることがない。

それが「ウオール街の狼」ことジョーダンのメンタリティーだ。

クズ株を電話セールスで売りまくる商売で財をなしたジョーダンはウオール街の風雲児に

なりあがるが、最終的には詐欺などの容疑で逮捕される。

高度資本主義の最先端にいるジョーダンは、何ひとつ信じるものを持たない。

だから平気で人をだませる。稼いだ金はひたすらドラッグとセックスで浪費しつづける。

どこまでも空虚な男、ジョーダンをレオナルド・ディカプリオが狂騒的なテンションで演じきる。

いかにもアメリカ、しかもニューヨークを舞台にした映画。

「オオカミ」のありのままの姿に迫ろうとした当作品は、アカデミー賞5部門にノミネート

されている。

2014年2月 8日 (土)

2日続けてXX士と面談

水曜日弁護士、木曜日税理士に会った。

定年退職したあと、残りの人生の中で、相談にのってもらったり、依頼事をしたりするため

信頼のできる”士”のつく人と懇意になっておいた方がいいと思いはじめた。

このことは、もともと仲の良かったオーストラリアの友人から言われたこと。

先ず弁護士、亡くなった息子のことをきっかけにO先生と知り合ったのは18年前。

O先生には、去年民事調停のお手伝いもしていただいた。

その後、犯罪被害者支援活動を通じて都内に事務所を持つ弁護士、W先生とK先生とも

無理が言える仲になった。

その後、あることをきっかけに、地元の横須賀に事務所をかまえる弁護士のM先生と

G先生とも知り合いになった。

税理士では、昨年の3月まで10年間やっていたフランチャイズパソコン教室事業を

通して知り合ったF先生とは、確定申告ほかのお願いや諸々相談ができる仲となった。

あとは士ではなく、字が違う医師。

定年して間もなく我が家の近くに開業したクリニックのI先生に夫婦で主治医になって

いただいている。他には眼科のN先生、歯科医のM先生にお世話になっている。

水曜日、先日ブログにも書いた所属するテニスクラブの借りている土地問題で、地元の

弁護士のM先生に相談に行き、的確なアドバイスをいただいた。

木曜日、税理士のF先生の都内の事務所を訪ね、確定申告のお願いをした。

この日はカミサンが月一度通っている刺繍教室が自由が丘であり、ふたりとも

ちょうど同じタイミングで終わったので渋谷で待ち合わせし、横浜中華街まで行き

食事をした。

カミサンの誕生日は2月16日。10日早かったが誕生日祝いディナーになった。

中華街に着いて、さあどこにしようかとブラブラ歩くがなかなか店が決まらない。

結局、1年前の冬休みに沖縄から帰省した娘と孫たちと行った大珍楼に入った。

多くの中華街の店でやっている食べ放題を注文。

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注文はすべてテーブルに置かれたディスプレイから。

この日もたくさん美味しくいただいて大満足。

北京ダック4皿ずつ含め、注文した料理とデザートはふたりで22品。

味も良いし、これでひとり2400円とはリーゾナブル。

競争の激しい中華街ならではの質と料金。

2014年2月 1日 (土)

テニスクラブ年次総会

毎年この時期に開催されるテニスクラブの総会が日曜日に行われた。

今回の総会は第33期。

ボクはクラブができて数年後に入会したので、メンバーになってもう30年になる。

入ったのは40歳くらいだったのだろう。

30年前に知り合い、同じように歳を重ねてきた仲間はたくさんいる。

他の予定と重ならなければ、月曜日と木曜日の午前中コートに行くことにしている。

コートは菖蒲園という公園のそばにあり、周りが緑に囲まれた環境のいいところにある。

整備、清掃はすべてメンバーがボランティアで行っていて、コートは3面、平日は人も

多くなく、ワイワイ言いながら和気あいあいの雰囲気の中でプレーを楽しんでいる。

若かったころは夏でも5~6時間平気でやっていたが、今は午前中で十分。

総会は例年と同じく菖蒲園のレストランで行われた。

前期の事業報告、決算報告と今期の事業計画、予算案と型どおりの説明があった。

会員は13名があらたにメンバーとなり、合計109名。

女性と40/50歳代が増え、メンバーの平均年齢はいくぶん下がった。

一方で古くからの馴染みの会員が何名か退会した。

理事の皆さんにはよくやってもらっていることが説明の端々から感じられた。

クラブに貢献された方たちの表彰もあり、すがすがしい思いで聞いた。

毎月の清掃活動皆勤者、クラブのニュースレター作成者、新会員加入尽力者、

プロジェクトチームメンバー、施設整備・環境整備尽力者、児童対象テニススクール

指導者、ホームページの維持管理者・・・

昨年はコートが全面的に改修され、一層気持ちよくプレーをすることができるようになった。

クラブ内のチーム対抗戦、男女ダブルス大会ほか、例年通り今年も開催される予定。

クラブを継続する課題として、コートが借地であるために、今後どのように考え、進めて

いくべきかについて、いろいろ議論された。

多くのメンバーにとって、とても気持ちよく交流できるいまのクラブの環境、雰囲気が

維持されればと願う。

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