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2013年3月

2013年3月23日 (土)

ハイキングと温泉を楽しむ会

パソコン初心者を指導するシニアの技術スキル、指導スキルを認定する

シニアITアドバイザ」(SITA:サイタ)試験制度については、ブログに何度も書いた。

定年直前にいた職場で、退職後何か会社に残るような仕事をして辞めたいと思い、

はじめた制度がSITA(サイタ)であった。

試験をはじめたあと、合格者が全国あちこちでグループをつくり、そのうちいくつかの

グルールはNPO法人となり、地域のITリテラシー向上に力を注いでいる。

そのうちのひとつに、町田市を中心に活動を10年近く続けているNPO法人

アクティブSITAがあり、ボクもメンバーのひとりとして参加している。

アクティブSITAでは毎月、定例会、勉強会をずっと長い間続けている。スゴイことだ。

会の活動にはITに関連したものだけでなく、同好会活動もあり、そのひとつが

「ハイキングと温泉を楽しむ会」

会のリーダーのNさんが以前から『みんなで横須賀に行きたい。ハイキングコースと

温泉を教えて』と言われていた。

その「ハイキングと温泉を楽しむ会 in Yokosuka」を昨日土曜日行った。

参加者、男性4人、女性2人の6名が、遠路町田から、9時にJR田浦駅に集まった。

目指すは、大楠山、阿部倉温泉。

ルートはリーダーのNさんが入念に調べ、コースを決めてくださった。

地元のボクはこのルートの一部を歩き、温泉を経験したのは、はるか昔の30年位前。

先ず、田浦駅から歩きはじめて、山を登り梅園で一休み。当然梅は終わっていた。

そのあと一路、目指すは三浦半島で一番高い、大楠山。

山道につくられた段が相当数あり、ふうふう言いながら登った。

途中、青空のもと、春に咲きほこる花を見ながらの歩きは最高だった。

そめいよしの、やまざくら、おおしまざくら、しだれざくら、もくれん、こぶし、れんぎょ、

もも・・・、特に教えてもらって初めて知った下の写真のみつまたは見事だった。

Cimg9524

途中、横須賀米軍基地に停泊する原子力潜水艦ジョージワシントンと思われる艦を遠望。

Cimg9526

田浦駅から歩きはじめて3時間半、

目指す大楠山の頂上の見晴らし台にCimg9530

たどりついた。

苦労しながら上りつめた山は

たったという感じの242メートル。

春がすみで残念であったが、

横浜ランドマークタワー、房総半島、

三浦半島の西海岸方面が一望できた。

大楠山でお昼。Nさん持参のガスバーナーで各自持参したカップ麺にお湯を注ぎ、

食事のあとは温めたお湯で美味しいコーヒーを飲んで、全員元気を取り戻した。

食事後は段のほとんどない

下り道を降りて、目指すCimg9531

阿部倉温泉に着いたのは2時半。

温泉宿は以前来たときの

イメージとまったく変わっていた。

宿の人の話では、30年前に

建て直したとのこと。そうか、

前に来たのは30年前だったんだ。

疲れ切った体を思いきり伸ばし、浸かった温泉は最高だった。

温泉を出たあとお茶をいただき、宿を出て、JR衣笠駅まで最後の40分を歩き、

楽しかったハイキングと温泉の旅は終わった。歩数メーターは2万7千歩。

夜は当然のことながら爆睡した。

2013年3月16日 (土)

「3月10日まではいい日だったね」

あしなが育英会のことは何度かブログに書いた。

4年前から毎年末、あしなが育英会に少しまとまった寄付を続けている。

年に何度か会報が届く。

会報に東日本大震災遺児作文集『3月10日まではいい日だったね』が紹介されていた。

早速、会の本部に電話し、作文集を送ってもらった。

ちょうど姉孫と同じ小学3年生の作文が出ていた。

涙なしには読めなかった。

『3月10日まではいい日だったね』  (岩手県・小3女子)

  お母さんがいたら、いろんなことができたね。

  ケーキとかつくったりできたよね。

  保育園から帰ると、お母さんが作ったおやつを食べさせてくれたね。

  3月10日まではいい日だったね。

  次の3月11日の午後2時46分に津波がおしよせてきました。

  私とおとうさんとおじいちゃんは大丈夫だったけど、

  お母さんは、津波に流されてしまい、

  お母さんの仕事場の前に死んでいました。

  私はそのことをお父さんから聞きました。

  私はそのことを忘れないようにしたいと思います。

『がんばれ一本松』  (岩手県・小3男子)

  ぼくのお父さん

  どこにいるか

  みえないかな。

  みえたらおしえて

  一本松

  おねがいするよ。

ちょっと長いが、もうひとつ。

『ケンカ、全部あやまるね』  (宮城県・小3女子)

  私は東日本大震災がおきる日の朝にお母さんとケンカをしました。

  そしてあやまりもせず、怒ってわたしは、あやまりもせず、ランドセルをせおい

  学校に行きました。

  学校も、もうおわりだ。わたしは、母は、もうおこっていないと思った。

  それを知りたく、走って家にもどろうと橋の上の真ん中くらいにいたとき、

  「ドシン、ドッドーン」

  と、大きな音がなりひびき、それと同時に、大きな横ゆれがおきた。

  サイレンがなり、大つなみけいほうがでた。

  わたしはまっさきに、家に帰ろうとした。

  その時、「ダメ」と声がすると、目の前に女の高校生が立っていた。

  5分後、大つなみが来て、橋はどこかにながされた。みんな学校に戻りました。

  1日目はほとんどの親が迎えにきてくれませんでした。

  2日目は私以外のほとんどの親が迎えにきて、帰っていきました。

  3日目に、私のお姉ちゃんが迎えにきてくれて、とっても泣きました。

  そのときあることに気がつきました。

  私はお姉ちゃんに、「ねえお母さんは?」と聞きました。

  母は死んでしまった。

  いまだにお母さんがおこっているままなのかは、わからない。

  わたしは、お母さんのことだから、おこってはないと思う。

  しかし、おそうしきの時、わたしは大泣きした。

  母の顔を見ると、「おこっている顔」をしていた。

  わたしは、ゴメンネ・・・・とつぶやいた。すると、母の顔は笑った。うれしかった。

  今までのケンカ全部あやまるね。ゴメンネ・・・・。これからも笑顔で、みまもっていてね。

  私はお母さんが見つかってから金曜日の2時46分に、ベルをならしています。

  そしてお母さんに「ゴメンネ」を送っています。

  ちゃんと聞こえていたらいいです。

あしなが育英会では、愛する人を喪った人たちの傷ついた心を癒すために、

東北レインボーハウスと呼ばれる施設を7か所に造っている。

震災で親を失った子供たちの幸せ、心から祈り、願っている。

2013年3月11日 (月)

黙とう

あの日から2年。

14時46分、静かに黙とうした。

大震災直後、毎日ブログを綴った

だが、1週間後の3月18日を最後にブログが書けなくなった。

毎日3食たべ、暖かい布団に寝て、安穏と日々過ごしていることをブログに書くことに

気持ちが許せなくなり、5年半続けていたブログを止めた。

止めて2か月過ぎたころ、いろいろな方から「再開しては」とメールをいただき、迷った末、

デザインとタイトルを変えて再開した。

翌7月には、震災直後から現地に行って何かお手伝いをしたいと思っていた希望が叶い、

たった4日間であったが、NGOの傾聴ボランティアで陸前高田に行き、壊滅状態の街の

惨状に驚き、悲惨な経験をされた方々のお話しをお聞きした。

先週NHKのクローズアップ現代でアンケート結果が紹介されていて、いまだ復興の

実感がわかない人が90%以上とのこと。信じられない数字である。

インタビューに応じた方が「何も変わっていない。ガレキがなくなっただけだ」と答えて

いたのが現状を象徴している。

連日放映している追悼番組を観て、何度も涙した。

先日の朝日新聞には福島県民の方たちへの世論調査結果が出ていた。

元のような暮らしができる時期の見通しについて、6割の方々が「20年より先」

と答えられている。

被災された方々への思いを持ち続けなければならない、被災していない我々ができる

ことは、事故と惨状を忘れないことである、と改めて強く思った。

ただただ、被災された方々に幸多からんことを願うばかりである。

久しぶりに郵便局に行き、義援金を送らせていただいた。

2013年3月 9日 (土)

陽気に誘われて

裏の海岸遊歩道を歩いた。

先週の土曜日は寒かった。たった1週間でこの陽気に。

北海道は明日も吹雪とのこと。小さな日本なのに、申し訳ないという気持ちになる。

10日後はお彼岸だから当たり前だが、日も長くなった。

裏の遊歩道は端から端まで歩くと1.6キロ。往復するとだいたい6千歩。

Cimg9509

今日は久しぶりに両足首に1kgちょっとある重しをつけて歩いた。

足首、膝には悪くないのではと思うが、実際はどうだかわからない。

Cimg9519

途中、カモの仲間かと思われる鳥がもぐって魚を取っていた。

一度もぐると、20秒くらいは浮き上がってこない。

上がってくると、またすぐもぐる。

5回に1回くらい小魚をくわえて上がってくる。

Cimg9517

釣り船屋で朝と午後マアジの釣り船を出していると看板が出ていたので、聞いてみると

まずまずの釣果が出ているとのことだった。

ここに住んで35年。

住みはじめたころ、よく釣り船屋でボートを借りて釣りに行っていた。

メバルが面白いくらいよく釣れた年が続いたことがあった。

あのころに比べれば、全体的に釣れなくなっているようだ。

2013年3月 5日 (火)

映画「ゼロ・ダーク・サーティ」

先日、今年のアカデミー賞が決まった。

作品賞オスカーの受賞候補作のひとつであった「ゼロ・ダーク・サーティ」は残念ながら

オスカーを逃した。

「ゼロ・ダーク・サーティ」は前評判通り、大変面白い映画だった。

「ゼロ・ダーク・サーティ」は、アメリカの軍事用語で、午前0時30分を指すそうだ。

作品のキャッチコピーは、「ビンラディンを追い詰めたのは、若き女性。米政府が隠し

続けた驚愕の真実が明らかに」

監督は女性監督のキャスリン・ビグロー。

ビグローはイラクでの爆発物処理班の任務を描いた「ハート・ロッカー」で、3年前

女性初のアカデミー監督賞を受賞した。「ハート・ロッカー」はオスカー賞も受賞。

面白い映画だった。

「ゼロ・ダーク・サーティ」は、ビグロー監督作品であることから期待して観に行き、

期待は違わなかった。

キャサリン・ビグロー監督たちは、トップシークレットに独自のルートで迫り、当事者たちを

念入りに取材。そこでCIAのビンラディン追跡チームの中心人物が20代の女性である

ことを突き止め、その事実を題材に製作したのが、この作品。

情緒的な描写やドラマチックに盛り上げることを排し、現実に起きたであろうことを淡々と

写実することに徹している。

主人公の分析官マヤの心理の変遷と執念が見事に描かれている。

彼女は爆破テロに巻き込まれようが、命を狙われようが、屈することなく、ビンラディン

捜索にすべてをかけ、無謀に突き進んでいく。

捜査は困難を極め、その間にも世界中でアルカイダのテロによって多くの血が流され、

大切な同士も自爆テロに巻き込まれて死んでいく。

マヤは執念でターゲットの居場所を絞り込み、隠れ家をついに発見したと確信するのだが

彼女に100%同意する者はいない。

果たしてCIA、そして大統領が最後に下した決断とは、、、

「ゼロ・ダーク・サーティ」の公式サイトはこちら

2013年3月 1日 (金)

倉敷からの帰り道

火曜日、倉敷から帰る途中、

小田原の近くの二宮で途中下車した。Cimg9485

今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の

主人公、新島八重と交流のあった

徳富蘇峰の記念館に寄りたかった。

徳富蘇峰は明治・大正・昭和に

活躍した言論人であり、歴史家。

小説家の徳富蘆花は弟。

徳富蘇峰は、同志社を創設した新島八重の夫、新島襄に大いに感化を受けた。

新島襄亡きあと、八重は徳富蘇峰と交流を続け、八重が蘇峰に宛てた6通の

手紙が展示されていた。

それ以外にも、蘇峰が勝海舟、Cimg9489

新島襄、中江兆民、坪内逍遥、

森鴎外、夏目漱石、幸田露伴、

与謝野晶子などと交わした書簡が

保存公開されていた。

記念館の脇は蘇峰堂の梅林。

今まさに時期の梅が満開。

蘇峰堂のあと、二宮の名所の吾妻山へ。

途中水仙を見ながら、山頂に登り、咲きほこる菜の花を楽しんだ。

残念ながら、この日は曇り空で、富士山を見ることはできなかった。

Cimg9493 Cimg9499

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