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2012年11月

2012年11月18日 (日)

プリウス リコール

我が家は8年前、当時第2世代だったプリウスを買った。

車に乗るのが、そもそもあまり好きでないため、8年たった今も走行距離は

2万3千キロ足らず。エコカーの役目をはたしていない。

先週木曜日、「プリウスやカローラなど、トヨタが150万台リコール。国内の一度の

リコール届け出としては過去最多」と報じられた。

同じ日、トヨタの販売店から「お詫びとお願い」の手紙が届いた。

リコールの原因は、駐車場での車庫入れ時や低速でカーブを曲がる時にハンドルを

回しても車輪が向きを変えなかったり、異音がするトラブル、とのこと。

これまでに事故の報告はないということで、どうせ乗ってないのだから急ぐ必要は

ないと思ったものの、いくぶん気になり、20年来の付き合いのある販売店のSさんに

電話し相談した。

『どうせ修理する必要があるので、お手数をおかけし申し訳ないですが、とにかく

持ってきてください』とSさんから言われ、翌日販売店に持って行った。

Sさんがいろいろ話してくれた。

①ハンドルの回転を前輪に伝える継ぎ手に使われている鉄製の歯車が設計ミスで

強度が足りなかったことが原因、②歯車の部品メーカー3社のうち、1社の製品に

問題があった、③部品の共通化が進んでいるためリコール対象台数が増えた、

④国交省の罰則強化、および8年前の三菱自動車のリコール隠しを受けて、

メーカー各社がリコールへの対応を厳格化させているため、リコール台数が

高止まりしている。

修理には1時間以上かかった。

新聞を読みながら待っていたら、Sさんが数度来て、車買い替えのアプローチ。

これまでSさんには、『知ってのとおりの使用状況だし、車はもうこれが最後。

なくなってもことさら問題ないし、必要なときにはタクシーを使う』と何度も話していて

彼もわかっているものの、セールスしたいのは人情。

勧める車は、以前同様アクア。アクアに乗り換える道理がボクにないことはわかって

いるんだが、アクアがいま幅広い年齢層に受け入れられていることを力説していた。

そういえば、沖縄の娘宅でも最近アクアに替えたと言っていた。

Sさんに言った。『リコールはメーカーにとっては大打撃。お客も迷惑。だけど販売店

にとっては、黙っていても客が来てくれる絶好のチャンスだね』

Sさん、『正直言って、まったくその通りなんです』

そのうちSさんは商談メモと書いた見積もりを持ってきた。

『走行距離2万3千で問題もないので、30万で下取りできます。187万でアクアへの

乗り換えができます。今のプリウスはディーラーの店頭に並べば、60~70万の

値はつくでしょう』

『ごめん、悪いけど興味ないねぇ。プリウス、あと5年くらい乗って、廃車処分かなぁ』

で話は終わり、リコールの修理も終わった。

2012年11月16日 (金)

うれしい講演

定年退職し、間もなく8年半。

退職するにあたり、自分が辞めたあと、何か会社に残る仕事を最後にやって辞めたいと

ずっと思っていた。

そこで退職3年前にはじめたのが、シニアITアドバイザ(SITA:サイタ)試験制度の

立ち上げ。

定年退職した男性、子育てが終わった女性を中心に試験を受けてもらい、全国各地で

地元のパソコン指導者になってもらうことを目指した試験制度。

1級~3級、ネットで受けていただく学科試験と会場に来て受けていただく実技試験と

インストラクション試験を設けた。

退職したとき、受験していただいた方の数は、1~3級で全国で延べ約6千名。

合格された方々が全国各地でグループを作り、地元で活動をはじめられた。

一時期、全国に15のグループができた。

退職4か月前、自らも試験に挑戦し、何とか1級に受かった。

退職後、町田を中心に地元の人たちのIT指導、IT支援活動を行っているNPO法人

アクティブSITAのメンバーになった。

アクティブSITAでは毎月定例会を開催し、勉強会を行っている。

火曜日、11月の定例会が行われ参加した。

新しく会員になる3名が紹介され、メンバーは40名を超えた。

定例の理事会報告、ワーキンググループと同好会の活動報告が行われた。

この日のメインテーマは、埼玉を中心に活動しているNPO法人彩SITAの代表理事の

渡辺さんの講演。

渡辺さんとはSITAをはじめた直後に知り合ったので、もう10数年のお付き合い。

渡辺さんはNPOをはじめたときから、「事業型NPO」を目指し活動を続けてこられた。

26名の会員が「事業型NPO」の名のもと、収益を確保する事業に積極的に取り組み

その収益を使って、ボランティア活動、地域活動に貢献するという、NPOとしては

理想の形で活動を行っている。その様子が、事例含めて紹介された。

最も印象深い活動は、さいたま市のITリーダー育成事業。4年間民間企業が

受託していた事業を今年初めて彩SITAが全面的に引き受け、200人のITリーダを

育成する計画で、この事業でメンバー全員大車輪の活躍とのこと。

その他、託児付きの子育てママのパソコン教室、いきがい大学(老人大学)パソコン

教室、常設のシニア向けパソコン教室など、地域と連携し、地域に貢献する事業を

さまざま行っている。

技術的に遅れをとらないよう、会員のスキルアップ研修会にも積極的に取り組んでいる。

広報、告知も怠らず、びっくりしたのはチラシを教室近隣の自治会の回覧板に

入れてもらっていること。またチラシのポスティングも全員で行っている。

渡辺さんのリーダーシップのもと、少数精鋭で、すばらしい活動が続けられている

ことを久しぶりに聞いて、大変うれしく思った。

第1回目のSITA試験を行ったのは2000年11月。

12年経ったいま、町田でも、埼玉でも、皆さんが熱い思いでやられている

地域活動のきっかけが、SITA試験制度であったことを思うと、望外の喜びである。

2012年11月10日 (土)

一日に映画2本

定年退職したあと、たくさんの映画を観た。

期待して観に行き、ハズレの映画も多くあった。

火曜日午後、2本続けて観た。こんな観かたは初めて。

今と違い、昔は映画は大体2本立てだったんだが。

この日、横須賀のシネコンで観た映画はどちらも日本映画。

「終の信託」と「北のカナリアたち」

「終の信託」が終わったあと、「北のカナリアたち」の上映開始までの待ち時間15分。

「終の信託」は最近観た邦画ではベストだった。

終末医療に対する医者の判断を法に問い、裁くことをテーマとした作品。

最後30分くらい続いた医者と検事の対峙を描いたやり取りは迫力が凄かった。

監督は、「Shall we ダンス?」や「それでもボクはやってない」を撮った周防正行。

妻の草刈民代さんを主演女優に仕立て作った、周防流ラブストーリ。

ストーリのあらましは↓

『折井綾乃(草刈民代)は、患者からの評判も良い、呼吸器内科のエリート医師。

しかし、長い間、不倫関係にあった同僚医師の高井(浅野忠信)に捨てられ、

失意のあまり自殺未遂騒動を起こしてしまう。そんな綾乃の心の傷を癒したのは

重度の喘息を患い入退院を繰り返していた江木秦三(役所広司)の優しさだった。

綾乃と江木は心の内を語りあい、医師と患者の枠を超えた深い絆で結ばれる。

しかし、江木の病状は悪化していった。自分の死期が迫っていることを自覚した

江木は綾乃に懇願する。「信頼できるのは先生だけだ。最後のときは早く楽に

してほしい」と。2か月後、江木は心肺停止状態に陥る。江木との約束通り延命

治療を中止するのか、患者の命がある限り延命の努力を続けるのか… 』

続いて観た「北のカナリアたち」は、主演吉永小百合に惹かれて観に行ったが

「終の信託」に比べると、ちょっと期待外れだった。

ストーリーのあらましは↓

『 北海道の離島に降り立った小学校教師、川島はる(吉永小百合)。

夫・行夫(柴田恭兵)と共に赴任してきた彼女が受け持つことになったのは6人の

生徒たちだった。彼らの歌の才能に気付いたはるは、合唱を通してその心を明るく

照らしていく。「先生が来るまで学校がつまらなかった」そうこぼしていた子供たちの

顔にも笑顔が溢れるようになる。そして大自然に響き渡るその歌声は、島の人々の

心も優しく包み込んでいった。そんな時、心に傷を抱えた警察官・阿部(仲村トオル)が

島へやってくる。人知れず悩みを持っていたはるは、陰のある阿部と自分を重ねる

かのように心動かされていく。ある夏の日、生徒たちと行ったバーベキューで、

悲しい事故が一同を襲う。子供たちは心に深い傷を負い、はるは、心配する父

(里見浩太朗)を一人置いて、追われるように島を出ることになる。

しかし、島を離れた後も心に残るのは6人の生徒たちのことだった。

20年後、東京で図書館司書として暮らすはるに生徒の一人が起こした事件の

知らせが届く。「なぜ、あの子が……」真相を知るため、はるは6人の生徒たち

(森山未來、満島ひかり、勝地涼、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平)との再会を

心に決め、北へ向かう。久しぶりに再会した彼らの口から語られるのは、20年間

言えずにいた想いだった。それぞれが抱えていた後悔が大きな傷となり、今も心に

残っていることを知ったはる。そして自身もまた、心に閉じ込めていた想いを6人に

明かすのだった。明らかになる真実が止まっていた時間を氷解し、物語は感動の

クライマックスへ動き出す』

2012年11月 4日 (日)

うれしいことがあった一日

2週間ほど前、名前に見覚えのない人からメールが届いた。

文面を読んでみると、亡くなった息子の大学のクラスメイトからだった。

『突然メールを差し上げます。Gくんと大学のクラスが一緒だったKです。お父さんが

作られたGくんのホームページを見つけ、メールアドレスが書いてあったので、

どうしようかと何度も迷いながら、メールをさせていただきました。

あれから17年の月日が経ったと思うと不思議で、私の中にはあの笑顔のG君の

ままです。訃報を聞いたのは同じクラスのY君からでした。信じらんないの一言で

友達と共に告別式にむかいました。

今回メールしたのは、これまで何度かこのホームページを閲覧しながら、せめてもの

供養になればと、大学時代のお話を親御様にできたらなと思ったからです。

ご迷惑にならなければ一度仏前に手を合わせに行きたいのですがいかがでしょうか?』

メールを読んで即、『どうぞ都合のつく日に、ぜひ寄ってください』と返事した。

面識のなかったKくんが今朝10時、我が家に来てくれた。

息子がいなくなって17年半、突然訪ねてきてくれたKくんに、我々夫婦はただただ感激。

持ってきてくれたお花を仏壇に供え、長い間手を合わせてくれた。

ご佛前もいただき恐縮の極み。

『これも買ってきました』と渡されたのは、吉野家の牛丼。

息子は仲間としょっちゅう吉野家に牛丼を食べに行っていた。

『俺はいつもつゆだくを頼むんだ』と言っていたのを思い出す。

そのためKくんは吉野家に寄り、牛丼を買ってきてくれたのだ。

仏壇に供え、今夜夫婦で半分づついただいた。

Yoshinoya 

久しぶりに息子の話で大盛り上がり。

仲間の話、サークル、酒にまつわる話、息子の人気者ぶり・・・

息子と娘がそれぞれ男の子、女の子を集めやった合コンも話題になり、Kくんも

参加したと話していた。

当時息子がお付き合いしていた同じ学部の女性のTさんの話題でも盛り上がった。

息子は我が家に何度もTさんを連れてきた。とてもかわいくて、いい子で、

『ふたりは結婚するのでは』と夫婦で話していた。

Kくんは『学校の授業ではいつもふたりは並んで座り、羨ましかった』と話してくれた。

2時間くらい話したあと、車で5分のところにある墓に参ってもらった。

墓参りのあと、3人で我が家の近くのファミレスに行き、ここでも話題の中心は息子。

『もう一度、お宅に寄って手を合わせてから帰りたい』ということで、我が家に寄って

くれた。

Kくんは、我々がきっと高齢だろうから、訪ねるのは迷惑ではないかと思い、メールを

送るのを相当迷ったそうだ。

帰り際、『思い切ってメールを送ってよかったです。来て本当によかったです』

我々も『来てもらって本当にうれしかった。ぜひまた他の仲間も一緒に連れて来て』

と言いながら、Kくんと別れたのは3時を回っていた。

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