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2012年8月

2012年8月28日 (火)

テニスクラブのアンケート調査

メンバーになっているテニスクラブより、以前から話を聞いていたアンケートが届いた。

テニスコートの土地の地主との契約が15年に終了したあと、16年以降クラブ運営を

どうしていきたいかを問うアンケートである。

クラブのメンバーになったのは20数年前。

当時からの仲間もみんな歳を重ね、今ではメンバーの平均年齢は62歳。

ほかの予定と重ならない限り、週2回行って仲間たちと楽しくプレイしている。

メンバーは90名。最近は年間入会者数より退会者数の方が多く、徐々に

メンバーは減ってきている。

営利を目的としたクラブではなく、3面あるコートの維持管理は基本的にすべて

メンバーがボランティアで行っており、年会費収入と年間支出が、ほぼとんとん。

新入会員の確保に努めているものの簡単ではない。

今後、会員数によっては経費的にクラブの維持・運営が困難になる可能性もある。

そのため、地主との契約年数、入会金、年会費などを再検討する時期にきている。

そのような中、アンケートは16年以降、各自クラブをどうしたいかを問うものである。

行けば必ず誰かがいて、わいわい言いながら数時間プレイし、心地よい疲れを

感じながら帰宅する、ということで、生活の一部になっている。

とはいえ、個人的にはあと3年間プレイできれば満足という感じではある。

アンケートは締め切られた。さて結果はどうなるか。

2012年8月24日 (金)

カウチポテト

もう20年以上前になるだろう、「カウチポテト」という言葉が一時期流行った。

「ポテトチップを食べながらソファー(カウチ)に寝転がり、リモコン片手にテレビや

ビデオを観る」こと。

もともとアメリカでの俗語的な表現だったそうで、若い人の中には、聞いたこともない

人も多いことだろう。

映画は映画館でと思っていたが、1年くらい前にTSUTAYAの会員になって以来

「カウチポテト」する機会が増えた。

旧作だと1週間借りて100円、60歳以上1本無料キャンペーンもやっていた。

先日3本借りてきた。

『スラムドッグ$ミリオネア』

2008年のイギリス映画。アカデミー賞で作品賞含む8部門を受賞。

インドの大都市ムンバイにある世界最大規模のスラムで生まれ育った少年が

テレビの人気クイズ番組に出演する。

そこで数々の問題を正解していき、ついに最後の1問にまで到達した。しかし、

無学であるはずの彼がクイズに勝ち進んでいったために、不正の疑いがかけられ、

警察に連行されてしまう。そこで彼は生い立ちとその背景を語る・・・

以前にもブログに書いたことがあるが、アカデミー賞の審査眼に違和感をおぼえる

作品は珍しくない。この作品も8部門独占、いかがなものかとの印象。

『息子の部屋』

10年ほど前、話題になったイタリア映画。以下ネットから引用したあらすじ。

『イタリアの港町。精神科医の息子アンドレアがダイビングで潜水中に事故死した。

幸せだった家庭は夫婦のすれ違い、娘の失恋で崩れ始める。そんなある日、亡き

アンドレアあてにガールフレンドから手紙が届き、やがて彼女が突然訪ねてくる。

アンドレアが彼女に送ったという数枚の写真を見せられる。そこには自分の部屋で

笑っている息子の姿が写っていた。彼女は男友達と共にヒッチハイク中寄ってくれた。

家族は彼らを車に乗せてやり、別れた後、家族3人で浜辺に静かにたたずむのだった』

共感を覚える作品だった。

『カサブランカ』

ボクが生まれたころの名作。

ハンフリー・ボガード、イングリッド・バーグマン共演のアメリア映画。

まだ独軍に占領されない仏領モロッコの都カサブランカは、暴虐なナチスの手を

脱れて、リスボンを経由し、アメリカへ行くために、1度は通過しなければならない

寄港地。この町でアメリカ人リークが経営しているナイト・クラブは、それら亡命者

たちの溜り場だった。ナイト・クラブを舞台に繰り広げられる、両名優のラブロマンス。

さすがアメリカ映画の名作との印象。

2012年8月20日 (月)

暑い夏の一日

我が家の裏は海。道路をはさんで20m先は東京湾。

あまりにも暑かったので、近くの海に泳ぎに行った。

我が家の近くには、バイクで15分圏内に海水浴場が3か所ある。

そのうちのひとつ、5分くらいのところにある走水海岸に、暑い日は毎年何度か

泳ぎに行く。

ここは200メートルくらいの小さい浜で、あまり知られてないため人が少なく、

眺めがいい遠浅の浜。家の近くでは一番好きな海。

正面に東京、右に房総半島が望め、木更津の工業地帯が一望できる。

Hasirimizu_003_2

毎年行くと仮設の海の家をやっている漁師のおじいさんに会う。

91歳になったとのことだが元気。何十年もこの場所で海を眺めて過ごしている。

いろいろ話してくれた。『正面にスカイツリーがかすかに見える』、『沖に張ってある

定置網にかかる最近の漁獲』、『群れをなしてやってくるイワシの大群をスズキが

水面に飛び上り捕獲する様子』など。

ボクは写真中央にある岩場の向こうで、シュノーケルをつけて泳ぐ。

潜るといろんな魚がいる。

最も多いのはベラ。縞模様のきれいなベラはたくさんいるが、味があまりよくない

ためか魚屋で見かけることはほとんどない。

そのほかタナゴ、ときどきカサゴ、キス、フグ、カニ。

水がきれいなので、水深2メートル近くは見える。

疲れたら岩場で休みながら、1時間足らず泳いだ。

帰ってシャワーを浴びたあと、ぐっすり昼寝。

2012年8月15日 (水)

終戦記念日

67回目の「8月15日」。

今年も全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれ、戦没者の冥福を祈り、平和への

誓いを新たにした。

12時、テレビの前で、命を落とされた310万人を超える方々に心を込めて黙祷を

捧げた。

昭和20年8月15日、きっと今日と同じように青空で、蝉の鳴き声のうるさい暑い日

だったことだろう。

戦争中のことはおろか、終戦後のことも、幼かったため何ひとつ覚えていない。

朝日新聞が月1回くらいの周期で、読者の声欄で戦争体験談一色の「語りつぐ戦争」

というコラムを掲載している。

投稿者の大半は80歳台の方々。男性の多くは、70年近く前の戦場での体験を

克明に書かれている。

『語りついでおきたい。悲惨な戦争は2度と繰り返してはならない』との強い思いで。

戦争が終わり、世代は2代から3代移ってきた。

8月は沖縄戦、原爆、終戦と悲惨極まりない経験がめぐってくる月である。

2夜続けてNHKスペシャルを観た。

昨夜の第一話は「戦場の軍法会議」。

終戦後、アメリカ主導で行われた主要な戦犯を裁く軍法会議ではなく、戦場で

上官が部下を裁いた軍法会議の実態を描いた番組。

記録された資料のほとんどが焼却処分された中、残されたわずかな資料と証言から

明らかになってきた実態が暴かれていた。

最前線で極限状態に追い詰められ、部隊の中で耐えられなく逃亡した多くの兵士が

戦場で上官により裁かれ、理不尽に処刑された実相が描かれていた。

極限状態で狂気となり、敵味方問わず、虫けら同然に扱われた戦場。70年前に

起きたと同じことが今でも多くの国々で繰り返されている。

番組を観終わったあと、このことを思い、一層心が重くなった。

今夜の第二話は、「終戦~なぜ早く決められなかったのか~」

戦争終局まじかの昭和20年、5月~6月に起きたことを証言を中心に構成。

悪化の一途をたどる戦局、現実を直視し決断する勇気を持つことがなかった

6人の最高指導者、ずるずる時間が経過し破局を迎えていく過程が描かれていた。

決断する最後の機会は、異例であった天皇が招集した6月22日の御前会議。

縦割り・排他意識、職責、共有されない情報、意地、プライド・・・

結局この会議で戦争終局に向けた話し合い、シナリオは作られることがなかった。

挽回は極めて困難、敗戦濃厚であることは全員が承知していたにもかかわらず。

何としても無条件降伏だけは避けたいとの強い思いを持っていた軍部の描いていた

シナリオは本土決戦に持ち込み、米国に最後の一撃を加え、日本軍の降服につなげる。

これにより、和平交渉を少しでも有利に進めることができるだろう、とのはかない思惑。

こうして、早期終戦を決断する最後のチャンスを失った。

22日から3日後、本土の捨て石となった沖縄戦の敗北決定。

広島、長崎原爆投下、ソ連参戦と続き、8月15日降服し、敗戦となった。

終戦前3ヶ月の間に、国内・外地で亡くなった方は60万人。

6月22日の最後のチャンスに決断しておれば、多くの尊い命が救われた。

敗戦後、戦争の総括、責任の所在は軍部自ら手で明確にされることはなかった。

2012年8月14日 (火)

毎年この時期恒例

今日から帰省した人たちのUターンラッシュがはじまった。

まだお盆2日目。そんなに急いで戻らなくてもいいのに、とニュースを観ながら思った。

多くの家族が次に会えるのは、正月か来年のお盆なのに。

ニュースの定番は、故郷の両親が駅で孫を見送る姿。

帰省、Uターンラッシュと無縁になり久しい。

子供たちを連れて、お盆休みに実家の倉敷に帰省していたのは、子供たちが

小学生だったころだから、もう30年くらい前のこと。

当時、飛行機は高嶺の花。700キロ近くを運転して車で帰るなんて思いもしなかった。

ネットで購入なんて、もちろんない時代。駅に行って新幹線の切符を買っていた。

当時、オヤジとオフクロは今の我々夫婦とほぼ同じ年齢。

年に1、2度の帰省を大変楽しみにしてくれていたことだろう。

いま親と同年代となり、当時の両親の気持ちが大変よくわかる。

帰省して、何か特別にやっていたわけではない。

弟、妹3家族が集まり、子供たちを中心にワイワイ過ごしていた。

花火をしたり、スイカを食べたり、子供たちが両親に学校の出来事を話したり、

それだけでみんな十分幸せを感じていた。

弟、妹家族含め、全員で撮った写真が残っているので覚えているが、一度だけ

瀬戸内海の近くのホテルに一晩泊まりで出かけたことがある。

きっとオヤジが全員の費用を出してくれたのだろう。

実家からカミサンの実家までは車で20分。

当然、帰省のたびごとカミサンの実家にも子供たちを連れて行っていた。

こうして、故郷でのお盆休みはあっという間に終わり、仕事が気になり、

毎回数泊でとんぼ返りしていた。

冒頭の『そんなに急いで戻らなくてもいいのに』は、今だから言えることなんだ。

2012年8月13日 (月)

1年ぶりに沖縄の娘宅へ(6-final)

8日間の滞在中、あちこちに行き、孫たちと戯れ、十分満足。

パパが帰ってくる前日、娘たち

行きつけの近くの居酒屋へ。Cimg9056 

いかにも沖縄の田舎の居酒屋。

娘たちは焼酎のボトルを入れていた。

沖縄の味を堪能。

この日は、イオンへ買い物に行き、

孫たちに色々たかられた(笑)

店内で夏休み子どもイベントを

やっていて、乗り物に乗り、大喜び。

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夕方、近所をひとりで散歩。

7時前だったが、明るさは横須賀に比べ30分以上違う。

ハイビスカスがきれいに咲いていた。

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ザワワザワワのさとうきび畑があちこちに。

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パパイヤも珍しくない。

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翌日、飛行場へ行く日の朝、娘の

知り合いの店にマンゴーを買いに行った。Cimg9088_2

いただいたお中元のお返しに

マンゴーを贈ろうと思い、来る前から

考えていた。

娘はお友だちに頼まれて、ここから

20個以上送ったと話していた。

良心的な店で、送料もびっくりする

くらい安かった。

長い沖縄の旅にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2012年8月 9日 (木)

1年ぶりに沖縄の娘宅へ(5)

行ったことがあるとこばかりだったが、娘の家から南方面をカミサンと半日ドライブした。

ボクが沖縄で好きな場所のひとつは、南端近くの知念。

きれいな海と素朴な集落がとてもいい感じ。

知念に行く前、久しぶりに垣花ヒージャへ寄った。

沖縄では、湧水の水源のことをヒージャ(樋川)と呼び、先日ブログに書いたグスク(城)

ウタキ(御嶽)とともに、古くから自然信仰の対象として崇められてきた。

垣花ヒージャに降りていく山道の向かいに垣花グスク城跡があった。

先日訪ねた中城城跡と座喜味城跡とは大違いで遺構はほとんど残っていない。

300以上あるグスクの多くがこのような遺構なんだろう。

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垣花ヒージャへは、山中の坂道を100mくらい下りていく。

Cimg9064 Cimg9065 

下りると湧水の池になっていて、日本名水百選に選ばれたと書かれていた。

いまの時期は、地元の子供づれ家族の格好の遊び場所になっている。

正面にはきれいな海が見えた。

Cimg9066 Cimg9069 

知念の近くのこの場所から見る海も大好き。

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帰り道、魚を買うため娘の家の近くの奥武島(おおじま)に寄った。

奥武島は周囲2キロの小さな島で橋を通して陸続き。

車を停めた近くに、ハーリーでCimg9078 

使われるサバニと呼ばれる伝統漁船が

置かれていた。

ハーリーは初夏の沖縄で、もっとも

活気ある行事で、県内各地の漁港で

レースが繰り広げられる。

今年の奥武島のハーリーに、

娘はお友だちに誘ってもらい参加した、とうれしそうに話していた。

子供たちが6~7メートルある

橋の上から海に飛び込んでいたCimg9079 

ところに出くわした。

話を聞いたら、『ものすごく怖い。

飛び込むまえ怖くてなかなか

飛び出せない。飛び込んだら

ジェットコースターみたい。

飛び込むと魚以外にウミガメや

ウミヘビ、エイなどが泳いでいるのが見える』

Cimg9081 Cimg9082 

この日は夕方パパが仕事から帰ってきた。子どもたちは大喜び。

奥武島で買ってきた魚で、みんなでわいわい夕食。

食後、カードゲームのUNOをやった。妹孫にはまだ難しいが、姉孫はほぼ完全に

理解し、みんなと対等にできるようになった。

2012年8月 5日 (日)

1年ぶりに沖縄の娘宅へ(4)

悲惨な沖縄戦の犠牲になった方々を偲ぶ場所へは、沖縄に行くたびに、これまで

何度も訪れた。

沖縄本島では中部地区、それに娘家族の住む南部地区が激戦地だった。

米軍が沖縄本島に上陸したのは、終戦まじかの45年4月1日。

米軍の作戦目的は日本本土攻略のための航空基地・補給基地の確保であった。

武器弾薬で圧倒的な優勢を誇る米軍の熾烈極まりない攻撃で、日本軍守備隊は

壊滅し、組織的な戦闘は、6月20日に終結した。

たった80日間の戦闘で、日本側の死者数は19万人弱、うち約9万5千人が民間人。

沖縄に初めて行ったころ訪ねたのは、ひめゆりの塔、平和祈念資料館や平和の礎。

その後、本島中南部には沖縄戦史跡がたくさんあることを知り、沖縄に来るたびに、

ひとりで訪ねて回った。

中南部には多くの壕が残っている。

陸軍病院壕、海軍司令部壕などは整備され、見学施設となっている。

壕は沖縄ではガマと呼ばれ、軍事施設でなく住民たちが身を隠したガマもあちこち

に残っている。

娘の家の近くにあるアブチラガマを訪ね、ひとりで暗いガマに入ったときは怖かった。

ひめゆりの塔がある激戦地だった糸満地区には、記念の塔が多く建てられている。

これまでに訪れたのは、犠牲者が祀られている魂魄の塔、健児の塔、白梅の塔など。

横須賀に帰ってきた先週火曜日、レンタカーを返す前にどうしても行きたくて、雨の中

本島最南端の喜屋武(キャン)岬に寄った。

紺碧の海を臨む岬、その手前には風と波で削られた険しい断崖絶壁。

沖縄戦の最期、この美しい海はアメリカの軍艦で埋め尽くされた。

米軍に追いつめられた住民や兵士は、この断崖から次々と身を投げ、海は一面

血に染まったといわれている。

記念碑には、沖縄戦が終結した昭和20年6月20日、第62師団は玉砕したと

記されていた。

Cimg9101 

写真左の平和の塔の裏にはお地蔵さんが祀られていた。

Cimg9094 Cimg9102

67年前、この場所で身を投じた多くの人たちのことを想い、雨の中、大変複雑な

思いで、しばらくたたずんでいた。

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2012年8月 2日 (木)

1年ぶりに沖縄の娘宅へ(3)

沖縄に初めて来たころ、何を見ても興味があったが、最近の興味の

中心は、①沖縄戦に思いを馳せることができる場所を訪ねること、

それと、②琉球の歴史探訪に絞られてきた。

琉球の歴史ということでは、沖縄には9つの世界遺産がある。

そのすべてが琉球王国時代のもの。

そのうち5つはグスク(城)と呼ばれる遺物で、4つはグスク関連施設。

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9つの遺物のうち6箇所は、これまでに行ったことのある場所。

今回、娘から『中部にある中城城跡と座喜味城跡に行ってみては』

と勧められ、2つのグスク跡を訪ねた。

沖縄にはグスクは300以上ある。中でも中城城跡は最も遺構がよく

残っているグスクで、約600年前のもの。

場所は米軍普天間飛行場の近く。

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積まれた石を見ていると、600年前に、周りに海を望むこの丘陵地に

石を運び、積み上げていった人たちに思いがいたった。

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沖縄が本土に復帰した昭和47年5月15日、国が史跡に指定したことを

記した記念碑が建てられていた。

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中城城跡のあと、こちらも娘に勧められた国の重要文化財に指定されて

いる沖縄の古い住居、中村家住宅を観に行った。

280年前に建てられたそうだが、大変良い状態で遺されている。

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お昼は娘がメモに書いてくれた店のひとつの読谷の港にある海人

(うみんちゅ)食堂で、コバルトブルーの海を見ながら、店の前の

テーブルに座り、海鮮丼をいただいた。

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食事を食べたあと、中城グスクと同時代に造られたもうひとつのグスク、

座喜味城跡を訪ねた。

これで、9つの世界遺産のうち、8箇所を訪ねたことになる。

残るは、中部にあるグスク、勝連城跡だけ。

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