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2012年7月

2012年7月28日 (土)

1年ぶりに沖縄の娘宅へ(2)

娘家族の住んでいるアパートは那覇から南に車で30分のところ。

ベランダからリーフの海が遠望できる田舎。

吹く風が心地よく、まさに夏の沖縄。

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着いた翌朝、ラジオ体操があるということで、孫たちについて、近くの集落の公民館へ。

6時20分ころ、姉孫のお友だちのしゅんいち君が寄ってくれて、玄関で「ピンポン」。

ばたばた用意し、歩いて10分少々かかる公民館に行ったが、ラジオ体操は既に

終わっていた。仕方ないので4人でぶらぶら帰る。

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朝食を食べ、妹孫を幼稚園まで送る。

夏休みだが、「お預かり」と称し、9時から夕方まで預かってもらえる。

幼稚園では、お昼を食べて、遊んで昼寝するようで、本人は毎日楽しみに行っている。

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幼稚園に送った帰り道、生産者が持ち込む産直市で買い物。

いろんな種類の野菜があり安い。豊富な野菜が沖縄の人の長寿を支えているのが

わかるような気がする。

ここには花もたくさんの種類があり、沖縄に来て帰るときには毎回花を買って帰る。

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お昼は、産直市で買ってきたもので娘が作ってくれた。

姉孫が書いた「おしらせ」が部屋の扉に貼ってあった。

       ”くつならべかかりからおしらせ”

げんかんにおくくつは2そくまでにしてください!よろしくおねがいします。

    ”かかりかつどうをしよう! まいにちやってママをたすけよう”

              妹孫のかかり

1.おちゃつけかかり、2.はこびかかり、3.つくえふきかかり 

              姉孫のかかり

1.ごはんつけかかり、2.しるものつけかかり、3.くつならべかかり

こういう「おしらせ」を考えることが出来るようになったのは、小学校のおかげ。

ただ、かかりを実行しているのは見たことがない(笑)

表彰状が2枚あった。ひとつは、母の日の図画・作文コンクールでの姉孫の入選表彰。

もうひとつは、娘の「ジュニア野菜ソムリエ」資格認定証。

夕方、妹孫を迎えに幼稚園に行った。

帰るとき、園庭にあるマリア像に必ず「マリア様、じいじをお守りください」とお願いして

くれるのがうれしい。

2012年7月26日 (木)

1年ぶりに沖縄の娘宅へ(1)

火曜日、1年ぶりに沖縄の娘宅へ来た。

娘家族が沖縄に住みはじめて間もなく3年。

2年で帰って来ると言っていたが、帰ってくる様子はまったくない。

ダンナは仕事の関係で本拠地は東京。

3年経って、姉孫は小学校2年生、妹孫は幼稚園の年中組。

娘も子供たちもお友だちがいっぱいでき、おおらかに過ごせる沖縄の田舎で

のびのびと生活している。娘が超多忙なため、この1年間、『来ては』との声が

かからなかった。

今まで来たときは娘宅の車を借りていたが Cimg8944

今回は『レンタカーを借りて』と

レンタカー屋をメールで連絡してきた。

1時に着いたあと飛行場から、レンタカー

屋に電話。空港まで迎えにきてもらい

そのまま、アズレンタカーへ。

とても良心的な店で、しかも安い。

娘がふたりだから、軽でいいんじゃないの、と軽を予約してくれていた。

とりあえず1週間借りて、16,000円。

お勧めのレンタカー屋さんで、今度来たときも予約しますと言い、名刺交換する。

責任者のAさんが『フェイスブックのお友だち登録していいですか?』

どうぞどうぞと答え、夜見ると何と、共通の友だちがひとりいて、びっくり。

小腹がすき、沖縄そばを食べて娘宅へ。

この日の夜は、娘から『わたしとミサキCimg8946

(姉孫)が8時からフラダンスを踊る』と

聞いていた。

娘たちは先に出て、カミサンとボクは

あとから会場のサザンビーチホテルへ。

リゾートホテルのため、駐車場に停まって

いる車は、ほとんどがレンタカーの

”わ”ナンバー。

まず、我々を見つけたのは幼稚園からそのまま来た妹孫のユナ。

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フラダンス歴は姉孫が2年くらい、あとからはじめた娘は1年くらい。

ホテルのエントランス前で、まず子供たちのケーキフラ。

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そのあと先生とママたち2人。先生とは何度か会ったことがある。

娘は上達しているようだった。

次に先生が沖縄のうた「わらびがみ」に合わせ踊った。とても官能的な踊りだった。

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カミサンはiPadでずっと動画と写真を撮っていた。

最後はみんなで踊って、記念写真。


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2012年7月24日 (火)

いのちのミュージアム

カルフォルニアから来ているナオミのことは先日のブログに書いた。

日曜日、ナオミを連れて日野市にある「いのちのミュージアム」を訪ねた。

いのちのミュージアムは日常の中で「いのち」の大切さに思いを巡らせ、

語り、共に表現する場として、息子さんを交通事故で亡くした鈴木共子さん

が3年前に立ち上げたミュージアム。

ナオミが来日する前から、来たら連れて行きたいと思っていた場所だった。

英語を勉強中の鈴木さんには『訪ねたときには英語で説明して』とお願い

しておいた。

場所は、京王線の高幡不動駅からバス。廃校になった小学校の跡を

借りている。

お昼は、これもナオミには記憶に残る経験になるのではと思い、高幡

不動駅構内の立ち食いそばやで食べた。

1時半ころミュージアムへ。

鈴木さんほか皆さん待っていてくださった。

しばらくおしゃべりしたあと、鈴木さんに施設内を案内してもらった。

普通の会話では使わない言葉(例えばいじめ、虐待、飲酒ひき逃げなど)

がいろいろ出てきて、説明には苦労した。

そのたびに鈴木さんは和英変換のポータブル端末で言葉を探し、説明し

ナオミにはしっかり伝わった。

Museum

見学が終わったあと、お茶を飲みながら雑談。

最後にナオミに「いのちのミュージアム」について英語でまとめて欲しい

と頼み、ナオミは『見聞きしたことの印象が薄れないないうちにまとめる』

と了解してくれた。

英語の文章ができたあと、鈴木さんがイラストレーターで装丁しチラシに

することになった。

2012年7月22日 (日)

オセアニア同窓会

現役時代、20数年間、海外に関連した仕事に就いていた。

その中で最も長い間携わっていたのは、3年間の駐在を含め

オーストラリア。

富士通オーストラリア設立間もない1974年、当時31歳で駐在した。

あれからもう38年になる。

富士通そのものが、海外でのコンピュータービジネスの経験がほとんど

なかった黎明期であった。

富士通オーストラリアの従業員も当時70名くらいだったろう。

シドニー、メルボルン、ブリスベーンに事務所があり、エラーメッセージが

日本語で出てくる小型コンピューターの販売をはじめた時期だった。

それからさまざまな紆余曲折を経て、会社は現在に至っている。

先日、かつての職場の仲間から『Oceania reunion(同窓会)をやるので

参加しない?』とお誘いのメールをもらい、即『参加する』と返事した。

木曜日18時半、渋谷のドイツレストランに集合。

オーストラリアから出張で来ていたふたり、クレッグとマークもジョイン。

集まったのは、富士通で海外事業を担当している現役の3人、3人の

かつての上司2人、それにもうひとりは異色、海外担当だったが退職し、

今は都議になっているOくん、それにボクの9人。

とても楽しく、うれしいことをいっぱい聞いた会合だった。

最もうれしかったことは、富士通オーストラリアがすばらしい会社に

なっていること。オーストラリアではIBM、HPに次ぐ第3位のIT企業となり、

売り上げ12億ドル(約1000億円)、従業員は5千人、拠点は40ヶ所。

今や押しも押されぬIT大企業に成長。まさに隔世の感。

クレッグもマークも偉くなっている。クレッグは富士通オーストラリアの

役員、マークはノートンほかセキュリティソフトで著名なシマンティックの

アジア・パシフィックの副社長。

現役3人の後輩たちも統括部長や部長になり、ひとりは世界一の

スピードを誇るスーパーコンピューター京(ケイ)を海外の大学、政府

機関に売っている。

都議のO君も足立区で民主党議員として活躍している。

富士通オーストラリアが大企業になったこととともに、後輩が偉くなり

会社を支えていることに頼もしさをおぼえ、大変うれしかった。

クレッグは一時期東京に駐在したことがあり、家族ぐるみで付き合って

いた。

家を出る前にカミサンから『奥さんのロビンにお土産買ってきたので、

クレッグに渡して』と頼まれた。ふたりの子たちも姉のブリアナが16歳、

弟のジョーダンが12歳になったとのこと。

マーク家族も我が家に来たことがあり、みんなで近くの海岸で

バーベキューをした写真が残っている。奥さんは日本人。

現在家族でシンガポールに住んでいる。マークは日本語ペラペラ。

男の子がふたりいて、上の子は英語、日本語、スペイン語ができ、

下の子は中国語、英語、日本語ができ、家の中で話す言葉はチャンポン

だとマークが笑いながら話していた。

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定年退職し8年。

いまだにこうして声をかけてもらえ、うれしい。

定年後いろんな会合に誘われ参加したが、今回が最も楽しい会合だった。

2012年7月20日 (金)

「ユダヤ人 ユダヤ教 イスラエル」

定期的にやっている大学の寮の仲間の飲み会については、何度か

ブログに書いたことがある。

今年3回目の会合「白陵惜春会」を火曜日におこなった。

5時に有楽町の帝劇地下の大学のクラブに8人が集まった。ボクは万年幹事。

今回は体調不良ほかで、いつもよりいくぶん少ない参加者だったが

大いに盛り上がった。

毎回スピーカーを持ち回りにし、話すテーマはスピーカーが随意に決める。

今回は1年先輩のMさん。テーマは「ユダヤ人 ユダヤ教 イスラエル」

今年3月、イスラエルへ8日間のツアー旅行に参加し、旅行中に得た知見、

感想、およびその後書物で得られた知識が披露された。

予想通り、大変興味深い内容で、個人的にはこれまで曖昧だった知識が

整理された感じ。

ユダヤ人のすごさに感銘を受けた。

以下、スピーチのポイント。

ユダヤ人を創造したのはキリスト教徒であり、近代国家の中に完全に

同化され得たにもかかわらず、各国家が同化することを望まない民族

であった。

ユダヤ人の総人口は13~14百万人、世界の人口比率の0.35%

そのうち、イスラエル、アメリカにそれぞれ530万人、あわせると両国に

80%が在住する。

過去2千年にのぼる歴史を持つユダヤ人は、キリスト教国で差別され、

迫害され、居住を制限され、スケープゴートとして扱われてきた歴史を持つ。

2千年の長きにわたりヨーロッパ各地に離散したユダヤ人が、その地の

民族と同化し消滅することなく存続し得たのは、

①神に選ばれた選民意識、②差別、蔑視されたことが同胞意識を強固に

したこと、③地上に神の国を実現し、故郷パレスチナに復帰できる希望を

持ち続けたこと。

少数民族であるユダヤ人の知性が優れていることは周知の事実。

特にノーベル賞受賞者の多さ。

学問、思想、芸術分野で卓越した才能を持った人たちを多数輩出。

ユダヤ民族の説明のあと、地図を使って、ユダヤ教、イスラエル、

エルサレム、死海について説明があった。

スピーチが終わったあと、質問多発。

「いい勉強をさせてもらった」という感じでスピーチは終了。

終わったあと、原発問題で大いに盛り上がった。

参加者8名のうち、原発ゼッタイ反対はボク含め3人。意外だった。

そのあと、高松のMくんが送ってきてくれたDVD、加藤登紀子の

日本寮歌集の「瀬戸の浦波(神戸商業大学予科逍遥歌)」と

「北帰行(もとは旧制旅順高等学校逍遥歌)」をみんなで聴いた。

関西グループが計画してくれている来年の旅行の話も話題となった。

5時からはじまった会合が終わったのは9時前。

この日の夜も我々グループが最後まで残った。

2012年7月18日 (水)

カルフォルニアからの来訪者

25年くらい前職場が同じで、今はカルフォルニアに住んでいる小林くんの

ことは何度もブログに書いた。

奥さんのキャサリンとの間には3人のお嬢さんがいる。

長女のナオミはミシガン大学の4年生。アメリカの大学では4年生になると

インターンシップ(企業研修)が必須。

3ヶ月くらい前、小林くんから『インターンシップはアメリカの企業でも

受け入れてもらえるが、いい機会なので日本の企業のどこかを紹介して

もらえないだろうか』と相談のメールが届いた。

定年退職前に在籍していた富士通の関係会社の社長のKさんにメールを

送り、受け入れてはもらえないだろうかと聞いてみた。

Kさんから即返事があり、『受け入れる方向で検討してみる』

このような経緯を経て、ナオミのインターンシップは7月2日よりはじまった。

来る前に『来たら、週末に一晩泊まりで我が家においで』と連絡しておいた。

一昨日日曜日お昼、カミサンと

一緒に横浜駅でナオミと待ち合わせ。Cimg8934

21歳のナオミはきっといっぱい

食べるだろうと思い、久しぶりに

横浜駅地下の和食バイキングの

店へ。

ナオミは並べられていた料理を

見て、”pretty”

食事のあと、カミサンが買いたいものがあるということで、3人で東急

ハンズへ。

家に着いたら3人とも疲れて、シャワーを浴びて、全員昼寝。

目が覚めたあと、3人でおしゃべり。

ナオミがいろいろ話してくれた。

ミシガン大学のこと、大学のある街の話、ボーイフレンド、部活、就職、

家族、インターンシップ・・・

夜はちょうど町内のお祭りだったので連れて行った。

お祭りで、我が家のとなりのサンディエゴから来ている家族に会い、

話が盛り上がった。

翌日はまったり、お茶を飲みながらおしゃべりの続き。

昼は海の近くの和食の店で食べて、海岸をぶらぶら歩き、ナオミは

4時ころ帰った。

若さと元気いっぱいのナオミに、2日間、我々夫婦は大いに英気をもらった。

2012年7月17日 (火)

ヨコスカをよくする会

横須賀では3年前に市長選挙があり、応援した弁護士のGさんは惜しくも敗退。

それをきっかけに、Gさんと知り合いになり、数か月に1度のペースで開催される

Gさんが主宰する「ヨコスカをよくする会」のシンポジウムに毎回参加するように

している。

1週間前の日曜日、テーマ、「市民の声でこの街の活性化を ~どうしたらストップ

できる横須賀の人口減少~」を考えるシンポジウムがあった。

参加者は約50人。

檀上での発言者は子育て中の母親、商店街代表、地元不動産業者、神奈川新聞記者、

ハローワーク関係、さまざまな視点から問題提起ができる人たちで論点も明解であった。

横須賀市は神奈川県内の主要市町の中で最も人口減少が進んでいて、高齢化率も

空家の数もトップクラスと聞き、ショックであった。

根っこにある問題は、雇用を支えてきた企業の撤退。

関東自動車工業、住友重機、日立、日産自動車、富士電機など大企業の撤退に伴い

下請け中小企業も横須賀の地を離れていった。 それにより若年層の仕事の場が減り

市外への流出が加速している。深刻な事態が進んでいることをあらためて認識した。

現在人口は41万5千人。年々3千人以上が減り続けているそうだ。

有効求人倍率の低さ(横須賀0.31、神奈川県0.56)、学童保育料金の高さは

国内でトップクラス、いずれもショックな数字である。

意見発表後、質問の時間があった。

横須賀に注目し、「人口減時代」特集を担当した、意見発表者の神奈川新聞社の

T記者に質問した。

『これまで、横浜、川崎、相模原に次いで人口4位だった横須賀は、今年4月

僅差ではあるものの、藤沢市に抜かれた。上り調子の藤沢市と下り調子の横須賀市、

Tさんは藤沢市のどこが横須賀市に比べすぐれていると思いますか』と質問した。

Tさんの返事は『地形の違いが大きい。平坦な藤沢と山地の多い横須賀。デベロッパー

としては藤沢の方に魅力を感じ宅地開発は進めていく。通勤も藤沢の方がまさって

いるのでは。おそらくこれから藤沢と横須賀の差はもっと開いていくのでは』

この話もショック。

海があり山があり、食べ物も豊富で美味しく、1時間あれば都心に出られる、34年間

住んでいる大好きな横須賀。

何としても、これ以上地盤沈下しないことを願うばかり。

2012年7月16日 (月)

映画「崖っぷちの男」

評を見て、面白そうだと思い観たサスペンス映画。

ニューヨークにあるルーズベルトホテルの21階。窓の外のわずかな壁面の

出っ張りに立つ男。

マスコミややじ馬がごった返す中、いつ飛び降りるかわからない男の一挙一動が

緊迫感をあおる。

彼を説得する交渉人として男が指名した女性刑事との駆け引き。

その過程で男の正体と事情が浮かび上がってくる。

また同時に彼が横領したとされる30億円のダイヤモンドをめぐって、裏で動いて

いる若い男と女・・・

ニューヨークを舞台にした、まさにアメリカ映画らしいアクション・サスペンス。

「崖っぷちの男」の公式サイトはこちら

2012年7月13日 (金)

ラジオ英語講座

4月からNHKラジオの英語講座を聞きはじめた。

4月は初めてだったので、様子がよくわからず、2講座のテキストを買い

チャレンジ。「実践ビジネス英語」と「攻略!英語リスニング」

聴いてるうちに、「攻略!英語リスニング」はついていけないと感じはじめ

6月以降は「実践ビジネス英語」だけにした。

週に3回、水曜~金曜昼過ぎ15分間、再放送が同じく水曜~金曜の夜。

3回分をまとめて、土曜日午前に45分間。

3回聴くチャンスはあるものの、他の予定と重なったり、さぼったりで

3回フルに聴いたことはまだない。

ビジネス英語と言っても、ビジネスに直結した内容ではない。

先週、今週続いているテーマは”Silent Auction”

”Silent Auction”、初めて聞くことばだが、アメリカでは珍しくない

オークションだそうだ。

5月~6月のテーマは「スピンオフ」、「職場での大失敗」、「マンハッタン

に住む」など、テーマも興味深い。

予習をしておけばいいのだが、ついついさぼってしい、ケータイに登録

している放送の3分前にアラームが鳴り、『あっ、そうだ』と思うことが多い。

考えてみると、ボクは英語は会社に育ててもらったという感じがする。

きっかけは、希望して、31歳のときにオーストラリアに3年間駐在。

帰国後も20年くらい、海外に関連した仕事に携わった。

韓国に関係した時期が3年くらいあり、韓国語を勉強しようと思ったものの

思いは頓挫し、単語と表現で今でも覚えているのは100くらいだろうか。

10年以上前、勤務していた富士通ではこれからは英語力が必須との

ことから、会社負担で全従業員に英語の能力試験TOEICを受験させた。

定年退職直前にも受験のチャンスがあり2度受けた。

1回目は自分でも驚いたが830点取れた。

2度目の受験ではTOEICは集中力と体力の勝負であることを思い知った。

時間不足で1回目より60~70点低かったと思う。

30~40歳代には英検を3度受験した。

1級2度、その後できた準1級1度、3回とも1次試験がパスできず、

その後、英検にはチャレンジする気持ちが失せた。

2012年7月 9日 (月)

法務大臣面談

犯罪被害者団体ネットワークの事務局メンバーとして活動していることは

何度かブログに書いた。

奈良で交通事故問題に取り組んでいる10年来の知り合いの女性のKさん

から『地元選出の滝法務大臣に面談する機会があり、同席して犯罪被害者

団体ネットワークが12月に開催する全国大会を法務大臣に紹介しては

どうですか』とのお誘いがあり、法務大臣に直接会って説明できるのは

千載一遇のチャンスなので、即OKした。

面談は金曜日4時。20分前に法務省のビルの1階ロビーでKさんと待ち

合わせ。

すべてが初めての体験。

ビルに入る前に面談者と訪問用件を聞かれた。名前を言い、『4時に

法務大臣面談』と答えると、大臣の予定表を見て、『はい、どうぞ』

面談に同席するということで、NHKの解説委員と奈良新聞の記者を

紹介された。

大臣室に入る前に控え室に案内された。

滝 実大臣は先月の内閣改造で副大臣から昇格。

そのため、控え室にはたくさんの胡蝶蘭が飾ってあった。

4時定刻に大臣室の担当者に案内されて大臣室へ。

何度かテレビで見た方だった。

先ずKさんが時間を取ってもらったことにお礼を言い、用意した資料を説明。

次いで、ボクの方から犯罪被害者団体ネットワークの活動のあらまし及び

12月の全国大会の趣旨と企画を5分くらいで説明し、最後に、ぜひ法務省

からしかるべき方の大会への参加をお願いします、と要請した。

大臣は落ち着いた雰囲気で説明を聞いてくださった。

次から次に難しい判断を求められる案件がある中、大臣としてもホッとした

気持ちで聞ける話であったのだろう。

Kさんはずっと以前から滝大臣とはコネクションがあり、しばらく地元奈良の

話題が続いた。

大臣がKさんに『なかなか地元に帰る機会がなくなりました。駅立ちも

戸別訪問も難しくなりました』と笑いながら話された。

話の端々に誠実そうな人柄がにじみ出ていた。

結局、面談時間は25分。

最後に、『どうぞ活動を見守ってください』とお願いし、終わった。

大臣がドアまで来て送って下さって、お礼を言い、大臣室を後にした。

2012年7月 6日 (金)

ジャカランダの花

ジャカランダは熱帯、亜熱帯に咲く世界3大花木のひとつ。藤紫色の花が

とっても美しく、我々夫婦はその涼やかな葉っぱとともに大好きな花。

ジャカランダのことはブログでも何度も書いた。

我々が初めてジャカランダを見て知ったのはオーストラリアに駐在したとき

だから、もう35年以上前。感激する美しさだった。

南半球のオーストラリアでは11月後半に満開になり、ちょうどその時期、

学生の試験シーズンであるため、学生には好まれない花であると聞いた

ことを覚えている。

4年前カルフォルニアに旅行したときにもあちこちで見て、感激した。

Rimg0356

そのジャカランダの木が我が家の近くの神奈川歯科大のキャンパスに

あるのを知ったのは、5年くらい前。

縁あって、思い入れを持ってジャカランダを見守って育てているW先生に

お会いした。

先生から発芽した苗をふたついただいたのは3年半くらい前。

Rimg0068

その苗がやっとここまで育ってきた。

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ちょうど満開の時期ではと思い、一昨日神奈川歯科大に観に行った。

神奈川歯科大にジャカランダがあることを知る人が増えたようで、去年

まではなかったことだが、入門の際、守衛所で記名するようになっていて、

びっくりした。

キャンパス内には大きなジャカランダの木が何本かあるが、キャンパスの

中央近くにある木が一番花をつけることで知られている。

ただ、今年の花のつき方は極めて悪く、一番上に小さな花がわずか

ついているだけで、残念だった。

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我が家のジャカランダの生育状況の報告もかねて、W先生の研究室に

行ったが、先生は不在。

帰るとき守衛所で聞いてみた。

今年は今くらいの花の付き具合で、もうこれで終わりだろうとのこと。

先日熱海に行ったとき見た、熱海のジャカランダは今年はどうだった

のだろうか。

2012年7月 3日 (火)

息子の仲間来訪

息子が23歳で亡くなって17年前が過ぎた。

日曜日、今年も命日前に同期入社の仲間4人が我が家に寄ってくれた。

息子が亡くなったのは大学卒業3ヶ月後だったため、彼らと一緒だった

のは、たった3ヶ月。

なのに、長い時間が経っても集まってくれることに、毎年夫婦で感激する。

毎年6人で来てくれるが、今年は2人が都合がつかず。公私ともに

多忙な年代、もちろんやむ得ない。

ただ今年は新しい来訪者があった。

1月に女性のTさんに赤ちゃんができ、『どうしても見せたい』と連れて

きてくれた。マナミちゃん、泣かず、ぐずらず、とってもいい子だった。

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毎年、夕方に集まり夜遅くまで延々とワイワイやっていたが、今年は

昼1時集合。

『おかまいなく』とメールがあり、お茶と甘いものに果物、がらりと変わり、

カミサンは助かった。

みんな職場ではそれぞれ部下がいる中堅管理職。

どうしても仕事の話が中心となる。

昨年度、会社の業績が好転したことはボクも知っていた。

2時間近くいろんな話題が出て、マナミちゃんがいるため、お開きになり

去年建てた、我が家から歩いて20分の墓にみんなで参ってくれた。

墓には時々参ってくれている仲間もいると聞き、感激した。

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