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2012年4月

2012年4月27日 (金)

映画「ひろしま」

わが街、横須賀には米海軍基地があり、4年前からふたつの原子炉を積む原子力

空母「ジョージ・ワシントン」が寄港地としている。

大地震、大津波に見舞われたとき、原子力空母は本当に大丈夫なのか、原子力

空母の母港化への反対運動は寄港が決まって以来ずっと続いている。

この運動を推進しているグループの方から案内をもらい、映画「ひろしま」を観てきた。

映画「ひろしま」は終戦から8年後の1953年に作られた。

当時、一般館での上映は許されず、広く国民が目にすることはなかった。

映画「ひろしま」を国内はもとより、世界中の人たちに観てもらおうと運動を進めて

いる団体の肝いりで今回の上映は決まった。

映画が終わったあと、当運動を進めている責任者の方が、「ひろしま」にまつわる

話をいろいろしてくださった。

映画は日本教職員組合が、全国の組合員からひとりあたり50円のカンパを募り、

2400万円を集めて作られたとのこと。

被爆者含め約9万人の一般市民が、手弁当のエキストラで参加し撮影は行われた。

「ひろしま」の原作は、手記「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」。

「原爆の子」は、新藤兼人監督により映画化され、1952年に公開された。

「原爆の子」は小学生のとき、学校から観に行った記憶がかすかにある。

「ひろしま」の評には、原爆投下後の広島を描いた映画の中で、一番真実に近く、

迫真性に富んでいる、と書かれている。

目を覆いたくなるような場面が繰り返し繰り返しスクリーンに映し出された。

被爆者たちと9万人の市民が製作協力および出演して作られた、日本映画史上に

例のないこの作品は、核兵器廃絶と平和への強い希求と願いの発露である。

映画は当然白黒、画面も小さく、映像の状態は悪く、音のこもった感じも仕方ない。

現在日本には「ひろいま」のオリジナルプリントは2本しかないそうだ。

寄付を募ってデジタルマスター化する動きがあるとのこと。

福島原発事故で苦悩している我々日本人のみならず、核兵器廃絶に向けて前進

していくためにも、世界中の人たちに観てもらいたい映画である。

2012年4月25日 (水)

信じられない出会い

昨夜、沖縄の那覇に住む上間さんという方が書いてくださった下記のブログの

コメントを読んで、カミサンともどもビックリした。

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はじめまして。

偶然、このブログを拝見させて頂きました。

ブログの中で、上間のおじいさんとお会いしたそうですが

私のおじいちゃんです。

長い間、入院してましたが、5年前?くらいに亡くなりました。

ブログで、久しぶりにおじいちゃんを見れて感激しました。

今は、少し改装して民宿にしていますよ。

私達は、那覇住みで、予約が入った時のみ、民宿を開放しています。

良かったら、また、遊びに来てくださいね。

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こんなことってあるんだ、という気持ちでコメントを読んだ。

1999年、仕事で沖縄に行った。2度目の沖縄で、このときはカミサンを連れて行き、

仕事が終わったあと、休暇を取り延泊し、車で沖縄を回った。

本部(もとぶ)方面に行った折り、通った瀬底島の美しさに魅せられた。

定年退職したあと、2度娘夫婦と一緒に沖縄を旅行した。

今は沖縄に住む彼らが沖縄に移る前のことである。

先ず、6年5月、7年ぶりに沖縄に行った折り、どうしてももう一度あの美しかった

瀬底島を訪ねたく足を運んだ。

99年に瀬底島に行ったとき、ひとりの年配の男性にお会いし、色々お話した。

7年後の6年5月、瀬底島を再訪したとき、ひょっとしたらあのおじいさんに会える

かもしれないと思い、うろ覚えではあったが、そのお宅を訪ねた。ラッキーにも

そのおじいさんである上間さんに再会できた。

再会できたことは、6年5月のブログ「沖縄の旅(感激の出会い)」に書いた。

昨日ブログにコメントを書いてくださったのは、上間さんのお孫さんだったのだ。

実は、それから2年4ヵ月後の8年9月に、また娘夫婦たちと一緒に沖縄へ行った。

そのときもまた瀬底島に行き、上間さんのお宅を訪ねた。

お宅の表札は上間さんではなくなっていて、家の雰囲気も2年前とは違っていた。

2年前94歳だった上間さんは、お亡くなりになったのかもしれないと思った。

このときのことは8年9月のブログ「沖縄の旅(きれいな海に感激)」に書いた。

お孫さんが書かれている、上間さんが5年くらい前に亡くなられた、とも符合する。

このとき、もうひとつショックだったのは、あの自然豊かな美しい瀬底島に開発の

手が入り、ホテルが建設されつつあったことで、これには少々失望した。

2012年4月22日 (日)

テニスチーム対抗戦

今日日曜日、朝9時からテニスクラブで、春・秋恒例のチーム対抗戦があった。

クラブのメンバーは100名ちょっと。今日は1/3の33名(内女性12名)が参加した。

毎回世話役は前回最下位のチームと決まっている。

次回の世話役を免れたく、チームはみな一生懸命になる。

各自くじを引いて、世話役グループが作った組み合わせ表に従い試合は進められる。

毎回感心するが、今回も組み合わせ表が見事に作られていた。

参加者が33名という難しい数字で、男性・女性の数を考え、男子ダブルス、ミックス

ダブルスで、各自が4ゲーム参加できるよう、3つのコートをうまく使い、組み合わせが

作られていた。ボクにはとても考えられない。

試合の方は、チームにあまり貢献できる結果が残せなかった。

ただ、25年近く一緒にやってきた仲間も少なくなく、ワイワイ言いながら今日も楽しく

やった。

所属チームは5チーム中2位で、次回の世話役は今回も免れた。

全ゲームが終わったのは2時過ぎ。

心配した雨は途中ぱらついた程度で、全員最後までできた。

参加費500円で、お弁当がついて参加賞がもらえ、気の置けない仲間たちと5時間

遊べ、心地よい時間を過ごすことができ、ハピーな気持ちで帰宅した。

2012年4月21日 (土)

映画「マーガレット・サッチャー」 鉄の女の涙

上映がはじまったときから、ぜひ観たいと思っていた作品。

結局、観に行ったのは横須賀での最終日の最終回。あやうく観ないまま終わって

しまうところだった。

観たあとの感想は、『よかった!ぎりぎり間に合って』

定年後、たくさんの映画を観てきたが、その中で間違いなくベスト3に入る。

この作品で再度のアカデミー主演女優賞を取った主演のメリル・ストリープは

最高の演技だった。アメリカ女優のメリルは英国初の女性首相になりきった。

元首相のスピーチを音楽のように聴き続け、音色や抑揚を体に沁み込ませた

そうだ。

作品は「鉄の女」を生身の妻や母として描き、その苦悩に寄り添い、特に最愛の夫

デニスとのあふれる愛は感動的だった。

そのデニスは既に亡くなり、86歳の元首相は認知症を患う身。

最後に近い場面で、デニスの遺品を手に取り彼女は、『あなたは幸せだった?』

とつぶやく。ジーンときた。

ラストシーンも大変よかった。ラストシーンがすばらしいと思える映画は数多くない。

国民に愛され、同じくらい憎まれた人だった。英国病と呼ばれる衰退は止めたが

溝を深めた社会は荒れた。

サッチャー首相の在任期間は11年に及んだ。栄光と挫折の11年。

冷戦が終わる激動期とも重なる。

翻って、1年交代の日本の首相。ふんばりのなさに、情けなさを感じる。

作品のあらすじ・解説はこちら

白陵惜春会

「白陵惜春会」は大学の寮の仲間の集まりで、ブログにも何度か書いたことがある。

今週火曜日、今年2回目の会合・会食があった。

教養課程の1年半、姫路にあった寮で寝食をともにした仲間だから、もうちょうど

50年、半世紀前に出会った仲間たちである。

一緒に青春時代を謳歌し、みな40年間くらい働き、今はみんな定年退職した身。

旧制姫路高等学校の汚い寮で、一緒にバンカラ生活をしていた仲間たち。

寮の名称「白陵寮」の白陵と、寮歌の一節の「惜春」から「白陵惜春会」と命名し、

年に4回、有楽町の帝国劇場の地下にある大学の倶楽部に集まっている。

ボクは万年幹事。

今回は遠来の参加者2名(シカゴからT君、高松からM君)を交え、参加者は13名。

参加者の持ち回りで、テーマは発表者の随意で、毎回スピーチの時間を設けている。

今回のスピーカーはシカゴから参加してくれたT君。

テーマは、『霊は存在する~その具体例から実体を考える~』 

大変興味深い話だった。

「霊の存在」に触れる前段の話として、人間の体は電気で満ちていること、

地球も電気を持っていることから説きほぐし、健康のためには体はプラスに保つ

ことが大切であり(マイナスは免疫力を弱める)、Phを決める要因は食べ物、気分、

考え方などとのこと。

特に大切なことは「ポジティブ思考」、「プラスに考えること」

体の電気は死とともに体から抜け、これが霊となる。

霊は我々の周りに存在し、現実界と霊界の間に立ち、霊とやりとりができる能力の

ことを霊能といい、世の中には霊能を持った人がいる。

霊は寂しがり屋で、引っ張り込んで助けを求める。

話の締めは「何か感じたら、霊の影響ではないか、と考えてみては?」

多くの質問、意見が出て話は大いに盛り上がった。

その他の話題は、平成5年にNHKが制作・放映した番組、「白陵寮70周年記念祭

~旧制姫路高校 嗚呼白陵~」のビデオをSさんが持ってきてくれて、みんなで鑑賞。

1時間以上の番組で少々冗長なところがあったが、学舎に加え、教養課程で教わった

先生、旧制姫路高等学校の卒業生(竹村健一、浦山桐郎ほか)などが登場。
 
今回もまた旅行の話が出た。

次回の旅行は関西のグループにアレンジをお願いし、西方面に行けないもの

だろうかとの意見が出た。

霊の話を聞いたあとだったので、スピリチュアル関連ということで、例えば伊勢神宮

熊野古道が候補として挙がった。

次回の関西の会合で議論してもらうことをお願いすることにした。

最後に恒例となった写真を撮って、5時にはじまった会合は9時前にお開きになった。

2012年4月18日 (水)

フェイスブックがきっかけで

昨日、フェイスブックで再会した女性のMさんと新宿で会い、ランチをご一緒した。

街で通りすがりに会っても認識できるかどうか、というくらいの年月が経っていた。

会ってすぐ、『最後に会ったのは何年前だろう』という話になった。

お互い年数を繰ってみて、『たぶん11年ぶりだろう』ということになった。

Mさんは元々は九州の人。当時密に交流していたシニアネットワークを主宰していた

Kさんを通して知り合った。

当時の話を皮切りに、Mさんからその後の話、近況をいろいろ聞いた。

ボクの近況はブログを見てくれていて、話すまでもなくという感じだった。

Mさんの今の職場は、スマートフォンのアプリの開発をやっているUnited Books

という会社。

United Booksはもともと書籍出版事業からスタートした会社だったとのこと。

出版事業を取り巻く環境が極めて厳しいことは、しばしば話題になる。

United Booksは出版事業で培ってきたことをベースに、スマートフォンのアプリの

開発に軸足を移している。

出版業界の川上である出版社から川下である書店を取り巻く厳しい状況を聞き、

あらためて業界の厳しさを認識した。

ボクはスマートフォンを持っていないが、Mさんに画面を見せてもらいながら話を

聞き、論評はできた。

United Booksのサイトを見ていただけばわかるが、United Booksの制作した作品の

何点もが、アップルストアの上位にランク付けされている。

大変な数のアプリの中、総合ランキングで3位に入っている作品も2つある。

どの作品も通勤時間、待ち合わせ時間などスキマ時間に読むにはぴったりの

読み物である。

ただ、スマートフォンのアプリビジネスは利幅の薄いビジネスのようである。

ひとつのアプリの値段は85円、そのうち30%はアップルの取り分。

1000回ダウンロードされても、売上げは6万円弱。

今更ではあるが、薄利でも自然に周辺が集まってきて、彼らが代わって稼いで

くれるビジネスモデルを作り上げたアップルのスゴサに、ただただ感嘆。

Mさんが何度も、『ランクに一喜一憂する薄利多売の世界です』と話していた。

『その中で、楽しくやっています』とも言っていた。

楽しく仕事がやれることは何にも増していいことだ。

お昼を食べた天ぷら屋のテーブルを1時間半近くふたりで占拠し、これまで

まったく縁のなかった興味のある話が聞け、とても心地よい時間が過ごせた。

『新宿方面に出かけてきた時には、また会いましょう』と言い、別れた。

2012年4月15日 (日)

法事で帰省

金曜日、親戚の法事で、カミサンと郷里の倉敷に1泊で帰省した。

午前のANA便で岡山空港へ。

話題のボーイング787。787は昨年11月、羽田ー岡山路線で国内初就航した。

着いて食事をしたあと、弟宅へ行き車を借り、ちょうど1年前から、91歳になる

オフクロがお世話になっている施設へ。

有料の老人ホームで、職員さんたちに心のこもった世話をしてもらっていて、

仲間もでき、心地よく過ごしている。

職員さんの許可を得て、オフクロを連れて墓参りに出かけた。

墓は施設から車で15分。

平素、弟、妹たちが面倒をみてくれていて、墓はきれいに掃除されていた。

オヤジのお参りをして、墓地を管理するお寺の満開の桜をしばらく3人で愛でた。

オフクロを一度施設に送り返し、我々は帰省時の定宿となっているビジネスイン

倉敷で小休止。

ビジネスイン倉敷は、倉敷にちょっとした旅行をする人にはうってつけの宿。

倉敷駅から徒歩15分、美観地区と呼ばれる倉敷の観光中心地も徒歩圏内。

駐車場が広く、何と言ってもうれしいのは美味しい朝食。ツィンで8千円もお値ごろ。

夕方、再度施設に行き、オフクロを食事に連れ出した。

何がいいだろうかと考え、高齢者施設ではまず食べることがないだろうと思い

焼肉屋へ。『美味しい、美味しい』と食べてくれ、こちらまでうれしくなった。

帰りは施設まで車で20分くらい。連れて帰って、『今夜何を食べた?』と聞いても、

もう覚えていない。最近は1分前の記憶すらない。

このような状態ではあるが、感謝する気持ち、心配り、うれしい気持ち・ありがたく

思う気持ちは、まったく問題なく表現できる。

本人は何度も、『刹那、刹那が気持ちよく過ごせれば、それでいい』と言っていた。

91歳、たしかにそれでいい。

翌日は10時から法事。

住職さんが丁寧に1時間以上かけてお経を上げて、それにお経の前後、故人を

思う家族の琴線に触れるような、とてもすばらしいお話をしてくださった。

お墓でみんなで亡き人を偲び、住職さんにも入っていただき、家で会食。

手料理のすばらしい会食膳をいただき、みんなで大いに盛り上がった。

たった1泊の帰省であったが、やりたかったことがいろいろできた2日間だった。

2012年4月12日 (木)

カンボジャへの思い(2)

3月20日のブログ「カンボジャへの思い」で、8年前定年退職した直後、JICA

(国際協力機構)の仕事で2ヶ月間カンボジャに行き、「アジアの中で最貧国である

カンボジャが今後社会インフラを整備し構築してゆく上で、情報通信技術をいかに

活用していけばよいかを調査し、提言をまとめる」仕事に従事したことを書いた。

あわせて、4年くらい前、熱海に行った折、熱海の国際交流協会がカンボジャに

学校を造るという活動をはじめたことを知り、寄付させてもらったことも書いた。

出来上がった学校の関係者が先日来日し、お礼と活動報告会があり参加した。

報告会を主催したのは、脚本家の小山内美江子さんが代表である認定NPO法人

「JHP・学校を作る会」

会合の参加者は80人くらいだったが、知ってる人はゼロ。

「JHP・学校を作る会」の現地プノンペン事務所から、責任者の日本人と3名の

カンボジャ人スタッフが来日し、カンボジャの歴史からはじまり、学校建設

プロジェクトが詳しく紹介された。

1993年、「JHP・学校を作る会」はカンボジャで学校造りをはじめ、これまでに

280棟を建設してきたとのこと。

写真を使いながら、学校建設の流れが細かく説明された。

野原に建てられた屋根と柱だけの粗末な校舎が多いようであるが、嬉々とした

表情で勉強している子供たちの写真には胸を打たれた。学校が出来る前は

子供たちには教育の機会がほとんど与えられていなかったそうである。

質疑応答があり、そのあと軽食の立食懇親会が行われた。

誰も知った人がいなく手持ち無沙汰にしていたら、質疑の時間にボクの聞いた

質問と意見について話をしたいと女性が声をかけてくれ、彼女から「JHP・学校を

作る会」の活動をより詳しく聞くことができた。

『熱海の国際交流協会の寄付で出来た学校を見に行きたいと思っている』と

彼女に話したら、会の事務局長とプノンペン事務所の責任者を紹介された。

ふたりから『ぜひ行って見て欲しい。学校はプノンペン市内から100kmくらい離れた

ところにあるので、車で案内します』と言われた。

『子供たちが休みでない時期に行きたい』と言うと、『夏休みが6月から9月まで

なので』とのことで、雨季の治まる10月に行くことにした。

退席する前、小山内美江子さんにもご挨拶した。

81歳とのこと、お元気さと明るさ、ガッツに感激した。

2012年4月10日 (火)

水彩画二人展

もう10日前になってしまった。

会社の2年先輩の斎藤さんからフェイスブックで連絡をいただいた奥様との二人展

見せていただくため、ギャラリー吉祥寺にお邪魔した。

ちょうど娘と孫たちが来ていたときと重なり、お邪魔したのは最終日になってしまった。

斎藤さんは一時期上司で、当時勤務していた富士通で、その厳しさからNHKにも

取り上げられた管理職試験のボクの指導官だった。もう30年前の話。

ご夫婦で水彩画を描かれていることは知っていて、今回初めて展示会にお邪魔した。

先ずの印象は、ご夫婦で同じ趣味を持ち、それぞれ目指すところがあり、切磋琢磨

されながら、より進化を求めておられる姿勢に敬服した。

ご夫妻それぞれの描き方で描かれた絵はすばらしいものばかりだった。

出展しているものは手持ちの1/10くらいだろうと言われていた。

以下、特に気に入った作品をいくつか。

上のふたつは斎藤さんの作でモンサンミシェルと安曇野、その下は奥さんの作品で

ひめさくら。

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斎藤さんご夫妻の二人展は今回で3回目。

斎藤さんは『これまでの2回より一層進化したと思う。水面の描き方ひとつとっても

かなり進歩した』と言われていた。

1週間の展覧会の間、元社長、元役員ほか富士通の関係者が多く来訪し、大盛況

だったとのこと。

ボクが行ってる間にも長い間会ってなかったKさん、Uさんご夫妻に会うことができた。

まだ現役のKさんからは最近の会社の状況をいろいろ聞いた。

P1050127 

結局、ギャラリーには2時間近くいた。

2012年4月 8日 (日)

孫たち in Yokosuka

先々週の金曜日夕方、小田原から横須賀に帰ってきた。

夕食後、孫たちが大好きなカードゲームのUNOをこの日もみんなでやった。

UNOに興じた姉孫だったが、寝かせようとした娘が『熱がある』と言い、熱を測ったら

38度5分あった。『インフルエンザだ。明日朝お医者さんに行こう』と言い、寝かせた。

翌朝一番で、我々夫婦の主治医のクリニックの先生に診てもらった。

やはり診断はインフルエンザB型。タミフルを処方してもらった。

娘は久しぶりの帰省で、この日から毎日お友だちに会うスケジュールを入れていたが

キャンセル。

一番残念だったのは、出張から帰ってくる娘のダンナと一緒に、火曜日ダンナの

実家に全員で行く予定にしていたが、行けなくなったこと。

結局、ダンナがひとりで行き、ダンナの両親と孫たちはパソコン電話のスカイプで

カメラを通して会話をした。

姉孫は水曜日には熱が下がり元気になった。

元気になると、娘は会う予定にしていた

友だちに連絡をとり、早速出かけ、Cimg8797

夜遅くまで帰ってこなかった。

木曜日はボクの誕生日。

手巻き寿司で家族全員に

祝ってもらった。

娘からは、孫たちも一緒に選んでくれた

シャツのプレゼント。

  Cimg8799   Cimg8802

バースデイケーキは、となりのアメリカ人家族の息子のクーパーの3歳の誕生日が

たまたま前日で、手作りケーキをもらっていて、それをバースデイケーキでいただいた。

翌日、お返しに娘が沖縄のチンスコと孫たちが書いたバースデイカードを持って

となりを訪ねた。

そのあと、奥さんのハンナが書いたお礼のカードを、クーパーと一緒にハンナが

届けてくれた。

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娘たちは翌日金曜日、沖縄に帰っていった。

今回は、インフルエンザだったこともあり、2週間孫たちとずっと一緒にいて楽しんだ。

帰ったあとは灯が消えたようで、またカミサンとふたりの生活に戻った。

2012年4月 6日 (金)

孫たちとの旅(2)

先週木曜日、昼前熱海を出て、小田原へ。

以前から、孫たちが来たら一度連れて行きたいと思っていたヒルトン小田原に一泊。

行く途中、熱海の伊豆山神社に寄った。

伊豆山神社は桜の時期は最高。境内から下の海岸通まで続く長い下り階段の両側の

ソメイヨシノは見事。ただ、今回は早すぎて残念だった。

伊豆山神社は由緒があって、源頼朝と北条政子の逢瀬の場所として知られている。

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境内のそばに、おおしま桜がきれいに咲いていた。

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食事をしたあと、小田原の早川にできたYoroizuka Farmへ。

Yoroizuka Farmは六本木、恵比寿に店を持つパティシエの鎧塚さんが昨年11月に

オープン。自らもケーキや焼き菓子をつくる娘が知っていた場所。

秀吉が小田原北条氏を滅ぼしたことで知られている一夜城近くの山の中に

作られた場所であるが、女性客中心に大変にぎわっていた。

5種類ケーキを買ったが、さすがどれも美味しかった。

そのあとヒルトン小田原へ。

この施設はもともと簡保の宿で、全国の簡保の宿が破格の値段で売りに出された

ときに話題になった施設。3セクが安く買い、それをヒルトンが8年前に購入した。

簡保の宿だったときからそんなに大きくは改造していないとのことであった。

簡易保険で、こんな立派な施設を作ったことにあらためて腹立たしさを覚えた。

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ホテルは春休みで子供たちが多かった。特に我が家同様3世代で来ている客が

目についた。

部屋は10階でベッドが4つある大きな部屋。2部屋取ることなく5人泊まれた。

相模湾が眼下に一望できるすばらしい部屋だった。

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孫たちは午後と翌朝2度プールに行き、温泉に入り、目いっぱい遊んだ。

翌朝、ひとりで裏の遊歩道を散歩。梅ともくれんが見ごろだった。

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14時にチェックインし、翌日の14時チェックアウト。結局ホテルに24時間いた。

チェックアウトし、金曜日夕方、横須賀に帰ってきた。

2012年4月 4日 (水)

またまたフェイスブックでつながった

今朝、カミサンが電話を受け、『韓国の金さんという人から電話』と。

きっと金 東吉さんからだと思い、出るとやはり金 東吉さんだった。

しばらく前にフェイスブックでつながり、その後、金さんから「電話番号を教えて」と

書き込みがあった。

いやー、会話したのは30数年ぶり。

金 東吉さんはボクより4歳下で、金さんが韓国富士通にいたときだから、初めて

会ったのは、たしか1979年。

当時、富士通が海外で初めてIBM機をリプレースしたお客様だった韓国電力の

システム移行を任され、5~6人のチームリーダーとして頻繁にソウルに出張して

いたころ金さんと知り合った。

金さんは営業で、日本語がうまく、大変お世話になった。

当時、韓国で全国をカバーするただひとつの電力会社であった韓国電力の

システム開発は絶対に失敗が許されなかった。

富士通韓国のエンジニアと日本人チームが一丸となって、移行・開発作業に

取り組み、完了までに2年近くかかった。

今でもよく覚えている。韓国電力の電算部の洪(ほん)課長のことを。

作業の進捗状況を毎日夕方に報告に行く以外、ちょこちょこ洪課長から呼ばれ、

投げかけられる疑問、質問は厳しかった。日本語があまり得意でない洪課長との

会話を助けてくれたのが金 東吉さんだった。

あの頃の韓国は今とはまったく別の国だった。北朝鮮との緊張関係がピークに

近い状態で、戒厳令、灯火管制が敷かれ、国全体が臨戦態勢にあった。

そのような中、韓国人と日本人が一緒になってシステムの移行、開発作業を行った。

金 東吉さんと知り合ったのはそんな時代だった。

あれから30数年。金 東吉さんのお嬢さんは日本の音楽大学を出て、今は韓国で

教授職にあるそうだ。

金さんは韓国で開発したソフトを日本に紹介、販売する仕事をやっているとのこと。

日本に来る折に会うこともできそうだ。

フェイスブックでは、かつての国内外の知り合いと思いがけない出会いがあり、

交流がはじまっている。

フェイスブックに感謝、感謝である。

2012年4月 3日 (火)

孫たちとの旅(1)

先週、娘と孫たち、カミサンの5人で熱海に泊まり、翌日山梨へ。

ラッキーなことに、当日は快晴で富士山がばっちり見えた。

十国峠、箱根スカイライン、御殿場から見る富士山はどれも見事だった。

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御殿場でお昼を食べたあと、孫たちサービスで、イチゴ狩りへ。

イチゴ狩りはボクは初めての経験。

予約なしで、閉園30分前であったが、快く入園させてもらい、5人でいっぱい食べた。

場所はネットで探した笛吹川フルーツ公園近くの中島フィールズ

Cimg8729 Cimg8728

桃の花が有名な笛吹川なので、楽しみにしていたが早すぎて花はまったく咲いて

いなかった。身延山久遠寺のしだれ桜も楽しみにしていたが、事前にお寺に電話

したら、こちらも冬が寒かったため、満開は4月中旬だろうとのことで諦めた。

イチゴ狩りのあとは、この日の宿の清里のペンション”はなみずき”へ。

お客は我々だけで、暖炉の燃える暖かな部屋で出迎えてもらった。

Cimg8741 Cimg8730

山梨名物ほうとう鍋と奥さん手料理の美味しい夕食をいただき、ご主人からいろいろ

話を聞いた。

Cimg8732 Cimg8736

食事のあと、紹介された宿から車で5分の立ち寄り温泉”天女の湯”へ。

露天風呂から見た満天の星はすばらしかった。

翌朝、ひとりで近くを散歩。

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朝食をいただき、ご夫婦にお礼を言い、ペンションを後にした。

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清泉寮に寄りソフトクリームを食べ、雪を見たことのない孫たちのため、ペンションの

ご主人から教えてもらったスキー場へ。雪で遊んだふたりは大興奮。

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雪遊びのあと、JRで最も高所にある野辺山駅へ寄った。

野辺山駅は、思い出があり、どうしても行きたかった場所だった。

25年くらい前、当時は仕事が忙しくCimg8768

家族で旅行したことはほとんど

なかったが、一度小渕沢のペンションに

泊まったことがある。

そのときまだ中学生だった息子と娘と

野辺山駅のそばにある最高地を示す

碑の前で写真を撮ったことを覚えていた。

時は流れ、娘と孫たちと同じ場所で写真を撮り、感激。

そのあと、甲府、富士吉田、御殿場を通り、熱海に帰った。

2012年4月 1日 (日)

「カーネーション」が終わった

タイトルだけでは、何だと思われる方が少なくないと思う。特に現役の人たちは。

8時から放映されるNHKの朝ドラのタイトルで、6ヶ月間続いたドラマが昨日終了した。

朝ドラは8時から15分間の番組。定年して以来、数作を除きほとんど観てきた。

これまでに観た10数作の中で今回の「カーネーション」は最高だった。

半年間、楽しませてもらった。

ビデオリサーチの視聴率もずっと20%を超えていた。

ドラマのモデルはファッションデザイナーのコシノ3姉妹の母。

大正初め、大阪・岸和田の呉服商に生まれた小原糸子はドレスに魅せられ洋装店を

開く。夫は戦死し、女手ひとつで娘たちを育て、その間にくり広げられた波乱万丈の

女の一代記。

糸子の芯の強さは尋常でなく、自分で人生を切り開いて成長し、周りの人たちも成長

させていく生き様に、観ている人たちは共感し、感動し、喝采した。

何と言っても、演じた尾野真千子が最高だった。

初めて知った役者だったが、いっぺんにファンになった。

ただ、90歳過ぎまで生きた女の一代記だから、31歳の尾野真千子では、当然最後

までは演じきれない。

最後の1ヶ月近くを演じたのは、夏木マリ。

尾野真千子がいなくなるのは寂しかったが、夏木マリもとても好演だった。

特に、糸子の最期、送り、送ったあと糸子の写真を飾った前でみんなでワイワイの

盛り上がり、エンディングシーン、すべてとてもよかった。

「カーネーション」の残像として、夏木マリのイメージが残る人も多かろうが、

「カーネーション」は、やはり、尾野真千子だ。

尾野真千子の演じた戦前・戦中・戦後、しっかり描けていたし、朝ドラでは極めて

珍しい、一度だけの不倫、あれも印象に残る。

とにかく楽しめた作品だった。

明日からは新ドラマ「梅ちゃん先生」がはじまる。楽しめる作品であること期待。

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