« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月27日 (火)

娘たちの帰省

沖縄に住む娘と孫たちが春休みにあわせ帰省した。

土曜日、娘は親友の女友だちの結婚式がちょうど重なり、好都合であった。

朝10時半ころ、娘は子どもたちを我々に預け、横浜であった結婚式に出かけた。

帰ってきたのは夜中の12時過ぎ。

久しぶりに会った仲間と、延々と盛り上がったようで、参加者の中には我々も知って

いる子たちが何人もいたとのこと。

中でもびっくりしたのは、息子が塾で教えていた、当時中学生だったUさんが銀座の

ママになっていたこと。

一緒に連れて行ったことのあるカラオケで「天城越え」を絶唱したあの中学生だった

Uさん、時の流れを感じた。

日曜日は、妹孫の4歳の誕生日。Cimg8685 

仕事が休みだったパパも交え、

パパの長い間の馴染みの横浜

天王町のスシ割烹「とがし」で

みんなで誕生日祝いをした。

「とがし」のマスター、ママさんは

我々とも親しい仲。

マスターが心を込めて準備をしてくださっていた。いつものことながら、メニューが

いっぱい黒板に書いてあった。どれも美味しい。

  Cimg8688_2  Cimg8694

パパからの大きなバースディカードと姉孫からのカード。

   Cimg8697  Cimg8700_2 

カミサンからのカード。

Cimg8702 Cimg8701_2 

「とがし」のママから、それにカミサンからもプレゼント。

Cimg8703_2 Cimg8704 

最後は娘が用意したハッピーバースディケーキ。

Cimg8709

2012年3月20日 (火)

カンボジャへの思い

定年退職したのは、8年近く前の04年6月。

退職し10日くらい経ったころ、元いた会社から電話があって『JICA(国際協力機構)の

仕事でカンボジャに2ヶ月間行って欲しい』と頼まれた。

『行きたくない』と押し問答したものの断りきれず、要請を受け、まったく未知の国、

カンボジャに2ヶ月間出張した。

そのときのいきさつ、カンボジャでの仕事、生活について「あれから2年」シリーズで

6年前ブログに書いた。

仕事は『アジアの中で最貧国であるカンボジャが今後社会インフラを整備し構築して

ゆく上で、情報通信技術をいかに活用していけばよいかを調査し、2ヶ月間かけて

提言をまとめる』ことだった。大変タフな仕事であった。

8年前カンボジャは、1/3以上の国民が1日1ドル以下で生活していて、社会インフラは

極めて脆弱で、アジアの中でも最貧国

1975年から3年8ヶ月間続いたポルポト時代、大虐殺が行われ、カンボジャはめちゃ

めちゃに破壊されてしまった。

道路や橋の破壊は言うに及ばず、「人材の破壊」、「制度の破壊」が、カンボジャに

壊滅的な打撃を与え、その状態が今なお国全体に残っている。

2ヶ月間ずっと一緒に働いた情報通信開発庁の若い人たちと何度も一緒に食事を

した。酒が入ると、小さかったころ、家族がポルポト派の兵士たちからどれほど酷い

悪事を受けたを話してくれた。

若い彼らは国のエリートである。カンボジャを何とか自分たちの手で良くしていきたい

との気概が誰からもひしひしと感じられた。

熱っぽく語る彼らの話を聞くたびにカンボジャの立ち直りを願わずにはいられなかった。

現役時代出張で行った国々、それにリタイア後訪ねた国々、合わせて、20ヶ国以上の

国の中、カンボジャは最も印象に残る国である。

そのカンボジャと、またつながりができはじめた。

ひとつは、2ヶ月間の出張中、最も親しくなったYim Sureさんとフェイスブックで

つながった。Yimさんから届いた友だちリクエストがきっかけだった。

もうひとつは、4年くらい前、熱海に行った折、熱海の国際交流協会がカンボジャに

学校を造るという活動をはじめたことを知り、寄付させてもらった。

その学校が昨年11月に完成したとの連絡を、12月国際交流協会からもらった。

先日、熱海市役所を訪ね、詳細を聞き、国際交流協会の会員になった。

6月ころ、カミサンと一緒にカンボジャに行こうと思っている。

目的は3つ。① Yim Sureさんご家族にお会いすること。② プノンペンから約100kmの

田舎にある学校を訪ねること。③ 8年間のカンボジャの成長ぶりを見ること。

大変楽しみな旅になりそうである。

2012年3月16日 (金)

映画「一枚のハガキ」

99歳の新藤兼人監督が、『映画人生最後の作品にする』と宣言した作品。

監督の鬼気迫る迫力を感じた映画だった。(gooポイント80点)

愛する人を次々に亡くし、戦争への憎しみを生きる力にする女性を演じた

大竹しのぶの好演が印象的だった。

先週観た、やはり戦争をテーマにしたスピルバーグ監督の映画、「戦火の馬」と

比べれば、情感、心の琴線への触れは、圧倒的に「一枚のハガキ」が上だった。

以下、サイトから引用したあらすじ。

      --------------------------------------------------------------

戦争末期に召集された100人の中年兵は、上官がくじを引いて決めた戦地に

それぞれ赴任することになっていた。

クジ引きが行われた夜、松山啓太(豊川悦司)は仲間の兵士、森川定造(六平直政)

から妻・友子(大竹しのぶ)より送られてきたという一枚のハガキを手渡される。

「今日はお祭りですがあなたがいらっしゃらないので何の風情もありません。友子」

検閲が厳しくハガキの返事が出せない定造は、フィリピンへの赴任が決まり、

生きて帰って来られないことを覚悟し、宝塚へ赴任する啓太に、もし生き残ったら

ハガキを持って定造の家を訪ね、そのハガキを読んだことを伝えてくれと依頼する。

戦争が終わり100人いた兵士のうち6人が生き残った。その中の一人、啓太が

故郷に帰ると、待っている者は誰もおらず、家の中は空っぽだった。啓太が戦死した

という噂が流れ、恋人同士になってしまった妻と啓太の父親は、啓太が生きて帰って

くるとわかり二人で出奔したのだった。生きる気力を失い、毎日を無為に過していた

啓太はある日、荷物の中に定造から託されたハガキを見つける。

一方、夫を亡くした友子は悲しみに浸る間もなく、舅姑から自分たちは年老いて

働けないのでこのまま一緒に暮らしてほしいと頼まれる。その上、村の習わしで

長男が死んだら次男が後継ぎとなることが決められており、友子には次男の三平

(大地泰仁)と結婚をしてほしいという。他に身寄りのない友子は、愛する夫との幸せな

人生を奪った戦争を恨みながらも、定造の家族と生きていくことを承諾する。

ささやかな儀式で夫婦となった友子と三平だったが、しばらくすると三平も戦争に

招集され戦死。その後、舅と姑が立て続けに死に、ひとり残された友子は定造の

家族が唯一残した古い家屋と共に朽ち果てようとしていた。

そんなある日、ハガキを持った啓太が訪ねてくる。クジ運だけで自分が生き残った

ことに罪悪感を感じる啓太と、家族も、女としての幸せな人生も、何もかも失って

しまった友子。戦争に翻弄されたすべてを奪われた二人が選んだ再生への道とは…

2012年3月11日 (日)

黙祷

3月11日が巡ってきた。

14時46分、テレビの放映に合わせ、心を込めて黙祷した。

テレビの特集番組を観て、ずっと涙が止まらなかった。

あの日、東北は雪が降り、夜は大変冷え込んだ。

去年の7月末、岩手の陸前高田市に、3泊4日でNGOの行う心のケアボランティア

参加させてもらった。

多くの人たちがボランティアで現地に駆けつけていた時期で、しかも暑い時期だった

ので、真冬の今と比べれば活動は、格段に楽だった。

そのときボランティア仲間に言われた。

『今年の冬が心配。乗り切れるかどうか。そのころになるとボランティアの数も減る

だろうし』

それを聞き、冬にもう一度来ようと思っていたのに、結局行かずじまいで1年が過ぎた。

あのとき、仮設住宅でお会いした人たちは、その後どうされているだろうか、と何度も

思い出していたのに。

ガレキの山の前で車を停め、写真は撮ったものの、被災地のどこでも、手を合わさ

なかったことに、いまだに悔いが残る。

14時46分、黙祷しながら、詫びた。

2012年3月 9日 (金)

台湾の旅(6)

花蓮のホテルでチェックインしたとき、ホテルの近くにも夜市があるとフロントで聞き、

夕食をしようと出かけた。

街が小さいため、夜市も小規模。小籠包と書かれた大きな看板が出ていた店が

にぎわっていたので、ここで食べることにする。

小籠包はひとつ5元、スープは20元。小籠包8個とスープで60元。150円の夕食

だった。ただ、味はよかった。

Cimg8630 Cimg8632

花蓮に足を延ばし1泊したのは、台湾を代表する山岳峡谷地帯である景勝地

太魯閣(タロコ)へ行きたかったためだった。険しい断崖はかつて珊瑚礁の海底が

隆起してできたもので、その石質は大理石、とガイドブックに書いていた。

チェックインしたとき、太魯閣行きのツアーを予約した。

翌朝8時半、ベテランツアーガイドの宋さんがホテルにピックアップに来てくれた。

宋さんの日本語は流暢で、太魯閣を見せたい、説明したいとの意欲も満々だった。

宋さんは65歳。孫談義で盛り上がった。ケータイの呼び出し音はお孫さんの声。

車は大きめのワゴン車。途中、お客を2組ピックアップ。台北から来て旅行中の楊さん

夫婦と台中から来たおばちゃんの李さん。

道中説明は、ガイドの宋さんが台湾語と日本語で二元放送。台湾語が終わったら

同じことを日本語で、あるいはその逆という感じで見事だった。

太魯閣に行く前、ボクらが夕方移動する

台北までの電車のチケットを持って Cimg8635

いないということで、宋さんが知り合いの

いる駅に寄ってくれて、切符を買った。

これで台北までは座席に座って行けると

ホッとした。

太魯閣に行く手前、新城という街を通った。

100年くらい前、新城には日本人が多く

住んでいて、宋さんが通りながら『この左の手前の家は日本人の役人の家だった。

この鳥居の奥には日本人の建てた神社がある』と説明してくれた。

Cimg8637 Cimg8639

新城からしばらく進むとCimg8640

太魯閣の入り口。ここから

太魯閣峡谷がはじまる。

ただボクのデジカメ、それに

撮影技術では、最も高いところは

1200メートルあるという渓谷の

迫力はとても写せなかった。

Cimg8650 

Cimg8656 

昼食はツアー行きつけの店で食べた。

ガイドの宋さんは別のテーブルだったCimg8665

ため、楊さん夫婦と李さんと我々5人。

ここでもコミュニケーションは筆談しか

なかった。

楊さんのダンナさんは65歳、間もなく

仕事を辞めるので、これからは夫婦で

旅行すると筆談とジェスチャーで

教えてくれた。とても仲の良い夫婦だった。

料理は台湾の家庭料理という感じで、美味しかった。

食事のあと、花蓮駅に戻る前、花蓮の名所のひとつ、七星潭海岸に寄った。

天気がよければコバルトブルーの海が臨める海岸だが、あいにく雨で傘を

さして海辺を散歩。歩道には花蓮らしく、きれいに大理石が敷きつめられていた。

Cimg8667 Cimg8666

車に戻っている途中、楊さんのダンナさんが露天の焼き芋を買ってくださった。

これにはびっくりし、感激。

Cimg8668 Cimg8669

宋さんが花蓮駅まで送ってくれて、お礼とみんなに別れの挨拶をした。

車の窓を開けて、見えなくなるまで手を振り、見送ってくださった。

電車はゆったり座れ、3時間かけてCimg8676

台北まで戻った。 

この日は、翌日羽田に帰る飛行機に

乗る松山空港の近くのホテルに

泊まり、翌朝9時45分のフライトで

帰ってきた。

1週間の台湾一周の旅を堪能した。

長い旅行記にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

2012年3月 7日 (水)

台湾の旅(5)

高雄2日目。この日で娘と孫たちとはお別れ。

姉孫の学校があるため、娘たちは午後の便で沖縄に帰った。

目が覚めたら、部屋のドアの下に封筒が見えた。隣りの部屋の孫たちからの手紙。

朝起きて手紙を書いてくれたようで、先に食事に行くと書かれた手紙が置いてあった。

ななちゃんはカミサンの愛称。カミサンは10日前、誕生日だった。

Cimg8684 

Cimg8681 

Cimg8682_2 

Cimg8683 

食事のあと、みんなでホテルの裏の川沿いを歩いた。

左の写真の茶色の建物が泊まったホテル。ブーゲンビリアがきれいに咲いていた。

Cimg8608 Cimg8606

Cimg8615 

セブンイレブンに入ったら、Wi-Fiでネットが使えるようだった。日本より進んでる。

帰り道、東京酒場と書かれた派手な居酒屋があった。料理は全品250円のようだ。

Cimg8610 Cimg8617

チェックアウトし、ホテルからタクシー1台で在来線の高雄駅経由高速鉄道の高雄駅へ。

カミサンとボクは在来線駅で降り、花蓮へ。娘たちは高速鉄道で台北駅まで。

孫たちは別れるとき、ちょっとウルウル。

駅で台湾鉄道弁当(駅弁)を買った。電車は自強号と呼ばれる急行電車。

Cimg8619 Cimg8623

乗っても、”無座”切符だから、もちろん席はない。

車輌と車輌の間に立っていることにした。 Cimg8626

他にも無座チケットの人たちが立っている。

隣りに立っていた若いカップルと

言葉を交わした。

と言っても英語、日本語ほとんど通じず。

筆談と彼女が持っていたスマフォで

台湾語から日本語に翻訳し、それを

見せてくれて、『こういうことなのか』という感じのやりとりがはじまった。

写真は彼らが先に『撮ってもいいか?』と聞いてきて、お互いに撮り合った。

漢字だけでの筆談がいかに難しいか、よくわかった。

最初に聞きたかったのは『4連休は何の日なのか?』。「建国記念日?」と書いたら

NO。何とか質問が伝わり、「二二八」と返事を書いてくれた。

「二二八」と聞き、ガイドブックに書いてあったことを思い出した。あらためて

ガイドブックを見て、台湾が統治されていた時代に起きた二二八事件を確認した。

そうだったのだ、二二八記念日で4連休だったのだ。

他に質問したのは『大きな台東駅では

多くの人が降りて席は空くだろうか?』Cimg8627

この質問も漢字で表現するのは難しく、

彼女がスマフォで台湾語を日本語に翻訳し

それを見せてくれた。

答の日本語は『何とも言えない』

ふたりは高雄から1時間弱の

南州駅で降りた。

席がちょこちょこ空きはじめた。

英語のできる親切な男性が車掌に交渉してくれて、乗って1時間半後くらいに

車掌が2席確保してくれた。指定席料金は常に不要。

その後はずっと花蓮まで座って行けた。    Cimg8671

花蓮駅に着く15分くらい前にケータイから

ホテルに電話したら、迎えの車で駅まで

行くからとのことで、小雨が降っていて

助かった。

いろいろあったが、5時間半の列車旅は

楽しかった。

2012年3月 5日 (月)

台湾の旅(4)

4日目は高雄観光。

ネットで取った4ヶ所のホテルの中Cimg8547_2

高雄のホテルが一番良かった。

台北、台南はそのままタイペイ、

タイナンの呼称でよかったが、

高雄はガオション、高雄の次に

行った花蓮はホアリエン。

なかなか覚えられなかった。

どこに行っても感じたのは街中がきれいなこと。日本以上にゴミが落ちてない感じ。

朝食後、ホテルのコンシェルジュにいろいろ知りたかったことを聞いた。

聞いてる最中、大きな地震があった。翌日の英字新聞で見たら、震源地は高雄の東、

マグニチュード6.1で、台湾では2年ぶりの大きな揺れだったそうだ。

コンシェルジュが台湾鉄道に電話してくれて、翌日の花連行きの電車の指定席がない

ことが判明。とにかく早く高雄駅に行き、切符を買った方がいいとアドバイスを受ける。

このとき初めて台湾はちょうど4連休中であることを知った。

急いで出かける支度をしてタクシーで駅まで行く。

窓口に行くと、指定席はもちろんのこと、自由席もないとのこと。残っているのは唯一

立ち席だけ。仕方ないので、”無座”と書かれた立ち席切符なるものを買った。

高雄から花蓮までは5時間半。さてどうなるものかと思いながら、他に選択肢がない

ので、最悪5時間半立っていくことを覚悟し、カミサンとボクの無座チケットを買った。

高雄駅からタクシーで港へ。コンシェルジュに勧められたフェリーに乗って旗津半島へ

(下写真右)

フェリーの乗船時間はたった10分だったが、待ち行列の長いこと。

結局1時間くらい待った。これも4連休のためだった。

Cimg8550 Cimg8552

待った甲斐があった。フェリーが着いたところで自転車を借りて、みんなで乗り、

孫たち大受け。

Cimg8553_3 

孫たちの楽しかったことのランクは、① 自転車で人がいっぱいの中をこいだこと、

② 夜市、特にゲームをしたこと、③ パンダを近くで見たこと。

市場の近くに自転車を停めて、干物や乾物を買った。

Cimg8565 Cimg8564

あちこちでイカを焼く屋台があり、姉孫は食べたくて仕方なく、買ってもらっていた。

Cimg8566 Cimg8568

この日の夜は高雄で一番大きな夜市、六合夜市へ。

前に進めないくらいの混雑。

Cimg8574 Cimg8602

いろいろ珍しい食べ物を売っていた。

Cimg8583 Cimg8579

ここでも孫たちはカエル叩きにはまる。

Cimg8590

この日の夜は、これがまさに

夜市でゴハンという感じの店でCimg8593

食べた。

言葉は通じないし、注文の仕方も

わからない。

他のお客のやり方を見ていたら

メニューを書いた紙に数を記入

すればいいのだということがわかった。

テーブルにあった写真を見て、美味しそうなものを注文した。もちろんすべて安かった。

Cimg8598 Cimg8599

Cimg8597 Cimg8594

2012年3月 4日 (日)

台湾の旅(3)

3日目の朝、ホテルをチェックアウトし、娘と孫たちと一緒に台湾高速鉄道に乗るため、

地下鉄で台北駅まで行った。

この日の最終目的地は、南端の台湾第2の街、高雄。

高雄の前に、高雄の手前の台南で途中下車することにした。

台湾では65歳以上は、あちこちでシニア割引の恩典が受けられ、高速鉄道も半額。

台南までは1時間50分、料金は1800円。日本の新幹線に比べれば、圧倒的に安い。

Cimg8504

高速鉄道の台南駅は在来線の台南駅からかなり離れていて、在来線に乗り換えた。

乗って台南の地図を見ていたら、隣の席に

座った女性が日本語で声をかけてくれた。Cimg8513

結果的にはこの女性のアドバイスに従い

台南観光をした。

台南駅に着いて、駅に荷物を預けたいと

話したら、荷物の一時預かり所まで

連れて行ってくれた。

ひとりでは見つけられそうにない駅の

奥のほうにあった。”行李房”、そう言えば昔は竹で編んだ行李(コオリ)を使っていた。

Cimg8509 Cimg8508 

駅前の商店街は混雑していて、歩道は段差があり、歩くのに苦労しながら、

何か飲んで一息つきたく、カフェの感じの店で休んだ。

そのあと、親切な女性に教わった孔子廟に行くことにした。タクシーでなくバスで

行ってみようと思い、バスの番号を聞き、しばらく待ってバスに乗った。乗りはした

ものの、降りる場所がわからない。そのため運転手のそばに座り、孔子廟と書いた

紙を見せ、着いたら教えてとジェスチャーで伝え、問題なく孔子廟で降りられた。

    Cimg8518   Cimg8519 

園内には、ゆっくりお茶を飲みながらおしゃべりしているお年寄り、太極拳を楽しむ

人たち、園の外の路上では将棋に興じるお年寄り、とてもいい感じの市民の憩いの

場だった。

Cimg8524 Cimg8526 

孔子廟のあとタクシーで、女性から聞いた、昔オランダ人が拓いた街、安平へ。

台湾ではあちこちでやっている夜市が開かれていた。

孫たちは射的ゲームに興奮。

Cimg8534 Cimg8531 

全員お腹がすいてきて、やはり電車の女性から教わったエビ巻きを食べに

周氏蝦巻という店に入った。長い行列ができていてB級グルメの店だった。

Cimg8535 Cimg8541 

食事をしたあと、タクシーで台南駅まで戻った。ほとんどのタクシーの運転手に

ステーションが通じず苦労した。駅の呼び方を教わったが、なかなか伝わらなかった。

駅で預けた荷物をピックアップし、在来線に乗り、30分で目的地の高雄に着いた。

高雄駅からタクシーで、2泊するホテルへ。

この日は全員疲れた。

2012年3月 2日 (金)

台湾の旅(2)

宿泊したホテルは地下鉄の終点の

ひとつ手前の駅から歩いて5分。Cimg8450

この日は沖縄から孫たちが来る日。

ホテルで朝食を食べたあと、小雨の

降る中、ウキウキしながら駅まで歩いた。

海外に行くといつも苦労する紙幣、

小銭の認識が、台湾は日本と同じ

感じで、ほとんど問題なかった。

地下鉄の切符の自動販売機の操作もシンプル。

切符は紙でなくトークンで出てくる。これはエコロジーにぴったり。

Cimg8464 Cimg8465

台北駅の手前の士林駅で降りて、タクシーに乗り、故宮博物館に行った。

楽しみにしていた故宮であったが、人がいっぱいで翡翠の装飾品と青銅器、陶磁器を

観て、早々に引き上げた。

タクシーと電車に乗り、台北駅へ。お昼は駅の2階のフードコートで。

Cimg8466 Cimg8472

娘たちとの約束の時間まで、駅の近くの城中市場へ。

細い路地に食料品、生活雑貨、衣料品の店がひしめき、地元の人たちの日常生活が

垣間見られた。

Cimg8468 Cimg8470

娘から『着いたよ』とのメールが届き、急いで待ち合わせ場所へ。

いたいた、会うなり孫たちが飛びついてきて、メロメロ。

4月になると姉孫は小2、妹孫は幼稚園の年中クラスに。

Cimg8476 

荷物を駅のコインロッカーに預け、地下鉄に乗り、動物園へ。

動物園に着いたら4時10分。閉園は5時。

どうしてもパンダを見せたく、バンダ館まで急ぐ。

館内は人はまばら。じっくりパンダを観ることができ、全員満足。

Cimg8484_2   

Cimg8478

この日の夜の食事は地下鉄とタクシーを

乗り継いで、カミサンがネットでCimg8488見つけた店へ。

タクシーはとにかく安い。

住所を見せれば、運転手は問題なく連れて

行ってくれる。ただ、英語はほとんどダメ。

この夜の食事は1週間で一番のごちそう

だった。

娘から『1週間遅れだけど、お母さんの

誕生日祝いにしよう』

全員たらふく食べて5千円。食事も安い。

Cimg8494 Cimg8496

Cimg8493 Cimg8495

2012年3月 1日 (木)

台湾の旅(1)

1週間の旅を終え、昨日台湾から帰ってきた。

途中、沖縄から合流した娘と孫たちと4日間一緒で、新幹線、電車、バス、地下鉄を

乗り継ぎ、念願の台湾一周旅行ができた。

英語も日本語も通じず、筆談でやり取りした、印象に残る出会いも多くあった。

総じて、台湾の人たちは親切でフレンドリー。

温暖な気候、良好そうな暮らし向き、活力を感じさせる街、安定した治安状況、

全体的にとてもいい感じを受けた。

加えて、日本から近く、物価が安く、これまで旅行を考えたことのなかった台湾だったが

穴場感を持った。Cimg8444

今回はJALのマイレージを使ったので

航空運賃の持ち出しはなし。

にもかかわらず、行きの昼食は京風

おばんざい弁当。申し訳ない気持ちで

いただいた。

久しぶりにJAL機に乗り、どん底を経験

したJALは、再起に向けて頑張っているとの雰囲気を感じた。

初日と2日目のホテルは、あえて、台北駅から地下鉄で40分の台北郊外にある

淡水という場所に宿を取った。

ホテルの窓から、雨でかすんでいたが淡水河と生態保護区の緑地帯が見えた。

Cimg8447 Cimg8449

上海に行ったときにも興味深く見たが、漢字表記が面白い。

ひらかな、かたかなに相当する文字がなく、よく漢字だけですべてが表現できる

ものだと、今回もあらためて感心した。以下はほんの一例。

Cimg8463 Cimg8502 

Cimg8511 Cimg8453_2

Cimg8451 Cimg8611

2段目右はコンビニ。下段左は清潔人員(クリーナー)。右はドトールコーヒー。

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »