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2011年12月

2011年12月31日 (土)

大晦日

未曾有の惨劇の年、2011年が終わる。

誰もが絶対忘れることのない、2011年。

7月末、3泊4日で心のケアボランティアで行った陸前高田で見た、あの惨状

ありありと目に浮かぶ。樹齢300年を超える海沿いの高田松原の7万本の松のうち

奇跡的に1本だけ残った松も立ち枯れすることが確定的となった。

お会いしたたくさんの人たち、寒さがつのる中、どうされているだろうか・・・

暖かい日差しに恵まれ、安穏と日々過ごしていることに対し、依然として申し訳ない

という気持ちになる。

震災後、とても書く気にならなくて、5年半続けてきたブログは止めようと思い、

更新を中止した。

その後、多くの方からメールやブログのコメントで、『ブログを再開しては』との

呼びかけをいただき、6月に再開した

震災後、多くの人たちが「家族」の大切さを一層深く思うようになった。

我が家もまさに同じ思い。沖縄に住む娘家族、郷里の倉敷に住む91歳になった母親

弟家族、妹家族、カミサンの家族・・・ますます大切に思う気持ちが深まってきた。

弟夫婦に長い間面倒をみてもらったオフクロは、4月から有料老人ホームにお世話に

なることになった。3度会いに行き、その間に手紙を出し、今のところ問題なく過ごして

いるようでホッとしている。

家族で年に3度海外旅行に行ったのは今年が初めてだった。

娘と孫たちふたりを連れて行ったオーストラリア、ひとりで行った米国アリゾナ・西海岸、

夫婦で行った韓国。

夫婦ふたりとも元気だから出来たことだった。

知り合い、仲間の訃報が珍しくない歳になった中、今年も一年元気に過ごせたことに、

何にも増して感謝している。

今年も一年ブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

皆さまにとりまして新しい年が実り多い、すばらしい一年になりますことを祈念いたします。

2011年12月29日 (木)

映画「サラの鍵」

観たい映画だったが、神奈川では横浜と川崎の2館でしか上映していなく、桜木町まで

観に行った(gooポイント82)

原題は「彼女の名前はサラ」。 こちらのタイトルの方が当たっているような気がした。

1942年、ナチス占領下のパリで起きたユダヤ人迫害事件。ナチに迫害された家族の

ヨーロッパとアメリカを舞台にした物語。

作品では、両親とともに収容所へ送られたサラ、現代のパリで暮らすアメリカ人記者

ジュリアの2人を交互に描き出していく。

サラが収容所に入れられるまでは、とても重く、心が痛む映像が続くが、時々現代に

スイッチすることで、戦争当時と現代がいいバランスになっていた。

ラストのワンシーンが感動的で、予想に違わない映画だった。

以下、ネットから引用した作品あらすじ。

 --------------------------------

夫と娘とパリで暮らすアメリカ人女性記者ジュリアは、45歳で待望の妊娠をはたす。

が、報告した夫から返って来たのは、思いもよらぬ反対だった。そんな人生の岐路に

立った彼女は、ある取材で衝撃的な事実に出会う。

夫の祖父母から譲り受けて住んでいるアパートは、かつて1942年のパリのユダヤ人

迫害事件でアウシュビッツに送られたユダヤ人家族が住んでいたというのだ。

さらに、その一家の長女で10歳の少女サラが収容所から逃亡したことを知る。

一斉検挙の朝、サラは弟を納戸に隠して鍵をかけた。すぐに戻れると信じて……。

果たして、サラは弟を助けることができたのか?2人は今も生きているのか?

事件を紐解き、サラの足跡を辿る中、次々と明かされてゆく秘密。そこに隠された

事実がジュリアを揺さぶり、人生さえも変えていく。すべてが明かされた時、サラの

痛切な悲しみを全身で受け止めた彼女が見出した一筋の光とは……?

2011年12月28日 (水)

娘、超多忙

土曜日に沖縄から帰省した娘は、毎日お友だちに会いに出かけ、超多忙。

中学校、高校、同期入社の仲間、それに以前住んでた横浜のマンションのママ友。

月曜日だけは子どもたちを置いて、ひとりで出かけた。

暖かさに誘われ、カミサンと一緒に孫たちふたりを連れて、クリスマスプレゼントに

届いたキックボード、フリスピーほか持って、車で海沿いの子ども公園へ。

先ず、ふたりの孫たちは丘すべり。

Cimg8329 Cimg8325 

キックボードは姉孫はさすがうまい。妹孫がもらったプレゼントだが、しばらくは

姉孫のものになりそう。

Cimg8322 Cimg8333 

そのうちふたりは、『おなかがすいた』と言いはじめ、近くのマックへ。

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マックのあとは、カミサンが服と靴を買ってやりたいと、近くのユニクロとABCマートへ。

そのあとボクは、パソコン教室キュリオステーション横須賀校の取材を神奈川新聞が

やってくれるということで教室へ。

費用のかからない新聞はPR媒体としては最高。神奈川新聞の取材は今回が2度目。

取材のあと、本部から来てくれた営業部長のWさんとお茶して、最近のキュリオ

ステーション全体の状況をいろいろ聞き、意見交換をした。

娘たちは今日水曜日、出張から帰ってきたダンナと一緒にお昼のフライトで沖縄に

帰った。

Cimg8342 Cimg8343 

車で羽田まで送り、バイバイpaperairplane 展望デッキで出発機を見送った。

5日間楽しませてくれた孫たちがいなくなり、また夫婦ふたりの生活に戻った。

2011年12月25日 (日)

サンタさんが来た

昨夕、予定通り娘が子どもふたりを連れて、沖縄から横須賀の我が家に来た。

孫たちに会うのは8月以来。

姉孫は小学校1年生、妹孫はCimg8318

3歳9ヶ月で幼稚園の年中。

女3人、暖かい沖縄からブーツを

履いてやって来た。

4ヶ月間会わない間に、妹孫ユナが

成長しており驚いた。

まあ、よくしゃべるようになっている。

娘の表現だと、おしゃべりユナと知的なミサキとのこと。たしかに、姉孫ミサキは

以前と違い、はしゃがなくなり落ち着いてきた。本が好きで着いたらすぐ家にあった

本を読みはじめた。

昨夜はクリスマスイヴではあったが、特別な料理はなく5人でワイワイ食事。

『サンタさん来てくれるかなぁ』と言いながら、ふたりは心配そうにふとんに入った。

『サンタさんに、今年は横須賀に来てね、とお手紙を出しておいたので、きっと来て

くれるよ』と言ったら、ふたりは安心して寝た。

寝たのを見計らって、娘がネットで我が家に送ってきたプレゼントを枕元へ。

今朝は5時半に起こされた。『サンタさん来てくれたよ!見て見て!』と言いながら。

姉孫は今年もリカちゃん人形。ヘアカラーが変えられ、ヘアメイクできるリカちゃん。

妹孫はキックボードというスケーター。

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姉孫がふたりの欲しいものを細かく書いて、サンタさんに手紙を出したそうだ。

例えば、キックボードはふたりが乗れるように高さの調節ができることなど。

娘が手紙を見せてよ、と何度も言ったそうだが、結局見せてくれず、娘は

これだろうと思うものをネットで買ったとのこと。

姉孫はサンタさんに直接コンタクトしたかったようだ。

それにしても書いた手紙はどうしたんだろう。今日聞いたが、教えてくれなかった。

今朝は、娘が子どもたちを連れて、横浜のお友だちの家に出かけた。

娘の帰省を機に、同期入社の子たちが4人、それぞれの子どもたちを連れて集まる

女子会へ。15人くらいが集まったそうで、帰ってきたのは7時。

親子ともども、『楽しかったぁ』

明日からも連日お友だちに会うようで、我が家はホテルみたいなもの。

2011年12月24日 (土)

クリスマス イルミネーション

今年もあと一週間。

誰もが『あっという間の一年だった』と言う。

『長かった一年だった』という人はほとんどいない。

特に今年は本当に大変な一年だった。

年賀状に、『大震災が大きな爪あとを残し、新年のご挨拶をはばかる気持ちで、新しい

年を迎えました』と書いた。

そんな中ではあるが、我が家の周りではクリスマス イルミネーションを飾る家が増えた。

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我が家はカミサンがクリスマスの飾りつけをした。

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今日夕方から28日まで、沖縄から娘が子どもたちを連れてくることになっている。

娘の家では、今日からダンナが海外出張なので、昨日家族でクリスマスイヴイヴ。

孫たちのクリスマスプレゼントをどうしようかと悩んでいたら、娘が本人たちに欲しい

ものを聞いてネットで買って、『どこかに隠しておいて』とメールが届き、我が家に

送られてきた。

ということで、今年はサンタさんは横須賀に来ることになった。

2011年12月22日 (木)

韓国南部の旅(3)

3日目午前中、慶州市内観光で世界遺産2ヶ所を訪ねた。

世界遺産もこれだけあちこちにあると、いくぶんありがたみが薄れる。

先ず行ったのは良洞民族村。観光化がほとんどされず昔の姿をそのまま留めている。

聞いたことがあった両班(やんばん)と呼ばれた特権階級の氏族が、厳格な儒教の

気風を重んじながら、代々暮らし続けてきた村の様子がそのまま残されている。

どこの国でもあったことであるが、朝鮮でかつて存在した両班を頂点とする極めて

厳しい階級制度についてガイドさんが解りやすく説明してくれた。

写真左は両班の住んでいた家で、村全体が見渡せるこの場所で、村人の働きを監視

していたそうだ。

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良洞民族村のあと、世界遺産に登録された古墳公園を訪ねた。

4~10世紀新羅王朝時代に建てられた古墳とのこと。日本でいうと,聖徳太子から

源平時代。貴族の墓であった古墳が23基ある場所が公園として開放されている。

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古墳公園のあと釜山へ移動。

釜山の人口は360万人。横浜とほぼ同じ。

バスから見るマンションの数と高さに圧倒された。

釜山では先ず韓国最大の漁港チャガルチ市場を見て、お昼は各自選んだ食材で

美味しくいただいた。

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食事のあとは免税店。ボクはまったく興味ない。

国際市場を見学し、釜山タワーのある公園へ。

高麗人参店にも行ったが、これも興味なし。

そのあとカジノ体験。これは大いに興味があった。

何度も海外でやったブラックジャックをやり、少ない掛け金で40分くらい遊び、

結局7千円くらい勝った。カミサンはスロットをやり、とんとんだったようだ。

釜山で泊まったホテルは賑やかなダウンタウンの真ん中にあった。

夜はカミサンとホテルの周りをブラブラ。

美味しそうなものをいろいろ売る屋台が並んでいてトライした。

写真左のホットクが食べられなかったと、あとでカミサンは悔やんでいた。

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クリスマスのイルミネーションがとてもきれいだった。

家族連れ、カップルがみんな楽しそうで、ここでも韓国の変わりようを間近に見て、

うれしかった。

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とても充実し、楽しめた3泊4日の旅だった。

2011年12月21日 (水)

韓国南部の旅(2)

ツアー旅行だから、個人旅行と違い毎日の予定はピシッと決まっている。

それにしても盛りだくさんの旅程だった。

2日目と3日目の朝はツアーガイドの女性から6時にモーニングコールが入り7時出発。

夜も食事のあと2晩夜景を見に行った。安い旅行でよくここまで付き合ってくれるなぁ

という感じだった。

2日目の午前中は大邱(テグ)観光。

薬令市場という大きな漢方薬材通りに行った。時間不足で説明を聞いて薬材を

求める時間がなかったのは残念だった。

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邱(テグ)慶州(キョンジュ)地区には世界遺産に登録された寺院ほかが

多くある。邱で訪ねた海印寺に保存されている経典も世界遺産。

右の写真は世界遺産の証。

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午後、大邱から慶州に移動した。

慶州でも世界遺産の仏国寺を見学。仏国寺脇の山道を上がったところにある

釈迦如来を祀った石窟庵も世界遺産に登録されている。

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仏国寺のあとは紫水晶の工場見学。続いて窯元見学。

ツアーだから物産を販売する店に連れて行かれるのは仕方ない。

韓国は青磁が有名で30年前頻繁に出張していたころ何点か買ったことがある。

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夜食事のあとバスで連れて行ってくれた慶州駅近くのライトアップされた

公園の夜景、中でも右の写真の水面に映る景観は幻想的ですばらしかった。

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2011年12月18日 (日)

韓国南部の旅(1)

月曜日から3泊4日のツアー旅行で韓国南部に出かけた。

これまでツアー旅行はほとんど経験したことがなかったが、ラクチンでとても楽しかった。

4日間ずっと天気が良くて、思ったほど寒くなく、現地の韓国人のツアーガイドが

一生懸命やってくれて、記憶に残る旅になった。

訪ねた都市は、釜山(プサン)、慶州(キョンジュ)、大邱(テグ)の3ヶ所。

カミサンがたまたま新聞広告で見つけたツアー旅行で、ソウルが入っていない

ところが気に入り決めた。

3泊4日で航空運賃(燃料サーチャージ含め)ホテル、6回の食事、ガイドが

付いたバスツアー、すべて込みで3万2千円。

倉敷に帰省する新幹線往復料金よりも安い。

ツアーはシニアのカップルばかり16人。

ありえない、信じられない、とビックリしたのは、釜山の飛行場を降りて空港でツアー客

全体が顔合わせしたとき、何と15年以上会ってない厚木に住むいとこ夫婦に会ったこと。

韓国を訪ねたのは30数年ぶり。

79年から3年間、韓国には20回以上出張した。

当時勤務していた富士通が、海外で初めてIBMをリプレース(置き換え)する商談を

獲り、システムエンジニアとして頻繁に出張した。

お客様は韓国電力。今はどうかわからないが、当時は韓国では韓国電力一社が

国のすべての電力を供給していた。

海外初のIBMリプレース商談であったこと、それより何より国で唯一の電力会社の

システムの開発を任されたということで、大変なプレッシャーを感じながらプロジェクト

リーダーとして仕事をした。

当時の韓国電力の電算部の洪(ホン)課長のことは、今でもよく覚えている。

日本から5~6人、韓国富士通の5~6人のエンジニアが一緒になって、韓国電力の

人たちとともにシステムの移行と開発を行った。

当時の韓国は今の比でないくらい北朝鮮と厳しく対峙していた。仕事に加え、これも

我々日本人には大きな負担であった。

戒厳令で夜の12時以降は外出禁止、外を歩いていたら捕まった。灯火管制で夜は

街の灯は消され、定期的に家庭の灯も消灯が義務付けられていた。防空訓練も

定期的に行われ、当時事務所のあった高いビルを階段で降り、地下道に避難する

訓練を何度も経験した。

夕方5時になったら国歌が流れ、事務所の中に掲げられた国旗に向かって頭を

下げることは毎日の慣わしだった。

北朝鮮に対する脅威と憎しみを徹底的に国民に洗脳した時代であった。

そんな中、『これだけ韓国に来てるのだから、来てる間に一度だけ一日全員休んで

南と北の軍事境界線である板門店に行こう』、とみんなに提案し、バスで行ったことを

思い出す。

そんな経験と思い出のある韓国を30数年ぶりに訪ねた。

30数年前と比べるのは極めてナンセンスであるが、韓国の大変な変わりようには

驚いた。

当時と町行く人たちの顔つきがまったく変わっていることにビックリした。

国に力がつき、豊かになっていくことが、国民にとっていかに大切なことであるかを

いまさらながら痛感した。あわせてこれだけ差がついてしまった北朝鮮の人たちが

いかにかわいそうであるかを思うとともに、国の浮沈は為政者次第であると、

あらためて強く思った。

当時覚えた言葉を結構覚えていて、これにはちょっとビックリした。

旅そのものについては、韓国南部の旅(2)以降で紹介。

2011年12月15日 (木)

おとなりさんたち(2)

2軒となりのSさんご夫婦とは近所で一番親しい間柄。

しばらく顔を見なかった。先週会ったとき聞いたら、『夫婦でコスタリカに行ってた』

『コスタリカって、ほとんど究極の旅じゃないですか』と言ったら、『とてもいいとこだった。

女房が習っているスペイン語圏なので、女房の希望で行ってきた』

Sさんはボクより2歳年上で、横須賀で長い間、ご夫婦で建築業を手広く営んでいる。

Sさんとは妙にウマが合う。魅力的ですばらしい人だと常々敬服している。

会えば毎回長い立ち話になる。人脈のすごさ、ご夫婦揃っての前向きな姿勢にいつも

驚く。人脈は事業関係は言うに及ばず、戸塚カントリークラブのキィメンバーで、ゴルフ

仲間の話がしばしば出てくる。Sさんからよく聞くことばは、『残された時間は少ない』

チャレンジする意欲がとにかくスゴイ。

先週立ち話で出たのは『来年ニューヨークに移り住もうと思っている。ニューヨークに

住む娘家族が、自分たちが住んでいるマンションの一室が空いたので、お父さん

お母さん来たら。来たらお父さんはこちらのゴルフクラブのメンバーになってコロンビア

大学に通うことを勧める、という話が出てきているので、女房も行って勉強したいと

言っているし、来年行くことを決めたよ。大学で何を勉強するかをいま考えている。

会社は少し心配だけど、任せれば何とかなると思う。それより残された時間は少ない。

娘も同じことを言ってる。家はそのままにしておくつもり』

Sさんは、言い出したら必ずやるということをよく知っている。間違いなく、ご夫婦で

実行に移されることだろう。

Sさんは5年くらい前にも会社を2年近く休んで、独りでハワイ大学に入学して勉強

されたことがある。そのときも、『若い人ばかりの中で、ものすごい刺激があった』と

帰国後いろいろ面白い話を聞いた。

Sさんに言った。『すごいですよ。チャレンジ精神だけでなく、今の生活にまったく

問題ない中、たくさんあるあらゆるコネクションを絶って、ニューヨークに移り住んで

勉強することを決められるとは』

Sさん曰く、『やりたいと思うことをこれまでもずっとやってきた。今回も元気なうちに

やりたいと思うことをやる』

話を聞いていて、ますますSさんご夫婦への敬服の念が深まった。

2011年12月11日 (日)

おとなりさんたち(1)

ボクが住む横須賀には、通称ベースと呼ぶ米軍基地がある。

ベースの中には米軍家族向けの住宅がたくさんある。

米軍家族の中には、ベースの中ではなく、せっかく数年滞在する日本だから、日本と

日本人を知るためにベースの外に住んでみたいと考え、一般の住宅街に居を求める

アメリカ人も結構いる。ただ、ある程度、位が高くないと外に住めないと聞いている。

米軍が払う家賃(と言っても思いやり予算だから、我々の税金)は比較的高いため、

アメリカ人家族に家を貸す人も少なくない。

我が家の隣りはここ5年くらいずっとベースのアメリカ人が住んでいる。1ヶ月くらい前に

住みはじめた家族が3代目となる。最初の住人は職種を最後までしゃべらなかった

25歳前後のシングルマザー、2人目は看護学博士号を持った独身中年女性。

今回の3代目はダンナがベースの中の病院で看護系の仕事をしている家族。

4歳の男の子がいて、1月に2番目のGodiva

子どもが産まれるということで、アメリカ

から奥さんのお母さんが来ている。

初めて普通の家族という雰囲気の

ファミリー。これまでの中で一番

礼儀もわきまえている。

住みはじめてすぐ、GODIVAのチョコを

持って挨拶にきてくれた。これまでなかったことでびっくり。

ダンナが『最低3年は横須賀にいる予定。夫婦の名前はジャスター、ハナ、子どもは

クーパー。日本語を勉強していて、話せるようになりたい』

今度はじっくり付き合えそうな夫婦である。

斜め前の家はベトナムからボートピープルでアメリカに移民し、医者の資格を取った

独身の男性が住んでいたが、2ヶ月くらい前にサンディエゴにある米海軍基地に帰った。

そのあともアメリカ人が住んでいて、話したことはないが奥さんがハワイアン航空に

勤めているとのこと。

みんな数年の付き合いで終わるが、立ち話仲間ができるのは悪くない。

2011年12月10日 (土)

お通夜

水曜日、10年以上前からの知り合いの女性から、『父、変蝠林が亡くなりましたので、

お知らせいたします』とのメールをいただいた。

変蝠林さんはネットのハンドルネームで、メールをくださったのは、娘さんのあんみつ

姫さん。

20年近く前、変蝠林さんとあんみつ姫さんが中心となり、当時ニフティがやっていた

ニフティサーブと呼ばれたパソコン通信の仲間内の掲示板BBSで、シニアを中心とした

メロウ倶楽部というグループを立ち上げられた。

今でもメロウ倶楽部は活発に活動されていて、ホームページのアクセス件数は、

200万件を超えている。

変蝠林さんは長老的存在で、『メロウ倶楽部は単なる仲良しクラブではダメだ。社会に

貢献する活動を目指さないと』と、常々言われていたそうで、韓国はじめ海外のシニア

ネットとの交流や関東以外、東海・関西・九州にも活動エリアを広げ、変蝠林さんは

リーダーシップを発揮してこられた。

その変蝠林さんが94歳でお亡くなりになった。

最後にお会いしたのは4年くらい前、マイクロソフトのイベント会場だった。

そのとき変蝠林さんが『パスポートの更新で、10年パスポートを取りました』と言われる

のを夫婦で聞き、こういう風に歳を重ねたいと話したのをよく覚えている。

7~8年前だっただろうか、お宅にお邪魔し、「パソコンを暮らしに役立てているシニア

世代の紹介」とのテーマで取材をさせていただいたこともあった。

あんみつ姫さんにお悔やみのメールを送ったら、以下の返信が届いた。

『シニアネットが立ち上がり成長著しい時代でしたから、父は晩年をとても良い時代に

過ごせたのではないかと思います』

木曜日、お通夜に伺い、変蝠林さんにお別れをしてきた。

2011年12月 8日 (木)

今週また2回

忘年会、会食があった。これで今年はたぶん終わり。

2回とも元いた会社の仲間。

7年半前、定年退職するとき、会社が終わるのだから、会社の仲間とは基本的には

終わりにしようと決めて、何度も誘われた最後にいた職場のOB会の参加も断った。

リタイアしたあとは、会社以外の仲間と交流しようと決め、実際さまざまな新しい出会い

交流が退職を機にはじまった。

そんな中、元会社のふたつのグループの仲間との交流は続いている。

月曜日、そのうちのひとつの集まりに参加した。ここ5年くらい、毎年師走に入る

この時期に集まっている。

日にちは1年前集まったときに決めることが定着した。全員リタイアしているので

時間は5時。場所は毎年、横浜西口高島屋前。

メンバーは6名。ただ、この日Aさんは直前にお母さんが亡くなったため欠席。

脊椎管狭窄症で入院手術したHさんも元気に参加。

皆かわりなく元気。飲み食いの量もペースも変化なし。

このグループの毎回のパターンは飲食が終わったあと、コーヒショップで締め。

コーヒーショップを出たのは9時ころ。延々と4時間、思い出そうとするが何を話したか

しっかり思い出せない。大半がたわいもないことをワイワイ話し、ゲラゲラ笑い、

の4時間だった。来年の集まる日は12月3日と決まった。

昨日水曜日は品川で海外グループが集まった。

こちらは8人。中心は元ニフティ社長のWさん。

月曜日の仲間たちとは違い、まだ全員現役。皆スーツ。セーターはボクだけ。

ワイワイ盛り上がりにぎやかなのは変わらないが、こちらは仕事、会社、仲間の話が

中心。それに最近のIT事情。一番若手が55歳くらいだが持ってるのはほとんどスマホ。

『アンドロイドにしてこれでフェイスブックをやってるよ』などなど、結構先端を行っている。

ボクのように電話とメールしかできないケータイじゃない。ボクは外出したときメールの

チェックをしなければならないとか、インターネットをつないでいろいろやりたいとか、

必要性をほとんど感じない。

家でパソコン使って、メールチェック、ネット検索、ブログ更新、フェイスブック、ミクシィが

できれば、それで十分。

6時半から9時まで、こちらのグループも盛り上がりっぱなしの2時間半だった。

気の置けない会社の仲間とワイワイやれるのは、とても心地よい。

2011年12月 7日 (水)

映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」

定年退職間近の運転士とその妻の“第2の人生”への分岐点を描いた作品ということで

興味があり、観に行った。(Gooのポイント88点)

平日の昼でもあり、客のほとんどはシニアカップルまたはシニアの女性グループ。

そばにいるのが当たり前すぎて、本当の気持ちを言葉に出来ない、どこにでもいる

夫婦を演じた三浦友和と余貴美子、とてもいい感じだった。

雄大な立山連峰を望みながら、富山地方鉄道沿線の緑豊かな田園風景、こちらも

よかった。

退職当日の様子を観て、自分の退職した日のことを思い出した。

↓は退職2年後、退職した日のことを書いたブログ。

http://tak05.cocolog-nifty.com/banzai/2006/06/post_524a.html

以下、ネットから引用した映画のあらすじ。

----------------------------------------------------------------------

滝島徹(三浦友和)は鉄道運転士として仕事一筋の日々を過ごし、59歳になった。

55歳になった妻・佐和子(余貴美子)は、専業主婦として徹を支えてきた。

徹が1か月後に定年退職を控え、夫婦で第2の人生をスタートさせようとしていた

ある日、佐和子が結婚するときに辞めた看護師の仕事を再開すると宣言する。

しかし徹は佐和子の申し出を理解せず、2人は口論となる。思わず家を飛び出した

佐和子と徹の溝は深まる一方で、ついに佐和子は離婚届を徹に手渡す。

これからの人生は妻のためにと思っていた徹に対し、自分の人生を生きたいと願った

佐和子。佐和子には、徹の知らないある理由があった。

そばにいるのが当たり前すぎて、本当の気持ちを言葉にできない2人に、ひとり娘と

その夫、徹の同僚や部下、佐和子が担当する患者一家の人生が交錯していく。

こうして徹と佐和子は、思ってもみなかった第2の人生の出発点にたどりつく。

2011年12月 3日 (土)

3日つづけて会食

こんなこと、リタイアして初めて。

先ず、水曜日、オーストラリアに駐在していた当時の仲間ふたりと渋谷で会食。

3人は同じ歳で、35年以上の付き合い。ただ、3人で会うのは3年以上ぶり。

ひとりのTさんは6月に社長を降りて顧問に。もうひとりのYさんは7年くらい前に

会社を興し、今は会長。それと7年以上無職、年金生活者のボクの3人。

Tさんはグループ企業の総帥であるオーナーに請われて、ずっと社長を続け、

赤字だった今の会社を13年間連続黒字にし、利益をグループに還元している。

数年前からずっと辞めたい辞めたいと言っているものの、オーナーの手前簡単に

辞められないことはよく知っている。

Yさんの会社は順調に推移していたが、リーマンショック以来いくぶん業績は下降ぎみ。

ただ、それ以上会社の話は出ることなく、家族の話ほか雑事で盛り上がった。

この日もTさんにご馳走になった。

木曜日は、年に2回くらいやっている大学のゼミ仲間とのマージャンとそのあと食事。

1時に新橋の行きつけの雀荘に集合。こんな時間に客はいない。夕方になっても

かつてのように雀荘は客で埋まらない。最近の若い人は時間のかかるマージャンは

やらない。

結局終わったのは9時前。8時間近くやってたことになる。

考えてみるとみんなタフだ。この歳でテンションを張りつめて、こんな長い間集中して

やるのだから。

雀力は拮抗していて、大きな勝ちも負けもなく終わった。

終わったあと雀荘のあるニュー新橋ビルで食事。ニュー新橋ビルはかつてとは

がらりとテナントがさまがわり。2階は中国人のやっている店がめっきり増えた。

1時間半くらいワイワイ飲食し、帰ったら12時だった。

昨日金曜日は、日本橋で10年以上前の仕事仲間だったシンクタンクと経産省の

団体職員の女性ふたりと食事。シンクタンクのYさんが多忙なため、7時スタート。

暗くなって横須賀から日本橋まで出て行くのはちょっと、という感じだったが、

ふたりに会うのは5年ぶりくらいなので、楽しみに出かけた。

まったく気の置けない仲間なので、3人で冗談、ひやかし、いくぶん礼を欠く話が

バンバン出た。

食事が終わったあと、Yさんから『ここから近いからちょっとウチに寄って行かない』

と言われ、ふたりでYさん宅へ。

マンションの一部屋を自分がやっているNPOで使っている。仕事が超多忙な様子が

部屋のそこかしこでうかがいしれた。この日も帰ったら12時過ぎていた。

定年退職して7年。こうしていろいろな仲間が声をかけてくれることは、とてもうれしい。

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