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2011年8月27日 (土)

沖縄の娘宅へ(3:沖縄戦)

娘宅が沖縄に居を構えたのは、ちょうど2年前。

『上の子が小学校に上がる2年後に帰ってくる』と言い移り住み、2年が経ったが、

子育て、生活、友だち・・・、いずれも恵まれた環境にあり、しばらくは帰って

きそうにない。

2年の間、我々夫婦は6~7回訪ね、娘夫婦同様、沖縄にはまった。

ただ、一般の観光地に興味があったのは、はじめのころだけで、最近は無縁。

ボクは沖縄戦、それに琉球の歴史・文化に惹かれる。

特に悲惨極まりない沖縄戦への想いが強く、来るたびにひとりで戦跡や記念碑を

観て回っている。

娘たちが住む本島南部地区には、特に激戦地だった場所が多い。

以前から行きたかった陸軍病院南風原

(はえばる)壕を今回初めて訪ねた。Cimg7647 

壕は沖縄ではガマと言い、娘の家から

歩いて行けるところにもひとつある。

沖縄戦の戦いが激しくなってきたのは

終戦の半年前の1945年3月。

45年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島

南部西海岸に上陸し、これをきっかけに

戦闘は一層熾烈、悲惨なものになっていった。

日本軍の一方的敗退で、6月25日、沖縄本島における組織的な戦闘は終了した。

本土防衛の捨て石となった沖縄はわずか3ヶ月足らずで焦土と化し、犠牲者は

一般住民4万人を含め、戦死者数はほぼ19万人。

その激戦の主戦場だった場所、住民が逃げ隠れた壕、病院跡、軍の司令部跡が

娘の住む家の近くに多くある。

陸軍病院のあった南風原の村民の44%が命を落としたことを知り、愕然とした。

陸軍病院南風原壕を管理する南風原文化センターも、南風原の沖縄戦、戦後の

ゼロからの再建、移民、人々の暮らし、など幅広いジャンルで展示説明がしてあり

壕と文化センターに、2時から5時まで3時間いた。

陸軍病院南風原壕は、沖縄に来る人には是非訪ねてもらいたい場所である。

一昨日はほかの沖縄戦関連場所も訪ねた。

娘の家から8kmのところにある糸満市も沖縄戦の激戦地だった。

ひめゆりの塔、平和の礎、いずれも糸満市にある。

ひめゆりの塔を初めて訪れたときには涙が止まらなかった。

海を望む場所にひっそり建てられた沖縄戦犠牲者を祀る碑。

Cimg7631 Cimg7632 

師範学校生の英霊を祀る健児の塔。そばに建てられた石碑に書かれたことばは

『石塔にきざまれし名をまさぐりて泣き入る親の一人なり我も』

 Cimg7634 Cimg7637 

帰り道、久しぶりに平和の礎(いしじ)を訪ねた。

夕方だったため、ほとんど人がいない中、時間をかけてゆっくり歩いた。

Cimg7643 Cimg7642 

月並みではあるが、心底、平和の大切さを想い、恒久平和を願い、訪ねた先

すべてで、そのことを祈念するとともに、犠牲になられた方々の御霊に真を捧げた。

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